第6話
「取引、とは?」
つ、と見上げた眼差しに、アメトリウスは長くため息をつく。手つかずの紅茶が、静かに湯気を立てていた。
「いや、実のところ……父親が結婚しろとうるさくてな。正直参っているところなんだ。大方、そっちも似たような状況なんじゃないか。もし見当違いなら申し訳ないが」
スクリアが黙って頷くと、彼は僅かに整った表情を崩す。なら話は早いと、アメトリウスは深緑の瞳をまっすぐに捉えた。
「結婚しないか、お互いの面倒を片づける為に」
「……ほう? 詳しく聞こう」
彼女の眼差しが静かに光ったのを見て、アメトリウスはほくそ笑む。正直言って、好みの女ではない。勇ましく行動力に優れ、鋭い眼光を持つ。まるで隠居した騎士のじいさんのような気配がする、この女は。だが、その鋭さは知性の表れとして、取引相手としてはある種好ましいと感じたのだ。
そういう結婚をしようと持ち掛けることを考えたのは、これが初めてじゃない。これまでの奴は、見定めている間に本気で俺のことを好きになってしまって駄目だった。だが、この女ならいけるかもしれない。
「結婚すれば、互いに親の面倒なせっつきから逃れられる。世間体がどうのとかいう他人からの小言も、余計な詮索もある程度は減る。違うか?」
「それは一理ある。少なくとも、貴殿と番えば私の父も随分口数が少なくなるだろう」
「そうだろう。だが、俺たちは別に互いを好きでも何でもない。何せ、今日会ったばかりだしな。それに、そもそも結婚の相手を必要としているわけでもない。そこで、だ」
アメトリウスの言葉に、彼女はじっと耳を傾ける。丁寧な言葉遣いは、どうやら彼の余所向き用の飾りらしい。スクリアにとっては、そのそっけない口調は聞きやすく馴染みあるものだった。
「結婚はするし、同じ家に住む。だがそれだけだ。夫婦としての体裁を整える行事なんかはするだろうが……後は詮索しない。お互い自由にやる。外向け用の夫婦だ、良いと思わないか」
「悪くない話だ。だが……貴殿のところの女中が、その話をまるきり聞いている件についてはどう処理するのだ」
扉の側に控えた女中は、静かに視線を床に落としている。慎ましい様子を崩さない女中をちらりと見遣り、アメトリウスは「彼女は問題ない」と答えて一枚の金貨を弾いた。
「内密にしてくれるね? ラヴィニア」
「勿論です、アメトリウス様。私が仕えているのはお金ですから」
慣れた手つきで、弾かれ宙を舞った金貨をそっと懐にしまい込む。そんな女中の様子を見て、スクリアは目をしばたかせた。
「貴殿は、あの女中を買収したのか?」
「今回の件については、そうだな。他の女中は違うが、彼女については……頼み事はこれ次第ってことだ」
ピン、と手元から弾かれた硬貨が、中空を待ってアメトリウスの手中に戻る。女中は静かに「旦那様には『会話がよく弾んでらしたように見えました』とでも申し上げておきましょう」と再び目を伏せた。
「話が早くて助かるよ。これで、この話し合いは何処にも知られない。悪い話じゃないと思うんだが、どうだ?」
返事はすぐじゃなくてもいい、と彼はつけ加える。どうせ断らない限り、この見合いは継続して行われることになるのだ。互いの父親の乾いた笑みの押しつけによって。
「悪くない話だ、貴殿の人となりを見て決めさせてもらおう」
スクリアの返事に、アメトリウスは「慎重な判断だ」と口角を上げる。上手く行きそうな予感がした。
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