ガトーショコラ

増田朋美

ガトーショコラ

大晦日であった。ということは、もう今年もあと少しで終わりなのである。それでは、もう新しい年になるということだ。早いものである。なんか年を重ねて行くたびに、早いなと感じてしまうのはなぜなんだろうか?

ちなみに、こういう季節には、製鉄所の利用者が増えてしまう季節でもある。日常から離れた用事が長らく続いてしまうし、親戚などの来訪などで、精神が不安定になる人が多いためだ。それを理解してくれる家族であればよいのだが、そうではなくて、全く嫌な子だとか、そういう嫌味を言ってしまう家族がたまにいるので、そういう家の人が、製鉄所を利用するというわけである。まあ、それは仕方ないことなのかもしれないが、中には正月だからこそ休みを頂きたいとか、そういう家族もいるので、困ったものであった。そして、だんだんそういう主張をする家族が増えてきている感じがする。

製鉄所では、正月でも、年越しでも何も変わらない日常が続いている。つまりどういうことかというと、水穂さんにご飯を食べさせるという作業は、いつでもどこでも続いていくものなのだ。その日も、杉ちゃんたちは、水穂さんにご飯を食べさせようとしているのであるが、やはり水穂さんは咳き込んでご飯を吐き出してしまうのであった。それを、製鉄所の利用者たちは、可哀想だと同情するように眺めていた。

「ほら、食べろ。このままでは、何も食べないで正月を迎えることになっちまうぞ!」

と、杉ちゃんが言うのであるが、水穂さんは咳き込んで苦しそうであった。

「本当に、ご飯を食べないんですね。アレルギーの問題でしょうか?それとも、本当に、飲み込むことができなくて吐き出しちゃうのかな?ちゃんと理由があるんでしょうね。」

利用者が傍観者のような感じで、杉ちゃんにいった。

「まあ、水は飲むから、飲み込むのができないというわけじゃなさそうだ。それに、肉も魚も一切使ってないから、当たる食材は入れてないはずだけど。」

杉ちゃんは、そう言って、そばの器を見た。たしかに、肉も入ってないし、魚も入ってない。そういうわけでは、当たる食品は入れていないということになる。

「どちらでも無いってことか。それは、精神的な問題ということになるわよね。それなら、気持ち次第では食べられるということになるわね。じゃあ、なんとかして頑張って食べようと言う気持ちになってよ。それなら、食べられるでしょ。」

別の利用者が、実況中継してるみたいに言った。

「まあねえ。でも、精神疾患とかは、経験してみないとわからないからね。それは、難しいよ。」

杉ちゃんがそう言うと、

「そうなんだ、それじゃあ、ご飯を食べないで、ダイエットしようとでも思っているのかしら?それだったら大丈夫。水穂さんは細身だし、太って無いからもうダイエットはしなくていいのよ。それを思い続ければ、食べられます。」

と利用者が言った。

「そういうメカニズムを話してもしょうがないんだ。メカニズムを話しても、体に悪いことを話しても、効果ないの。」

杉ちゃんが言うと、

「じゃあどうしたらいいのかしらね。それらのことが、全部わかっていても、食べられないってことは無いでしょ。食べることの大事さとか、栄養の話をすればわかってくれるのかな?」

とその利用者は言った。

「おいおい野田さんよ。そういう世の中理屈で何でも割り切れるものではないぞ。人間だから、理屈では考えられないことに固執したり、考えたりするものさ。時には理屈ではどうしてもわかっていても、感じている部分では、受け入れられないってことだって、いっぱいあるんだぜ。」

杉ちゃんがでかい声でいうと、その野田と呼ばれた利用者は、そうなの?という感じの顔をした。

「まあ、お前さんはまだ若いから、そういう経験したこと無いんだよ。それを初めて経験したとき、受け入れられなくて、ぶっ壊れちまわないように、気をつけるんだな。」

それと同時に、水穂さんが咳き込んだので、野田さんはびっくりした顔をした。それと同時に、由紀子が四畳半にやってきて、水穂さんを、布団に寝かせて掛ふとんをかけてあげて、吸い飲みの中身を飲ませた。

「あーあ。とうとう、食べずに眠っちゃうのかな。」

杉ちゃんはでかい声で言った。

「ご飯を食べないんだったら、お菓子を食べればいいじゃない。」

不意に野田さんがそういう事を言った。

「はあ、マリー・アントワネットみたいな事言うもんじゃないよ。」

杉ちゃんはそう言うが、野田さんは話を続けてしまった。

「最後まで聞いてちょうだいよ。最近ではお菓子のすべてが有害というものでも無いわ。それにお菓子は、甘いし、食べやすいものだと思うんですよ。だから、普通のご飯よりもとっつきやすいと思うんです。水穂さんの抱えている問題は拒食症でしょ。それの治療は、まず、食べられるものから始めて、少しずつ他のものに切り替えていけばいいって、本に書いてありました。だから、そのとおりにすればいいんです。そうすればいいじゃないですか。」

「はあ、はあなるほどねえ。」

杉ちゃんは野田さんの話を聞いて、随分軽く考えるやつがいるもんだなという顔をした。

「何を言っているの。だって事実のとおりにしろと言っているのは杉ちゃんでしょ。だから私はその通りにしているんです。よろしければ、ケーキ買ってきましょうか。アレルギーの人でも、食べられるケーキというのがあるそうですね。ちょっと調べてみよう。」

「あのね。たしかに事実は事実だけだってのはそのとおりなんだけどね。それを軽く見るためにそういったわけでは無いんだよ。」

と、杉ちゃんはでかい声で言った。確かに、こういう場合、野田さんの態度はちょっと軽率というか、軽く考えすぎていると思う。他の利用者も、野田さんちょっと軽く見すぎよというと、

「あの!もし、よろしければ、あたしも買いに行ってもよろしいでしょうか?」

と女性の声がして余計にびっくりする。発言したのは由紀子であった。

「野田さんの言うことも一理あると思います。ご飯が食べられないならお菓子を食べればいい。水穂さんは食べるということに罪悪感を持っていると思うんです。それをご飯ではなくてお菓子だったら、気軽に食べれるというのはまだ試したこと無いですよね。それにお菓子は栄養は無いとしても、体を動かすカロリーだけは取れるんじゃないですか。それだって、水穂さんも随分違うでしょう。だから私、野田さんと一緒に行きます。」

「しかしねえ。」

と、杉ちゃんが言った。

「今日は、大晦日で、ケーキ屋さんもやってないんじゃないの?」

「そうねえ。」

野田さんは、それを気がついていないようであった。

「それにアレルギー対応の店が、やっているかどうかもわからないし。」

すると、由紀子が急いで、タブレットを取り出して、店を調べ始めた。由紀子は、アレルギー対応ケーキ店と検索枠に入れてみると、確かにどの店も大晦日でしまっている。だけど、一軒だけ、米粉ケーキを販売していて、現在営業中の店が見つかった。名前は古賀ケーキ店。由紀子はそれを野田さんに見せた。

「知ってるわ!確か森島にあったはず。最近オープンしたばかりのみせよ。」

野田さんがそう言うと、由紀子はすぐに、

「車だしますから一緒に行かせてください!」

と言った。野田さんは由紀子の真剣そのものな表情に、なにかすごいものを感じたらしい。二人はすぐに出かける支度を始めて、ちょっと行ってきますと言って、由紀子のポンコツの軽自動車で、出かけてしまったのであった。

野田さんに道案内してもらって、由紀子は古賀ケーキ店という店に着いた。とても小さな店であるが、ケーキ店というだけではなさそうで、店の中にテーブルと椅子がおいてあるのが見えた。由紀子と野田さんが車を降りて、店に入ってみると、ショーケースの中にケーキが沢山入っていたが、その近くにドリンクメニューと、パスタランチのメニューが貼ってあるのが見えた。

「こんにちは。初めてのお客様ですね。」

と、中年の女性が、由紀子たちの前に現れた。

「えーと、お名前をどうぞ。」

そう言われたので、由紀子はなぜ名前を言わなくては行けないのかと思ったが、

「お客様がどんなアレルギーなどをお持ちなのかお伺いしたくて、それで、お名前を伺うことにしているんです。」

と女性店主はそういった。

「そうですか。わかりました。私は今西由紀子で、こちらの方は、」

由紀子がそう野田さんを見ると、野田さんは意外にも堂々と、

「野田あかりといいます。」

と、答えたのであった。

「それでは、なにかアレルギーとか、そういう事情をお持ちですか?うちの店は米粉のケーキのみ販売しています。なので特殊な事情を持っていて、小麦のケーキを食べられないという方が多いんです。どんな事情をお持ちなんでしょうか。まず初めに、それを教えていただけませんか?」

店主は、とても事務的に、つまり、本当に、この店を愛着を持ってやっているのでは無いのではないかという雰囲気で言った。

「わかりました。と言っても、あたしたちがケーキを食べるわけではありません。ケーキを買ってあげたい人がいて、その人は特殊な病気のため、肉とか魚とか、小麦とか、そういうものを食べていけないんです。だから、おそらくですけど、ケーキなんてほとんど食べてないんじゃないかな。だからあたしたちは、こういう年越しだからこそ、彼にケーキを食べてもらいたくて、買いに来たんですよ。」

野田さんは、その店主に対抗する様に言った。

「わかりました。そういうことなんですね。それではご家族の方ですか?」

店主がそう言うと、

「はい。ご家族ではありませんが、私達はご家族以上に大切にしています。」

と、野田さんは答えた。

「そういうことなら、恋人?」

店主がそう言うと、

「恋人というか、尊敬している人です。それではいけませんか?」

野田さんはすぐに言った。

「わかりました。じゃあどのケーキが良いのか、こちらからお選びください。すべて米粉のケーキです。もし、クリームなどでも当たるようなことがあれば、クリームを使わない、ガトーショコラなどもあります。」

店主は、そう言って、由紀子の近くにあるガトーショコラを指さした。野田さんは、いちごショートなどを買おうかと言ったが、由紀子は、安全のためガトーショコラのほうが良いと言った。

「わかりました。じゃあガトーショコラを一つください。」

由紀子は、すぐに言った。

「わかりました。それでは、550円になります。」

店主はそう言って、ケーキを取り出し、由紀子たちに見せた。由紀子が、550円を店主に渡すと、店主は領収書を書いて、由紀子に渡した。そして、急いでケーキを箱に入れて、

「よろしくお願いします。それでお願いなんですけど、この店を紹介させるために、誰かお友達を紹介してくれませんか。もしどなたかいらっしゃいましたら。」

と、由紀子たちに言った。

「いえいえ、そういう人は、限られています。石を投げれば届く距離にいるわけではありません。そういう人は、すぐに見つかるわけではないですよ。水穂さんだって、御縁がなければ知り合えなかったし。そう簡単に商売の道具にしてしまっては、その人達は、苦しんでいるのに、なんか軽くあしらわれてしまうことになりますよね。それはちょっとお断りしたいかな。」

野田さんが、そう、店主に言った。店主は、そのような事を言われて、びっくりしたようで、

「そうですか。」

と小さい声で言った。

「そういうことですから、あたしたちは、ビジネス的なことには関わりたくありません。そういうことは、客であるあたしたちがすることではないし。」

野田さんが続けると、由紀子は、これだけはいいたいと思って、

「それに、水穂さん、いや、そういう病気とか、事情を抱えている人は、みんな苦しんで、悩んでいるのです。それを取り巻くあたしたちだって、悩みに悩んで、水穂さんにどうやって人並みの幸せを味あわせてあげたいってすごい悩んで、それでやっとこの店にこさせてもらったんですよ。だから、そうやって来た客を、ビジネスの道具にしてしまうのは、酷すぎるというか、そんな気がしませんか?」

と、早口で店主に言った。本当にこの店の店主さんには頭に来てしまうのだった。店主さんは、多分、客を自分のビジネスでしか見ていないんだと思うけど、それは、変えられないことでは無いということでもある。だけど、由紀子は、言わざるを得なかった。そう言ってしまうのだった。

「そうなんですね。それは頭の片隅に入れておきます。」

店主は、なにか考え込むように言った。

「それなら、あたしたち帰りますけど、もうちょっとやさしい態度で接してあげてください。きっと、この店に来る人は、すごく悩んで来ると思います。そんな仏頂面ではなくて、笑顔でお迎えしてあげてください。そうしないと、ただの仕事の道具にされてしまいますよ。」

野田さんは、そう言って、由紀子と一緒に店を出ていった。野田さんの方は、あまり気にしていないで、明るく鼻歌なんか歌いながら、道路を歩いていたのであるが、由紀子は、なんだかこんな店があるんだなと思って、悲しい気持ちになった。そんなふうに、障害や病気などで悩んでいる人を扱ってもらいたくないと思った。

由紀子は野田さんを車に乗せて、製鉄所に帰ってきた。明るい顔をしている野田さんは、水穂さんがまだ眠っているのを確認すると、すぐに急いでケーキを皿に乗せた。そして、水穂さんの枕元にそっとおいてあげた。そのまま部屋を出ていこうとしたが、そのときに足がもつれてしまって、転んでしまい、やたらけたたましい音を立ててしまった。幸いケーキは無事だったので良かったのであるが、水穂さんはその音で目を覚ました。

「あ、ああ、ごめんなさい。水穂さん、ケーキ買ってきたんです。よかったら、一緒に食べませんか?」

口のうまいあかりさんは、そういったのであるが、眼の前にあるのは超高級なガトーショコラだ。水穂さんは、びっくりした顔でそれをみているのであるが、

「水穂さんがあんまりご飯を食べないから。代わりにケーキ買ってきました。お菓子は栄養はないけど、体を動かすカロリーにはなります。だから少し力になるかもしれません、どうぞ食べてください。」

と、あかりさんは、説明した。

「でも、これ、食べれないですよ。」

水穂さんがそう言うと、

「大丈夫です。小麦粉のケーキではなくて、米粉のケーキですから、当たる心配はないと店の方が言ってました。だから、心配しないで食べてください。」

と、あかりさんは言った。由紀子も水穂さんの方へ近づいて、

「水穂さん、あたしもあかりさんも水穂さんに食べてもらいたくて、このケーキ買ってきたんです。だから、食べてください。お願いします。」

と、懇願するように言った。あのときの店主の態度が、由紀子は気に入らなかった。だからこそ、水穂さんには食べてもらいたいという気持ちになった。

「しかし、こんなすごいもの、食べられませんよ。」

と、水穂さんは小さな声で言った。

「すごいものでも、食べてください。まさかと思うけど、そんなものを食べられる身分じゃないなんて言わないでくださいよ。そういうことは、もう撤回されて、誰でもケーキを食べていいようになっています。」

あかりさんがそう急いで言った。

「いいえそれはありません。いつまでも、こういう歴史は残ってますよ。これからも続いていくでしょうし、途切れることも無いでしょう。そういうのが日本の文化でもあるのですよ。」

水穂さんが、そう言うと、由紀子は返事ができなくなってしまった。たしかにその通りではあるけれど、でもなんとかして、辛い状況からかわってほしいと思うのだった。だけど、由紀子は、それを口に出して言うことができなかった。それは、自分も悲しい気持ちになるし、水穂さんが悲しい気持ちになると思うのだ。でも、野田さんのほうは違うようである。

「でも、今日は大晦日です。今年もあと一日で終ります。それから、もう新しい年になるんです。由紀子さんも、私も、水穂さんもかわっていくんです。それは、私達だけではありません。どんな人でもかわれるんです。それは、終わりではありません。新しい始まりですよ。だから、新しい始まりとして、由紀子さんの買ってくれたケーキ、食べてください。」

「そうなんですね、、、。」

水穂さんは小さい声で、由紀子と野田さんに言った。でも、食べられるかなという顔をしていたが、野田さんは、どうぞといった。水穂さんは、フォークを受け取って、そっとケーキを切り、フォークにケーキを刺してそっと口に入れた。それと同時に咳き込んでしまいそうになったが、由紀子はそっと、水穂さんの背中を擦った。野田さんが、水で流し込みましょうと言って、急いでカップに水を入れて、それを水穂さんの口に流し込んだ。水穂さんは、咳き込む暇がなかったらしく、ケーキを飲み込んだ。

「万歳!大成功だわ!」

野田さんはとてもうれしそうに言った。水穂さんはえらく咳き込んでしまったが、由紀子は背中を擦ってやり続けた。なんとか食べ物を口にしてくれたということで、由紀子と野田さんは、なにか勇気づけられたようだ。二人は顔を見合わせて、もう一切れケーキを切って、水穂さんの前に差し出して、

「さあ水穂さん。」

と今度は、ニッコリしながら言った。

それと同時に、風が吹いてきた。もうすぐ新しい年になることを、予感させる爽やかな風であった。そういうふうに世の中もかわっていくと言うことなのだろう。世の中変わらないということはない。いつの時代にも、変化を要求させられる。変わらないで死ねる人もいるけれど、そういう人は極稀である。みんな、なにか変わることを、要求されるのである。だから、それに備えるために年の瀬というものがあるのかもしれない。すべての人のために、また苦しんでいる人のために。

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ガトーショコラ 増田朋美 @masubuchi4996

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