好きです!

「はぁー……生き返った。いやあ、汗で気持ち悪かったしシャワー浴びれて良かったわ。支部にシャワー室なんてあったんだなぁ」


「近場のダンジョンを利用する分には家に帰るだけで良いからな、使う機会はあんまないよ。遠い所から来ると泊まり込んだりするからちょくちょくお世話になるけど。ここら辺はホテルも多いし利用者は少ないんじゃないかなあ」


 話の前に支部のシャワー室を借りて汗を流しさっぱり。戦った結果それなりに体が汚れているし、天使も宝箱の中にいたのだ、軽く流すべきだろう。という訳で軽いリフレッシュタイムが挟まった。その方が頭も回る。


 とはいえ、さっと汗を流してそれだけで終わりだ。色々と問題を抱えている為、長々とは使いたくなく、さっさと汗を流したらその足で応接室へと入った。


 そこでしばらく身内へとメッセージを送って連絡を取り合っている間にシャワーを終えたユウキが戻って来た。天使の姿はまだない―――が、マーカーを付けて居場所は追っている。少しでも妙な事があれば壁をぶち抜いて追いかける所存だ……まあ、新宿支部は“白”だ。


 探索者協会のトップは知ってるし、手を出しては来ないだろうから信用できる。だからとりあえず、今は安全だ。様子を見つつ、これからどうするのかを考えなくてはならない。目頭を揉みながら頭を痛ませていると、近くまでやって来たユウキが首を傾げてる。


「シュウ、大丈夫?」


「後の事を考えたらちょっと頭が痛いだけ」


「あぁ、まあ、いきなり女の子だもんな。あの子、この先どうするんだろうなぁ」


 暢気にそんな事を言うユウキは恐らく、事の重大さを理解していない。その暢気さが羨ましくて溜息が出てしまうが、まあ、これは仕方のない事だろう。そう思っていると扉が開き、結晶の様な光翼を背負った少女が応接室にやって来た。


「灰色さん!」


「うおっと」


 部屋に入るなり一直線にこっちにやってくると、飛び込んでくる。飛び込んでくる姿を受け止めると楽しそうに笑いながら直ぐ横に座って落ち着く。ぴたりと、と体を寄せて座ってくる距離感のなさが凄い。


「ふんふんふふん」


 鼻歌を浮かべながら俺の片腕を取ると、そのまま色々と挟みこむ様に抱き着いてくる。俺はもう、ぴくりとも体を動かせない状態になってしまった。なんか挟まれてる腕が滅茶苦茶柔らかい感触するし、良い匂いもする。


 ゆっくりと、助けを求めてユウキに視線を向ければ、サムズアップを向けられた。


「よ、色男。モテるな」


「こいつ、他人事だと思って」


「はーっはっはっは、あの灰色がこんなにも女一人にぐちゃぐちゃにされてるとは中々面白いもんが見ちまったな。よう、遅れたな。色々と雑務を処理しなくちゃいけなくってな」


「あ、お疲れ様っす」


 支部長が部屋に入ってくる。それに合わせてユウキが頭を下げて天使とは反対側に座り、支部長が軽く手を振ってから正面、テーブルを挟んで座り込む。ださり、と見た目以上の重量を感じさせるソファの軋みに体を部分的にサイバネ化させている事を感じさせる。


 腰を落ち着けた支部長はふぅ、と息を吐いた。


「さて、灰色とは割と顔を合わせているが……そっちの坊主と、天使の嬢ちゃんとは初対面だから自己紹介しておくぜ。ここ、旧新宿駅迷宮を管理している探索者協会の支部長のヨシザワだ」


「う、うす! ユウキです、配信者なんかやってます。宜しくお願いします」


「宜しくお願いします!」


 名前が思い出せない―――或いは存在しない天使だけすっきりとした自己紹介だったが、元気は一番籠ってた。うん、元気なのは良い事だよね。だから俺から剥がれよう? ちょっと腕を引き抜こうとしたら、もっと深く抱え込まれてしまった。助けを求めて視線を巡らせるが、ヨシザワは楽しそうに笑っている。


「いやあ、嬢ちゃんは本当に灰色の事が好きなんだな」


「好き? 好き……好き、好き? 好きー……好き……」


 好き、という言葉を口の中で何度も転がすように呟きながら繰り返し、それから視線を此方へと向けて、太陽の様な笑みを浮かべた。


「はい、大好きです!」


 静かに天井を見上げてふぅ、と息を吐いた。数秒間天井を見上げたままフリーズしていると、さて、とヨシザワが言葉を放った。


「馬鹿が動かなくなった所で話をするか。それじゃあユウキ、お前に質問するがこの嬢ちゃんの事を見てどう思う?」


 ユウキの視線が天使へと向けられる。


「この先大変そう……みたいな話じゃないんですよね……?」


 天井から視線を下ろしてヨシザワへと視線を戻せば、ヨシザワが軽くふぅ、と溜息を吐いてホロウィンドウを表示させた。


「よし―――今から授業を始める」


「放課後なのに授業とか嫌すぎる」


 項垂れる様なユウキの様子に、まあ、待て、とヨシザワが続ける。


「お前は良く解っていないだろうが、そこで好き好き大好きビームを横の男に叩き込み続けているお嬢ちゃんは今、この世界にとっての最大級の爆弾だ。お前がこれからも無事に生きて行くにはそれを良く理解しなきゃいけない。お前は巻き込まれたのではなくて、当事者だという自覚を持ってくれなきゃな」


 天使が俺をじーっと見つめる。俺はそっと視線を逸らした。この好感度の高さ、なにが原因なのか良く解らない辺りが一番怖い。


「とうじしゃ」


「そうだ、当事者だ。金を溶かしたような表情して応えるな。良いか、坊主? 良く聞け……話を始めるにはまず60年前のダンジョンの出現の話にまで遡る」


「授業でやった所だ」


 60年前、ダンジョンがこの星に出現した―――というのは、あくまでも人目につく形で、という話だ。実際の所はそれよりも前から企業達によってその存在は隠されて研究されていたらしい。60年前、史上初のスタンピード現象によってダンジョンの存在は最悪の形で露見した。


「今じゃ俺達はダンジョンという不思議な構造物と共存している様に見えるが、当時はそりゃあもう地獄だったらしい。戦う手段がない、まともに攻撃が通じない、コミュニケーションは取れない、日常的に誰かが死んでいる、助けが来ない……右も左も未知で、死の溢れる世の中だった」


 それが地球とダンジョンの歴史の始まり。企業がダンジョンを独占しようとした結果スタンピードが発生、大量の死人が出てダンジョンは露見する。その影響は国軍などにまで及び、多くの軍人が死んで経済的にも打撃があった。


 その影響で国家が弱くなり、企業が強くなった。そうやって今の世の中は作られた。企業達によるダンジョンでの実験、人を使った実験、新しい物質とテクノロジーを倫理を無視して活用する事で科学力は飛躍的に向上し、ダンジョンに対抗する事が出来るようになった。


 結果から見れば、企業達の人の心のない行いは正しかったのだ……結果だけを見れば。


 そしてそれが現代にまで続く彼らの横暴に繋がる。


「そうだ、人類はアレから進歩してきた。科学力を発展し、モンスターを解析し、そしてその力を取り入れてきた。今じゃ直接モンスターの死体を消える前に保護と運搬しなくても、殺したモンスターから抽出された概念を実体化させる事で素材を手に入れる事だって出来る。今じゃ当然の技術だがな、これだって多くの犠牲の上に成り立つ技術だ」


 人類の進捗は寿命の問題にまで手を伸ばし、部分的に解決している。肉体のクローニング、機械化、ワイヤードゴースト、半モンスター化、種の超越。もはや人類に出来ない事はないのではないか、とさえ言われる程になった。


「だがそれでも、まだ人類が解けていない難題がこの世にはある。坊主、それが何であるのか解るか?」


「ん……」


 ユウキはこれが真面目な問答である事を理解し、直ぐには答えず少しだけ考える様子を見せる。視線を正面のホロウィンドウから此方へ、それから天使へと視線を向けた。視線を受けて天使は微笑みながらも首を傾げて手を振る。それに返しながら苦笑するように手を振り、


「あ、えーと……異世界人とのコンタクト、とか?」


「んー……惜しい、って所かな」


 まあ、ニアミスだな、とヨシザワは呟いて此方へと視線を向けてくる。


「お友達に答えを示してやれよ、色男」


「止めてくれ、俺をからかわないでくれ。今の俺に余裕はないぞ」


「死ぬほど色仕掛けに弱いなコイツ……で、答えは?」


 難題。人類が挑まなければいけない事。未だに解けていない謎。それは。


「ダンジョンの起源」


「……ダンジョンの起源?」


 聞き返してくるユウキに頷いた。


 ダンジョンには多くのモンスターが出現する。コボルド、スライム、ウェアウルフ、アルラウネ、サキュバス、ドラゴン、デーモン―――果たしてこれらのモンスターは何を参考にしたのだろうか? 一体どうやってこういう風に生み出されたのか?


 確かに人類は多くの科学力を積み重ね、成長した。かつては食われるだけだった立場は今や逆転している。だがそれとは引き換えに、俺達は未だにダンジョンというものに対する理解を全くと言っていい程進めていない。


「ユウキ、ダンジョンに出てくるモンスターは人型であっても全て敵対的だ―――コミュニケーションなんて絶対に取れないんだ。出会ったら殺し合うしかないんだ。ダンジョンはどこから来たんだ? 誰がそれを教えてくれるんだ? 答えはどうやって知るんだ? 誰が一体それを知ってると言うんだ?」


 そう、ダンジョンの起源は全て謎に包まれている。


「これは俺達だけの問題じゃない。ずっと前、ダンジョンが現れた時からずっと探られていた事だ。そして卿に至るまで何の進捗もなかった。解るか坊主? 何も、だ。俺達は心底理解していないこのダンジョンってのに頼ってこの60年間の文明を進めて来たんだ」


 恐ろしい事に、それが普通となってしまった。そして大半の人類はそれを気にする事もないだろう。知らなくても問題のない事だと認識しているからだ。


 だけど、だ。


「だけど、もし―――もし、話す事の出来るモンスターが居れば? コミュニケーションの取れる奴がいれば? これまでノーヒントだった難題に、漸く光が差し込んだら?」


「もしも、ダンジョンの事を知る奴がいればどうなる? これまで答えのなかった探求のヒントが出てきたとしたらどうなる? 俺達がずっと求めてた答えが……或いはその向こう側が見渡せる物理的な“何か”が現れたら?」


 ごくり、とユウキが唾を飲み込んだ。ここまで言えばどんな馬鹿だって理解出来るだろう。


 視線は自然と天使へと集中する。ぎゅ、っと人の腕を胸と足の間に挟み込んで抱き着いている凄い奴だ。記憶も名前もなく、そして人でもない。だけど可愛い。可愛いなら人じゃなくてもいっかぁ……。


「はい? なんでしょうか?」


「……解ったか? この頭パーの天使様が、どれだけ凄まじい爆弾なのか」


「あ、あ、あ、あー。あー、成程。成程ね? そういうことなのね。そういう事なんですね……」


 恐らくこの地上で唯一、ダンジョンから現れた者。人の言葉を喋り、人の形をした存在だ。恐らくは唯一無二のヒント。ダンジョンという深淵に対する答えを持つ可能性のある鍵。彼女の存在を、誰もが欲しがる。


 間違いなく、だ。断言しよう。


 企業は全員喉から手が出る程彼女を欲しがるだろう。


 そして手に入れる為であれば手段も択ばないだろう。


 彼女はそういう存在なのだ。


「この嬢ちゃん1人の為に、これから戦争が起きるぞ」


 ダンジョンが現れて60年、世間は漸くその混沌から抜け出して安定した社会を取り戻す事に成功していた。それはかつての秩序からすれば誰もが武器を握る事の出来るアンバランスな秩序なのかもしれない。だが常にモンスターに襲われる事を心配しなくても良い、そんな世の中になった。


 その中で、1人の少女を中心にこれから、乱世が始まる。


 それはもう、目に見えた未来だ。


 そう、これから、天使の争奪戦が始まる。

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