第4話 今日からハイエルフ

「疲れた……」


 具体的に、どこが? と問われれば、魔力が。


(M/Mで魔法化しないで魔力をそのまま使ったからか? ……そういえばM/Mは?)


 右を見て、左を見て、飛び散った体操着の切れ端と一緒に落ちているM/Mを見つける。

 ちょっと遠いので魔力で、と便利使いしようとして辞めた。魔力がやけに重い。

 やれやれ、と春空は徒歩3秒の距離を歩き、M/Mを拾い上げる。

 見た感じ損傷した様子はない。M/Mを起動させてみた。……う゛ぃぃん、と無事起動。


「……おや?」


 起動画面に「通知」を告げる赤ランプが点滅していることに気がついた。


 M/Mには自動検知機能があり、持ち主に何かあった場合――例えば、毒などの状態異常を受けた場合――などには、自覚がなくても、このように通知してくれるのだ。


 キーボードで操作して通知ログを開いてみる。


【ハイエルフに転生しました】


 いきなりそんなメッセージが飛び込んできた。


「……。……。……。……は?」


 たっぷり3秒は膠着してから、画面を一番上までスクロールさせる。


【致命傷を受けました。生存率減少中、98%……87%……75%……】


 いきなり始まった死のカウントダウンに、ひぇ、と春空の喉が鳴った

 おそらくゴブリンの短剣で滅多刺しにされたときのログだろう。

 過ぎたこととはいえ、あまり気分のよいものではない。


【生存率25%を割りました。スキル《生存本能versionC》が発動します】


 春空は首を九十度くらい捻った。

 とはいえ《生存本能》自体は、まったく珍しいスキルではない。


 初級冒険者のジョブで習得できるスキルで、その効果は「大ダメージを受けても数十分は通常通りに動ける」というもの。すべての冒険者の始まりが「初級冒険者」である都合上、世界中のすべての冒険者が習得していると言っても過言ではないスキルだ。


 問題は、


「ば~じょん、し~?」


 春空の記憶が正しければ、《生存本能》スキルはそれ単体で完結しているため、強化スキルも、上位スキルもなかったはずなのだ。


「しぃぃ~?」


 何となく既視感のある「C」に春空は困ったように頬を掻く。

 とりあえず今はログを読み進めることにした。


【生存最適化を検証……メモリアルを検索、エラー、エラー、メモリアルに該当危機緊急避難用プロトコルを検出できませんでした。生存最適化を再検証――】


 うぐっ、と春空の喉が鳴る。

 結果を知ってはいるが、緊張せずにはいられない。


【生存率24%、緊急処置により身体ブーストを強制発動、生存率22%、20%――】


【生存率19%、緊急処置により回復術式を解放、生存率18%、17%、16%――】


【ネフェリム因子を検出――】


(ネフェリム因子?)


【ネフェリム因子の活性化を確認、ハイパー化現象により、遺伝子情報が置換されます】


「――は?」


【遺伝子情報置換、完了まで5,4,3,2,1……完了しました】


 そして、最後のログが、


【ハイエルフに転生しました】


「……なぜ、そうなる?」


 よく見ると、ログにはまだスクロールする余地があった。

 一番最後までスクロールしてみる。


【種族特性により成長補正がつきました】


 さらに、


【転生により能力値にボーナスが附与されました】


「ぼーなすだなぁ?」


 春空は半信半疑でM/Mの画面に冒険者カード情報を表示させた。

 画面の1枚目は簡易情報で、よく身分証明書に使われるものだ。

 顔写真が張られ、年齢、性別、種族、状態の基本情報。

 その下に、アリンコのような字で能力値が簡単に表示されているのだが、


「……まじか?!」


 いつものとおりオール一桁の情けない数字が、ない。


「ん? ん? ん? んんんっ?!」


 目を擦り、頬をつねり、更新ボタンを指先でちょんちょんと突く。


「魔力85?」


 何一つ変わることなく表示されるのは、能力値の限界は「99」とされる現代で、トップクラスと言っても過言ではない数値。

 他の能力値もおおむね「50」を越えるか越えないかの高水準。


「なっ、なぜ?」


 自問に自答する代わりに、春空の視線は自然自然と「種族」の欄に吸い寄せられる。

 そこには【ハイエルフ】とあった。

 ちょっと前に見たときは【人間】だったはずだ。


「なんで、ハイエルフ?! というか、ハイエルフって何?!」


 訳がわからなすぎて泣きたくなってくる。

 エルフは良く知っているのだ。ちょっとでも見た目の良い奴は、だいたい、エルフの血を引いているか、エルフそのもので、かく言う春空の曾祖母もエルフだから。


「訳わからん!」


 春空はその場に両手両膝をついてうなだれた。

 頭の中がごちゃごちゃだった。

 何から考えれば良いのかわからない。何をすれば良いのかもわからない。


「ほぉ~、立派になったのぉ~」


 そのとき、誰かの声がした。


「爺さんの若い頃に似ているような気がする。血かのぉ~」


「――え?」


 春空は顔を上げると、そこには、


「重畳♪ 重畳♪」


 古めかしい語り口がよく似合うお婆さん――ではない。

 妖精だ。

 目が大きめの人形ような見た目で、薄緑の花びらのドレスを纏い、背中には透き通るような蝶の羽を生やた、羽妖精と呼ばれる種類の妖精が浮かんでいたのだ。


 春空はその愛らしい見た目に嬉しくなるより先に、その不可解さに眉を潜めた。


「なんでナビ妖精が?」


 彼女は本物の妖精ではない。「ナビ妖精」と呼ばれるM/Mの機能の一つだ。

 戦闘中など通知ログを読む暇ないとき、彼女たちが口頭で知らせてくれるのである。

 しかし、春空が彼女を活用したことは、ほとんど――いや、まったくなかった。

 春空がナビ妖精と一緒にいると、女子に「絵柄がヤバい」「犯罪の臭いがする」「事案?」などと言われるので、春空は設定でナビ妖精を呼び出さないようにしていたはずだ。


「魔力はわしに似たか。一族のいいとこ取りって感じで、なお良き良き♪」


「……」


 ナビ妖精の口調に、春空はピンとくるものがあった。

 というか、もうそれしか思い当たらなかった。


「もしかしなくて……曾婆ちゃん?」


「セシルちゃんぢゃ!」


 ナビ妖精がぷんすかと両手を上げてそう主張した。どうやらアタリらしい。


「どうして曾婆……や、セシルちゃんが? あっ、もしかして――」


 春空には思い当たる事案が過去に何件があった。


「またぼくのM/Mをハッキングしたんでしょ!」


「わしがあげたものぢゃ! わしがハッキングして何が悪い!」


「個人情報だって入ってるのに!」


「路傍で撮った野良猫の写真のことか? それともアマソンで買ったいかがわしいゲームの購入履歴のことかの?」


 ししししっ、可愛い顔して意地悪く笑うナビ妖精。


「そういうとこ! いったい、何の用?」


 前にハッキングされたときは、あれこれよ世話を焼かれて、大いに助かったが、冒険者として成長できないから、と金輪際、ハッキングによる手助けはお断りしたはずだった。


「なに、強力な魔力の勃興を感知したでな、ちょいと様子を見に来てみれば……ししししっ、なにやら楽しいことになっているではないか!」


「ぜんぜん、楽しくない! ……ってか《生存本能versionC》の『C』ってセシルちゃんの『C』だよね? おかげで死なずに済んだけど、ちょっとこれどういうこと?」


 立ち上がり、新しい服を披露するかのように両手を広げてみせる。

 この場合、新しい服ではなく、脂肪がなくなった自身の体をだが。


「人間じゃなくなったんだけどぉ!!」


「ふむ、ネフェリム因子が覚醒したのぢゃな。第4世代とはいえ、可能性は低くなかったが、期せずして《生存本能versionC》の生存最適化によって死期を延ばされたことで、覚醒にいたる猶予ができた、といったところかの?」


 形の良い顎に手を乗せ、ふむふむと1人満足げに頷くナビ妖精。

 当然のように春空は置いてけぼりだ。


「どういうことよ?」


「文字通り『死んで生まれ変わった』……格好良く言うなら『転生』ぢゃ」


「百歩譲ってそうだとして――」


「百歩譲らんでもそうなんだがの」


「ハイエルフ、って何さ?」


「おかしな事を聞くな」


 ナビ妖精は腕を組み、さも不思議そうに首を傾げた。


「わし――は正確には違うのだが、お前さんの祖母や母がそうぢゃろ?」


「そうぢゃろ? って、当たり前のように言うけど、初耳なんですけどぉ?」


「そうぢゃったかの? ああ、そういえば何年か前に、ハイエルフって言うと何かと面倒だから、うちはエルフの血を引いている、で通そうと3人で話し合った覚えがあるの」


「何その密談……ってか、エルフと違うの?」


「まったくの別物ぢゃ。『エルフ』が創造されてから『ハイエルフ』という呼び名が出回ったのだが、これを説明するには神代の時代まで歴史書を紐解かねばならない――」


「んじゃ、いいや」


「んまっ! 可愛いひ孫のために七面倒な説明をわざわざしてやろうというこの婆心がわからぬか!」


 ナビ妖精がぽかすかと殴りかかってくる。

 春空はそれをむんずと掴むと、ぽいと投げ捨てた。


「今はそれどころじゃないっぽい」


「――なんと?」


 虫の知らせと呼ぶには、はっきりしすぎた確信めいたものが春空にはあった。


 まるで携帯電話で誰かが知らせてくれたかのように、はたまた、直に見て聞いてきた誰かが、わざわざ春空に知らせてくれたかのように、春空ははっきりとそれを感知していた。


 ややあってから、どたどたどたっ、とけたたましい足音が近づいてくる。


「お客さんぢゃな、転生したその力、しかと見せて貰おうかの!」


「邪魔」


 春空が、目の前で偉そうに腕を組むナビ妖精を雑に押しのけた、そのときだ。

 ゴブリンの大群が、我先にと押し合いへし合い、雪崩れ込んできた。


「きおったか!」


 ふんっ、と勝ち気に鼻を鳴らすナビ妖精。

 ちょっと前の春空だったら絶望するしかない状況だったが、


「よし、逃げよう!」


 春空はやっぱり春空だった。


「たわけっ、この程度の有象無象などものの相手ではないわ!」


「何か作戦がぁ?」


「殴る、蹴る、――ただ、そんだけぢゃ!」

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