本日の尊厳凌辱

 壁に開いた穴から再び社長室に戻り、合体、或いは融合か、それとも憑依と呼ぶべき状態を解除する。体から抜けて行く感触と共に自分の姿がもとに戻り、光が凝固して天使の姿が出現する。迷わず此方に飛びつこうとする姿をキャッチして、そのまま奥の方に居るサキへと投げる。


 まあ、キャッチできるだろう。


 きゃあ、という悲鳴を無視しながら足を組んで座るジェイムズ社長の前に立つ。


「よう、社長。これでもう手札は切らしたか?」


「驚く事にな。まさか君が特級を2人同時に相手してそれを乗り越えるとは思いもしなかった……私の予想では最終的に君の母君が出てくるか、或いは頼るかでこの状況を乗り越えるものだと思っていたのだが……それが奥の手だと予想してたのだが、どうかな?」


「さあ? 攻略する根拠もなく突撃してきた馬鹿野郎なだけかもしれないぜ?」


「冗談はよしてくれ。無根拠な自信に負けたという評価を受けたくはないんだ」


「流石にここまで来ると負けを認めるか」


 ははは、と互いに見やって笑い合うと、横にアリスのメッセージを表示するホロウィンドウが出現した。


『いや、騙されないで兄貴。ソイツ今裏で全力で各支部の戦闘員をそっちに差し向けようとしてるから。こっちから信号を全部カットしてるから1個も届いてないけど。滅茶苦茶涼しい顔をして噛みつく気満々だよ』


「……」


「……」


 ははは、と笑って互いを見る。ジェイムズ社長、ここまで来てまるで諦める気配なし。戦力を全て潰された上でこのリアクションなのだから本当に企業のトップというもんは生き汚いものだ。笑い声を零しているがたぶん、俺の表情はやや引き攣っていると思う。


「私は一人の企業の長として、守るべき社員と業務がある。ならば最後まで足掻くのは当然だろう? 私は利益を追求する為に出来る事を全てする。それが現代における企業の在り方だ」


「たとえ、それが他人の人生を踏みにじろうとも?」


「当然だ。私が守れるのは己の身と、そして己の会社だけだ。当社で働く社員も……そうだな、全てを守るとは言えないが、可能な限り配慮しているとは言おう。別段、不思議な事ではあるまい? 今の世の中、純粋な善人の方が珍しい。他人の為に戦える者がどれほどいるというのだ」


「……まあ、確かに」


 人は強くなった。ダンジョンが出現して、モンスターが出現して、戦う事が日常になった事で人は強くなってしまった。その結果、暴力は日常の一部になった。場合によっては地上に這い出たモンスターと遭遇するから街中で戦う事だってある。


 そうじゃなくても犯罪者や粗暴な探索者によって地上は荒れやすくなっている。治安の問題に対する解決は自己防衛だという結論は既に出ている。今の世の中、ある程度の治安が留められているのは企業と国家による努力があるからだ。それでも暴力は尽きない。


 だってその全てを取り締まる力が法にはもうない。


 だから企業という暴力は今、頂点に立っている。


 インフレしすぎた強さの前では、法は意味を成さない。戦車を素手で粉砕する時代で、ミサイルを片手で受け止める時代だ。旧式の戦闘平気では平和を守る事は出来なくなってしまった。そして軍が入手できるような強化手段を、一般人が手に入れる事が出来てしまえる。


 国という頂点が保っていたバランスは崩れてもう二度と元には戻らない。


「でもそういうの、諦めたら獣と同じだから」


「矜持がある、と?」


「そういうこと。その過程でまあ、適度にぶっ殺したりする事もあるけど……それに関してはもう、どうしようもない世の中だよ。殺したくない、殺せないようにする……と言っても無駄だって事は解ってるし。だったらせめて、何の為に暴力を振るうのかはちゃんと考えておかないとね」


 まあ、と続ける。


「金とかの為よりも、美少女の為に戦った方が満足感は強いよ」


「まあ、もはや私が個人の主義主張に対して明確な意見を言える立場ではないが……君のそれは破滅的な思考だと評させて貰おう。少なくとも今の時代、君の園生き方は明確なミスマッチだ。死ぬ前に己を改める事を推奨する。最も……」


 ジェイムズ社長の視線がサキに首根っこを掴まれている天使へと向けられる。


「今の君には可能なのかもしれないが」


 天使の力、その一端を見てしまった。感じてしまった。使ってしまった。彼女が世界を変える存在だとそのせいで確信できてしまった。あの戦闘を見た人は果たして恐れるのか、求めるのか、それとも逃げるのか……あそこまで圧倒的な力を発揮した手前、様子見に入るだろうとは思うが。


「さて」


 そう言って社長が腕を広げた。


「どうするかね、灰谷シュウ? 私を殺すか? 別に構わんよ。私が死んだところで次の個体が稼働するだけだ。その次も殺すかね? 世いだろう、その次が起きよう。君は一体私のクローンを何人殺せるかな? 不毛なイタチごっこを続けられるかな? 楽しみだよ」


 挑発的な笑みを浮かべたジェイムズは余裕たっぷりに足を組みなおして座り、此方を見上げるように見続けている。この野郎、事前にクローンを作って保険を用意していたからと余裕の表情だ。だが俺も、何も無策という訳ではない。


『お、イキるねぇ、社長さん。じゃあそんな社長さんにご報告しちゃいましょー。これなぁーんだ』


 そう言ってジェイムズ社長の前に日本地図が出現する。そこに光点で何か所かマーキングされる。


「何かねコレは? いや、待て、これはまさか―――」


『ぴんぽんぴんぽーん、正解でーす。思ったっとおり、社長さんのクローンの保管場所だよ。いやあ、クローンって所有に関する法があって半年以上の所有が禁止されてるんだよねぇ。アンタの半年間の行動記録と通信記録洗うのは苦労したよ』


「……この短時間で、調べ上げたのか……?」


 化け物を見る様な視線が社長からホロウィンドウへと向けられ、ホロウィンドウが全て閉じて消える。残されたのは余裕が今の一瞬で消え去ったジェイムズ社長の姿だけだった。自分のクローンが今ので全滅したという事実をしっかりと理解したのだろう。


「流石マイ・ラブリー・シスター」


『じゃ、後は任せたよ』


 サムズアップを送りさて、と声を零す。視線が向かう先は当然最後の生身となったジェイムズ社長へ。俺の視線を受け、社長は顔を軽く伏せると長い溜息を吐いた。


「ふぅ―――成程。確かに過小評価していた。君たちは君たちだけで企業と戦うだけの戦力を有している。それを認めよう」


 そう言うと社長は立ち上がり、ネクタイを緩めながら上着を脱ぎ捨てた。俺もそれに合わせ、ストレージから最終兵器を取り出す。とある、禁断の薬が装填されたポーションインジェクターを手に持った。


「子供と侮ったのは私のようだった」


「いや、社長さんは悪くなかったよ。俺は運に助けられた部分があったよ。でも結果として俺が正しかった、今の世の中そういうものだろ」


「成程」


 ベルトを引き抜くとそれをバンテージ代わりにジェイムズ社長が拳に巻いた。数歩下がるとジェイムズ社長は腕を軽く回し、それからファイティングポーズを取った。


「だが、私も1企業の社長! 愛しき社員と我が社を守る為には、例え戦う力がなくとも抗うのみ……!」


「完全敗北を悟って露骨な印象調整に入ったなコイツ」


 急に愛に目覚めた企業の社長はシャドーボクシングを開始するが、まあ、見て解るレベルで弱い。弱いというか雑魚だ。体に対する強化処置を何一つ施していない雑魚・オブ・雑魚だ。初級ダンジョンでさえ戦う事の出来ない雑魚王レベルの雑魚の動きだった。


 なんか一気に悲しくなってきたな。


 数分前まで天地の方向を切り替えてまで殴り合ってたのに。


「所で灰谷シュウ」


「はい」


「君のその手にあるのは?」


 社長に聞かれ、すぅ……と手の中にあるインジェクターを持ち上げる。


「俺の知り合いにはポーション中毒者ジャンキーがいまして」


「うむ」


「四六時中ポーションキメてないと頭痛を起こすレベルの中毒者で」


「成程、将来が不安だね?」


「で、市販品をキメてるだけじゃついに満足できなくなった影響で自分でポーションをカクテルしたり1から作成するようになってしまった……」


「流れが変わったわね?」


 サキの言葉に頷く。


「奴はついに、最強のレシピを発見してしまった。1発キメたらもう2度と元の生活には戻れない、キメた本人でさえキメた後には1か月間廃人になってしまうほどのヤバいブツだ」


 ごくり、と唾を社長が飲み込んだ。その間にオチに備えてサキが静かに天使の両目を塞いだ。


「……そして、それは」


 ジェイムズ社長の言葉に、数秒間を作ってから答える。


「―――感度を3000倍にするポーション……!」


「うおおおおおおおお―――!」


 必死の形相で殴りかかってくる社長。1歩横に動いて避ける俺。がら空きになる社長の首筋。


「ぶしゅっとな」


「あっ」


 ポーションが社長の首筋に注入され、エビ反りになりながら崩れ落ちる社長が人のものとは思えないシャウトを天に向かって吠え始めた所で笑顔で撮影用ドローンに手を振る。


「お疲れさまでした!」


 勝ったぜ!

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