灰色の天使

 矜持。


 それは人が人である事を形作るもの。


 矜持なき強さは暴力でしかない。


 信念とも呼べるそれは……人から外れ、怪物とならない為の軛だと思う。


 今の世界を見ろ。果たしてどれだけの人が明確な矜持や信念をもって戦えている? どれだけの人間が価値のある強さを手にして戦えている? 果たしてどれだけの企業が意味のある成長をしている?


 人類の為、発展の為、それが世界の為……本当か? 本当にそんな事を想っているのか? それはうわべの言葉ばかりじゃないか? 結局企業は利益を追求する事しかしてない。誰かを掬おうだなんて欠片も考えていない。本当の意味で人の為に戦う企業なんてない。


 同様に、誰かの為に命を懸けて戦える人間はもう、希少だ。


 母を見て思う―――俺はあんな風にだけは絶対にならないと。


 己の思うがままに振る舞い、生きる姿。そこに憧れを抱かないと言えば嘘になる。だが同時に、それが生み出す被害を一番近くで見てきたから知っている。アレで幸せになれるのは自分1人だけなのだと。だから俺はアレのようにはならない。


 強くなって、否定してやる。お前の強さは間違っているのだと。


 だがそういう矜持や覚悟、信念でさえ、金や本当の力の前では無力でしかない。現実を見れば解る。どれだけ格好つけても上回る方法は存在する。どれだけ頑張ろうと無駄な時はある。どれだけ強くてもそれが意味を成さない場合がある。


 敵対すべきではなかったな。お前は破滅する。


 解っている。それでも格好つけて生きる以外の道が許されない。それはこの世で最強の一角とされる母の息子として生まれて来てしまったが故の業だ。そして俺もそう自分を肯定している。


 だから勝つつもりで戦うし、負けるつもりは一切ない。


 それでも現実という生き物はサディストだ。相手にとっての最善で殴りかかってくる事がある。


「余裕を持って勝てるつもりだったのかな? それとも……何か策があるのかな? 何にせよ、君がこれ以上この価値を示す事が出来ないのであればそれで終わりだ。タイム・イズ・マニー

そろそろ無駄な時間を終わらせようか」


 言葉と共に影に隠れていた姿が見えるようになった。


 新たに出現した特級探索者は……女だった。


 黒のスラックスにへそと胸元を晒した赤いシャツ、ボディラインを惜しげもなく晒す姿は自分の体に自信があるからだろうか。けだるげな赤毛の女は軽く髪を軽く後ろへと流すと、それに合わせて髪を炎が撫でるように走った。口元に煙草を咥えると指先で炎を付ける。


「よう、灰色……暴君いないんだって? 保護者がいないのに暴れちゃ駄目じゃないか。それとも何? 親にコンプレックス抱いてる系? ……まあ、抱くか」


「答え出てるじゃん」


 ストレージから新しい刀を抜く。同時に枝で突き刺した拳鬼を横へと弾き飛ばし、取り出した無数の剣で残心を貫き直す……多少時間は稼げそうだが、増える時間はせいぜい数分程度だろう。あの男が徐々に復帰可能な領域にまで戻ってきているのは見えている。


 万事休すか。


 鞘から刀を抜けば刀身が露に濡れる。


「ふぅ―――やる気満々って奴だなぁ……。めんどくさいしギブアップしてくれない? 雑魚って呼ぶには倒すのにそこそこ苦労しそうだし、単純にお前の相手するの面倒そうなんだよね」


「炎タイプでいてくれてありがとう。まだ何とかなりそう」


 火除けの指輪を5個取り出して指に嵌める。此方のリアクションに対してへぇ、と声を零すと好戦的な視線が向けられる。探索者で、それも特級なんだ。コイツもきっと、戦う事が大好きみたいな人間だ。そう、見た目に騙されてはいけない。どいつもこいつも化け物だ。


 鞘を投げ捨て斬撃―――水流そのものが斬撃となって襲い掛かる。


 同時に炎の斬撃。炎と水が食らい合いながら互いを消し去り―――炎の勢いが勝る。追撃に3連線を繰り出して炎を消し去るも、相手は指をピストルのように構えている。


「Bang」


 横を炎が抜ける感覚。一瞬だけ横を抜けた炎がそのままビルを貫通して外へと抜けて行った……僅かな焦げ目を俺の頬に遺して。


「諦めなよ坊ちゃん。力不足だ。いや、別に雑魚って貶してる訳じゃないよ。その歳にしちゃ本当に大健闘だ。でもまだ、若い。まだ弱い。こっち側に踏み込むにはね」


「……」


 それでもだ。


「抗う事を止めてはならない」


 武器を消して無手になる。短剣を取り出す―――奥の手。ここまで使う事無く隠していた手を取り出し、深呼吸をする。逆手にそれを握って持ち上げた所で、


「あ、天使さん!」


 サキの天使を呼ぶ声に動きが止まった。振り上げた手を天使が掴み、そしてゆっくりと下ろす。


「駄目です」


「……」


「灰色さんは凄く良い人です。でもめんどくさい人だと思います。助けて欲しいなら素直にそう言うべきだと思います」


 天使に握られた手は全く動きそうにない。無理矢理にでも使わせようとしてくれない天使に、溜息を吐く。


「天使……俺は君が思っているほど良い人じゃないよ。俺が戦うのは常に自分勝手な理由だ」


「それでも、灰色さんは良い人です。だってそれはきっと、誰かの為になるんですから。だから私も、そんな灰色さんの力になりたいんです」


 両手で此方の手を取る天使が視線を真っすぐ合わせてくる。衝動的な言葉ではなく、本気で心の底から力になりたいという言葉。


「炎魔」


「まあ、待ちなよボス。噂の天使ちゃんの力、自社の研究室じゃ全く見れなかったんだろ? 観察する良い機会なんじゃない? ほら、あっちもそろそろ動けるようになるし」


 黙り込むジェイムズ社長。その前に俺は……俺達は、視線を合わせて覚悟を問う。


「私も戦いたいです。一緒に」


「俺はお前を戦わせたくはない。状況が、環境が君をそういう風に追い立てたんだとしても……君はそうするべきでも、さそうさせられるべきじゃない」


 誰よりもカスみたいな親を貰った俺だからこそ、強くそう思う。この反逆が無理無茶無謀の三拍子だとしても……抗う事に意味と価値がある。そして、それに巻き込まれる無垢な君を守る事は俺自身を守る様な気がして……。


「だから一緒に戦います。私がそうしたいんです。だからそうします」


 天使が光を纏う。淡い光は粒子を生みだす。この世には存在しない新たな架空元素が今、この瞬間に生まれた。天使がそう願い、そうであるべき力の為に生み出された元素。それが天使の力となる。現実には存在しない結晶翼が現実へと顕現する。


「天使」


「灰色さんはの力になりたい。私を気にかけて、優しくしてくれる貴方の為になりたい。だから私は、貴方にとって都合の良い私になろうと思います。そういう者になりたいと願います」


 それは。


「私が抱いた願い。私は貴方の献身に報いる者になりたい」


 進化。再構築。能力の取得。適応。


 本来であればもっと早い段階で発生していたであろうそれは、抑え込まれ、蓄積し、そして変化の時を待っていた。異様な速度で学習する天使は、“別に君がそうする必要はないよ”という優しさで子供らしいままで居られた。


 だがそれを本人が今、拒否した。戦う意思を彼女自身の意思で決定した。それは流されるように変化し、適応するのではなく……彼女自身がそういう未来に進みたいという意思で決めたもの。


 広げられた結晶翼が俺達を包み込む様に閉じて行き、そして天使が両手を握って額を寄せてくる。瞬間、天使から溢れ出す光が部屋の全てを飲み込み、視界の全てを白く染め上げた。


 静寂。


 音さえも飲み込むほどの光が消え去った後で、握られていた筈の天使の温もりはもうそこにはない。それと入れ替わるように力が体内に溢れるのを感じる。高揚感すら感じるそれを精神力で抑え込み、フラットな状態へと持ち込む。


「こ、れ、は……」


「……まさか、な」


 ゆっくりと瞳を開ければ目にかかる白髪が見える。長く息を吐き捨てれば背中に動かせるものを感じ、軽く羽ばたかせる。キラキラと結晶の粒子が空を舞う。俯いていた表情を持ち上げれば伸びた髪が踊る。手を握る感触はもうないが、その代わりに直ぐ傍にいるのを感じる。


『灰色さんだけには戦わせません、だから一緒に戦います』


 手を前に伸ばし拳を作るように握りしめる―――光が割れるように散った。


「これは驚いた」


「よ、と……ふぅ、ギリギリ本番前に復活出来たみたいだな」


 べき、がき、ごき、と異音を響かせるように武器の折れる音、杭の砕ける音が響く。それと入れ替わるように拘束されていた拳鬼が完全復活を遂げる。同時に炎魔と呼ばれた女も髪に炎を纏い、口の端から炎を纏う。


「ボス。アンタ、舐めプしすぎたな」


「それだけの金は出している。結果を出したまえ」


「ちぇ……面白くない仕事だと思って受けなけりゃあ良かった」


「おいおい、正気かよ? 今滅茶苦茶面白い事になってるじゃねぇか。こういう未知や強敵求めて探索者やってんだろうが。ここで日和ったら失格だぞ、失格」


「こっちはもっと楽に……あぁ、もう、良いよ。おい、灰色。豪く白くなっちまったけどまだ大丈夫か? 正気は保ててるか?」


 その言葉に軽く手を振る。そして相手を見た。今度は本気の特級が2体同時……だがこの場における相手の戦力は恐らくこれで上限だろう。これを抜ければ後は社長を脅迫してケジメを付けさせるだけ。


『はい、やっちゃいましょう! 勝って帰ってユイに美味しいお菓子を作って貰うんです。だから一緒に……私を使って戦いましょう』


「ふぅ」


 軽く息を吐いて、全ての準備を整えた。


「じゃあ……最終ラウンドを始めようか」

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