第8話 不都合な朝
自分の顔に有頂天でいられたのは、せいぜい、布団にはいるまでだった。
朝起きると、真っ先に逃れられない現実というものが押し寄せてきた。
「こんな顔じゃ学校に行けない!」
この顔が嫌でも人目を引いてしまうのは、すでに昨日の放課後に立証されたことだ。
さらにスジローでのことが極めつけだった
4世代4人、ボックス席に座ったのだが、何を食べたのか、正直、覚えていない。
芸能人の誰かにでも間違われたのか、あっちこっちから写真を求められたのだ。
曾祖母と祖母は慣れた様子だった。
写真を求められれば快諾し、満面の笑顔で写真に収まる。
祖母など自分が運営する冒険者ギルドを宣伝していたほどだ。
わざわざ花柄のスモックに着替え、革ジャン革パンでがっちり武装したのは、こうなることを予想……いや、100%知っていたからに違いない。
一方のぼくといえば散々だった。
普段使いの毛玉だらけのトレーナーと、パジャマ代わりのジャージズボン姿で、出し抜けに写真を求められたものだから、全部の写真にぎこちない笑顔で収まることとなった。
「笑顔もクールなんですね! 格好いいです!」
「ラフで素敵な格好ですね! どこのブランドですか?」
なぜか、ぼくが着ているだけで毛玉だらけのトレーナーがブランドものに早変わり。
……ジマムラのバーゲンワゴン品なのに。ジャージズボンもそう。
適当に組み合わせただけなのに最先端のファッションのように見なされた。
「無口なんですね! 格好いい!」
「クールな横顔も素敵です!」
気の利いたことのひとつも言えず、ゾンビみたいに「あ~」とか「う~」とか唸って、ただただ言葉に困ってただけなのに、何をしても肯定的に見られた。
(スジローの寿司にはなにかハッピーになるものでも入っているのか?)
本気で心配したほどだ。
昨日までだったら、「エルフのペットの糞ダサいファッションのオークが生意気にも人様の食べ物を食べている」と見なされ、嘲笑以外の何も得られなかっただろうに。
「恐るべしエルフ顔っ!!」
素顔のまま学校に行けばどうなるか。昨日の放課後とスジローの一件は例外ではない。
(このままでは目立ってしまう!?)
目立ったところで、良いことなんて1つもないのは、すでに経験済みだ。
(顔を隠そう、……でもどうやって?)
顔を隠せる防具で……いや、ダメだ。
冒険実習以外での装備の着用は禁止されている。すぐに没収されるのがオチだ。
(顔を隠す正当な理由が、……そうだ! 怪我したことにすれば!)
机の引き出しから包帯を取り出し、顔にぐるぐると巻き付ける。
(髪色であれこれ追求されるのも面倒だかな~)
ついには目元と空気穴だけを開けて完全完璧に頭を包帯で覆い隠す。
ついでに、赤チンで、ちょんちょん、と血の滲みを偽装する。
「完璧だ!」
とりあえず1階に下りてみた。
すると、さっそく階段の上り口で、母親と出会した。
「あら、ロックね」
母親は何気ない口調で言った。
「……そんだけ?」
てっきり反対されるかと思っていた。
息子が顔を隠して登校するなんて「尋常」なことではない。
一般家庭を扱ったドラマなら家族会議ものなのに。
「早く朝ご飯、食べちゃいなさい!」
「ねぇ、これどうよ?」
「血は時間が経つと赤黒くなるから、赤チンで血糊を表現するのは下策ね。色が変わらないし、何より色が鮮やかすぎて安っぽいわ。やるなら本物の動物の血を使わないと」
「なっ、なるほど……」
まさか偽装方法の方でお叱りを受けるとは……。
母親に促されるまま食卓に座る。
食卓にはすでに先客がいた。セシルちゃんだ。昨日とは一転、シュミーズ姿で、眼鏡を掛け、行儀悪く足を椅子の上に載せて、今日の新聞を開いている。
「おっ? ロックぢゃの!」
ぼくに気がつくと、眼鏡の上の縁から覗き込むようにして、そう言ってきた。
ちなみに眼鏡は老眼鏡でもなんでもない。ただの伊達眼鏡。
賢そうに見える、という理由で、新聞を読むときにつけているのだ。
「ロックって意味わかってる?」
「伊達ぢゃろ?」
「……違うと思う」
詳しくは知らんけど、と語尾を濁し、せっせと朝食を胃の腑に流し込む。
「これで大丈夫かな?」
ロック以外の感想がなかったので催促してみた。
「耳が丸見えぢゃ、それではハイエルフとバレバレぢゃわい!」
「……そうかな?」
耳を隠さなかったのは、うっかりではない。多少の尖りはあるが、母親や祖母、曾祖母のように、ぴぃんとして、刺さるほど鋭い、所謂「エルフ耳」じゃなかったからだ。
「メスの本能を舐めるでない。奴らは貪欲に強いオスを求める習性がある。ハイエルフとばれたが最後、多くのメスがお主を放っては置かぬであろうよ、くわばらくわばら」
「メスとかオスとかって……何の話? 人の話してるんだけど?」
「もちろん、人の話ぢゃ。昨日だって伽を命じれば、見知らぬ誰であろうとお主にほいほいついて行ったことぢゃろう。ひひひひひっ、昨夜はお楽しみぢゃったの~、っての」
「……」
ひとり芝居で何を悦に浸っているのかはわかないけど、これだけは聞いてみよう。
「……伽って何さ?」
「なんぢゃ今頃の若者は伽も知らんのか? 伽というのはな――」
「うん?」
その瞬間、セシルちゃんは一点を見つめたまま、ぴくりと動きを止めた
視線を追ってみると、そこには母親がいた。
「お婆さま。春空も年頃ですから、その言い方だとむしろ煽っているようですよ?」
柔和な笑みを崩さないまま、しかしどこか胃の腑が重くなるような威圧感。
これは、……本気で怒ってる?
「そ、そうぢゃったかの? そのようなつもりはなかったのだが……」
セシルちゃんはたじたじになって母親から目をそらす。
まるで叱られる女児のようだ。というか、見た目はまんまそうだ。
「わたしはまだ『お婆さま』と呼ばれたくはないですから」
にこりと母親が微笑む。優しいのに、まったく温もりを感じない笑顔。
……背筋が寒くなる。
「だっ! そうだから、ゆめゆめ気をつけるのぢゃぞ!」
セシルちゃんにそう言われても、
(――なにを?)
訳もわからず首を傾げるしかなかった。
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