第5話 変わる世界
「ふぅ~、苦戦した」
最後の1匹の顔面に大穴を穿つと、ようやく人心地がつけた。
「無傷で、これだけの数を屠った奴が何を言うか! 楽勝ぢゃろがい!」
呆れたように言うナビ妖精の足下には、累々たるゴブリンの死体が広がっていた。
数にして、おそらく三桁は下るまい。
おまけにどの死骸も、頭部がなかったり、上半身と下半身が泣き別れしていたりと、真っ当なものが1つもない。
おおよそ「戦闘」によるものとは思えない傷跡に、第三者の多くは、真っ先に「落盤に巻き込まれたか?」と思うだろう。それほどまでに酷い損傷の死体ばかりだった。
「楽勝じゃないよ、何回か攻撃を受けたし、……あれれ?」
短剣で刺されたり、棍棒でぶん殴られた箇所を確認してみるが、不思議と傷がなかった。
運良く当たりが弱くても、擦り傷や打撲くらいは覚悟していたのに。
「当然ぢゃ、ゴブリンごときにわしらの魔力障壁が抜けるものか! なんならゴブリンに集られながら三時のおやつだって食えるわい!」
「えっ、まじ? すごい!」
戦闘の基本は、魔力と魔力のぶつかり合いだ。
キモは、守り手の魔力障壁を、攻め手が自前の魔力でどれほど削れるか。
削るほど、攻め手の攻撃はよく通るようになる。
削れないほど、攻め手の攻撃は通らなくなる。軽微なダメージか、ノーダメージ。
ちなみに近接攻撃ほど魔力は良く通る。
弓などの遠距離攻撃でも魔力は通るが、距離が遠かったり、矢の速度が速かったりすると、魔力は霧散する。この理屈から銃器は魔物に不向きとされる。弾速が早すぎるためだ。
……もっとも、
もともとの威力が高いので、まったく役に立たない、ということはない。
プロの冒険者でも「掃討用」とか「狙撃用」とかで使っている人はいるくらい。
でも、学生の身分で使っている人は希だ。
銃器そのものが高額なのと、あと単純に弾代がかかるから。
聞いた話だと、ゴブリンを1発で仕留めないと赤字なるらしい。
なら、棍棒1発で仕留めればいい、という至極当然の結論に帰結するわけだ。
話を戻すと、ぼくとゴブリンの魔力相関は、まさにそれだった。
ぼくの魔力障壁に、ゴブリンは直撃でもダメージを与えられなかったのだ。
「……ところで、これからどうするよ?」
藪から棒にセシルちゃんが聞いてきた。
「どう、とは?」
「このままこのダンジョンの魔王退治と洒落込むかね?」
「え? いやいやいや、それはちょっと調子に乗りすぎでは?」
ゴブリンを三桁殺せる実力があっても魔王が倒せるかは別問題だ。
「謙虚ぢゃのぉ。さて、このダンジョンの今の魔王は――」
不意にナビ妖精の動きが止まる。
家でセシルちゃんが何かやっているのだろう。
「『オークジェネラル』ぢゃな。今のお主ならグーパン五発で楽勝ぢゃ」
「え~……」
もの凄く嫌そうな顔をしているのが鏡を見なくてもわかった。
「なんぢゅ、怖いか?」
「いや、今日は疲れたから帰りたい。特に、魔力」
「ふむ、赤子がようやく立てるようになったようなものぢゃからな……、やむを得まい」
「ありがたきお言葉! では、さっそく――」
この惨状を人に見られても面倒だし、さっさと帰ろう。
「ちょっと待て」
「――なにか?」
すっかり帰る気分だったので、ちょっと不機嫌に返してしまった。
「帰る前に、春空よ、微精霊を回収しておけ」
「微精霊?」
初めて聞く……いや、精霊は知ってるけど、微精霊? 微生物みたいな?
「精霊の大元ぢゃ」
「ちょっと言っている意味が……」
「見えるぢゃろ?」
「や、見え、――おおん?!」
ません、と言おうとしたところで、なんぞこれ?
ゴブリンの死体から光の粒子のようなものが、埃みたいに、ぶわ~、って!
「それが微精霊ぢゃ。茶色だから土属性ぢゃな」
「……なんで魔物から精霊の大元がでてくるの?」
「そりゃ魔物も精霊と同じ材料で造られてるからぢゃろ?」
馬鹿を見るような目で当たり前のように言うけど、
「そうなの?!」
「魔神の魔力と必要量の微精霊、悪人の魂の欠片とこの世の害悪を煮詰め、異形の型に流し込んで固めてできたのが魔物ぢゃ」
「初耳~」
「魔物に属性があるのは、材料に微精霊を使ってるからぢゃ」
「へ~」
「本来、魔物が倒されても原材料となった微精霊は魔神の魔力に囚われたまま開放されず、魔物の死体と一緒にダンジョンに吸収されてまた魔物の原材料にされるが、ハイエルフの超高濃度魔力で魔物を倒すことで、魔神の魔力から開放することができるのぢゃ」
「へ~、へ~」
「M/Mに回収用のアプリをインストールしておいたからそれで回収しとけ」
「へ~、へ?」
まさかっ……まさかだった。M/Mのホーム画面に、見知らぬアプリ。
このアイコンは……セシルちゃんをアニメ絵にしたような可愛いのが増えている。
「人のM/Mに勝手にアプリを!?」
「ふ~ん」
そっぽを向いて聞いちゃいない。
……とりあえずちょちょんと指クリック。
「何に使うの?」
「何にでも使えるが、一番の用途は――」
セシルちゃんが言いかけたところで、ぼくの耳はもうそれを聞いちゃいなかった。
アプリを起動した瞬間、埃のように舞っていた微精霊が、ぼくのM/Mに天の川銀河のような光り輝く渦を巻いて殺到してきたからだ。
「おっ、おおおおお!」
回収は5分から10分の間続き――、
その間、ぼくは感嘆を上げるだけの阿呆に成り果てていた。
「すっ、げ……」
「では、帰るとしよう」
微精霊の天の川銀河が消えたのを見計らい、セシルちゃんがそう言うや、さっさと出口に向かって飛び去ろうとした。慌てて後を追いかけた。
「微精霊はどこに消えたん?」
「M/Mの武具素材用のストレージの一部を転用して格納されておる」
「ふ~ん……」
そういえば微精霊を何に使うのか最後まで聞いてなかったけど……、まあいいや。
今は魔物に襲われないように警戒しないと。右見て、左見て、さささっと移動。
「……」
平和だ。魔物の足音1つ、話し声1つ聞こえてこない。
ひょっとしたらここのゴブリンはあれで打ち止めだったり? ……まさかね。
ゴブリンが減ってもまだオークがいるから油断ならない。
「……」
入場口まで戻ってこれた。
運良く魔物と出くわさなかったけど、まだ安心はできない。
ある意味、魔物よりも厄介な存在が入場口で待ち構えているからだ。
彼女の視界から逃れ、壁際に隠れる。
「どうしたのぢゃ?」
「あの人……」
視線の先には、なぜかぼくを目の敵にしている女冒険者の姿。
「憂鬱っすわ」
「何がぢゃ?」
「なぜか狙われている。悪い意味で」
「なるほど、面食いそうなおなごぢゃ。しかし心配はいらんぢゃろ」
しししっ、と意地悪く笑うセシルちゃん。
「根拠は?」
「行けばわかる」
行きたくないが、出口がそこしかないから行くしかない。
せめて揚げ足を取られないように汚れた体操着から制服に着替る。
M/Mには自動アジャスト機能があるので再構築された制服が、前の体型に合わせたまま不格好にだぶだぶになることはない。採寸されたかのようにぴったりだ。
あとは、「事案」だなんだと騒がれるのも面倒だったので、ナビ妖精をしまったおこう。
「あ、あれ?」
M/Mのホーム画面を開いた、の、だが、
「ナビ妖精の解除ボタンがなくなってるんだけど?」
「バグってしまったかの~」
しししっ、とセシルちゃんが意地悪く笑う。確信犯の笑いだ。
「セシルちゃん!」
大声を出してから、しまった、と唇を噛んだ。
案の定、件の女冒険者がこちらを睨むように見ていた。
(どっ、どうしよう?!)
逃げれば、オークと間違われて追われるかもしれない。
向かえば、オークと間違われて襲われるかもしれない。
幸い、現在の装備はオークの粗末なものとは似ても似つかない学生服。
ちゃんとした人語で話せば、最悪でもオークに間違われることはないだろう。
……人語を話すオークと見なされたら終わりだが。
罵詈雑言は覚悟しなければならないが、襲われるよりかはなんぼかマシだ。
そう腹を決め、入場口に向かうことにした。
「あっ、あの!」
(――くるっ!)
あらゆる罵詈雑言に対する論理武装を展開。敵意がないことを表す愛想笑いを完備し、聴覚の意識レベルを下げ、視線を女冒険者の手足に集中させる。
「おっ、お疲れ様で~っす」
あとは足早に彼女の前を通り過ぎるだけだ。
「わ、わたし、時津楓子といいます!」
「――え?」
なぜ、自己紹介? 訳のわからない状況に、思わず足を止めてしまう。
その隙に、女冒険者は紙切れに何かをサラサラと書き、
「これ、わたしのSNSのアドレスです。良かったら……いえ、是非! 是非、連絡ください! いつでも、いつまでも……今日は寝ないで待ってます!」
「は、はぁ……」
彼女の熱意に押され、思わず紙切れを受け取ってしまう。
(なんなん?)
紙切れにはSNSのアドレスらしき英字と数字の羅列がびっしりと書かれていた。どうやら1つ2つではなく、所有するSNSのアドレスというアドレスを書き綴ったものらしい。
(何のつもり? ぼくと連絡を取って何を……はっ! まさか、これがっ!)
たっぷり3秒は考えてから、脳裏に、突如として天啓が舞い降りた。
(――美人局!?)
美人局とは、調子づいたオーク似の男性に、人並みに恋愛ができるという幻想を見せ、そんなはずねぇだろ! と現実を叩き付け、手痛い授業料を請求してくる卑劣な罠のことだ。
(罵詈雑言では飽き足らず、ついにぼくをしとめにぃ?!)
なんて恐ろしいやつだ。体の芯から震えがくる。
悪意の欠片もない綺麗な笑みが、今や透明な毒を塗られた鋭利な刃物にしか見えない。
「もしお忙しくて連絡できなくても、明日もここにいますので!」
「ど、どもっ」
軽く会釈して、その場を足早に去る。
ふと後ろを振り返ると、女冒険者がこちらを見送りながらぶんぶんと手を振っていた。
彼女が見えなくなるまで生きた心地がしなかった。
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