【三色目】先生達
ブラン達が店を後にしたのを、こっそりと店の奥先生の一人、常に優しい微笑みを携えた四十二歳の女性で、赤いペイントである、グルナ・ロジエが、同じく五つ年下の白いペイントである男性、ペルル・リーリウムが香り高いエソプレッソを楽しんでいた。
「やれやれ、ようやく落ち着いたようですね」
「全く、いい年した大人が、聞いて呆れるよ。マスターも、大丈夫かい?」
「あ、ああ、大丈夫だよ。おかげさまで」
今の今まで肩を震わせていたマスターが、ズレたビン底メガネを直しながら、ようやく重い腰を持ち上げた。
「ゲガがないなら何よりだ」
ペルルはまた一口、コーヒーを味わう。
「それにしても、よくこの状況で飲めますねぇ…。自分達が対処しようとは思わなかったんですか?」
「もちろん、対処するつもりではあったさ。これ以上酷くなるようならね。でも、これも授業の一環だからね」
相変わらず手厳しい、とマスターは思う。
だが、これも子供達の成長を見守る為には必要なのかもしれない。
「それにしても、やっぱりブランは何もしませんでしたね」
グルナが、ふうと溜息混じりに口を開く。
「あの子はまだわかってないんだね。自分の本当の力の意味を」
「そういえば、ペルル先生もあの子と同じ、昔は苦労したようですね」
ペルルは、フッと含んだ笑みを浮かべた。
「まぁ、白の力は最も危険な力でもあるからね。しかし…」
「最も安全な力でもある」
自分の言葉を引き継いだグルナの言葉に、ペルルは静かに頷くと、徐に立ち上がり、割れたガラスの破片を持ち上げた。
「要は使い方なのさ。例えばこのガラスの破片だって、本来は飲み物を飲む為のコップを作ったり、雨風を凌ぐ為に使われる。でも…っ!」
ペルルは、先程喧嘩をしていた男の一人に目標を定めると、顔面を目掛けて、勢いよく腕を振りかぶった。
「ひっ、ひぃっ!!」
男は上擦った声を上げ頭を抱えて身を屈めたが、ペルルは寸前で腕を止めた。
「一歩間違えれば、人を殺す道具にもなる」
ペルルは、ガラスの破片を床に投げ捨てると、元の席に戻った。
「中には自分の能力に気づけず、ペイントを辞める奴も何人かいたよ。かくいう俺だって、自分の能力に気づくまでに、何年もかかったさ」
「気づけるといいですね、ブランは」
「そうだな」
ペルルとグルナは、今だに震えてる男など全く気にも止めず、コーヒーを飲み干した。
「やっぱ凄いよねぇ、皆。ちゃんと自分の役割を果たせて。僕だけだよ。何もできないのは」
先程の居酒屋から、ブラン達が通う学校、カウス・コザー学園までは、子供の足で、歩いて五分程の場所に位置している。
ブラン達は、先生達がいたことには全く気付くことはなかった。
「まーた、そんな話してるの?」
最年長のルージュが、ブランを慰めようと声をかける。
ルージュは、年相応に落ち着いていて、物事を冷静に判断することができ、尚且つ面倒見がいいお姉さん的存在だ。
「だって、事実じゃないか。僕だけまた、何もできなかった」
変わらずぶう垂れてるブランに、ルージュは小さく溜め息を付く。
「そんなことで、一週間後の試験、どうするの?まさか、放棄するんじゃないよね?」
「そっ!そんなことする訳ないじゃないか!試験は受ける!受ける、けど…」
あと少しで校舎に辿り着こうと言う時だった。
ルージュのコンパクトが、黄色へと変化して、ルージュは一目散に彼に駆け寄った。
「どうしたの?」
問い掛けるが、彼は何も言わずただ俯くだけだ。
「大丈夫?どこか、具合でも悪い?」
ルージュは、できるだけ優しく彼に声をかけるが、黙り込んだまま、何も言おうとはしない。
いよいよ理由が分からずうーん、と唸り声をあげた時だった。
「あんた、ペイントだろ?だったら分かるよね?」
ニヤリと不適な笑みを浮かべた少年は、ルージュの合間を掻き分け、勢い良く走り去って行った。
「あっ!」
待って!と言おうとしたが、彼の足は思ったより早く、ルージュは追うことはしなかった。
「あの子、どこかで見たと思ったら、マスターの子供だよ」
ブラン達は学校に辿り着くと、教室で授業の準備をしながらブランが唐突に口を開いた。
「そう言えば、どこかで見たと思ったら…」
ブランの後の席で、同じように授業の準備をしていたルージュが相槌を打つ。
ちなみに、このカウス・コザー学園は、違う年の生徒達が分け隔てなく同じ教室で授業をする。
理由は、一つは年々ペイントの力を持つ者が減って来ているのが原因なんだとか。
「あれ…?ない…!え、ない!え、なんで?!」
鞄から教科書を取り出していたルージュが、急に慌てて辺りを見渡し出して、ブランは不思議そうな顔で見る。
「どうしたの?」
「お財布がないの!朝来た時はちゃんとあったのに!」
「本当に探したのか?」
アスルに聞かれてルージュは、力強く頷くと、唇に指を当てて記憶を巡らせた。
「もしかして、居酒屋落としたのかも…」
「ったく、ドジだなぁ。最年長のくせに」
アスルに揶揄されて、ルージュはふん、とそっぽを向く。
「じゃあ、お昼休憩にでも探しに行こうよ!僕、付き合うよ」
ルージュは、ふっと口元を緩ませると、「ありがとう」と礼を述べた。
昼休憩の金が校舎に鳴り響くと、ブラン達はすぐに居酒屋に向かった。
「いらっしゃいませ!」
ドアノブを開けると、あんなに滅茶苦茶で見るも無惨だった店内は、すっかり元に戻っていた。
いや、キラキラと輝きに満ち溢れている様子はむしろ元通りどころか、まるで新しく生まれ変わったといわんばかりで、ブラン達は暫しその場に立ち尽くしてしまった。
「おや、誰かと思ったらブランとルージュじゃないか。どうしたんだい?まだ学校の時間のようだけど」
マスターに声をかけられて、ブランははっと正気を取り戻した。
「あ、あのね!ルージュが財布を失くしたみたいなんだけど、ここに忘れてないかって」
マスターは、首を傾げる。
「いやぁ?見てないねぇ」
「そうですか…」
ルージュがしゅん、と肩を落とす。
「また見つけたらすぐに連絡するよ」
ブラン達は、宜しくお願いしますとだけ言って頭を下げると、休憩が終わるまでの間財布探しに専念することにした。
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