第4話 ドッペルゲンガー

 あれは、数年前のことだった。就職してから、友達もできず、何をしても面白くない時が続いていた。

 大学の時は、歴史の研究をしていたことで、月に一度の機関誌を発行するというサークルがあったので、

「歴史」

 ということと、

「新たに何かを生み出す」

 ということでの一石二鳥の愉しみを得られると思って入部したのだ。

 実際に、一石二鳥だったが、下手をすれば、一石三鳥だったかも知れない。

 というのも、それまでに得ることのできなかった充実感が得られることで、

「寂しさ」

 というものが、解消できるということに気づいたからだ。

 大学入学してすぐくらいは、たくさん友達を作った。その友達も、あまり趣味が合う人は少なかったので、話が合わないのだった。

 それも仕方のないことで、

「歴史が好きだ」

 などというと、干されると思って、最初は口にできなかった。

 しかし、他の友達が、カミングアウトしたように、

「俺は女装に興味がある」

 と言い出すと、話題はそいつに集まってしまった。

「気持ち悪い」

 という人もいたが、それは、女性に多く、男性のほとんどは、別に気にしていないようだった。

 しかし、マサツネは、そんな友達が嫌だった。そして、そんな嫌な友達を気持ち悪いと言わない連中も嫌で、一時期、距離を置いていた。

 だが、そのうちに、

「俺が嫌がってるのは、カミングアウトできない自分の勇気のなさに、嫌気がさしているのではないか?」

 と思うと、今度は、カミングアウトしたやつのことが、気になって仕方がなかった。

 話をするのは、まだ憚っていた。だが、じっと見ていると、

「話くらいはしてみても、いいのではないか?」

 と思うようになったのだ。

 よくよく見てみると、

「自分が女の子になりたい」

 と思っているわけではなく、女の子が、女の子らしい恰好をしているのが、格好よく見えて、凛々しく感じているようだった。

 最初のように、

「女の子になりたい」

 と考えているのだとすると、絶対にしない恰好をしてくるということに気づいたことで、自分が勘違いをしていることが分かった。

「じゃあ、まわりの皆は、どう考えているんだろうか?」

 と考えた。

「自分と同じように、彼の本心が分かってのことだろうか?」

 と感じたが、明らかに違っているようだ。

 そう思って見ていると、まわりは、明らかに、興味本位でしか見てないと思うと、その女装をしたいといっている友達が可愛そうに感じられたのだ。

「耽美主義」

 という言葉があるが、明らかに、女装は、

「美を追い求めるためのもの」

 ということであり、

「美至上主義」

 の考えからだということに違いない。

 そう思うからこそ、今度は彼を擁護したくなってきたのだ。

 マサツネは、また彼との仲を復活させた。

 元々、彼がカミングアウトさえしなければ、普通に、

「ただの友達」

 だったのだ。

 別に親友というわけでもなく、ただ、

「いつも一緒にいるだけ」

 という感じではあったが、楽しかったと思える時期もあったのだ。

 だが、カミングアウトをした時は、

「ああ、こんなやつだったんだ」

 と、外見だけを見て、簡単に判断してしまった。

 これは、マサツネだけではなく、まわりの皆も同じことだったに違いない。

 ただ、もう少し仲が良かったら、結果的には切っていたように思うが、それまでに自分の中で葛藤があったことだろう。

「簡単に仲を切ってしまってもいいのだろうか?」

 ということであり、それは、今から考えても、

「余計な感情」

 だったに違いない。

 深い仲であればあるほど、結果的に切ってしまうのであれば、そのために要した労力というものは、無駄でしかないと思うからだろう。

 そんなことを考えると、マサツネは、

「あいつとは、深い仲でなくてよかった」

 と思った。

 それどころか、正直、親友と呼べるほどの友達でなければ、

「深い仲になる必要なんかないんだ」

 と思うことになるだろう。

 実際、深い仲になるということは、別れなければいけなくなった時のリスクを考えていないということになり、それこそ、そうなった時は、

「後のまつり」

 でしかないのだ。

 だが、その友達が次第に皆から、ハブられていくというのを目の当たりにして、どこか曖昧な気分になっていた。

「一人くらい、残ってやってもいいんじゃないか?」

 と、早々に見切りをつけた自分のことを棚に上げて、そんなことを感じるのだから、

「人間なんて、いい加減なものだ」

 と感じるのであった。

 世の中というのは、意外と、

「いい加減なことと、理不尽なことで成り立っているんじゃないか?」

 と言われるようになった。

 というのも、確かに、それ以外のこともたくさんあるのだが、突き詰めていくと、辿り着くのは、どちらかではないかと思うのだった。

 たとえば、言い訳であったり、理屈をつけて説明するのも、前者は、

「理不尽なことを何とか相手にわかってもらおうとしていること」

 であり、後者は、

「いい加減なことを、いい加減ではないと思わせようとして、却って、相手に考えを押し付けようとするから、聞いていて、耳障りにしか感じない」

 ということなのではないかと思うのだ。

 だから、友達が、女装してきた時も、最初は、

「気持ち悪い」

 という直感だけでそう感じたが、そのうちに、

「何かの言い訳のつもりではないか?」

 と思い、さらに、

「理不尽な何かを感じるのか?」

 と考えた時に、どちらでもないと思ったから、相手をブロックする形で、仲を切ったのだった。

 だから、自分の中では、

「一応、これでも考えたんだ」

 と言いたかったのだが、分かってくれたのかどうなのか。どちらかというと、

「それどころではなく、眼中になかったのだろう」

 と思えたのだ。

 本人からすれば、何を思っての女装なのか分からなったので、まわりがどんどん去っていくことを、予想できておらず、そのことでパニックになっているのではないかと、勝手に思い込んでいたのだった。

 しかし、だからと言って、何とかしてやろうという気は起らなかった。

 もうその時には、

「彼に関わるのは、時間のムダだ」

 と、思っていたからだった。

 さすがに、最初から、

「時間のムダだ」

 と思ったわけではない。

 あくまでも、適度な距離を保っているから、気になるのであって、少しでも近づくと、火傷してしまいそうな気がするし、これ以上離れると、彼のことを気にするというエリアから離脱してしまうのではないかと感じるのだった。

 だから、本当は、もっと離れたいのに、なぜか金縛りにあったかのように、離れることができない。

「ここで、離れてしまうと、二度とこの距離に戻ってくることはできない」

 ということが分かっていて、それでも離れたいと思っているにも関わらず、どうすることも、自分の意識ではできなかったのだ。

「俺は一体、どこにいるんだ?」

 と感じた。

 その場所というのは、まるで、山登りに出かけた時に、途中にあった吊り橋を思わせるものだった。

「そのつり橋を渡らないと、先には進めない」

 ということで、渡り始めるのだが、中間部分に差し掛かると、それまで感じなかった揺れが、一気に襲ってきた。

「グラグラしていて、一時でも手を放してしまうと、そのまま、奈落の底に真っ逆さまになって落ちていくだけだ」

 と思うと、とたんに、そこまで来てしまったことを後悔する。

「じゃあ、どうすればいいんだ?」

 と考えるが、とりあえずまっすぐに進むしかないので、まずは、前を見つめた。

「まだまだ距離があるじゃないか?」

 と思い、よせばいいのに、後ろを振り向いてしまったのだ。

 すると、そこには、前に見た光景とまったく同じものが広がっているではないか。その光景は、寸分食らわないもので、果たして、その光景は、今まで自分が目指していた先の光景なのか、振り向いた時に見えた、今、橋に差し掛かった時に、通ってきた入り口だったのかが分からなくなったのだ。

 そうなると、もう、どちらにも進めなくなる。少なくとも、自分が今錯覚を見ていることには間違いない。

 どちらも同じ光景などということはありえないからだ。

 そう思うと、どちらかが本当で、どちらかがウソになるということになってしまう。ウソの方にいくと、急に橋がなくなってしまい、そのまま奈落の底に落ち込んでしまうと考えてしまうのだった。

 だからと言って、その場にとどまることは許されない。

 あとどれだけいられるのかは分からないが、早くしないと、足元も消えてしまうかのように感じたのだ。

 結局、どちらにもいけず、

「あっ」

 と思った瞬間に、足元がなくなり、奈落の底に落ちていくのだった。

 その落ちていく瞬間、自分で分かったのだ。

「どちらかが、間違っているという考えが違っていて、本当はどっちも間違いなのではないか? つまり、どちらに進んでも、今のように奈落に落ちるしかなかったということだろう」

 と、感じたのだった。

 ただ、それが正しいのか間違いなのか、分からない。

 そう、結果として、目の前にあったものがすべて消え去り、気が付けば、布団の中にいたのだ。

 完全に眠っていて、夢を見ていた。

 あくまでも、リアルな夢であり、背筋にじんわりと汗を掻いていて、身動きができない状態だったということが思い出される。

「ああ、夢を見ている間に、金縛りにあうことなんかあるんだ」

 と感じた瞬間でもあったのだ。

 夢については、思うところがあった。

「夢というのは、潜在意識が見せるもの」

 という意識があった。

 元々、夢というものを、ハッキリと分からないままに、漠然と考えていたのだが、それは、自分に限らず、他の人にも言えることではないだろうか?

 だからこそ、夢というものを必要以上に、潜在意識とくっつけてしまい、何でも、

「潜在意識のせいにして、解釈しよう」

 と考えるようになっていたのかも知れない。

 だから、夢というものが、

「何でもありだ」

 と思っていながら、実は、

「夢を見ていて、何でもできると思いながらも、実際にはできていないことから、見ているのが夢であるという意識になる」

 という、少し複雑で歪な感覚であった。

「夢だった、空を自由自在に飛ぶことができる」

 と思ったとして、実際に飛べるのだろうか?

 飛んでみると、結果、人の膝くらいのところを、

「宙に浮いた」

 という状態で、ぷかぷか浮いているだけなのかも知れない。

 それは、潜在意識がそうさせることで、ギリギリのラインをキープしているといってもいいだろう。

 潜在意識は逆に、

「空なんか飛べるはずはないんだ」

 と思っているはずなのだ。

 だから、もし、

「夢であれば何だってできる」

 と思っているのであれば、それは潜在意識というものが見せているのではなく、

「潜在意識に似た、えせ潜在意識が見せているに違いない」

 と言えるのではないだろうか。

 ただでさえ、漠然としている潜在意識なのに、そこに持ってきて、ややこしい、

「えせ潜在意識」

 というものが現れたのだとすれば、それは、本当にいい加減なものなのではないだろうか?

 そんな潜在意識というものを、本当の潜在意識だと思っているとすれば、それは、ややこしさを増幅するだけで、一歩間違えると、

「夢から出られなくなるのではないか?」

 という恐怖に駆られる。

 その恐怖が、今回感じた、

「つり橋の上の恐怖」

 と背中合わせなのではないかと思うのだ。

 あくまでも背中合わせ、決して、重なって考えるべきものではないということになるのだ。

「前に進んでも、後ろに後退しても、結果同じにしか見えないが、その場にとどまっていても、結果、奈落に落ちる運命には変わりない」

 と言えるだろう。

 しかし、もし、真ん中のところに留まるとしても、そこには限界がある。精神的な限界で、

「早く楽になりたい」

 と思ったとすれば、意識が飛んでしまって、保っていた安定感を得ることができずに、奈落の底が眼に見えているのだった。

 落ちて行った奈落の底に何があるのか、正直分からない。夢として覚めてしまったのだから、その先が見れないというのは、ある意味、

「夢としてのあるある」

 であり、

「夢の限界だ」

 と言えるのではないだろうか?

 それを思うと、

「つり橋効果と呼ばれるものも、似たようなところに原点があるのではないだろうか?」

 と感じたのだ。

 何にでも結びつけてしまうのは、マサツネの悪いくせである。

「いや、一概に悪い癖とは言えないのではないか_

 と思うのだった。

 悪い夢と、いい夢との違いは、

「夢というのは、肝心なところで眼が覚めてしまうものである」

 というのは、悪い夢も、いい夢も、どちらも共通しているのだが、そんな時に限って、

「ちゃんと内容まで覚えているのが、悪い夢の方で、いい夢というのは、肝心なところで眼が冷めたという記憶だけである」

 ということだった。

 つまり、悪い夢や、その中でも特に怖い夢は、その細部に至るくらいまで、意識として残っているのに、いい夢は、覚えていたいにも関わらず、ちょうどいいところで邪魔されたという感覚しか残っていないので、どうかすると、

「夢を見ていたことさえ、覚えていない」

 ということになりかねないのだった。

 だから、一時的な期間なのだろうが、

「最近、悪い夢しか見ていないような気がするな」

 と思うのだ。

 また、たまに、

「最近、夢を見ているような気がするんだけど、夢を見たという意識が皆無なんだよな」

 と感じることが多かったりする。

 それは、きっと、見ている夢が、

「いい夢ばかり」

 ということで、もう一度見たいという意識があるだけに、

「見たような気がする」

 という意識だけが残っているのだろう。

 しかし、いい夢であっても、悪い夢であっても、

「最後のところを見たい」

 つまり、続きを見たいと思っても、叶うものではないのだ。

 悪い夢をもう一度見たいと思う人はいないだろうが、そんな中で、自分にとって、

「何が一番怖いと感じるのか?」

 ということは分かっているような気がした。

 それは、

「もう一人の自分が出てくる夢」

 である。

 最初は自分だけがもう一人の自分の存在に気づいていて、もう一人の自分を、影から見ているのだが、そのうちに相手は自分に気づいて、獰猛になり、襲い掛かってきそうになるところが、怖いと思うことであった。

「どうして、もう一人の自分が襲い掛かって来ようとするのか、その理屈が分かるからである」

 これはSF的な発想として、

「同じ次元に、もう一人の自分というものの存在が許されないからである」

 という発想であった。

「ドッペルゲンガー」

 というものの存在を知ったのは、いつが最初だっただろう?

 少なくとも、もう一人の自分を、夢の中で頻繁に見ていた中学時代には、知らなかったはずであった。

 それなのに、自分に対して獰猛になるもう一人の自分の意図が分かっているというのは、実におかしなことであった。

 ドッペルゲンガーというのは、いわゆる、

「もう一人の自分」

 ということである。

「世の中には、似た人間が3人はいるという」

 と言われるような、

「よく似た人」

 というわけではない。

 明らかに、

「もう一人の自分であり、他人であれば、それは、ドッペルゲンガーではないのだ」

 ということである。

 ドッペルゲンガーというのは、実に恐ろしいものであり、直接、自分の死というものに、関わってくるという存在だからだ。

 自分が、極秘裏に抹殺することができる人がいるとすれば、ドッペルゲンガー以外にはいない。殺しておいて、自分になりきることができるからだ。

 と考えていたが、果たしてそうなのか、実は疑問に思っていたのだ。

 そんなドッペルゲンガーであるが、

「ドッペルゲンガーには、いくつかの特徴がある」

 と言われている。

 たとえば、

「ドッペルゲンガーは口を利かない」

「ドッペルゲンガーは、本人の行動範囲以外のところには現れない」

 などという特徴である。

 そして、一番の特徴で、

「ドッペルゲンガーが恐ろしい」

 と言われる秘訣は、

「ドッペルゲンガーを見ると、近い将来、必ず死を迎える」

 ということであった。

 特に著名人などに、よくあったらしく、逸話がいくつも残っている。

 アメリカ元大統領のリンカーンなどは、暗殺されたその日に限って、

「私を暗殺しようとしているというようなウワサが流れていないか?」

 ということを、諜報部の人間にしきりに聞いていたという。

 これは明らかに、

「自分が殺される」

 という自覚があり、その自覚に対しての信憑性がかなりの確率で高かったということを示しているのだ。

 さらに、もう一人の著名人として、具体的にリアルな話が残っているのは、明治の文豪である、

「芥川龍之介」

 であった。

 彼は自殺であったが、自殺の前の日に、編集者の担当の人間がいつものように龍之介を訪ねたのだが、その時の様子がおかしかったという。

 というのも、編集者がやってきた時のことである。

 龍之介は席を外していたようで、その時に、ちょうど、原稿が机の上に置かれていたという。

 その原稿を手に取って見ようとした編集者に対して、戻ってきた龍之介が、血相変えて、

「これは失敗作だ。見るんじゃない」

 とばかりに、その原稿をバラバラにして、破いたのだという。

 その時の激昂は、今までに見たこともなかった龍之介だったというのだが、結果、翌日、自殺をしたというではないか。

 しかも、机の上には、ちゃんと原稿ができていたという。

 さらに、その原稿が、前日、本人が引き裂いたものと同じだったことから、編集者はゾクッとしたという。

「小説というものは、一点ものなので、どんなに同じ作者であっても、まったく同じものを作ることは不可能なのだ」

 ということである。

 しかも、時代的に、コピーもパソコンもプリンターなども、存在していない時代なのである。

 さらに不思議なことは、原稿そのものではなく、

「編集者の人間が、前の日に龍之介が書いたものだ」

 とハッキリ断言できるところだった。

 いくら文章を読むのが慣れているといっても、ちょっと見ただけで、原稿すべて、一語一句、間違いなく覚えているのかどうか。怪しいものである。

 何よりも本人が、

「覚えているなんて、ありえない」

 と思うであろう。

 それを思うと、

「ドッペルゲンガーだと言い切れる自信がどこから来るのか?」

 ということである。

 そもそも、編集者が言っていることは、

「昨日の激昂していた、先生は、まるで別人のようだった」

 といっていることで、他の人がみれば見分けがつかないが、怒りの表情など、感情が入ってしまうと分かるという、

 ただ、そう考えると、その時の龍之介は、冷静でほとんど何もしゃべられないのが、ドッペルゲンガーだというのであれば、

「あれが誰だったのかということに対して。説明がつかないだろう」

 ということであった。

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