うぐいす

夏になって、大学に通う、これと言って起伏の無い日々がひとまず区切られて、岩渕は故郷に帰ることになった。

淡い旅への憧れから、各駅停車に乗って半日かけて故郷へ向かう。道中は、初夏の麗しい色彩を電車の窓から眺めている。その鮮やかさを全て受けるために、彼はわざわざ扉の前に陣取って、遥か遠くの繁った山々とか、勢いよく過ぎ去っていく若葉の緑とかを、ただやさしい眼差しで飽きもせず見ていた。

故郷は山形にある。冬はすっかり閉ざされてしまう雪国である。岩渕はそこへ、宇都宮、福島を経て向かっていく。朝早くに東京駅から発したと言うのにすっかり空は明るくなって、照りつける陽だけが元気でいる。瑞々しい稲穂も、輝いてはいるけれどどこか気怠い感じで、その太陽の無尽蔵の愛嬌にすっかりうんざりした様子でいる。

ぼぅっとしているうちに、電車が止まった。しばらくして車掌の声がアナウンスされる。踏切付近で問題が発生したためしばらくの間停車しますと、小慣れた声で言った。私たち乗客はそのままの姿勢で、8月の農村の輝かしい風景を黙して眺めざるを得なくなった。

大学に行く前から、よく報道されていたのでよく知っている。こういう田舎では、すっかり認知判断が鈍くなった高齢のひとが、たまに鳴っている線路の中に何も考えずに入ってしまったりするのだ。運の悪いご老人が轢かれてしまう残酷な話を数度、わたしは無聞きしたことがある。この停車もその類であろうと思った。昼の農作業を終えて家路についた年寄りが、線路のあたりでなにかしたのだろう。轢かれてしまったのだろうか?轢かれたなら急ブレーキの音くらいするだろうか。しかしこんな明るい日に、朗らかな夏の日に死ぬならほとんど悔いがないはずだ。誰しもこんな日に死にたいと心の底では思っている。それにふさわしいほどに今日は美しい、、、

電車は15分の遅れをとって動き出した。わたしはその15分のうちに、近場の乗客の顔を一通り覚えてしまった。うち一人は、出張か何かだろうか。時刻表と降車駅の印刷された紙を仕切りに確認している。わたしのおりる降りる駅と同じであった。そういえば、明日か明後日はお祭りの日だ。この人も取材か何かでそのお祭りにきたのだろう。わたしはそういった祭りに特に惹かれることもなく電車に揺られて、目当ての駅で降りた。8月5日のことであった。


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