男は基本的に女に弱い
コンタクトがあった以上、応える他がない。国内を代表する大企業の内3社が一気にコンタクトを取って来たのだ。それを跳ね退けて好き勝手やるだけのパワーが今の俺にはない。となると媚びるか、妥協点を見出すしかできる事はない。そしてコンタクトは事実上の呼び出しだ。
ここでこれから、どういう動きを取るべきかが決まる。昨晩から結局一睡も出来てはいないが、休む暇はない。飯と風呂を済ませてリフレッシュだけは出来たのだ、長期でダンジョンに潜っている時よりはコンディションは良いと言える。
だからダンジョンに潜る時と同じ灰色のコートを羽織って玄関でコンバットブーツを履く。時間は此方から指定して良いとの事で、今すぐ会いに行く事にする。そうやって玄関で最低限の準備を進めていると、ひょっこりとリビングから天使が顔を出した。
「じぃー……」
じー、と口に出しながら眺めていると、ちょこちょこと近くまでやってきて、最初に履いていたサンダルに足を通し始める。
「お出かけですね!」
「いや、出かけるのは俺だけだ。君は家で大人しくしてるんだよ?」
「嫌です」
満面の笑みで拒否られた。まあ、解ってた。異様にこの小鳥は俺に引っ付いてくる。一定以上の距離を離れようとしない天使の姿に軽く溜息を零してからブーツを履き終える。立ち上がって天使と向き合うと、一緒に出掛ける気満々なのか横をすり抜けて外へと向かおうとしている。
「待て待て待て待て」
「はい」
天使を引っ張って正面にまで連れ戻す。
「良いか、天使ちゃん。これから俺は怖い人と会いに行くの。めんどくさくて、難しい話をするの。きっと天使ちゃんには退屈だし、話を聞いてもまるで解らない事ばかりを話すだろう。だから天使ちゃんが来る必要はないし、来なくてもいいんだ。というか来るな」
「成程」
天使が俺の言葉に頷いた。納得してくれた?
「だけど私は灰色さんと一緒に居たいですし、灰色さんも私といるべきです。何故なら私がそうするべきだと思ったからです!」
「そっかぁ」
『無敵かこの女?』
ホロウィンドウ越しに妹共々腕を組んだポーズで天井を見上げる。展開される理論がちょっと無敵すぎて論破出来ない。これに打ち勝つ為にはどうすれば良いのだ……! 教えてくれ! パパ上! 駄目だ、パパ上別居中だったわ。今月はもう会えないから何の役にも立たねえわ。
「良いんじゃないかしら? 連れて行っても。シュウ君としても傍にいた方が安心できるんじゃないかしら?」
玄関にやって来たエプロン姿の幼馴染が援護射撃を放ってくる。どうやら彼女は天使の味方らしい。俺は露骨にめんどくさげな表情を浮かべるも、もう、とユイが言葉を続ける。
「そんな顔をしないの。それに天使ちゃんに色々と見て聞かせるのは良い事なんじゃないの?」
「それはそう、なんだけどさあ……」
『何? 子供の教育方針でもめてる夫婦?』
一瞬同じことを考えてしまったのがちょっと嫌だ。俺、まだ所帯を持ちたくないよ。無責任な独り身のままで居たいよ。出来たら可愛くて才能のある彼女を5人ぐらい毎日とっかえひっかえする人生を送りたい。まあまあユイに刺されそうな気配あるので絶対に出来ないが。
「天使ちゃん、こっちおいで」
「うん……?」
笑顔で手招きしてくるユイに釣られるように再び家の中へと天使が戻って行く。それに合わせて奥の部屋へ、ユイが自分のものを置いてるゲストルームへと向かってしまった。妹の映るホロウィンドウと顔を合わせて首を傾げ、今のうちに逃げるかどうかを考えると、
「逃げちゃ駄目よー」
「うす」
『完全に考え読まれてる』
妹の言葉に敗北を認めて両手で降参のポーズを取る。こりゃあ少し時間かかるかもな、と思いながら玄関に置いてある椅子に腰かけながらしばらく待つ事十数分、漸く奥の方からユイと天使が戻って来た。
「あのドレスじゃ目立つからね、私の服を貸してみたの」
「どうですか、灰色さん。似合っていますか?」
全体的に明るい色でコーディネイトされた天使の姿はその快活さと清廉さを失わないように丁寧に巨匠の手によってコーディネイトされていた。動きやすさを重視した膝丈のスカート辺り、天使がはしゃぎまわる事を想定しているのが良く解る。
「おう、似合ってるぞ。ユイもありがとうな。こういうの、俺じゃ全く分からないから」
「良いわよ、シュウ君には普段からお世話になってるんだから」
「ふっふーん」
お着換えを完了した天使は上機嫌にくるり、とスカートや服の裾を広げる様に体を回し、楽しそうにお着換えした自分の姿を堪能している。流石にこの姿を見ていると家に残っていろ、とは言えない。敗北を知らせる溜息を最後に1回だけ零すとふふ、とユイが笑う。
「シュウ君、顔が良くて才能のある女の子好きだもんね。天使ちゃんもストライクゾーンよ」
「幼馴染の地獄みたいな性癖を急にバラすの止めてくれない? 俺なんか悪い事した?」
にこり、と微笑む幼馴染の存在が怖すぎる。さては何か良く解らん事で怒らせたな? 悪化する前にさっさと出てしまうのが吉か。天使に靴を履かせたら手を取りさっさと家を出てしまう。
行ってきます。
―――流石に着替えてドレス姿じゃなくなっても、元々の素材が良すぎる。綺麗な白髪と合わせて存在感は一般人のそれとはまるで違う。
腕に引っ付く様に歩く天使に対して、灰色のコートの姿ではまるで釣り合わないようには感じるも、近づいてくるような人間や干渉してくる様なものはない。というのも歩いている間は軽く周囲を威圧して人を避けているのが原因だ。
それでも歩いていれば当然カメラは向けられる。恐らくはSNSでは目撃情報が巡っているところだろう。こういう事ならやはり家に置いて来れば良かったかもしれない。そう後悔するには少々遅すぎるだろう。
だからここはデートを楽しんでるのだと思って腕を組んだまま一緒に歩く。
家に帰る時は眠っている間に運んで帰ってしまったため何も見れなかったが、今度は違う。歩きながら天使の目に初めて見る世界が映る。車、猫、子供、カップル、犬、電信柱、AR広告、路地裏、ビル、信号機。見るもの全てが新しいものに天使の視線があっちこっちへと巡るのが止まらない。
「灰色さん灰色さん! アレはなんですか! アレ!」
「回転するベッドとかが置いてある休憩場所だよ。疲れていない僕らには無縁のものだよ」
「灰色さん灰色さん! あの人たちは何をしてるんですか!」
「アレは限られたお小遣いの中でガチャを回して敗北した敗北者達だよ」
「敗北者さん……成程!」
余計な事まで教えている気がする。だけど何もかもが新しい天使にとっては小さな発見でさえ大きな衝撃として襲い掛かってくる。過ぎ去って行く車を眺めると小走りで追いかけようとするので、腰に手を回して逃げ出さないように引きずり戻す。これがまた地味に力が強いから苦労する。
それから腕を組みなおすと機嫌良さげに歩き出す。
「灰色さん、世界は知らない事がたくさん溢れていますね」
「そうだな。人生とは未知を既知に塗り替える作業だって話をどっかで聞いたな。生きている限りずっと見た事のない何かを見た事のある何かするんだって。そしてその見た事がある何かに安心感を覚えるって事も」
でも、
「同時に既知って退屈なんだよね」
「退屈ですか?」
「そう、知ってる事ばかりの日常って安心するけど退屈なんだよな」
知っている道。知っている毎日。同じ事の繰り返し―――それにどうしても安心する人間と、変化が欲しいって人間は出てくる。天使を見ていれば解る、彼女は未知に喜びを感じるタイプだ。そして俺もそうだ。同じ事の繰り返しばかりに耐えきれないからダンジョンに潜っている。
もっと刺激が、もっと挑戦が、もっと限界のその先が―――地獄を超えたものが見たい。苦しんだ先の果てに待つ末路を知りたい。そういう欲望が胸の中に渦巻いている。
「天使ちゃんも、今は色々と見て回るのが楽しいでしょ?」
「はい、凄く凄く楽しいです」
「そういうもんだよ。それが亡くなっちゃう人生ってのは退屈だろう?」
「成程」
天使は頷きながら見上げる様に視線を合わせると、にへら、と笑みを作った。
「ですが、私は灰色さんと一緒なら毎日一緒でも大丈夫ですよ!」
「……そうか」
周りから凄いひそひそ声が聞こえてくる。いや、内容を精査する必要なんてない。大体言っている事は理解できる。理解できるけど聞こえなかったフリをしていてくれ、頼む。俺は今、死ぬほど恥ずかしい思いをしている。
「あ、灰色さん、歩くのを早くしてどうしたんですか?」
「早歩きしたくなったのッッ……!」
そういう事にしておいてくれ。
少し強めに、その場から逃げる様に天使を引っ張って企業の交渉人との待ち合わせ場所へと向かった。憂鬱な事の筈なのに、何故だか少しだけ頬が熱い気がする。
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