第4話
試験が始まって二日目が始まる。太陽も昇り、日の光が校舎全体を照らしている。セリルは窓から日が差し込む前からすり鉢で毒々しい色の植物を潰していた。それから染み出した液体を指で掬い取り、匂いを嗅ぐ。やはり、昨日の毒はクサノカブトだったか。
クサノカブトは毒の代名詞となっているほど有名な猛毒だ。しかし、どこにでも生えるわけじゃなく、標高が千メートルを超える山の斜面にしか群生しないため危険性は低い。まあ、殺す目的で使用すれば必殺にもなりえるかもしれないけど。
セリルは指についた紫色の液体を舐め、鉢の中の液体を細長いガラス状の器に移し、コルクで詮をした。すると、扉をコンコンと叩く音が聞こえた。
「セリル先生、いらっしゃいますか?」
「鍵はかかってないから入っておいで」
「失礼します」の声と同時に紫苑色の髪と緋色混じりの軍服が目に入る。
「少しは落ち着いたようだね」
「あの時は……その……」
クロエは声が尻すぼみに小さくなり、ズボンの裾をぎゅっと握りしめた。
「気にする必要はないよ。友人が殺されたなら取り乱すのが普通だ」
「でも、先生はいつも暗殺者は心を殺せって」
「確かに言うけど……あれは自戒みたいなものだから。君たちが無理に従う必要はないよ」
セリルは日の光が漏れる窓へと視線を移す。
「協会の人間は心が空っぽで感情が混じらない透明な殺意こそ至高だと考えているけど、ボクはそう思わないから」
柔らかい笑みを浮かべるセリルを目見開き、クロエは見つめていた。安心したのか握っていた手は開かれている。
「そう言ってもらえるとありがたいです」
クロエは綺麗な笑顔を浮かべ、頬を綻ばせる。
「それで、本題なのですが私と組んでマーセルを殺した犯人を追い詰めてください」
意外な提案にセリルは目を丸くする。初日の様子を見る限り自分自身の力で敵を取ると言うと思ったが……。
「何故ボクを頼るんだい?」
「犯人が誰であっても先生なら制圧が可能だからです」
「ボクが犯人って可能性もあるでしょ?」
「それはありえません」
クロエは力強くそれを否定する。返答には一切の間はなく、瞳は僅かな逡巡さえしなかった。
「勘違いしないでくださいね。私はあなたとのことを全面的に信用しているわけじゃありません。しかし、あなたの望みがマーセルの宣言通り生徒対先生の構図になることだったのは理解してます。だから、限定的に先生を信用しているってだけです」
口を尖らせながら不器用な弁明をしているクロエの様子に思わず笑みがこぼれる。「なに笑ってるんですか!」と詰め寄られるが何とか誤魔化す。
「クロエの見解は理解したよ。ボクも捜査に行き詰まりを感じてたから協力は歓迎するよ。でも具体的にどうするか考えはあるのかい?」
「まずは森を捜査します。おそらくマーセルを殺した道具やなくなった頭を隠した場所があると思うので。それが終わったらアシュリンとアメリアを調べます。私はあの二人が組んでマーセルを殺したと思っていますから」
また新しい可能性が提示された。アシュリン、アメリア、コトノハ、クロエそれぞれが別々の可能性を感じている。犯人は面倒な工作をしているな。
「マーセル殺しの根拠は知りたいとこだけどまずは森に行こうか」
クロエはコクンと首を縦に振った。二人は一階に降りると下駄箱で靴を履き替え、森へと向かう。クロエ先導のもと、手がかりがありそうな場所へと歩を進める。
校舎は山の中腹付近をくり抜いた平面に建てられている。そのため、ひとたび山に入ると急な斜面が待っている。常人ならば危険な山だが、暗殺者たるセリルたちには格好のトレーニング場所であり、庭のようなものだ。
二人は足を止めることなく、易々と急斜面を上っていく。木が生い茂り薄暗い森の中でもクロエは迷いなく進んで行く。そんな背に向けてセリルは声をかける。
「そろそろいいかな。さっきの理由を聞いても」
「死体の綺麗さです。マーセルは一番仲の良かった私にも背後は取らせません。もし背後を取ることが出来ている時は反撃の準備が出来ている時だけです」
淡々と語るその口調から嘘の気配は感じない。確かに彼女の警戒心は強かった。セリルが近くに居る時は視線を外すことさえしなかったことはよく覚えている。しかし、生徒同士でも気を緩めないとは病的だな。
「でも、それなら誰であってもマーセルを殺すことはできないと思うけど?」
「そこはアメリアが解決したのでしょう。彼女は様々なものを改造するのが得意ですから。私の予想ではアシュリンが気を引き、ワイヤーを巻き取る装置を使って定位置にある首を刎ねたと思っています」
不可能ではない。しかし、気になる部分が出てくる。セリルはコトノハから聞いた墓の情報と血液の情報を伝えた。すると、クロエは森を進む速度を緩めた。三十秒ほど経つと再び加速し、閉ざされていた口を開く。
「確かにその情報から犯行現場はあの教室ではない可能性はあります。ですが、それ自体がミスリードの可能性もありますよね? 現に見つけてくださいと言わんばかりの場所に証拠はあった。どちらが事件の真相に近いかは明白だと思います」
「そうだね。クロエの考えであればボクが引っかかっていた部分もスッキリするよ」
「ありがとうござい——」
お礼を口にしようとしたクロエに何かが襲い掛かった。灰色の体毛に犬を一回り大きくしたその姿は灰狼(グレイウルフ)そのものだった。奴らは血の匂いに敏感であり、どんな獲物に対しても怯まず集団で狩りをする。
「面倒なことになったね」
周囲を見渡すと数十匹の灰狼がぐるりと二人を囲んでいた。
「いけるかい?」
「問題ありません」
クロエは血に濡れたナイフ片手に淡々と答える。セリルはその姿に笑みを浮かべ、斜面を勢いよく蹴った。一瞬で最も体躯のある敵に近づくと腰にぶら下げた黒いナイフを振るう。一撃で喉を搔き切ると勢いを殺すことなく流麗な動作で次々と灰狼の急所を切り裂いていく。セリルが二十匹、クロエが十匹仕留めたところで息のある生命体はセリルとクロエの二人だけとなっていた。
「クロエ、悪いけど先にこいつらを解体しといて。ボクはちょっと調べることがあるから」
「分かりました。でも、五分以内には戻ってきてくださいよ。素早くやらないとまた野生の獣がやってきてしまいます」
「りょーかい」
セリルは瞬時に加速し、森の斜面を駆けあがっていく。僅かな灰狼の痕跡から進路を予測し、辿っていく。三十秒ほど進んだ暗い木陰で目的のものを見つけた。真っ赤に染まった地面と人の死体だったであろうものだ。食い荒らされているせいか原型はなく、辛うじて判別できるのは左手くらいだろう。
セリルはその左手を拾い上げるとポケットにしまっていた麻袋に入れた。そして、クロエのもとへと戻っていく。二十秒ほど駆けるとクロエの姿が見えてきた。丁寧に血を抜き、皮を剝いでるようだ。しかしその作業スピードは凄まじく既に三分の一の解体が終わっている。
「相変わらず優秀だね」
「お世辞は結構です。何か見つかりましたか?」
手を止めることなく、クロエは問うてくる。セリルも腰のナイフを灰狼の死体へと入れながら口を動かす。
「誰かの手があった。コトノハの話から考えるとマーセルのものかもしれない」
「それ、どうする気ですか?」
「埋葬するよ。これが誰であっても弔うためにね」
予想外の返答だったのか視界の端に映るクロエの動きが一瞬止まる。そこまで奇抜のことを言った覚えはないんだけど。
「意外でした。殺しを是とする協会の人間——その中でも特に血なまぐさい『空』の先生が死人を悼むなんて」
その言葉に心外だと言わんばかりに大げさに肩をすくめて見せる。道化じみた態度のせいかすぐに視線を外される。
「殺しをするのと死人を丁重に扱うことは矛盾しないよ。まあ、協会は埋葬を一つの事業としてしか見てないかもしれない。だけど少なくともボクは亡くなった人を弔う行為は必要な行為だと思ってるから」
一年ほど一緒にいるのに話せば話すほど目を丸くするクロエ。その様子にセリルは憤慨する。
「まったく……。ボクが無駄な殺生をしない人間だってことくらい伝わってると思ってたよ。今まさにその証拠を築いてるところだし」
セリルは最後の灰狼の解体を終え、クロエと共に持って来ていた麻袋に肉と皮を別々に詰める。一つずつ袋を背負いながら二人は素早く下山し始める。
「……すみませんでした。確かに思い返せば驚くこともなかったかもしれないです」
「そうでしょ! 君もまだまだ観察力不足だね」
セリルの嘲笑うような歪な表情にクロエは露骨に顔を顰める。そんな彼女の反応に満足したのか下る足取りはほんの少し早まる。
「ですが、それなら一つ疑問があります」
セリルは振り返ることなく「なんだい?」と答え、質問を促した。
「先ほど先生は『暗殺者は心を殺せ』と言ってますよね? その先生自身が心に従っているのは違和感があるのですが」
セリルは口癖のようにその言葉を生徒たちに教えてきた。これは暗殺協会の理念である『透明な殺意に至れ』から自分なりにアレンジを加えた言葉だ。
協会はおそらく一切の邪念を排除した純粋な暗殺者を作りたいのだろう。しかし、セリルは違う。感情も葛藤も矛盾も抱えつつも全ての物事を天秤にかけ、目的を遂行できる暗殺者を作りたいと考えている。誰かに命令されるまま誰でも殺す者ではなく、自らの意思によって誰であっても殺せる者こそ真の暗殺者であるとセリルは信じているのだ。
この方針をクロエに伝えることは簡単だが……。セリルは数秒だけ思案するが答えを決め、口を開く。
「それ答えを考えるのも試験の一つってことにしようか。答えは合格した後に教えるよ。だから……最後まで生き残ってね」
「当たり前です。マーセルの仇を見つけ出して笑顔でここを去って見せますよ」
ほんの少しだけ自信を滲ませた声を聴き、思わず口角があがる。背後のクロエの表情は見えないが彼女も笑っていることだろう。
そんな和やかな雰囲気のまま二人は山を下って行った。
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