無法vs無法

 ―――企業の交渉人との待ち合わせ場所は隣駅のカフェとなった。


 割と此方を優先してくれているようで、割とフレキシブルに対応してくるようだった。そういうこともあり、遠慮なくあまり遠くない隣駅のカフェで待ち合わせる事にした。心情的にも、今は余り遠出をしたくない気持ちが強かった。それにはしゃぎモードの天使を長々と街に連れ出すのも正直どうかと思った。


 だからなるべく近場で済ませたいという気持ちが強かったので、近くのカフェで合意が取れたのは良かった。


 平日、朝は少し過ぎた頃なので人がまばらに通りを歩く頃、カフェの人の出入りも十分にある筈なのに、驚く事に客の姿はなかった。あるのは働いている人の姿と、奥に待つような気配が1つ。どうやら先方は先に到着しているらしい。


「ここがかふぇ、という所ですか……初めてのお店屋さんです! わくわくしちゃいます」


「わくわくしちゃうかぁ、そっかぁ」


 君がそれで幸せならまあ……それでいいよ……って感じはしなくもない。この精神的に無敵な情緒幼女をどうしたら良いのかなあ、と少しだけ悩みつつカフェの前までやってくる。店員がやって来た此方に気づき、頭を下げる。


「灰色の嵐、様ですね? 奥の方でゲストがお待ちです」


「灰色の嵐……」


 天使の視線が俺に向けられる。


「そこそこ有名な探索者は通り名とか二つ名で呼ばれるようになるんだけど、俺はそれが“灰色の嵐”って訳。探索者で上の方に中~上帯の連中は名前を伏せる事があるから、その場合は大体通りなの法で呼ぶよ。俺は縮めて灰色、ってね」


「……つまり灰色さんは灰色さん、って事ですね!」


「ちゃんと本名教えてるからそっちで良いんだよ?」


「はい、灰色さん!」


 駄目みたいですね……。名前をちゃんと憶えられる事を諦めながら店員に連れられ、店内へと入る。奥の少し広めの席に、既に1人、座っていた。


 その男は白髪交じりの黒髪をオールバックで流す老人だった。来ている服装も決して交渉人が身なりを整える為のスーツではなく、過ごしやすそうな着流し姿だった。交渉という場でありながら最大限にまで“個”を主張しまくった恰好をした男は、やって来た俺を見てにやり、と笑みを浮かべた。


「来たな、灰色の嵐。お前が来るのを待ってたぜ」


 見覚えのある姿に思わず座ろうとした動きを止めてしまい、相手を指差す。


「あなた、もしや……」


 おう、と男は立ち上がって腕を組み、ばばーん、と周りでホロエフェクトを放ちながら自己主張してきた。


「この! 俺こそが! 2代目叢雲テクノロジーCEOの 叢雲凱だっっ!! だーっはっはっは! 今日は商談に着てやったぜ! ……座れよ」


 獰猛とも言える笑みを浮かべた男は対面の席を顎で指し、そんなプレッシャーを感じる事もなく先に天使が席に座った。テーブルの上を見渡すと、ホロ型のメニューが出現する。一瞬だけびくり、とした天使が浮かび上がるメニューを手に取り、目を輝かせながら絵を広げる。


「灰色さん! 凄いです! なんか、いっぱいあります! いっぱいですよ!」


「そうだね、メニューにいっぱいあるね。良かったね……」


「はい!」


 キラキラわくわくする情緒幼女天使を前に、一瞬で毒気を抜かれてしまったのか、あー、と声を零してからまあ、座れよ、と言葉が続いた。立っている意味もないので俺も遠慮なく天使の横に座らせて貰う。


「まさかCEO自ら交渉に出て来るとは思いませんでした。こういうのは専門の交渉人を用意してやるものだと思っていたんですが……」


「そんなに驚く事か? 大きな商談、外せねえ商機ってのは自分の目と耳で感じなきゃどうにもならねえ事だ。俺が注目してる事を他人に任せて納得出来ねぇ結末になったどうするんだ? 誰が責任取るんだ? 俺ぁ昔からこういう欲しい、って思ったもんは自分で尋ねる事にしてんだよ」


「心臓に悪すぎですよ」


「だっはっはっは! なら俺が出向いてる意味があるっつーことだな!」


 やられた、と思う。まさかCEOが直々に顔出ししてくるとは思いもしなかった。だがそれは同時に、叢雲テクノロジーがどれだけこの交渉を重要視しているのか、という事実を表している。少なくとも今、CEO本人が足を運んで工廠するレベルで重要視されているのだ、天使の存在は。


「灰色さん、どれが美味しいか解りますか?」


「俺が奢っちゃる、好きなのを選べ嬢ちゃん」


「え、良いんですかお爺ちゃん!?」


「おじ―――あぁ、うん、まあ、好きに選べよ……お爺ちゃん、お爺ちゃんかぁ……」


「ごめんなさい、ごめんなさいね……」


「いや、若い娘の事だから気にするな……いや、俺、そんな老けてねぇけどよ……まあ、気にしてないから……」


 明らかに気にしてる様子ではあ、と溜息を吐かれると困るんだがこっちは? いや、それよりも想像してた数倍叢雲CEOが親しみやすい性格なのが以外だった。或いはこれは外向きの仮面なのかもしれない。


「……まあ、見てりゃあ解るけど、どうやら扱いに難儀してるようだな」


「まあ、隠す意味も必要もないので言っちゃいますけど情緒が幼女並で、見る者感じる事全てに感動を覚えながら全部学習してるって感じで」


「ああ、娘が若かった頃を思い出すな。小さい子供って本当に初めて見るものには凄い興味津々であっちこっち走り回るからな……まだ成長途中って事はこの後に反抗期とかも来るかも知れねえんだろ? いやあ、苦労するぜそりゃあよお」


「反抗期とか考えたくないなぁ……!」


 まだ10代なのに娘の反抗期に関して考えなきゃならんのか俺は? 腕を組む様に引っ張ってメニューの写真にこれこれと指差してくるエネルギーの塊に対して俺は無力だ。このテンションが子育ての間ほぼずっと続くとなると俺はもう途中で力尽きるイメージしかない。


「が、その苦労を俺が取り除いてやろうじゃねえか」


 そう言って白紙の小切手―――電子ではなく、きちんとした紙のものを1枚取り出して、テーブルの上に叢雲CEOが置いた。白紙の小切手だ、そこにまだ数字は書かれてはいない。その横にペンを取り出して置いた。


「好きな数字を入れろ、灰色の嵐。嬢ちゃんを丸ごとウチに譲渡するってなら言い値で引き取るぜ。上限額は無しだ。1兆でも2兆でも好きな金額を書け……或いはその程度じゃ安いか? まあ、その程度だったら直ぐに稼ぎ直せる気もするしな」


 とんとん、と指先で小切手を叩かれた。


「どうだ、売る気はあるか?」


 向けられる瞳から圧を感じる。これまで多くの者達とやり合ってきたCEOとしての圧力が体に圧し掛かってくる―――が、母の威圧感に比べれば軽い軽い。小切手をそのまま叢雲CEOの方へと押し返す。


「結構です。彼女を不幸にするような所へと行かせるつもりはないので」


「まあ、だろうな。そう言うと思ったぜ。お前はお前の母ちゃんの様なロクデナシじゃねえからな」


 アレと血が繋がっていると思うと怖気がはしるのは何も俺の事だけではないだろう。妹も、出来たら血を全部引き抜いて親子である事を否定したい、と前にも言っていた。これは兄妹で共通する見解だ―――我が家の母は、ロクでもない人間だ。


「ま、俺もこれが通るとは思ってなかったしな……それじゃあここから本題に入るが良いか?」


 叢雲CEOの言葉に頷く。ここからがこのCEOとの交渉の本番と言える部分だろう。メニューを掲げて店員を呼び出して天使を2人で無視して交渉に入る。


「配信中に嬢ちゃんのデータを軽く流したのは良い餌だったな。お蔭でどこもかしこも嬢ちゃんに興味津々だ。無論、ウチも興味を持てた。ダンジョンから出てきた天使ってだけじゃインパクトは薄いからな……あの解析不能の翼ってのはイイ感じだな。アレのデータが取りてぇ」


 無論、と叢雲CEOは付け加える。


「アレに興味を持ったのはウチだけじゃなくて東光ディメンションもだろうなあ。間違いなく時空間と認知に対して何らかの干渉を行っている器官……面白ぇじゃねえか。解析すりゃあ何らかの新しい技術になってくれるだろうよ」


「すみません! このウルトラジャンポスペシャルグレイトサンデーバナナフルーツ昇天目がミックス盛りパフェください!」


 CEOと2人で天使のオーダーしたメニューを思わず見る。馬鹿みたいにでかいパフェの画像に2人でストップを入れる。


「待て待て天使ちゃん、それを食べる気か?」


「おい、なんでも頼んで良いつったけど、残すのは良くねぇぞ、ちゃんと食える分だけ頼めよ?」


「大丈夫です! 余裕です!! 私は強いので食べられちゃいます!」


 大丈夫か? 本当に大丈夫か? ちゃんと食べられる? 食べられるならいいけどさあ……話を戻そう。


「つまり叢雲CEO的には翼の解析を行いたい、と」


「理想で言えば手元に置いておけば独占出来るだろうよ。だけどお前はそうさせたくはねえだろ? だったら妥協点としてデータ取りの為にウチに来い。そして他社との契約はなしだ。データ取りの為にウチに来てる間は面倒を見てやっても良いぜ」


「……」


 条件が良すぎる。此方に有利な条件が揃いすぎている。ここでオーケーを出すのは余りにも簡単だが、この話の裏が気になる。


「良いぜェ、そうやって疑うのは。俺がどんな裏を抱えてこんな風に契約を纏めようとしてるのか、ちゃんと考えてみろよ?」


 にやにやと笑うCEOの前で軽く水を口に含んで喉を潤す。別に賢いタイプの人間ではないので、こういう交渉で脳味噌を使えって言われても困る。


「考えな、若人。そして苦労しな。その姿を堪能するのが年寄りの特―――」


「ウルトラジャンポスペシャルグレイトサンデーバナナフルーツ昇天目がミックス盛りパフェお持ちしました」


「わあい!」


「……」


「……」


 CEOと2人で運ばれてきた……タワー? 山? バリケード? みたいな物体を見上げる。明らかに視界を遮っているというかそういうレベルじゃなくて、テーブルの向こう側のCEOの顔が見えなくなってしまった。


「あーんむっ! んー!!」


 一口生クリームとフルーツを口の中に入れたら頬を抑えて頭をぶんぶんと振り回してくる天使が凄い幸せそうな表情をしている。反対側からCEOのおーい、って声が聞こえてくる。


「灰色さん、はい!」


「いや、あの、俺今CEOと」


「はい! ん!」


 スプーンで掬った一部を此方へと突きつけてくる。助けてCEO、とテーブルの反対側を見ようとしたが、パフェが邪魔で姿が見えない。だというのに天使は此方にスプーンを突きつけてくる。


「ん!!」


「……あ、あーん」


 口を開けるとその中にスプーンを運んで食べさせられる。恥ずかしさで顔が味がまるで頭の中に入ってこない。片手で顔を覆って何とか精神を落ち着けようとする。


「おーい、若人たちおーい。おじさんを置いていかないでくれおーい、おーい」


 おーい、という声が響く中、本当に大企業との交渉がこんなもんで良いのか? という疑問が永遠に胸の中でぐるぐるし続けた。

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