辻褄合わせ

森本 晃次

第1話 80年代

この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ちなみに世界情勢は、令和4年11月時点のものです。


 最近というか、いわゆるSNSと呼ばれるものが流行り出して、ネットの世界も、マイナーチェンジを繰り返しながら、社会情勢にいろいろな形を示し始めている。

「ツイッターや、インスタグラム、ユーチューブなんて、かなり前からあるんだろうけど、俺たちに関係ないと思って、意識していなかったけど、最近になって、いまさら感があるが、ツイッターというものに嵌ってしまってな」

 という初老の男性が、大きな声で話しているのを聞いた。

 その理由は分かっている。

「たぶん、最近、ガラケーからスマホデビューしたんだろうな」

 ということからであった。

 ガラケーをずっと使っていると、

「どこから電話連絡や、メールで連絡があるか分からないので、とりあえず持っている」

 という人がほとんどだろう。

 だから、今のように、ほとんど電話など使わずに、スマホであれば、個人同士の会話であれば、

「LINE」

 という機能を使って、文字での会話をすればいいのだった。

 だから、LINEが使えない、ガラケーでは、電話を掛けない以上、それほど必要ではない。

「仕事で掛かってくるかも知れない」

 といっても、仕事の場合は、会社から支給されている電話がほとんどだろう。

 しかも、今になれば、ガラケーではなく、スマホを利用している会社がほとんどではないだろうか?

 そうなると、電話を使うよりも、LINEを遣うことの方が多い。特に、部内皆に共有するようなことは、以前であれば、メールであろうが、ちょっとした会話であれば、

「グループLINE」

 というものを使えば賄えるというものだ。

 だが、ガラケーからスマホに変えることに、違和感がある人もいる。

 一つは、数年前までのスマホが高額だったということだ。

 ガラケーをほとんど何にも使わない状態で、毎月の基本料と、スマホに変えて、同じように、ほとんど使わないで基本料金くらいであっても、

「ガラケーの倍はかかる」

 と言われていた時代があった。

 最近でこそ、

「スマホに変えた方が、wifiとか使えるので、逆に安い」

 と言われてきたが、そのことを知らないと、ずっと、スマホを敬遠したままになるだろう。

 そんな人でも、ガラケーというものも、いつかは寿命が来るもので、電池の消耗であったり、充電が利かなくなったりと、いろいろな障害が出てきて、

「機種変」

 という事態になるだろう。

 その時、

「スマホというのはどんなものですかね?」

 と聞いて、スマホへの懸念を話すと、

「今はそんなことはありませんよ。それにいろいろな機能があるので、便利になっていて、しかも、wifiを使えば、課金アプリは別ですが、そうでもなければ、それほど、高額ということはありません」

 というのであった。

 実際にプランを聴いてみると、案外と安いことが分かる。

「いろいろなことができますからね。それに、昔のガラケーよりも、いっぱい入るので、いいですy」

 ということだった。

「ウォークマン代わりに使っている人もいますし、ゲームをする人、ツイッターーやインスタなどのようなあSNSをする人もいるので、何か目的があれば、スマホは本当に便利です」

 というのだった。

 マサツネは、まだ30歳だったが、今の同年代の連中とは違って、ゲームをしたり、ギャンブルに走ったりということもなく、ただ、無趣味な典型的な根暗な男だといってもいいだろう。

 だが、そんなマサツネだったが、音楽を聴くのは好きだった。それも、昔の洋楽である。今から40年くらい前の音楽が好きだった。いわゆる、

「80年代ロック」

 と言われる時代の音楽だった。

 元々、そこに至るまでに、ロックンロールなどの賑やかな音楽の時代から、ビートルズのような時代に入ってくる。それに平行して、時代的に、ちょうど、ベトナム戦争の時代だった。

 いわゆる、

「反戦ムード」

 というものだ。

 そもそも、ベトナム戦争というのは、アメリカが、自分から介入した戦争だった。

 時代は、まだソ連という社会主義連邦国家が存在していた時代で、アメリカなどの西側諸国と呼ばれる勢力と、

「東西冷戦」

 と呼ばれる、

「核の抑止力による均衡を保たれた平和による新たな戦争」

 という時代だったのだ。

 その危険性を嫌というほど思い知らされたのが、ベトナム介入の少し前にあった、

「キューバ危機」

 だったのだ。

 キューバにて、軍事クーデターが起こり、新たな政権が確立し、アメリカに歩み寄ろうとしたキューバの革命政権が、当時の大統領に、冷たくあしらわれた。

 その理由というのは、

「キューバが倒した政権は、親米政権だった」

 ということである。

 つまり、アメリカ政府とすれば、自分たちと仲間だと思っていた政権を、クーデターで倒したのだから、

「当然、敵である」

 と考えるのは当たり前だろう。

 アメリカは、極秘裏に、

「キューバ新政権打倒」

 あるいは、

「大統領暗殺」

 を企んでいるなどという話が伝わると、孤立したと考えたキューバ政府が、国防のために行った策は、

「ソ連との共謀」

 ということであった。

 キューバ政府は、社会主義化していき、ソ連に近づき、密約の元、

「キューバ国内に、アメリカを射程距離に収めることができる核ミサイルを配備する」

 ということになったのだ。

 徐々にその建設が行われる中、アメリカの偵察機による航空写真がアメリカ政府にもたらされると、核戦争というものが、目の前にあることに直面したのだった。

 核戦争というのは、

「一発撃ってしまうと、どんどん撃ち合いになり、結果、世界に放射能が広がり、人が地上では生きることができなくなる」

 という結末である。

 アメリカには核シェルターがあったが、果たして、それでどれだけの人が生き残れるというのか、しかも、放射能汚染で、いつ地上に出れるか分からない。そんな不安の中で、どうやって生活をしていけないいのか。アニメなどでよく話題となるが、本当にそんな世界になるのだろうか?

 それを思うと、

「本当に恐ろしいのは、先が見えない不安しか起こっていない」

 ということであろう。

「悪夢の数日間」

 が過ぎて、偶然と幸運の背中合わせから、何とか、核戦争の危機を逃れ、ソ連は、キューバからミサイルを撤去することにした。

 だが、問題は解決したわけではない。

 キューバ政府とすれば、せっかく設置を約束してもらい、アメリカからの脅威が少しは和らぐと思っていたのに、ソ連がアメリカとの交渉で、ミサイルを勝手に撤去するのだから、溜まったものではない。

「昇った梯子を勝手に外された」

 という心境であろう。

 キューバはアメリカもソ連も敵に回ることになるのだった。

 アメリカも、ソ連がミサイルを撤去する条件として、トルコに設置している、NATO軍の核ミサイルを撤去することになった。

 これらのアメリカも、ソ連もお互いに歩み寄ることで、国内の強硬派から干される形で、ソ連主席は、失脚し、幽閉されるという運命をたどり、アメリカ大統領に至っては、

「凶弾に倒れる」

 ということで、暗殺されることになってしまったのだ。

 つまり、

「超大国の首脳二人が、歩み寄ったことによって、抹殺される」

 ということになったのだから、この、

「キューバ危機」

 という問題は、それぞれの超大国の内外に、いろいろな形で波紋を残したといってもいいだろう。

 さらに、当時の冷戦というものは、

「核開発競争」

 と、

「宇宙開発競争」

 の二つが軸になっているといってもいいだろう。

 ただ、宇宙開発競争の裏には、

「大陸間弾道弾」

 などの開発という意味が含まれているので、この両方はまったくの無関係ということではない。

 特に、世界の派遣を握りたいと思っているのは、どちらの国も同じことで、

「どっちが正しい」

 という考え方とは次元が違うのだ。

 そもそも、社会主義という考え方は、

「民主主義」

 あるいは、

「自由主義」

 というものに対しての限界に挑戦したものだといってもいいだろう。

「自由に商売を行ったり、国家が個人に介入しない」

 という考えが自由主義なのだが、それにより起こってくる問題として、

「少数派の切り捨て」

 あるいは、

「貧富の差がはげしくなること」

 などがあげられるだろう。

 つまり、民主主義の基本は、多数決である。少数派は、最初から切り捨てられる運命にあるのが、民主主義なので、極端な話、

「10,000と、10,001で、一人だけの違いであっても、少ない方が切り捨てられる」

 ということになるのだ。

 さらに、競争が自由ということは、ある意味、無法地帯、政府が介入できないのだから、一種の、

「無政府状態」

 だといってもいいことから、

「ルールなんてあってないもの」

 ということになり、結果として、

「強い者が勝つ」

 という、

「弱肉強食だけが正義」

 という世界になるということである。

 そんな時代から、国民、特にアメリカの国民は、

「核の抑止力」

 に対して、危険を感じるようにはなってきたのだろうが、だからと言って、あまりにも、東側陣営に寄りすぎるのも、

「一歩間違えると、暗殺される」

 という危険性を孕んでいるということになるだろう。

 それを思うと、

「本当は、国民とすれば、昔のモンロー宣言のように、アメリカ以外のところに介入するというのは、あまりいいことではない」

 と思っているに違いない。

 実際に、アメリカは、大東亜禅僧の時には、

「リメンバーパールハーバー」

 という言葉があることで、一致団結していたが、その5年後の朝鮮戦争では、テンションはがた落ちだったというではないか。

 今度は、

「キューバ危機」

 に直面し、核の抑止力に対して限界を感じたにも関わらず、他の国の情勢に首を突っ込むことはないと思ったとしても、政府書脳が、

「暗殺されてはたまらない」

 とでも思ったのか、次第にベトナムに介入することになる。

 原因としては、

「東南アジア諸国が、ソ連の影響、いわゆる、パルチザンであったり、ゲリラのようなものを誘導して、独立機運に則った形で、

「社会主義国家化」

 が進んでくるのを恐れたのだ。

 実際に隣国が、

「社会主義国家になった」

 ということで、他の国にその運動が飛び火し、まるで、

「ドミノ現象」

 を引き起こしていたのだ。

 工作員が潜り込んで、うまくゲリラを誘導したり、裏から武器弾薬を渡して、表に出ないまでも、できるだけ支援して、社会主義国家をつくろうとしているのだ。

 それは、アメリカとしても容認はできない。

 ソ連が影響力を強めると、ソ連を狙うミサイルの射程距離が足りなくなるというような理由も含まれているだろう。

 つまり、アメリカ政府首脳は、

「この期に及んでも、核の抑止力こそが、平和維持になるということを真剣に信じているということだろう」

 と、思っているに違いない。

 ただ、実際にベトナムに介入すると、相手はゲリラである。普通の空爆で、陸戦協定などに定められている、

「軍事施設などへのピンポイント攻撃」

 ということだけをやっていると、

「実際の被害の方が、成果よりも、何倍も大きい」

 ということになるのだ。

 相手の秘密基地を攻めても、実際の破壊の成果に比べ、自軍の被害が大きいということが国民に分かると、一気に反戦運動になるのだ。

 特に、

「北爆」

 と呼ばれるものも、世論に配慮して中止になるが、そうなると作戦が滞ってしまい、

「何で、成果も上がっていないのに、うちの息子は死ななければいけないのか?」

 ということを、家族が言い出すのだ。

 そうなると、アメリカ全土で反戦運動が激化し、今度は、それが全世界に飛び火する。

 アメリカは、世論を敵に回すわけにはいかないので、撤退を決めることになる。結局、アメリカに援助されていた南ベトナムは、

「アメリカ側の勝手な事情」

 で見捨てられ、最後は、北ベトナムに占領されて、現在のような、社会主義国家が形成されることになったのである。

 だから、ベトナム戦争において、

「アメリカが初めて敗北した対外戦争」

 と言われるのであった。

 ただ当時のアメリカは、

「世界の警察を自認していて、基本的に自国から、名実ともに、アメリカが中心となった戦争を起こすことはなくなった」

 と言われている。

 だから、諸外国で戦争があっても、物資を送ることはあっても、介入することはないのだが、その例外として、一つは湾岸戦争と呼ばれるものがあり、それは、そもそも、

「イラン、イラク戦争」

 において、アメリカが支援していたイラクが疲弊しながらも、隣国の、

「裕福な国」

 であるクウェートの供与を受けたはいいが、疲弊したイラクに返せるわけでもない借金を、

「返せ」

 と迫ったことで、イラクが武力行使を行い、クウェートを占領してしまった。

「どちらが悪い」

 というわけにもいかないのだろうが、アメリカ側は、イラクを脅威に考えたのか、世界各国の世論も、

「イラクが悪い」

 ということで、結束してしまった。

 確かに、表面上は、何ら軍事衝突も起こっていないのに、勝手に侵攻し、占領、併合までしてしまったのであれば、それは、ナチスドイツと同じだということになり、結局、国連決議ということになった。

「いついつまでに、イラクが撤退しなければ、武力行使に出る」

 といっておいての、最後通牒である。

 そして、イラクが撤退しないことで始まったのが、

「湾岸戦争」

 であった。

 この時の、派遣軍は、

「アメリカ軍と、その他の国」

 という形ではなく、あくまでも、国連決議で結成した、

「多国籍軍」

 であった。

 これを国連軍と正式にしなかったのは、国連決議で、満場一致ではなかったからだろう。

 反対、棄権があれば、正式な国連軍ではない。それが、正直なところなのであろう。

 ということは、アメリカ軍が表に出ているわけではなく、

「有志の国の軍の集まり」

 ということで、結成された軍であった。

 そういう意味での、

「多国籍軍」

 という言葉はこの時だけではない。

 過去にもあったのだが、国際連合が起こる前に結成された軍としての、

「多国籍軍」

 という意味である。

 日本も参加しているのが多かったが、日本が参加したもので、有名なものとしては、2つあり、一つは、

「シベリア出兵」

 であり、もう一つは、

「義和団の乱」

 の時に、清国の元首だった、西太后が、何をとち狂ったのか、北京に入っていた、世界の列強に対して、一気に宣戦布告した時のことだった。

「治安維持と、居留民保護」

 ということからの派兵に対しての宣戦布告であったが、当然のごとく、清国の首都である北京は簡単に占領され、義和団というものは、鎮圧され、西太后も、なすすべもなく、列強に降伏。おとなしくしておくしかなかったのだ。

 それを思うと、多国籍軍となると、弱体化した清国軍と、義和団が束になっても、あっという間に、ねじ伏せられるのがオチだったということであろう。

 その時にアメリカも入っていた。この時と同じように、

「多国籍軍」

 ということにしておけば、

「派兵もやむなし」

 ということになるだろうと。思ったのだろう。

 そんな多国籍軍を、結局はアメリカが率いることになるのだ。

「国民には、あたかも、国連軍のように思わせ、アメリカが始めたことではないというアピールをし、その中でアメリカが、

「先導に立つ」

 ということであれば、国民は嫌とは言わないだろう。

 それどころか、

「世界平和のためにアメリカが指揮を執る」

 という名目があれば、いいのだ。

 また国連に対しても、

「アメリカが主導でやってくれる多国籍軍」

 ということで、

「アメリカに任せておけばいい」

 ということになるだろう。

 要するにアメリカは、国民であったり国連に対して、

「アメリカが派兵すること」

 そして、

「アメリカが主導権を握る」

 ということへの、

「大義名分」

 がほしいのであった。

 しかも、このやり方は、イソップ寓話に出てくる、

「卑怯なコウモリ」

 というのと同じである。

 獣と鳥が戦争をしている時、コウモリは、獣に向かっては、

「私は身体中に毛が生えているから獣だ」

 といって、鳥に対しては、

「私は羽根が生えているから、鳥だ」

 といって、逃げ回り、都合のいい方についていたということをしていたのだ。

 しかし、闘いというのは、いつかは終わるもので、鳥と獣が和解をすれば、そこで、コウモリの話が出てくることになる。

 すると、都合よく振る舞っていたことが、それぞれの陣営にバレてしまい、コウモリは村八分の目に遭い、

「一生、明るい場所に出られないように、洞窟の中の、真っ暗で、陰湿な場所で暮らすようになった」

 というのだ。

 だからこそ、

「目が退化して、見えなくなってしまった」

 というのだ。

 そのため、耳だけはよくなり、超音波のようなものを出して、障害物からの反射で、まわりを知るという実に器用な、動物になったということであろう。

 そんなコウモリと同じようなことを、アメリカはやっていたのだろう。

 80年代からのアメリカはそうやって何とか今までやってきたといってもいい。

 少し話が飛んでしまったが、80年代というのは、そんなベトナム戦争が終わり、音楽では、プログレッシブな形式が増えてきた。

 一種の前衛音楽的なもので、

「融合」

 というのが、キーワードだったのかも知れない。

 そもそもは、ロックを基盤として、クラシックやジャズなどを織り込んだ音楽ということで、歌詞がないものも結構あり、当時のレコードで、

「A面一曲が、組曲になっている」

 というものも結構あったのだ。

 プログレッシブロックは、瞬く間に世界で流行し、ワールドミュージックの様相も呈してきたのだった。

 ただ、そんなプログレも、5年くらいで、全盛期を超えてしまった。

 いろいろな理由もあるだろうが、

「プログレッシブロックをやっているバンドが、次第に、ポップス化していったというのも理由の一つだろう」

 元々、プログレというのは、バンドであり、それぞれのパーツで個性を出すという雰囲気だったのだ。

 だから、個性がぶつかるのか、メンバーの入れ替わりが激しかった。

「プログレのバイブル」

 とまで言われたアルバムを発表したバンドが、翌年、次の作品のアルバムを発表したのだが、その時に、

「半分、メンバーが入れ替わっていた」

 などということが、普通にあったのだ。

 さらに、プログレから、派生する形で、いろいろなジャンルが生まれてくることになる。

 というか、系譜として、メンバーが、そっちに走ることになる。

 特に、ヘビーメタル、いわゆる、

「ヘビメタ」

 と言われるバンドは、プログレのバンドメンバーだった人が多かったりするのだ。


     

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