第2話 それでも、ダンジョンへ

 ダンジョンには難易度に応じて「S」から「G」までの等級がある。

 最難関は「S」、以後「A」「B」「C」「D]「E」「F」と下り、「G」がもっとも難易度が低い。


 基本的なダンジョンの呼び名は、例えば、あるE級のダンジョンなら「E-1032号ダンジョン」などと呼ばれる。「E級」の「1032」番目のダンジョンという意味だ。


 番号以外の名前が付くのは「C級」以上で、冒険者が複数回攻略に失敗すると、警告の意味も込めて名付けられる。「B級」以上で、番号読みのダンジョンはほぼない。


 ダンジョンは最奥にいる魔王を倒すと解消され、元の地形や施設に戻る。


 冒険実習で開放されているのは「E」「F」「G」のダンジョンで、これは学校周辺に発生したダンジョンを冒険実習のために敢えて攻略せずに残したものだ。


 今日も今日とて赴くのは「G-20357号ダンジョン」。

 学校からバスで10分のところにある超低山に発生したダンジョンだ。

 タイプは、よくある洞窟型で、生息する魔物はゴブリンとオークの下級種のみ。


 学校から徒歩で行けるG級ダンジョンにもゴブリンとオークの下級種はわんさかいるが、わざわざバスで10分もかけてここにきたのには理由がある。


 ここのゴブリンとオークは同じ魔物でありながら、一つのダンジョンを巡って熾烈な縄張り争いを繰り広げているのだ。


 つまり戦闘となればゴブリンかオークのどちらか一方との戦闘にしかならず、そのうえ、ゴブリンとオークが争った後のおこぼれに預かれるかもしれないのである。


(この前みたいに死にかけのオークがいてくれるといいんだけど……)


 淡い期待を夢見ながら、ダンジョン入場口でいくつかの書類に署名する。


 内容は、死亡時の「死体回収依頼書」と、あとは、自らの意思でダンジョンに入場したこと、ダンジョンで受けた被害は自己責任であると宣言する「宣誓書」。


 書き終わった書類をパイプ椅子にふんぞり返る、係と思しき女性に差し出す。

 ブランドものの革の鎧を着込み、腰にショートソードを佩いた女性だ。

 一目で冒険者だとわかる。

 このダンジョンを管理するために派遣されてきた冒険者だ。


「ふんっ!」


 一顧だにせず、書類を分捕られた。さらに、顎で「さっさと入れ」のジェスチャー。

 軽く会釈し、そそくさとダンジョンに入る。

 酷い態度だが、……今日は運が良い。ほっと一息。


 前に目が合ったときは、虫の居所が悪かったのか、特に何かをしたわけでもないのに喧嘩をふっかけられ、この世の中の罵詈雑言のオンパレードに、「なんで生きているの?」まで言われたものだが、今回はなんとお優しいことか。


(今日はついてる、ふひひひ)


 この調子で出会うゴブリンがみんな瀕死だったら良いのだが、などと不埒なことを考えながらダンジョンの入場口から少し進んだところで足を止めた。


 それから、左腕の制服の袖をめくる。

 筋肉とは無縁そうなぶよぶよとした腕には小型のキーボードがあった。


 通称「M/M」――「マジック・モバイル」と呼ばれる機器だ。


 300年前の次元衝突以前は、魔法を使うのに煩雑な魔方陣や難解な呪文を要したものだが、現代人の魔法はM/Mのエンターキーの一押しで事足りる。


 M/Mにインストールされている魔法プログラムが、個人の魔力を目的の魔法として発現できるように何から何までサポートしてくれるからだ。


 もっとも、魔法の使えないぼくのM/Mの使い道は酷く限定的だ。


 キーボードを芋虫のような指でちょいちょいと弄る。


 ……ぴぃこん! 


 と空中に半透明の画面が浮かび上がる。


 さらにちょいちょいとキーを弄ると、学校指定の制服は、体育着の上に板金で急所を覆っただけの粗末な鎧姿に変わった。


「これでよし、と」


 腰に佩いていた棍棒を構え、背中に背負っていたバックラーを左手に持つ。


 何が起こったのか、詳しいことは知らない。


 説明書によると、M/Mの亜空間ストレージに収納していた武具素材を、M/Mにインストールされている武具データを元に、M/Mの錬金プログラムが再構築させた……らしい。


 ちなみに亜空間ストレージに収納するときは、M/Mの錬金プログラムによって対象の物体は原子単位で分解される……らしいのだ。


 そのせいか、武器の類は取り出すたびに新品の切れ味を保ち、防具はどんなに壊れても、取り出すと完全に修復されている。原子単位で一々分解され、一々再構築されるためだ。


 愛用の棍棒を何度かふり、その感触を確かめた。

 理解不能な技術によって再構築された棍棒は、前日に破砕される前と何ら変わらない。


 回収した破片が足らずに、ちょっと軽いような気がしたが……。

 まあ気のせいだな、とそういうことにしておいた。


「とりあえず今はゴブリンだ」


 鎧代わりの板金が急所からズレていないかを確認しながら四方に目を向ける。


 急所を守るだけの板金だが、本来の姿は「スケルトンジェネラル」という魔物が着ていた鎧だった。


 高校入学の時に、有名クギルドで一番偉い人をやっている祖母から入学祝いに貰った物だが、ぼくの能力値では完全装備できなかったため、板金だけという姿になったのだ。


(いつかは、ね)


 いつかは完全な姿で装備できることを夢見て、慎重に一歩踏み出す。


 洞窟内は真っ暗闇だが、瞳に装着されている「コンタクトレンズ型デイスプレイ」――「バロール」の暗視モードのおかげで不便はない。

 M/Mからアップロードされた情報が、視界の隅っこに次々と投影されていく。


 集音センサーに感度を上げて、ゴブリンかオークの足音を探す。

 入場口近くというだけあって反応は薄い。

 さらに奥に向かう。やはり反応は薄い。

 地図データを開き、一本道を選んで進む。

 ぼくの実力では複数方向からの敵に対処できないからだ。普通に死ぬ。

 背中から襲われるのもごめんなので、壁に背を預けて、慎重に、慎重に進む。


(――んっ?)


 10分ほど歩いたところで、集音センサーに感あり。

 音の波長から、これは……足音?

 足音に先んじて人の声が幾重にも木霊して聞こえてくる。

 なにやら言い争っているかのような声。


「だから無理だっていったじゃん!」

「自分だってのりのりだったくせに!」

「いいから! 走れ走れっ!」


 そして、どたどたどたっ、と慌ただしい足音。

 ダンジョン内では極力足音を控えるように推奨されているのに、まるで遠慮がない。


 ……嫌な予感。


 咄嗟に岩陰に隠れ、足音の方を凝視する。すると、「バロール」の遠望モードが働き、暗闇の中に、男女五人組の姿を浮彫にした。


(あれは……)


 金髪に、イケメン、お洒落な装備品の数々……。

 間違いない。陽キャだ。スクールカーストの上位組。

 陰キャなぼくを奴隷とするなら、彼らは王族に違いない。

 事実、彼らとパーティを組んだときは酷い目に遭った。


 戦闘には肉壁にされ、撤退時にはしんがりをさせられ、罠っぽいところがあれば押しつけられ、魔物がいればおびき寄せる囮にされ、そのまま見捨てられたこともざらにあった。


 パーティのお役に立てるのならそれでもいいのだが、彼らには難点が1つだけあった。


 ぼくを不老不死の化物か何かと勘違いしているのか、ぼくの生死に頓着しないのだ。


 死んでも教会に死体を持っていけば、生き返ることのできるご時世ではあるが、はたして彼らが130キロもあるぼくを教会まで持っていってくれるだろうか。


 いや、持っていかないだろう。


 ぼくが怪我をしてもポーション1つくれない彼らのことだ。

 ゲラゲラ笑いながら当たり前のように見捨てるに違いない。


「――っ!」


 呼吸さえ忘れて岩陰に張り付いた。

 彼らとの思い出は思い出すだけで冷や汗が止まらなくなるが、


(今日は本当に付いている)


 不幸中の幸いと言うべきか、本当にそう思うことができた。

 このまま岩陰に隠れて彼らをやり過ごしてしまえばいいのだ。

 彼らを先んじて発見できたのは、まさに幸運以外の何ものでもない。


(……しかし)


 ふと気になった。


(あいつら、一体、何を?)


 彼らは、陽キャで、褒められた人柄ではないが、座学の成績は悪くなかったはずだ。


 中間試験で上の中くらいの成績を取ったとき、彼らのひとりに酷くやっかまれたから、良く覚えている。確か、上の下か、中の上くらいの成績だったはずだ。


 なら「ダンジョンで足音を立てれば魔物が寄ってくる」なんて常識を知らないはずがない。


(ううぅ……嫌な予感)


 岩陰から顔出すと、五人組の男女が目の前を通り過ぎた。

 全員が必死の形相で、髪型を乱しに乱した全力疾走。誰もぼくに気づいた様子はない。


「……なんだ?」


 彼らの背中を追い、それから彼らが来た方に顔を向けて、


「んごっ!」


 変な息が鼻から出た。


 ゴブリンだ。

 目の前に広がる暗闇いっぱいに、数十、数百のゴブリンが犇めいていたのだ。

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