第2話 歴史というもの

 そんな風に、枝分かれするというのを考えると、思い出すのが、旧約聖書に出てきた、

「バベルの塔」

 である。

 バベルの塔のお話は、

「ニムロデ王というバビロニアの王が、自分の権勢を見せつけようと、天にも届くようなあ高層の建築物を塔にして建設していた。そこで、ある程度までできたところで、王が、天に向かって矢を射ったのだという。その時、神の怒りに触れたのだ」

 というのも、神からすれば、

「人間ごときが、神に近づこうなどと、思い上がりも甚だしい」

「ということで、塔を雷のようなもので壊し、さらに、地上で、塔の建設を行っていた人々の会話ができないように、言葉が通じなくして、人々は疑心暗鬼の中、世界中に散らばっていった」

 というものであった。

 バベルの塔の場合は、

「王が一人、暴君だったということで、人間が皆罰を受けるというような形で、どちらかというと、理不尽な気もするが、ある意味、王からの支配から逃れて、自分たちだけで生きていくということをしたのだ」

 ともいえるだろう。

 プログレのメンバーも、それぞれに、自分の意志で、

「相合わない相手と、一緒にすることはできない」

 と目覚めたのだろう。

 そもそも、人間の信頼であったり、協調性などというものは、この時のニムロデ王の行動に神が怒ったことで神によって、

「言葉が通じない」

 というだけのことをしただけで、大混乱が起きて、世界各国に飛び散り、言葉の通じない人たちが生まれたという発想を、

「後付け」

 という形で証明したに過ぎないかも知れない。

 聖書であったり、神話と呼ばれるものは、えてしてそういうものなのかも知れない。

 その時の世の中において、

「七不思議」

 と呼ばれるようなことを、神話などで後付けで解釈することで、今の世の中があるというような形である。

 そういう意味で、ニムロデ王の愚かな行動に対して、

「天に唾するものは、自分の返ってくる」

 ということになるのだろう。

 そういう意味で、すべての不思議というものを解決するのに、絶対に不可欠な存在として、

「神の君臨」

 というものがあるのだろう。

「神がいなければ、説明がつかない」

 ということであれば、なるほど、神を崇めるという宗教が流行り、いつまでもなくならないはずである。

 その中に、

「本当に人間を救ってくれるという神というのは、本当に存在するのだろうか?」

 というところに行き着くことになるのだ。

 プログレというジャンルの音楽が70年代前半だったとすれば、後半は打って変わって違うジャンルの音楽が流行っていた。

 その音楽を、

「キャンディポップ」

 と呼んでいた。

 その時代は、

「歌いやすく、口ずさみやすさがあった」

 といってもいいだろう。

 ビートルズサウンドを彷彿させるものもあれば、

「ひょっとすると、プログレバンドの人たちが目指したポップスという音楽を突き詰めると、こういう音楽になったのかも知れない」

 と言えるものだったのかも知れない。

 日本でも結構カバーされたりして、日本のアイドルだったりが歌っていたりした。ただ、こちらも、そんなに長くヒットしたというわけでもなく、プログレと同じく、5年ももったわけではなかった。

「というより、5年ももてば、もった方ではないか?」

 と言えるのではないだろうか?

 ビートルズはもう少し長かったかも知れないが、一つの音楽の流行りを考えると、5年がいいところなのかも知れない。

 80年代に入ると、いわゆる、

「ブリティッシュロック」

 というものが流行った。

 しかし、この頃になると、他の音楽も並列して流行っているという雰囲気もあった。だからなのだろうか、ブリティッシュロックは、ブームとしては、プログレや、キャンディポップのように、

「そのジャンルだけが突出していた」

 というよりも、

「違うジャンルの曲も流行っていた」

 ということもあってなのか、

「熱しやすく冷めやすい」

 というわけではなく、

「熱くなりにくいが、その分、急激に冷えることもない」

 ということで、その後も、地味になってはくるが、ジャンルとして消えることもなく、一つの音楽ジャンルとして確立されたものになっていったといってもいいだろう。

 それが、80年代に入ってからのことだった。

 マサツネは、まだ30歳なので、その頃の音楽を知らない。しかし、今の音楽を聴いていて、次第に、

「過去にさかのぼって聴いてみよう」

 と思うようになった。

 特にブリティッシュロックやユーロビートと呼ばれるものに興味があり、どんどん遡っていくうちに、80年代前半に辿り着いたのだ。

「今から40年前の、僕の生まれる前というのは、こんな音楽を聴いていたんだな」

 と思うと、何かこみあげてくるようなものがあった。

 それがどこから来るものなのか、自分でもよく分からなかったが、心の奥からこみあげてくるものがあったのは確かで、特に、

「ミュージックビデオ」

 昔でいうところの、

「プロモーションビデオ」

 と一緒に見ると、結構迫力があり、音楽だけを聴いていても、ピンとこない世界観を感じることができるのだった。

 何しろ生まれてもいない時代で、歴史の授業で、普通に、

「現代史」

 として出てくるレベルのものである。

 そういう意味では、80年代を知っている世代というと、自分たちの親世代が、まだ学生時代くらいの頃ではなかっただろうか? 

 一番音楽を聴いた時代に流行っていた音楽を、息子世代がまた聞くことになるとは、思ってもいなかっただろう。

 ただ、日本の音楽よりも、外国の曲の方が入りやすいかも知れない。

 日本の音楽であれば、あまり音楽に興味のない人でも、友達との話題であったり、テレビやCM、さらには、街中で流れている音楽などを聴くことで、育ってきた中での、

「流行の音楽」

 を肌で感じるということになるであろう。

 だから、これは、音楽だけに限ったことではないのだが、

「古いものが、劣っている」

 というような認識を、無意識のように感じているのかも知れない。

 余計に、新しいものを求めるということでは、少しは必要なことなのかも知れない。新しいものを求めるということが、探求心に繋がり、新たなものを生み出していく。特にマサツネは、

「何もないところから、新しいものを生み出す」

 ということが好きだったのだ。

「無から有を生み出す」

 という意味で、クリエイティブな趣味を模索した時代があった。

 それが、大学時代であり、芸術など、いろいろ手を出したものだった。

 その中で、最初に興味を持ったのは、音楽だった。

「作詞作曲などをしてみたい」

 と思いから、音楽を聴いていたというのも、間違いではない。

 ただ、意外と早い段階で音楽は諦めた。

 そもそも、小学生の頃から音楽は嫌いだった。これは、音楽に限らず、芸術的なことは、すべて嫌いだったといってもいい。

 音楽の場合は、まずは、小学校で教わる楽器が大の苦手で、

「何でこんなことをしなければいけないのか?」

 と思ったくらいだ。

 特に、マサツネは指が短かったことで、縦笛などのような、指で穴をふさぐような楽器は、不利だったのだ。

 それなのに、学校では、

「そんなことはおかまいなしに、強制的にやらせている」

 と思うと、本当に理不尽だと思うと、音楽という授業自体、すべてが嫌になったのだった。

 小学校の授業は、そういう意味で、図工の授業も嫌だった。

 元々、あまり器用ではないマサツネに、繊細なタッチを必要とする、絵画などできるはずもなかった。

 特に絵の具がいつも身体や服にべたべたついて、気持ち悪いだけでしかないと思っていたのだった。

 教える側は、そんなことはお構いなしだ。

「学校なんだから、やらなきゃいけない」

 といって、教育という隠れ蓑の後ろで、ほくそえんでいるように見えるのは、先生が自分を苛めているかのような錯覚にさえ陥らせたのだった。

 そんなことを考えていると、

「俺は芸術的なことには向かないのだ」

 と思うようになった。

 しかし、その頃から、

「無から有を生み出す」

 ということに関しては、特別な思い入れがあったことは自分でも分かっていた。

 だから、それが何に将来的に結びつくのかということが、見えてこなかったことで、無意識ではあるが、

「ジレンマのようなものに陥っていたのではないか?」

 と思えるのだった。

 だが、そのくせ、作曲家であったり、画家や彫刻家のような人たちに憧れていた。

「自分には到底なれない」

 と最初からあきらめていたこともあって、

「手の届かない存在だ」

 ということを感じると、余計にそ人たちが偉大に感じられるのだった。

 だから、大学時代になると、憧れが沸騰してきたのだ。

「なれないという思いと、なりたいという願いとの葛藤」

 というものが、マサツネの中で渦巻いていた。

 ただ、大学時代に感じたのは、

「無から有を生み出すのは、何も芸術だけではない」

 ということだった。

 大学時代に、

「もう一度、絵画や音楽に挑戦してみよう」

 という思いを抱いのも事実だった。

 しかし、実際にやってみると、

「もう一度やってみたい」

 と感じたその時に戻って、

「お前にはできるわけはないんだ」

 と言ってやりたいと思う程の、

「黒歴史」

 といってもいいほどの、ひどい言い方をすれば、

「時間のムダだった」

 ともいえる感覚に、

「その時間を返せ」

 と自分が悪いということを棚に上げて叫びたい気分にさせられるくらいだった。

 ただ、逆にいえば、変に粘って、さらなる時間を浪費したわけではなく、結構あっさりと諦められたことはよかったかも知れない。

 だからこそ、別の趣味が出てきて、その趣味に走ることができたのも、

「早く諦めがついたおかげだ」

 といってもいいだろう。

 絵画、音楽、それらが一番の芸術であり、自分にできる、

「無から有を作り出すことだ」

 と思い込んでいたが、どうやら、自分の思い込み違いだったようだ。

 今まで気づかなかっただけで、

「忘れていた」

 といってもいいことだろう。

 それは、

「芸術」

 という言葉を必要以上に敏感に感じたことで、気付かなかったということかも知れない。

 それを感じさせたのは、マサツネという男が、

「歴史という学問が好きだった」

 というところから出発していた。

 歴史という学問は、中学の頃から好きではいたが、自分の中で、どうしても盛り上がってこないところがあった、

 中学高校時代に関しては、

「面白い学問だ」

 という認識はあったが、だからと言って、

「それ以上を深堀して勉強しよう」

 とは思わなかった。

 しょせんは、

「学校の一教科に過ぎない」

 というだけのことだったのだ。

「なぜ、そんな風に思ったというのだろう?」

 と考えてみると、そこに、一つの結論めいたことが頭に浮かんだのだ。

「そっか、暗記物の科目なので、無から有を生み出すという発想とはまったく結びつかないことで、興味はあっても、それ以上には進まなかったんだ」

 という、当たり前のことだというような思いを、いまさらのように感じたということを思い知った気がした・¥。

 中学時代の歴史は、時代を本当に時系列として、教えられたので、正直。

「これが学問なのか?」

 というように、100年単位が、1時間ほどで通り過ぎてしまうという展開に、驚いていたといってもいい。

 だから、余計に、時代が薄っぺらいものに感じられ、歴史という舞台のどこにクライマックスがあるのか分からなかった。

 高校時代になると、もう少し詳細な歴史を勉強するようになると、

「それぞれの時代が一つの歴史のように感じ、それが積み重なって歴史が作られる」

 と思うようになると、さらに、深いところ、つまりは、一つの事件が一つの歴史というところまで知りたいと思うと、昔から、歴史に詳しいやつに、造詣が深かったと思ったのだが、その理由が分からなかった。

 だが、歴史の深堀を考えていくうちに、かつて感じた、歴史に詳しい人に尊敬の念を抱く理由が分かってきた気がするのだ。

 ということであった。

「歴史というのは、時系列に繋がっているように思うが、そのところどころにターニングポイントがあって、そのポイントから、さかのぼってみたり、時系列に見てみたりするのが、歴史の醍醐味なのだ。だから、歴史好きといっても、この時代には詳しいが、他の時代はブラックボックスだという人もいるんだよ。私は、歴史は自由だと思う方なので、それはそれでいいと思うんだよ」

 といっていた先生がいた。

 確かにその通りで、歴史を勉強するというのは、楽しいこともあれば、きついこともある。だから、

「得意な時代、苦手な時代があってもいい」

 と思う。

 しかも、歴史は、

「ヒューマンドラマ」

 である。

 つまり、歴史を勉強するということは、いろいろなことを吸収するというより、一つ一つ理解していかないと、うまくいかない。時系列にしてもそうだが、人が織りなして、作られるものが歴史ではないか。つまり、歴史というものが、自由だというのは、そこから由来しているのだろうと、マサツネは感じた。

「今があって過去がある。逆に、過去があって今がある」

 どっちを言われたとしても、間違いではない。どちらにインパクトを感じるかということであるが、単独で言われれば、意識はどちらにもあることだろう。

 つまり、どちらも間違いではないということも言えるのであれば、一歩間違えると、

「どちらも間違いかも知れない」

 ともいえるだろう。

 これは、歴史に限って言えることではなく、他のことであっても言えることなのではないだろうか? 

 それを思うと、歴史を勉強することが、どれほど大切なのかを思い知らされるが、自由である以上。勉強しないのも自由。だから、余計に、歴史というものを勉強してみると、

「歴史が嫌いだ」

 という人を見て、

「実にもったいない」

 と思うのだった。

 ただ、歴史に興味を持つ人のほとんどが、3つくらいになるだろう。

 一番はなんといっても、戦国時代だといえるだろう。

「群雄割拠」

 という戦国時代には、今の時代ではありえないことが行われている。

 特にサラリーマンなどのように、今の社会にどっぷり浸かって、階段を昇っていくしか手がない世の中では、

「君主を倒して、自分が成り上がる」

 という、

「下克上」

 と呼ばれる世界は、魅力に感じることだろう。

 しかも、天下統一がなった後、秀吉が行った政策。晩年は、

「朝鮮出兵」

 であったり、

「秀次事件」

「利休事件」

 などの、悪名高きものもあったが、信長なき後、天下を統一するまでの政策は、見るべきものがあったといってもいいだろう。

 さらに、秀吉が死んでから。満を持して頭角を現した家康も、

「徳川家安泰」

 を基本として海外貿易、各大名の処遇、豊臣家の仕置き、さらに、

「幕府政権を、世襲で行う」

 というやり方をしていることは、260年という幕府による、

「天下泰平」

 の世の中の基礎を作ったという意味で、大切なことであっただろう。

 ここまでの、戦国期、織豊機、江戸初期が一つの時代となることだろう。

 その次の時代としては、

「幕末」

 ではないだあろうか?

 幕末というと、基本的には、

「黒船来航」

 ということになる。

 当時日本は、鎖国政策(諸説あり)を行っていて、それまでに、ロシアの船が通商を求めて、蝦夷地に来ていたことがあったが、松前藩などが、

「幕府の窓口は、長崎の出島である。長崎に行かれたし」

 ということで、長崎にいってもらうということで、事なきを得ていたのだった。

 しかし、この時んお黒船だけは、そうもいかなかった。

 というのは、アメリカ側が、

「大統領の親書」

 と認めていたからであった。

 しかも、戦艦数隻で来ていて、下田の奉行が、

「長崎にいってくれ」

 といっても、ペリー提督は、

「そうはいかない。こちらは大統領の書簡を持っているんだ。もし、幕府い取り次いでもらえないとすれば、我が艦隊で一戦交える覚悟だ」

 ということであった。

 戦艦数隻を相手に、対外戦争どころか、国内戦争すら想定していない幕府に、太刀打ちできるわけはない。とりあえず、

「協議をするから、1年後にまた」

 ということで、帰ってもらった。

 すると、1年後に約束通りにやってきた黒船に対し、幕府は何ら回答もなく、とりあえっず、書簡を受け取りはしたが、条約を結ぶかどうかは、結論が出なかった。

 しかし、アメリカ側から、

「清国にいた英仏の艦隊が日本を目指している。やつらがくれば、日本は、清国のように、植民地にされるだろう。だが、もしアメリカと条約を結べば、アメリカの通商国として、我々が、英仏軍を退去させることを約束しよう」

 というのだった。

 さすがにそこまで言われては、幕府も応じるしかなく、港を、

「長崎、横浜、函館」

 などと開港し、通商条約を結ぶことにしたのだ。

 ただ、幕府は朝廷の許しを受けているわけではなかった。

 そのこともあったので、その後、完全攘夷派である、

「外国嫌い」

 で有名な孝明天皇との問題が、攘夷論者の力が強くなってきたことで、京都は荒れに荒れ、

「新選組」

「見回り組」

 と呼ばれる、浪士が警察の役割を担う形で、暗殺などが横行したのだった。

 そんな時代が、今度は、

「弱腰の幕府を倒して、攘夷を行う」

 という、

「尊王攘夷」

 が主流にあった。

 しかし、尊王攘夷の中心にいた薩摩と長州は、

「生麦事件」

「関門海峡での砲撃」

 から、英国やその他の国と戦争を起こし、完膚なきまでにやられたことで、

「攘夷はかなわない。まず、強い政府を作って、外国と対等に渡り合えるようにしないといけない」

 という思いから、

「尊王攘夷」

 から、

「尊王倒幕」

 へと変わっていったのだ。

 つまり、この時代というのは、

「新選組」

 や、

「薩長の隊士たちや、坂本龍馬などの登場」

 によって、時代が変わっていったということへの興味。

 さらに、最初は、

「攘夷」

 というだけのところから、

「尊王攘夷」

 というものに変わり、さらに、

「尊王倒幕」

 というものに変わるという、スローガン自体がコロコロと変わる、流動的な時代だったといってもいいだろう。

 そのあたりが、歴史ファンを引き付けるのではないだろうか?

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