第5話 変わる世界
「ふぅ~、苦戦した」
最後の1匹の顔面に大穴を穿つと、春空はようやく人心地ついた。
「無傷で、これだけの数を屠った奴が何を言うか! 楽勝ぢゃろがい!」
呆れたように言うナビ妖精の足下には、累々たるゴブリンの死体が広がっていた。
数にして、おそらく三桁は下るまい。
おまけにどの死骸も、頭部がなかったり、上半身と下半身が泣き別れしていたりと、真っ当なものが1つもない。
おおよそ「戦闘」によるものとは思えない傷跡に、第三者の多くは、真っ先に「落盤に巻き込まれたか?」と思うだろう。それほどまでに酷い損傷の死体ばかりだった。
「楽勝じゃないよ、何回か攻撃を受けたし、……あれれ?」
短剣で刺されたり、棍棒でぶん殴られた箇所を確認してみるが、不思議と傷がなかった。
運良く当たりが弱くても、擦り傷や打撲くらいは覚悟していたのに。
「当然ぢゃ、ゴブリンごときにわしらの魔力障壁が抜けるものか! なんならゴブリンに集られながら三時のおやつだって食えるわい!」
「えっ、まじ? すごい!」
戦闘の基本は、魔力と魔力のぶつかり合いだ。
キモは、守り手の張った魔力障壁を、攻め手が自身の魔力でどれほど削れるか。
削るほど、攻め手の攻撃はよく通るようになる。
逆に、削れないほど、攻め手の攻撃は通らなくなる。軽微なダメージに抑えられるか、もしくは弾かれたり、無効化されたりで、ノーダメージに抑えられるか。
春空とゴブリンの魔力相関は、まさにそれだった。
春空の圧倒的な魔力障壁に、ゴブリンは直撃でもダメージを与えられなかったのだ。
「……ところで、これからどうするよ?」
藪から棒にナビ妖精が聞いてきた。
「どう、とは?」
「このままこのダンジョンの魔王退治と洒落込むかね?」
「え? いやいやいや、それはちょっと調子に乗りすぎでは?」
ゴブリンを三桁殺せる実力があっても魔王が倒せるかは別問題だ。
「謙虚ぢゃのぉ。さて、このダンジョンの今の魔王は――」
不意にナビ妖精の動きが止まる。
ハッキング元でセシルちゃんが何かやっているのだろう。
「『オークジェネラル』ぢゃな。今のお主ならグーパン五発で楽勝ぢゃ」
「え~……」春空はもの凄く嫌そうな顔をした。
「なんぢゅ、怖いか?」
「こんだけのゴブリンに襲われて今さら怖いも何もないけど、ちょっとね……」
歯切れの悪い春空に、ナビ妖精は意地悪な笑みを浮かべた。
「生意気にも倒した後のことを危惧しておるな?」
「う~ん……」
春空は苦笑い。流石、曾祖母、図星だった。
冒険実習用のダンジョンを攻略することは、厳密には禁止されてはいない。
学生とはいえ、冒険者たるもの魔王の一体や二体を倒してなんぼ、という放任主義からではない。学生ごときが魔王を退治できるはずがない、と高をくくられているからだ。
だから、学生の身分で、ダンジョンを攻略したとなるとちょっと困ったことになるのだ。
「できればぁ~、いや~、絶対に? う、う~ん、目立ちたくないわけですよ?」
目立つと、良くも悪くも人を呼ぶ。
好奇心から近づいてくる人、身勝手な期待を寄せてくる人、身の覚えのない妬みを向けてくる人、人、人……。
春空にプラスになったことは、結果として1つもない。
飽きて去るのはまだいい。
期待をちょっとでも裏切れば期待外れだと蔑まれ、ちょっとした失敗でも鬼の首を取ったかのように笑われたりと、まったく楽しいことがなかった。
「まあよい。大した実力がないのに有名を得たところで、後で困るだけだ。今日のところは去るしよう」
「ありがたきお言葉! では、さっそく――」
この惨状を人に見られても面倒なので、春空はさっさと帰ろうとした。
「ちょっと待て」
ナビ妖精に呼び止められた。
「――なにか?」
すっかり帰る気分だった春空は少し不機嫌に返してしまう。
「帰る前に、春空よ、殺した魔物の死体は魔力で絞めておけ」
「しめる?」
首を傾げる春空に、ナビ妖精は雑巾を絞るみたいなジェスチャーを見せた。
「何の意味が?」
春空はとりあえずやってみた。
魔力の奔流を、第3、第4の腕のように扱い、ゴブリンの死体をぎゅ~っと絞る。
ただでさえ酷かったゴブリンの死体が、犬も食わないような肉片に、
「お? おおおおっ!」
変わることを予測していた春空は思わず素っ頓狂な声を上げていた。
ゴブリンの死体を魔力で絞った途端、死体は肉と血を飛び散らせることなく、光り輝く粒子に代わり、ぱっと散ったのだ。まるで幻想的な花火を見るかのような光景だった。
「ど、どういうことぉ?」
散った粒子は春空の魔力に吸い込まれるように消えていく。
「何て事はない。魔物は原材料の一部に精霊が使われておるでな。ハイエルフの超高濃度魔力で、それを死体から絞り出しただけぢゃ」
ナビ妖精は本当に何て事ないように言った。
春空は、全部を理解するのに、たっぷり数秒を要してから、
「魔物って精霊からできているの?」
「精霊と言っても意志を持たぬ微精霊ぢゃがな」
「初耳~」
「この世の中の害悪と精霊と暗黒神の魔力を煮詰めて、異形の鋳型に流し込んでできたのが魔物ぢゃ。精霊を取り出すには暗黒神の魔力を浄化できるレベルの超高濃度魔力が必要だから、一般には知られておらんがな」
「全部やるべき?」
「全部ぢゃ。抽出した精霊はあとで必要になるでな。それに、原材料の精霊を失ってしまえば、ダンジョンはもう、ここに転がっているのと同じ数のゴブリンは生産できまい」
「それは、なぜ?」
「不勉強だな、死んだ魔物がどうなるか、習わなかったのかの?」
「死後12時間ほどで消失するんでしょ?」
作業を淡々と続けながら、春空はそう問い返す。
「正確にはダンジョンに吸収されるのぢゃ。そして、吸収された魔物はダンジョンの魔物工場で再利用され、新しく作り直される。まったく同じ原材料での。そのとき原材料が揃わなんだら、どうなると思う?」
「どう、って……作れなくなる? ああ、わかった!」
「左様、原材料の精霊を取り除いてしまえば、原材料不足で同じ魔物を同じ数だけ生産ができなくなる、という寸法よ」
「一石二鳥だね~」
「わかったらさっさと魔力を動かさぬか、夕飯までに帰れなくなるぞ」
「うぐっ……」
見渡すかぎりのゴブリンの死体の山……。
これを全部絞めるのは、骨――いや、魔力が折れそうだった。
30分後……。
「ふぅ~」
やっと半分ほどのゴブリンを締めて春空は一息ついた。
作業開始してからすでに30分は経っている。
もっとかかるかと思ったが意外に早く終わりそうだ、と春空は一安心。
晩ご飯には間に合いそうだ。
「のぅ、春空よ――」
作業を再開すると、ナビ妖精が決まりが悪そうに近づいてきた。
何でか春空と目を合わせようとせず、もじもじとしている。
「なに?」
ゴブリンの死体を魔力で包み、ぎゅっと絞める。
原形を残しているゴブリンなら一手間で済むが、上半身と下半身が分かれているゴブリンの死体だとそれぞれを絞らねばならないので、単純に二手間必要だった。
(こんなことなら頭を潰すだけにしておけば良かった)
とほほほっ、と文字通りに後悔。
「のぉのぉ、春空よ、今さら何ぢゃがな――」
「だから、なに?」
また会話が途切れる。
話しかけてきたのに、話し続けようとしない。なぜか、もじもじしている。
春空は聞き耳だけは立てて、作業に戻ろうとした。
「別に1匹ずつ丁寧にやらなくてもよいのだぞ?」
「――え?」
一瞬、意味がわからず問い返してしまう。
ナビ妖精はばつが悪そうに指を弄びながら、
「魔力の出力が足りぬのなら1匹ずつでよいのだがの、お主ほどの超濃度魔力なら別に1匹ずつやらんでもな、こう、何匹か……何十匹かをまとめて、ぎゅ~っとな――」
「……そんなことが?」
「よ、余裕ぢゃ」
セシルちゃんの鶴のひと言に、春空は喜ぶより先に膝が折れた。
「もっと早く言ってもよ……」
すでに半分ほど絞めた後のことだった。
「悪い悪い、時間がかかると思って、あっちでBTubeを眺めておったわい」
そこからの春空の行動は早かった。
ゴブリンの死体を団子にして、おにぎりを握る要領で一気に絞める、絞める、絞める。
残りの半数を片付けるのに10分を必要としなかったほどだ。
初めからこの方法を取っていれば、全部で30分もかからなかったに違いない。
「精霊消えちゃったんだけど、どこ行ったん?」
帰り道は平和そのものだった。
ゴブリンの足音1つ、話し声1つ聞こえてこない。
気配はあるのだが、あのゴブリンの大群を察知した感覚がレーダー代わりとなり、遠くにいることがわかっていていたので、春空は思わず無駄口を叩いてしまったほどだ。
おかげで春空は悠々と入場口まで戻ってこれた。
「お主の魔力に取り込まれておる。精霊は浄化して貰った相手に懐く性質があるでな」
「何かに使うみたいなことを言ってたけど、何に、――うぉっと!」
春空は慌てて壁際に隠れた。
「どうした?」
「あのしと……」
春空の視線の先には、春空を何故か目の敵にしている女冒険者の姿があった。
「憂鬱っすわ」
「何がぢゃ?」
「なぜか狙われている。悪い意味で」
「なるほど、面食いそうなおなごぢゃ。しかし心配はいらんぢゃろ」
しししっ、と意地悪く笑うナビ妖精。
「根拠は?」
「行けばわかる」
春空は行きたくなかったが、出口はそこしかなかったので、たっぷり五分はごねた後に、しかたなく、本当にしかたなく向かうことにした。
途中、少しでも揚げ足を取られないように汚れた体操着から制服に着替る。
M/Mには自動アジャスト機能があるので再構築された制服が、前の体型に合わせたまま不格好にだぶだぶになることはない。採寸されたかのようにぴったりだ。
あとは、「事案」だなんだと騒がれるのも面倒だったので、ナビ妖精をしまったおこうと、
「あ、あれ?」
M/Mの設定画面を開いた、の、だが、
「ナビ妖精の解除ボタンがなくなってるんだけど?」
「バグってしまったかの~」
しししっ、とナビ妖精が笑う。確信犯の笑いだ。
「セシルちゃん!」
大声を出してから、しまった、と春空は唇を噛んだ。
案の定、件の女冒険者がこちらを睨むように見ていた。
(どっ、どうしよう?!)
逃げれば、オークと間違われて追われるかもしれない。
向かえば、オークと間違われて襲われるかもしれない。
幸い、現在の装備はオークの粗末なものとは似ても似つかない学生服。
ちゃんとした人語で話せば、最悪でもオークに間違われることはないだろう。
……人語を話すオークと見なされたら終わりだが。
罵詈雑言は覚悟しなければならないが、襲われるよりかはなんぼかマシだ。
春空はそう腹を決め、入場口に向かうことにした。
「あっ、あの!」
(――くるっ!)
春空は、あらゆる罵詈雑言に対する論理武装を展開。敵意がないことを表す愛想笑いを完備し、聴覚の意識レベルを下げ、視線を女冒険者の手足に集中させる。
「おっ、お疲れ様で~っす」
あとは足早に彼女の前を通り過ぎるだけだ。
「わ、わたし、時津楓子といいます!」
「――え?」
なぜ、自己紹介? 訳のわからない状況に、春空は思わず足を止めてしまう。
その隙に、女冒険者は紙切れに何かをサラサラと書き、
「これ、わたしのSNSのアドレスです。良かったら……いえ、是非! 是非、連絡ください! いつでも、いつまでも……今日は寝ないで待ってます!」
「は、はぁ……」
春空は熱意に押され、思わず紙切れを受け取ってしまう。
(なんなん?)
紙切れにはSNSのアドレスらしき英字と数字の羅列がびっしりと書かれていた。どうやら1つ2つではなく、所有するSNSのアドレスというアドレスを書き綴ったものらしい。
(何のつもり? ぼくと連絡を取って何を……はっ! まさか、これがっ!)
たっぷり3秒は考えてから、春空の脳裏に、突如として天啓が舞い降りた。
(――美人局!?)
美人局とは、調子づいたオーク似の男性に、人並みに恋愛ができるという幻想を見せ、そんなはずねぇだろ! と現実を叩き付け、手痛い授業料を請求してくる卑劣な罠のことだ。
(罵詈雑言では飽き足らず、ついにぼくをしとめにぃ?!)
なんて恐ろしいしとだ、と春空は体の芯から震えた。
悪意の欠片もない綺麗な笑みが、今や透明な毒を塗られた鋭利な刃物にしか見えなくなる。
「もしお忙しくて連絡できなくても、明日もここにいますので!」
「ど、どもっ」
軽く会釈して、春空はその場を足早に去る。
ふと後ろを振り返ると、女冒険者がこちらを見送りながらぶんぶんと手を振っていた。
春空は彼女が見えなくなるまで生きた心地がしなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます