【五色目】試験前夜
暫くして、ようやく少年は目を覚ました。
ぼんやりとした視界の中、うっすらと赤い灯りが差して、記憶を巡らせる。
「あ、目、覚ました!」
声のする方に視線を流すと、見たことのある顔が自分を覗き込んでいる。
「大丈夫?怪我はない?」
この人物が、ブラン・ホワイトだと言うことにようやく理解した。
「俺…?」
「覚えてないの?」
「えっと…」
何とか記憶を呼び起こすことに成功すると、急に罪悪感が込み上げて涙が溢れ出し、ブランの服を掴んだ。
これはルージュの力だ、とブランは思った。
赤の力は、黄色い心を塗り替えると、ピンクになる。
ピンクの力は優しい気持ちに変える効果があるのだ。
「ブラン、どうしよう、俺!とんでもないことしちゃった!」
ブランは、落ち着かせようと、背中を撫でる。
「俺なんだ、皆の財布、盗んだの!」
「なんで、そんなことしたの?」
少年は、ブランの服を握りしめると、喉奥から絞り出すような声で訴える。
「…から」
「え?」
「かまって欲しかったんだ…。父さんも、母さんもずっと忙しくて、全然俺の話なんか聞いてくれないから。だから…」
中途半端に言葉を切ると、ブランは全て理解できているのか、続きを紡いだ。
「悪いことをしたら、かまってもらえると思ったの?」
少年は、小さくコクリと頷くと、バタバタと慌ただしい足音が響いたかと思えば、勢いよく扉が開いた。
「父さん‼︎」
走って来たのか、激しく方を上下させて荒々しく息をするマスターと母親が立っている。
「あ、あのね!マスター!この子、ちゃんと反省してるから!だから、あんまり怒らないであげて!」
ブランが、最悪のことを考えながら必死に弁解するも、マスターはブランから無理やり少年を引き離し、顔を思い切り平手打ちをした。
「マ、マスター!」
後ろで見守っていたルージュが、コンパクトが黄色に反応してすかさず筆を呼び出した時だった。
マスターち母親は、少年を強く抱きしめた。
「父さん…?」
「ごめん、ごめんなぁ…」
「父さん…」
「母さんも、ごめんね…」
それから暫く、ただただ泣きながら抱きしめ続ける親子に、もう大丈夫だと判断したブラン達は、静かにその場を立ち去った。
翌日、一連の騒ぎの犯人が分かると、マスター親子が被害に遭った人の家を一軒一軒回って謝罪をしに来た。
幸い、財布の中身は盗まれておらず、少年はそれ以上何も咎められることはなかった。
「そういえば、あの時マスター親子がやけに話が速かったけど、なんで?」
朝のホームルームの前に、ふとブランがルージュに訊ねた。
「アスルがね、提案してくれたの。先にマスターに事情を説明してから会わせた方がいいんじゃないかって」
成程ね、とブランは納得した。
「もしなんかあったとしても、すぐにペイントの力で対処するって言う方法もあったけど、ペイントの力を使わないで解決できることは解決するっつーのも大事だって、授業で習ったからな」
「でも結局ブランのおかげておさまったんだけどね」
「え?僕、何もしてないよ?」
首を傾げるブランに、三人は顔を見合わせて笑う。
「まぁ、いいけどな。分からないなら分からないで」
「それもブランの力の一つなのかもね」
勝手に自己完結するアスルとヴェルデに、ブランはますます訳が分からず首を傾げる。
「さ、今日はもう帰ろっか。試験勉強しなきゃ!」
言うが早いか、ルージュは足早に家路に着く。
「うう、試験…!嫌なこと思い出させないでよぉ〜!」
頭を抱えながら半泣きになりそうなブランを尻目に、皆はそれぞれ家路を急いだ。
ブランは、人一倍自信がない少年であったが、人一倍努力家でもあった。
自分ができると思ったことはなんでもやったし、それはスポーツだろうと勉強だろうと分野は問わずだ。
繰り返しになるが、ブランは決して無能と言うワケではなかった。
ただ、自分の力の使い方を分からないだけ、ただそれだけだった。
その夜、ペルルはまた居酒屋にやって来た。
この前の喧騒とは打って変わり、今日はいつもの正常な賑やかさを取り戻している。
「おや、先生、いらっしゃい」
いつもと変わらない様子のマスターを見て、ペルルはほっと安堵の息をつくと、いつもの定位位置に座った。
「案外、いつも通りで安心したよ」
「この度は息子が迷惑をかけて申し訳なかった」
「その話はもう終わったことだ。焼酎お湯割で」
ペルルは慣れたようにメニューも見ないで頼むと、マスターは、お通しであるポテトのベーコンのチーズ焼きを差し出した。
「そういえば、明後日だねぇ、試験」
ペルルは話を聞いていないのか、返事をすることなく、チーズがふんだんにかかったポテトに舌鼓を打っている。
「合格すればいいねぇ、皆。もちろん、あの子も」
含みのある物言いにようやくペルルは箸を止めた。
「なんだ、そんなに気になるのかい?」
「そりゃあ気になるさ。うちの息子と一番歳が近いから」
「何言ってんだ、ブランと年が同じの生徒は他にもいるだろ」
「別に、誰もブランなんて言ってませんよ?」
ペルルは、やられた、と言葉を詰まらせてマスターを睨みつけた。
「素直じゃないですねぇ、自分だって一番気にしてるくせに」
「うるせぇ」
ペルルはお茶を濁すように酒を口内に流し込む。
「あなたとブランはよく似ている。努力家のところも、誰より心やさしいところも、自分の力に自信がないところも」
ペルルはしばしマスターの言葉を黙って聞いた後、ポツリと口を開いた。
「ただ、誰かの為だけに…。誰かの為だけに使おうと思えばいいだけの話だ。使い方さえ誤らなければいい、ただそれだけなんだよ」
まるで独白のように紡ぐと、顔を上げてまだ輝きを放つ店内を見た。
「ふふ、素直じゃないですねぇ」
「うるせぇ。それ以上言うと修理代払わすぞ」
「おや、金銭を求めないのも、ペイントのルールじゃないんですか?」
ペルルはとうとう何も言えなくなり、軽く舌打ちすると、残った酒を飲み干した。
試験当日。
クラスメイト達は皆一様に神妙な面持ちで、お調子者のローザ達も流石に表情が強張っている。
「よう、ブラン。せいぜい頑張れよ!」
彼なりの誠意いっぱいの強がりなのか、捨て台詞のような言葉を吐いて指定の席に着く。
当人は緊張のあまり、言い返すこともできずに固まっている。
「まぁ、落ちても悲しむ振りぐらいはしてやるよ」
ブランの心境を汲み取ったアスルは、負けじと精一杯の強がりを見せて、それぞれの教室に向かった。
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