未知に対する喜び

 超整った。


 朝飯を食べて朝風呂に入って楽な服に着替えれば大分心が楽になる。ダンジョンで戦うのには慣れているし、対人戦も経験している。だがそれはそれとして、企業との抗争の経験なんてものはない。家に帰って一息つくとだいぶ心が楽になるのを実感する。


 なんだかんだで、ずっと緊張してたのかもしれない。考えてみれば昨日のダンジョン突入からずっとどうやってユウキを無事に帰すか、という事ばかり考えて行動していた。ある意味疲れるのは当然の事だったのかもしれない。こういう事には正直不慣れなのだ。


 ―――弱音、終わり。弱音を吐いた所で企業の連中は待っていてくれない。


 リビングでソファに沈み込みながらリラックスしていると、ユイがマグカップにホットミルクを入れて持ってきてくれた。


「はい、どうぞ。寝なくて大丈夫なの?」


「色々と考える事があってちょっと眠れないかな。流石に連中もこっちの動きを様子見したいだろうからしばらくの間は襲撃してこないとは思うし。軽く考えを纏めたら1回寝るよ」


「そう、シュウ君がちゃんと寝るというのなら文句はありません」


「寝ないと言ったら?」


 ん-、と唇に指をあてて軽く首を傾げ、


「添い寝しちゃう?」


「勘弁してくれ」


 一部大きく育ってしまった幼馴染のものを見て、そんなものをぶら下げて添い寝なんてされた日には眠れるわけがないだろうと叫びたかった。まあ、当然紳士なのでちらり、と見て脳内で叫ぶのに留める。親しき中にも礼儀あり、ゆるふわ系無防備幼馴染に感謝あり。ありがとうございます。


「ふぅ―――」


 息を吐き出してから沈み込む様にマグカップに口を付ける。家の中は誰にとってもある種の聖域だ、自然とガードが下りてしまう。とてもじゃないがこんな姿、配信では見せられない……なんて事を考えてしまう。


「よ、っと」


 横にユイが座り込み、静かな朝を過ごす。妹はあまり部屋から出て来ない為、ここには俺とユイの2人しかいない。ずずず、とマグカップに口を付けてホットミルクを飲んで頭の回転を助ける。


「それで、シュウ君」


「ん?」


「大丈夫?」


 心配する様な声色にあー、と声を零し、


「ちょっと大丈夫じゃない、かな」


 まあ、本音で答える。


「まさかこんな事になるとは思わなかった。敵は大きいし、先行きが良く見えない。明確に勝ちって言えるラインが見づらいし、負け筋が多すぎる。相手がなりふり構わずに来たらそれこそどうしようもないしな。ほんと、どうしてこうなったんだか……」


 滑る言葉をマグカップを口に付けて黙らせる。余計な事まで口走ってしまいそうなのは、本音を口にしても大丈夫だと思える相手だからだ。ユイも、特に相槌を打つ事なく此方の言葉に静かに耳を傾けてくれている。


「厄日だよ、全く。普段やらない事をやるべきじゃなかったよ。配信マジで邪悪だよアレ。映したくもない事が勝手に配信されて全国に流れてるじゃん。たぶん宝箱に天使を配置した奴も秒で世界に存在が発信されるとか想定してねぇよあんなの」


 もし彼女が配信されずに発見されたらまあ……こんな事にはならなかっただろう。


 どうして配信中に発見されたんですか!?


「でも、面倒見るんでしょ?」


「ここで見捨てたら、男として最悪だろ」


 だから、まあ、面倒を見る。それが出来るのがきっと俺だけだから。ホロウィンドウを浮かべて、コンタクトの取れそうな知り合いには既に連絡を入れている。後は誰が力になってくれるか、という所か。高位の探索者はほぼ必ずどこぞの企業の紐付きかスポンサーを受けている。


 そうしなければダンジョンを潜る上での資金の確保が難しいからだ。高位のダンジョンであればあるほど深く、そして凶悪なモンスターが待っている。その活動資金を個人で賄うというのは少々無茶に近い。


 だから知り合いを頼ろうとすると、どうしても企業の影響力が出てくる。かといって中級探索者のコネを当たっても、対した戦力にはならない。じゃあ、どうすりゃあ良いんだという話だ。出来る事、考えられる事は限られている。それでも出来る事を成し遂げるのが男という生き物だ。


「ま、程々に頑張るよ。程々に」


「程々に?」


「程々に」


 ずずずず、とマグカップの中身を飲みほした所で、横から囁くようにユイが声を零す。


「嘘つき」


 ちょっと背筋がぞくっとした。そういうの良くないと思うよ? 俺がもうちょっと若かったら性癖は捻じれるタイプの囁きだったよ。そういうの本当に良くないと思う。天然なの? それとも計算してやってるの? どちらにしても良くないと思うよ? 主に俺の情緒が良くない事になってるから。


「きゃんきゃんっ!」


「お、アルバート卿じゃーん。もしかして今まで眠ってた?」


 リビングに響く可愛らしい鳴き声にマグカップを置いて見れば、廊下から覗き込んでくるチワワの姿が見える―――そう、我が家の愛犬、アルバート卿である。母によるネグレクトを受けた結果狩猟に覚醒し、ダンジョンに放り込まれて自力で帰還してきた凄い奴である。


「ただいまーアルバート卿ー」


「きゃ―――んがるるるるるぅ! がう! ぎゃっぐぅぅ!」


「はっはっはっは」


 飛びついてきたアルバート卿がそのまま首筋に食らいついてくると、ソファの上から引きずり下ろすように俺の体を引っ張り、そのまま床の上で俺を振り回してくる。


「はっはっは、アルバート卿は今日も元気だなぁ。よーしよしよし、俺以外に絶対こんな事しちゃ駄目だぞぉ、千切れちゃうからなあ」


「ストックされてる骨も全部噛み砕いてたから手ごろに噛みつけるものが欲しかったのかもね」


「成程なぁ」


 それで飼い主に噛みつくか普通? いや、我が家は決して普通じゃないんで別に普通である事を求めてはいないのですが。今度はもうちょっと上位のモンスターの骨を仕入れて常備しておくか、俺も毎度毎度骨代わりに齧られるのは割と辛いものがある。


 と、愛犬との触れ合いを楽しんでいるとどたどたと響く足音が家の中に響く。リビングを覗き込むのは白い髪の姿。


「あ! 灰色さんいました!」


「きゃんっ」


 天使がリビングからやってくると満足したと言わんばかりに飼い主を投げ捨てる。フローリングを滑ってそのまま天使の足元までやってくる。転がったまま天使を見上げる。


「良く眠れた?」


「はい!」


「それは良かった」


 よっこらしょ、と起き上がりながらぱっぱと体を軽く払って首を回し、ユイに軽く会釈する。言葉もなく此方の伝えたいことを察してくれた幼馴染がキッチンの方へと向かう。


「天使ちゃん、で良いのかしら?」


「はい、天使です。名前は思い出せません! よろしくおねがいします!」


「ふふ、元気で良いね。私はユイ、久我ユイ、よ。よろしくね天使ちゃん」


 にこり、と笑みを残してユイがキッチンへと向かう。その姿を天使が興味深げに追いかけて行く。キッチンへと向かう2人の背中姿を眺めていると、横にホロウィンドウが出現した。


『なんか5歳児眺めてる感じ』


「知能テストはそれぐらいだったよ。でも多分凄い勢いで何もかも覚えてるよ。あの子、1度教えられた事は絶対に忘れないし間違えもしないみたいだったから」


『マ? ヤバ』


 ホロウィンドウ越しに話しかけてくる妹は断固として部屋から出ようとしないので、これが家の中でも基本的な会話スタイルだったりする。それはともあれ、今はまだ幼さが目立つ天使の行動と言動だが、この先色々と教えればそれだけ成長してくれるように思える。


 或いは。


「―――最初から何も入ってなくて、拾った人の色に染めて行くものなのかもな」


『お、光源氏計画かな?』


「真面目な話だよ。宝箱から出てきた事には報酬以上の意味がある……ってのは誰もが納得できる見解なんじゃないか?」


『うーん、まあ、世論を見る限り“自称有識者”達は現れたのはダンジョンの意志だとか、これから新たな変化が訪れるとか、これは神の意志であるとか……なんか色々と言っているね。実際の所、兄貴はどう思ってるの? 天使の事』


「どうだろう……」


 測りかねている、というのが本音だ。何かを期待するには情緒が幼過ぎる。だとすれば必然的に、幼い身に何を教えるのか、どう成長させるかが鍵のようにも思えてくる。だがそう推測するのは他に何も考えつかないからだ。情報が圧倒的に足りない。


 これで彼女が多少何か知っていれば、また話は別なのかもしれないが。


『ま、そんなもんか。そうそう、兄貴。面会したいって企業の交渉人から連絡来たよ。流石にママの家に突撃してくる勇気まではなかったみたい』


「まあ、母さんを怒らせる事は大体死を意味するからな……」


 まあ、《暴君》の名で暴れ回ったあの化け物を敵に回したいと思う奴はそうはいないだろう。俺もだいぶ思い出す事は嫌な思い出ばかりだ。


「きゃんっ!」


「なんだ、アルバート卿。あんま母さんの悪口は言うべきじゃないって?」


「きゃんっ!」


「そうは言ってもな、俺もお前も母さんの無茶ぶりに困らされたクチだろ」


「わうぅぅ……」


 論破されたアルバート卿が前足で顔を覆った。表現豊かなチワワだよ、ほんとに。


「灰色さん灰色さん! 見てください! 凄くふわふわです! 甘い匂いがします! とても美味しそうです! 灰色さん!」


「そしてー……これにクリームをかけちゃいます」


「お、おおおお……!」


 憂鬱な話も、ああやって瞳を輝かせてパンケーキの皿を掲げる天使の姿を見ていると、簡単に吹き飛んで行ってしまう。この後でまた多少憂鬱な話に戻らなくてはならないが、しばらくはパンケーキに目を輝かせる女児でも眺めて癒されるか。

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