第3話 ゴブリンの食卓

「――ぐっ!」


 いだだだだっ……全身が痛い。死ぬほど痛いけど、痛いから死んでない?

 見慣れない岩の天井で、ここがダンジョン内であることを思い出す。


「うぐっ!」


 体を起こそうとしたするも、酷い激痛に叩き落とされる。

 頭も、腕も、足も、背中も、腹も、胸も……、全部が痛い。


(――な、なんで?)


 自問した途端、脳裏を過ったのは、獲物を見つけたゴブリンの歪な笑顔だった。


「そうだ、思い出した……」


 ゴブリンの大群に出会して、逃げるタイミングを逃したまま……、そうだ。

 そのまま隠れてやり過ごそうとしたのだ。

 しかし、贅肉でもはみ出ていたのか、あっさりゴブリンに見つかって……。


「滅茶苦茶殴られて、今に至ると、……ここは?」


 かろうじて痛みの薄い首を動かす。


「……」


 オークの生首と目が合った。

 他には、岩壁をくり抜いた棚の上に、薪のようにまとめられた何者かの手足、詰め込んだ内臓が飛び出した赤茶けた革袋、お月見の団子みたいに皿の上に盛られた目玉……。


 直視に耐えきれずに反対側に顔を向けると、


「……」


 胴体を開かれたオークと思しき肥満体の首なし死体が寝かされている。


 露骨に恐怖心をあおるかのように置かれていて、低予算で作られた学園祭のお化け屋敷を思い出させるけど……臭っ! 鼻孔を抉る、この腐敗臭!


 オークの生首が「ここは現実だよ」と話しかけてきて、むんずと起き上がった首なしの死体が「本当のことだよ」と語りかけてくるかのようだった。


(まさか、ここは……!)


 激痛が思考を遮られながらもその答えに辿り着く。


(……ゴブリンの食料庫?)


 よもやよもやである。

 ゴブリンは鮮度を保つために獲物を半殺しにして閉じ込める、と授業で習ったが……。


(ばっ、ばかな……!)


 ゴブリンにまでオークと間違われた?

 この馬鹿げた結論を否定したかった。けど、状況がすべてを物語っている。

 いや、むしろ幸いというべきか。

 オークに間違われなければ、あの場で殺されていただろう。

 オークに間違われたからこそ、半殺しで済んでいるのだ。

 しかし、生きるも死ぬも時間の問題だ。

 ゴブリンの腹が空けば、お隣さんと同じ末路を辿ることは想像に難くない。


「しっ、死んでられるかっ!」


 冒険者として、冒険の途中で死ぬのはしょうがない。


 罠に嵌まって死ぬのも、何日もダンジョンを彷徨って餓死するのも、あるいはゴブリンと戦って死ぬのも、しょうがない。実に、冒険者らしい死に様だ。


 欲を言えば、ドラゴンと戦って死ぬとか、アンデッドの大群から街を守って死ぬとか、ただ死ぬだけではない、なんらかの付加価値があってもいいが、贅沢は言えない。


 だがしかし! これは、ダメだ!


 オークと間違えられた上、ゴブリンに喰われるなどと。

 おおよそ人の死に方ではない。

 人が、こんなにまで尊厳を踏みにじられて死んで良いはずがない。


「生きる、絶対にっ、生きる!」


 激痛に苛まれながら体を回す。

 支えが消え、強かに地面がぶつかってくる。

 お隣さん同様、自分が平たい台の上に乗せられていたことに気づくが……。

 不味いのは墜ちた衝撃で、無駄に大きな音を立ててしまったことだ。

 地面に足音を響かせ、何かが近づいてくる。

 何か。いや、もう何かではない。

 ぼんやりとした視界にゴブリンが割り込み、


「――いだっ!」


 強かに顔面を蹴られた。

 蹴った一体の後ろから、別のゴブリンが短剣を逆手に持って近づいてくる。


(ま、まずいっ!)


 口いっぱいに血の味が広がる。

 短剣でずぶりとやって今度こそ動けないようにするつもりだ。


(まずいまずいまずまずいっ!)


 ままならない体を引きずり、この場から少しでも逃れる。逃げる。逃げられない!?

 芋虫の蠢動より鈍い動きはすぐさまゴブリンに捕まり、足を引っ張られる。

 幸い、ゴブリンの腕力ではぴくりとも動かなかったが、それはお互い様だった。

 なけなしの力がゴブリンの力とかち合い、その場から少しも動けなくなる。


「はっ、離せ!」


 ぎゃぎゃぎゃ、とゴブリンが笑う。


(くっ、くっそ~!)


 体が動かなければ頭を使うしかない。

 この絶望的な状況を何とかできないのか。

 知恵を絞り、知識を呼び起こし、経験を紐解く。


(ゴブリンの弱点を――)


 そのとき、

 短剣を持ったゴブリンが業を煮やしたかのように駆け出し、近づいてくるのが見えた。


「やっ、やめ――」


 ぼくを捕まえるゴブリンを押しのけ、そいつは逆手に持った短剣を高々と振り上げる。


「ぎゃぎゃぎゃ!」


 どすっ、と衝撃がぼくの胸部を貫く。


 どすっ、どすっ、どすっ、と続けざまに、何度も、何度も。


「――ふぇ?」


 不思議と痛みがない。

 押せば引っ込むおもちゃのナイフで刺されているかのように、しかし短剣がぼくの胸に出し入れされるたびに、ぴっぴっ、と赤い液体が飛び散る。


(さ、刺された?)


 遅まきながら実感すると、狂おしい恐怖が襲ってきた。

 慌てて短剣から身を守ろうと腕を盾にするが、ゴブリンは構わずに突き刺してくる。


(や、やばい……)


 血が、肉が、皮膚が飛び散りる。色という色が朱に染まる。

 やがて、体から力が抜け落ち、視界がぼやける。


(し、死ぬ……)


 胸元から流れ出る液体はとても温かいのに、体はどんどんと冷えていく。


『ねぇ、曾婆ちゃん――』


 気づけば、ぼくは小さくなって、着物姿の女性に問いかけていた。


『ぼくの耳はどうして丸いの?』


 古式ゆかしい日本庭園に設えられた茅葺き屋根の家の軒先に座り、まだ10歳くらいのぼくの無邪気な質問に、着物姿の女性は優しく微笑んだ。


『耳の形に意味はない。わしの血はちゃんとお主にも受け継がれておるよ』


『本当に?』


『本当ぢゃとも。お主の祖母にも、母親にも受け継がれた血ぢゃ。何世代経とうと、どのような血が混じろうとも決して薄まることはない。だから、信じることぢゃ――』


『んっ?』


『――お主は何でもできる、何者にもなれる。なにせ、お主は――』


 その瞬間。

 かちぃん、と何かが鳴った。

 電灯のスイッチを入れる音のようでも、何か硬いものが繋がったような音。

 詳細は、ぼくにもわからない。

 体の芯から熱を帯び、冷え切っていた体が一瞬にして茹で上がる。


(熱い……)


 脂肪がどろどろと溶け出し、体中の水分が蒸発していく。

 夢現にそんな幻を見た。

 ――否。

 幻ではない。シュ~、という鋭い排気音。いやに近い。


(……なんだ?)


 ぼんやりとした視界に、輪郭が戻る。そうして、ぼくがいの一番に見たのは、


「うおおおおおおおお?!」


 沸騰した薬缶かってくらいに勢いよく白い煙を吐き出す自分の体だった。


「も、燃え、燃え、燃えて、……ない!?」


 慌てて自分の体をぺちぺちと叩く。

 自分の体が燃えて、白い煙が出て……いない?


「あ、あれ?」


 鎮火は一二度ぺちぺちと叩いただけであっけなく終わった。

 すっかり出し切ってしまった、という様子だ。それよりも、


(なんだ、これ?)


 自分の手の平をまじまじと見つめて、否が応でも違和感に気がつく。


(ぼくの、……手?)


 脂肪の欠片もない、筋肉の浮き上がった、アスリートのような両手だった。

 手だけではない。


 中年親父のビールっ腹のようだった腹部は、欠片も脂肪を残さずに筋肉によって六つに割れ、だらしなく垂れ下がっていた胸は、鍛え抜かれた胸筋によって鉄板のようだ。


 首を触ってみても、頭と体をひと繋ぎにしていた脂肪のマフラーはどこにもない。

 形の良い顎の形と、喉仏がすぐに触ってわかった。


(な、なぜ?)


 そういえば、あれだけ滅多刺しにされていた傷もなくなっている。

 あまりの不可解に首を傾げて、


「ぎぎぎぎっ!」


 何事かを考えるよりも先に、歪な叫び声を投げかけられた。

 驚きのあまり立派になった体がびくぅんとひとつ震える。

 どんなに体が立派になっても心胆は変わっていないようだ。


「――あっ」


 忘れていたわけではない。ちょっと気が逸れていただけだ。


 一仕事終えて帰るところだったのか、ぼくから数メートル離れたところで、ゴブリン2匹が、驚いたような顔でこちらを見ていた。


「ぎぎぎぎっ?」

「ぎぎぎぎぎん!」


 ゴブリン語が未習得なので何を言っているのかはわからなかった。

 けど、察しは付いた。


『なんで生きてやがる?』

『てめぇが適当な仕事をしたからだろうが!』


 多分、そんな感じ。

 案の定、ゴブリンの一体が短剣を逆手に持って足早に近づいてくる。

 今度こそとどめを刺すつもりなのだ。


(じょ、冗談じゃない!)


 好き勝手に短剣を出し入れされたのでは堪ったものではない。


 慌てて立ち上がり、棍棒を取り出すべくM/Mを操作……しようとして、左手のいつものところにM/Mがないことに気がついた。


「んがっ!?」


 あまりのことに変な声が出た。


 短剣で滅多刺しにされたとき、咄嗟に腕で庇ったから、そのときにM/Mの拘束帯が斬られ、どこかに落としてしまったのだろう、って冷静に分析している場合じゃない!


 棍棒がなければゴブリンの頭をかち割ることができないのだ。


 棍棒がなければ素手で戦うしかないが、普通の人間には無理筋だ。ゴリラでもあるまいし、どんなに立派な筋肉があろうと、人間が武器なしでゴブリンと戦えるはずがない。


「あん?!」

「ぎぎっ?!


 ところがぎっちょん。

 ゴブリン自慢のあの鷲鼻をへし折って、その隙に逃げてやる、くらいの気持ちで繰り出した一撃は、しかし次の瞬間、ゴブリンの顔面に大穴を開けた。


「え? え? え? えええっ?!」


 赤黒く染まった自分の拳をまじまじと見つめ、悪い意味で何やらとんでもないことをやってしまったかのような気分になった。

 例えるなら、玩具のピストルで、本当に誰かを射殺してしまったかのような気分。


「なっ、なにが、どうなって、――はっ! もう1匹は?!」


 慌てて残った1匹が襲ってくることを警戒するが、


「……あっ!」


 全力で逃走中だった。仲間の惨状に度肝を抜かれたのだろう。

 これで一難去って、ホッと一安心……とはいかない。


(――いぃ、やぁばい!)


 ゴブリンを1匹逃せば、倍の数を引き連れて戻ってくるのが定石だ。


「待てっ!」


 叫んだ――その瞬間。

 体から七色を帯びた何かが溢れ出した。


「――なっ!」


 七色を帯びた何かは、あっという間にゴブリンに追いつくと、その矮躯につむじ風のように巻きつく。そして、そのまま宙に持ち上げ、ぎちぎちと締め上げる。


「こ、これは……『魔力』?」


 一度、祖母の『魔力』を見せて貰ったことがある。

 七色ではなかったが、赤、青、黄色の三色で、やはり風のような形態だった。

 試しに、と言って、庭先の木を燃やして曾祖母に酷く怒られていた。

 祖母曰く「所持者の思惑一つで、物体の生殺と存在のあり方を変容できる」らしい。

 次に、曾祖母が焼け焦げた木を『魔力』で包み、元よりも大きな大木にした。

 そのときの曾祖母の『魔力』も七色だった。

 その後、母親の『魔力』で木は元に戻った。凄い手品を見た思いだった。


『次はお主の番ぢゃぞ?』


 曾祖母にそう勧められた。


『そろそろ春ぢゃから、こやつを桜に変えたら花見ができるの~』


 結局、ぼくの『魔力』は弱すぎて、庭先の木の枝先も変えられなかったが、今まさに目の前でゴブリンを拘束しているのは『魔力』であることは疑いようがない。


 問題は、誰の『魔力』か、ということだが、


(ぼくのか……)


 愚問を鼻で笑い、試しに、左手を挙げて、何かを握りつぶすような所作をしてみた。


「――爆ぜろ」


 瞬間、ゴブリンの矮躯がオークほどに膨らみ、――ぱんっ、と爆ぜた。


「……まじか」


 まさか跡形もなく吹っ飛ぶとは……。


『魔力とは理に反逆する力ぢゃ。無に有を生み、あらゆるものに理不尽を強い、不合理を是とする、まさに「魔」の「力」。「魔力」なきものに抗う術はないのぢゃ』


 ふと曾祖母の言葉が蘇った。


(なら「死ね」と命じたら心臓止まって「死ぬ」ってことか?)


 とんでもねぇ、とちっちゃくなっていく声に、へなへなとその場にへたり込む。


「疲れた……」


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