ハロー・ワールド

 女神像の足元は戦闘の余波で壊れていて、その下には地下への入り口があった。そこを抜けてしまえば待つのは転移陣と宝箱の置いてある部屋。


 そして時は現代に戻る。回想終了。現実逃避終わり。


 さあ、探索者よ! 報酬を手に冒険を終えると良い!


 ……なんて、あっさりと全てが終わればなんて良かったのだろうか。現実は無常、波乱が待ち受けている。残念。宝箱から現れた天使を前に、頭を抱えるしかなかった。此方が悩むような意味が解らないのか、当の本人は笑みを浮かべて首を傾げている。可愛いね?


「と、とりあえず……転移陣も起動したっぽいし、ここから出た方が良いんじゃないか? 明日も学校あるし」


「ユウキくんへ。僕は君が明日も当然のように学校へと行こうとするバイタリティを怖く思います。あなたの大親友、灰色より」


「だって成績に響くしぃ……」


 メンタルつよつよフレンドの存在にビビりつつも、宝箱から見上げてくる姿に手を差し出す。


「えーと、大丈夫? 立てる?」


「はい、ありがとうございます、優しくて名前の知らない人」


「おぉぅ、そっか、まだ名乗ってすらいなかったな」


 手を差し出すと華奢な手で握って来た―――が、握られる感触は柔らかくても、力は思っていたよりも強い。見た目に反して、案外力は強いのかもしれない。手を握りながら宝箱から出る為に力を貸すとよろめきながら天使の姿が出てきた。


 よろめく姿を腰に手を当てて支えつつ、立たせる。流石に本名を配信中に名乗る訳にもいかないし、一瞬だけどう名乗るか考えてから答える。


「灰色、俺の事は灰色って呼んでくれ」


「灰色さんですね、はい、覚えました」


 手をにぎにぎされる。もしかしてこの娘、俺の事が好きなんじゃないか? よく見ると俺の顔を見てにこにこ笑顔になってるし、もしかして俺の事が好きなのかもしれない。手を中々放してくれないし、これはもしかして好きなのでは……!?


「どうしようユウキ! この娘、もしかして俺の事が好きなのかもしれない!! ねえ! 俺こんな経験初めてなの! 助けて!」


「寝言は寝て言えよ。さっきまでのクールな調子はどうしたんだよ。早く帰ろうぜ」


 さっさと転移陣まで近づくとユウキは転移陣を観察するのに入ってしまった。まるで助ける気のない友人の姿に軽く溜息を吐きつつ、こっちだよ、と天使を連れて転移陣へと向かう。


 ……髪も、肌も綺麗だ。汚れがない。それは来ているドレスにも通ずる。まるで新品同然の姿だ。彼女はあの宝箱の中で生まれたのか? それともあそこに封じ込められたのか? 本人に記憶がないのは、恐らく本当だ。嘘をついているか否かは目を見れば解る。


 調べる事が出来た。だが同時に厄介ごとでもあると判断する。何よりも配信でこの天使の姿を映してしまったのが最悪だ。隠しようがない。この不可思議な少女の事を、配信を通して世界が知ってしまう。それを止める方法がない。


 この先起こりうるであろう事態を想像して一瞬顔を顰め、天使が此方の顔を見るのに合わせて微笑に戻した。


「ん? どうした?」


「いえ、ふふ、なんでもないです」


 俺の方を見ると何故か楽しそうにしている。理由は良く解らないが、顔の良い子に微笑まれるのは決して悪い事じゃない。まあ、何時までも眺めて居たい顔だが、そんな余裕がある訳でもない。意識を軽く切り替えて転移陣前まで到着し、確認する。


「色はこっちに来る時と同じか……」


「うん。あの禍々しい色。あんまり飛び込みたくないけど来る時と同じ色という事は帰れる可能性も高そうだね……帰れるといいなあ! 正直さっきから配信画面に投げ込まれてくるスパチャの数がヤバすぎて怖いんだよね」


 ちらっと配信画面を見ると、限度額まで投げてる人が多数いるのともっと天使を映せというラブコールが大量にある。正直、あんまり良くない流れだと思う。ビーコンモジュールを取り出して転移陣の横に設置して、情報の取得と記録を続けさせる。


「そのビーコンは?」


「ここを去る時の空間の観測用。上手く行けばこのエリアの座標軸が取得できるかもな」


「あー……あぁ、うん……? まあ、なんとなーくやりたい事は解るような」


「小遣い稼ぎになる事をしてるって思えば良いよ」


 ホロウィンドウを取り出して同期と設定を完了。これでここを離れても、空間が消滅しない限りは大丈夫だろう。ただこういう1度限りのエリアというのは使い終わった後で消える場合が多い。そうなるとこの設置したビーコンも無駄になるが……まあ、疑わしい。


 ここが微妙に、ダンジョンとは別の場所であるように感じている。最初は追い返そうとしたあの水晶龍の存在が何よりも証拠だ。恐らくここはダンジョンではなくもっと深く、遠い場所で、或いは―――いや、それこそこのビーコンが観測する反応を見なければならないだろう。


「よし、設定を完了した。新宿の時とは違って転移陣には余裕がある。だから俺が先に中に入る。10秒ほど待って、転移陣の変化と様子を見ていてくれ。その後で大丈夫そうなら後を追ってくれ……オーケイ?」


 サムズアップして確かめるとユウキと天使が頷いた。


「オーケイ!」


「はい!」


 勢いの良い返事を貰ったので頷いた。


「それじゃ」


「えい!」


 入るぞ、と言おうとした瞬間、天使が先に転移陣の中へと飛び込んで消えた。2人並んで数秒間呆けたまま消えてしまった天使の姿を眺めてから正気に戻る。


「うわあああああ―――!?!?」


「おおおおあああああ―――!?」


 奇声が喉から溢れ出す。


「追いかけるぞ!?」


「あぁ!!」


 迷う事無く天使の後を追いかける様に転移陣の中へと飛び込む。一瞬で視界の全てが光に包まれて消えると、黒い光が消え去って景色が一変する。先ほどまで広がっていた陰気な地下室だった空間は消え去り、それと入れ替わるように暮れ始めた最後の日の光が降り注ぐ駅前に戻っていた。


「わあー……見てください灰色さん! 世界がオレンジ色に染まっていますよ! そしてとても広いです! ふふ、ここは広いんですね!」


 楽しそうに、目に見える全てが新しいのかはしゃいで辺りを天使が見回していた。その姿が無事なのを確認し、急いで近寄りながら肩を掴む。


「頼む、から、話を、聞いて……ね!」


「はい!」


「天使ちゃん一気に元気になったねぇ……あ、地上に戻れたのでそろそろ配信は終わりにしようかと思います。今日は凄く大変でしたが皆さんのおかげでなんとか生き延びて―――」


 ドローンを正面に浮かべたユウキが配信の締めに入った。これでこのイレギュラーな放課後も漸く終わる。なんとかユウキを無傷でダンジョンから帰す事にも成功したし、これでなんとか先輩探索者としての面目躍如、という所か。


「灰色さん、灰色さん。あれはなんですか? 何で赤く光っているんですか? どうして空はオレンジ色なんですか? 此処ってどれぐらい広いんですか? 灰色さん、灰色さん!」


「あぁ、なんか……知りたがりの子供を相手してるような気持ちになって来たな……」


 目をキラキラと輝かせながら天使がコートの袖を引っ張って、あっちこっち連れまわそうとしてくる。それを必死に抑え込みながらなんとか旧新宿駅前から、支部の方へと向かおうとする。好奇心のままに動き出そうとする天使が面倒になって来たので、腰に手を回してそのまま持ち上げてしまう。


「あっち、あっちが見たいです、灰色さん」


「はいはい、後でな、後で。ユウキ、配信終わった? 大丈夫か?」


「あ、うん。配信終えるって言ったら急にコメント欄が荒れ始めたけど配信終わらせたよ。いやあ、本当に大変な1日だったわ……滅茶苦茶疲れた……だけどこれで漸く帰れるわ」


 天使を抱える俺に近づいてくると、ユウキが手を差し出してくる。


「ありがとう、灰色。今日は本当に助かったし、お前と一緒にいて良かったと思うよ。お前抜きでここに来たたらマジで死んでただろうし。本当にありがとう」


「おう、俺もお前を守り抜けて良かったと思うよ」


 差し出してくる手を此方も掴んで、強く握手を交わす。しっかりと手を振った所でユウキが手を放そうとするが、俺はそれをがっちりと掴んだまま放さない。一瞬、ユウキが笑顔のまま固まり、此方を見てから手を引き剥がそうと力を込めるが―――ダメ、絶対に放さない。


「クソ! ボケ! ボケカス! 帰るんだ!! 俺はお家に帰るんだ! 知らない見えない聞こえない! 厄介ごとがあるなんて見えないからぁ……! 俺はお家に帰るのおお―――!」


 にこり、と笑みを浮かべたまま強く手を掴んで絶対に逃げられないようにホールドしていると、支部の方から足音がする。必死に手を引き剥がそうとするユウキを無視して視線を向ければ、スーツにじゃらじゃらとシルバーアクセサリーを付けた男が一人、サングラスを胸のポケットに入れながら近づいてくる。


「よう、灰色。トラブルを持ち込んでくるのはお前ん所の母親だけにしてくれないか? 息子のお前までトラブルメーカーだと思うと涙が止まらなくなっちまうんだよなぁ。せめて問題を起こすなら別のダンジョンにしてくれ。俺の管轄外の所のな。そうすりゃあ俺の仕事も増えないし」


「文句言うなよ支部長、金になる仕事大好きだろ、アンタ。凄いお金になりそうなイベントに遭遇してきたばかりなんだから少しは嬉しそうにしなよ……なあ?」


「……?」


 抱えてる天使が腕の中で首を傾げてる。俺も一緒に首を傾げて支部長を―――新宿迷宮前支部の支部長を見た。冒険者協会という国内最大級のダンジョン関連組織、その幹部だ。正直シルバーアクセをじゃらじゃらしてるの、死ぬほどガラが悪いと思う。


 そんな支部長も抱えている天使を見て、顔を顰めた。


「それ以上の面倒ごとの気配が見え隠れしてるのが嫌なんだよ。なんてもんを持ち帰って来たんだお前はよ。国内も国外も相当荒れるぞこりゃあ、解ってんのかお前?」


 必死に逃げ出そうとするユウキの手を絶対掴んで離さないまま、天使を揺らす。ちょっと楽しそうな声を零している。そうだね、楽しいと嬉しいよね。うん。


「じゃあ、この子を置いて来ればよかったと」


「……」


 小さく唸るような声に、自分でも無茶を言っていると自覚しているのだろう。支部長は軽く目を閉じて溜息を吐くと、背を向けて支部へと向かって歩き出す。


「おら、とりあえずついて来い。色々と話したい事があるだろう……お互いにな」


「おうち……おうちかえりたい……おうち……」


 無駄な抵抗を続ける友人をずるずると引きずるように支部へと向かう。


 この長い1日は、まだ終わりそうにない。

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