待ち人

@Ryo_0025

一瞬だけ見ていた世界

一日目


俺は今日も、あの神社へと続く石段を上った。


山のふもとにあるそこは、一人の足跡が続くぐらいだ。


ただ、どうしてか、その足跡でさえ俺は見失ってしまう。


その神社には誰もいない。荒れてしまった残骸が、取り残された過去だけが、ひどく夕陽に晒されている。


俺は、向かって左の隅にある木製のベンチへと向かい、そこに腰を下ろした。


手提げの中を覗き込んだが、やはり、そこは空っぽである。


閑寂とした空気の中に風が流れ、手提げに縛られた、色褪せたお守りが細やかに揺れていた。


・・・


しばらくすると、風は弱くなり、俺は腰を持ち上げて左手にある賽銭箱へと向かった。



ポケットから硬貨を取り出し、そこへ放り入れる。


そして、そばにあった本坪鈴から垂れた紐を揺らして鈴を鳴らした。


後ろを振り向くと、ミカン色の冷えた空が広がっていた。


『君は待っていてくれるのだろうか。』


それから少し、視線をそらした。



二日目


今日もまた神社の石段へと足をかけた。


振り返り、立ち止まり、前に戻るかと迷えば、少しずつ上っていく。


劣化した踏み場は崩れ落ちそうで、その虚しい有様がまざまざと照明されている。


そうして気づけば、俺はようやく最上段まで来てしまったようで、いつものベンチへと、いつものように視線を移していた。



しかし、そこには一人の少女が座っていた。


俺はそれに気づいた瞬間から急に怖くなって、途端に逃げ出してしまいそうにもなって、一歩下がった。


今までの行いは決して何ら覚悟したものではなく、変わらない今日を望んていただけの弱さしかないことを自覚し、あわよくば次の瞬間にこの景色が錯覚だと知れたのなら平静を装い納得することができただろう。



けれども彼女は本物だったようで、俺は散々迷った挙句、彼女のいるベンチへと向かうこととした。



そこは申し分ないほど、きれいに空けられていたにもかかわらず、きまり悪く、ゆっくりと座った。


彼女はこちらに気付いた反応はないようで、ただ遠くどこかを見つめている。


辺りから聞こえてくるのは、カラカラと枯葉が弱く床を転がる音だけであった。


・・・


辺りは既に暗くなり、ふと隣を見ると、そこにいた彼女の姿は消えていた。


「はぁ。」


今更ながらの徒労から出てきたのは、みっともない、ため息である。


俺は力なく立ち上がると、おそらく帰路と指された方角へと足を引きずっていった。



三日目


今日は雨が降っていた。


俺は傘を差し、あの場所へと向かう。


そうして、石段の前で立ち止まった。


今日だって俺は目を背けてしまうのだろう、何を話せるというのか。


恐る恐る一段ずつ登る毎に、ぴちゃりぴちゃりと水溜りを踏みつけ足元は濡れ続け、その冷え切った足先でさえ言い訳にするには十分であった。


・・・


無意識の生み出した先に足をかけようと試みた際に生じた浮遊感に足をすくわれ、そこで初めて自らの居場所を把握した。

そして、垂れ下がっていた頭を持ち上げると、そこにはやはり、彼女がいた。


俺は一度深く瞬きをし、改めてそれを確認すると、あそこへと再び歩き出した。


・・・


傘を閉じ、彼女の傍らへと腰を下ろす。


次第に強くなる雨音の中、俺はポツリと呟いた。


「きっと傍から見れば、馬鹿なことをしているのだろう。自分自身でさえ目的も見失っている。それを知るのがずっと怖くて逃げ続けて、どうしようもない。」



「あなたの待ち人はどなたでしょうか。」


「・・・、それに答えるために、少し時間をもらえないだろうか。」


彼女は幾ばくかの沈黙の後、見透かしたかのように優しく応えた。


「分かりました。」


それを聞くと、俺は瞼を閉じて、あの日へと意識を遡らせた。


---


「じゃあ、よーいドン!」


それを合図に、彼女は駆け出し、俺は当惑しながらもその後についていくのだった。


・・・


やがて前方の彼女の姿は遠く離れてはいたものの、その場所へと辿り着いた。


階段の左端に座り込み、額の汗を拭う。


「あ、ようやく来た。もう、遅いんだから。」


背後から彼女の声が聞こえた。


「いきなり、ここの神社まで競争だ、なんて言われても心の準備ってもんがあるだろ。」


「そんなもんかなー。まぁ、今のは体力勝負だったけどね。」


彼女は俺の隣に、どっかりと腰を据える。


「そういえば、なんでここに連れて来たんだ?」


「うーん、特に何も考えてなかった。」


「まったく、、付き合わされた俺の苦労は一体・・・」



「せめて言うなら、ここから夕日を一望できるってことかな。」


「確かに、眩しいぐらいの光景だ。」


俺は隣の彼女を横目でちらと覗くと、似合わないような落ち着いた雰囲気でいた。


「でも、夕日が沈んでいくのは寂しい気もする。」


「そうか?別に、いつもと何ら変わりない光景だろう。」


「そうだよね、、ただ、今日だけはこの景色がずっと続いていてくれればいいのにって、そう思っちゃうな、なんて。」



「まぁ俺にはさっぱり分からん。詩人にでもなったらアドバイスをもらおうとするかな。」


「あー、バカにして。そういえば、あの約束を忘れていないでしょうね?」


「なんのことだったかな。」


「とぼけないでよね。負けた方が相手の言うことを一つきく、っていうの。」


「そうだったかもしれないな。ただ、変なのだったら断るぞ。」


「じゃあ、変なことじゃなきゃいいんだよね?ふふふ、そうだなー。」


彼女は上の空にニヤつきながら、足をぶらつかせている。



そして、それが束の間で止まったかと思うと彼女はこちらを向いた。


「目を瞑って。」



「え、、それだけか?」


しばらくの緊張があまりに緩く解けたことに、拍子抜けした。


「うん。だから、ほら早く!」


俺は急かされるようにして瞼を閉じた。そうしてしばらく特に何も感じることは、



・・・ん。



あったのだろう。ふいに温かい感触が唇に伝わってきた。


そしてゆっくりと彼女の気配が次第に離れていくのを察し、ゆっくりと瞼を開いた。


「それじゃあ、またね!」


彼女は急ぎ足で、瞬く間に階段を駆け下りていく。


「あぁ・・・」


俺は呆然と、気の抜けた返事だけを残した。

と同時に、ふと右手に何かを握っていることに気が付いた。


その手を開くと、そこにあったのは、ここの縁結びの御守りであった。


---


その日以来、俺は彼女と会うことはなかった。


バカらしいと笑われるだろう。


そんな過去のことにいつまでも拘って、ここに来てしまうなんて。


どうせ忘れてしまわれる記憶で思い出に過ぎないことも分かっている。


けれど、、


俺は期待してしまう。


彼女もまだ待っていてくれるんじゃないかって、ずっと。


俺は待っているんだ。


あのとき出来なかった返事が言いたいという、それだけのために。




目を開くと、ここは何も変わっていなかった。


そうだよな。


俺は右へと振り向き、そこにいた彼女へ言った。


「俺の待ち人は、隣にいる君だよ、」


彼女の名前を口にすると、視界がぼやけ始めた。


「ありがとう、」


降り落ちた彼女のその言葉に、不思議と滴が染みていた -



?日目


ふと、外から感じる眩い光に、俺の意識は再生した。



「あー!やっと起きたんだ。」


そこに、懐かしく聞きなじみのある、甲高い声が聴こえてきた。


俺はその元である正面へと、ぼやけていた視界を次第に明瞭にする。


そして彼女の姿が初めて映ると、どこからか込み上げてきた思いが、途端に景色を淡く滲ませた。


「ちょっと、なんで急に泣き出しているのよ!?」


「俺は、お前をずっと待っていて、それで今、お前が目の前にいて、それが間違いじゃなかったって分かったから・・・」



「そっか、」


彼女は後ろへ振り向き、強がって空を仰いでいた。


しばらくして落ち着くと、彼女は俺の隣に座り、手提げを一瞥した。


「そういえば、私があげた御守り、ちゃんと持っていたんだね。」


「まぁな。」


「私も、それとお揃いのを持っているんだよ、ほら。」


彼女が左ポケットの中をまさぐり、取り出したそれも一緒のモノであった。


「実は、私も待っていたんだ。もう会えないだろうって、待っていることに意味がない事も知っていたはずなのに、あの夕暮れだけは忘れずにいた。」


正面のどこか遠くを見つめた様子で彼女はそう語った。


「俺もそうだったよ。それを悟るのが怖くて、逃げてばかりだった。」



「でも、今はもう違うけどね。だってこうして-」



『私は、あんたに会えて良かったって思えたから。』

『俺は、お前に会えて良かったって思えたから。』



彼女と手を繋ぎながら、山際へと次第に落ちていくそれを、石階段に座りながら眺める。


「あの日と変わらず、ここは眩しいな。」


「うん、、そう、だね。」


「どうかしたのか?」


そう尋ねると、突然、彼女は俺の方に身を乗り出してきた。


「本当は、、」


彼女は一呼吸を置き、顔を見合わせると、



「私はもっと、あんたと一緒にいたい!我儘で、自分勝手な願いだってことは分かってる!それでも、この時間が終わってしまうのが嫌だから!だって私は・・・」



溜まっていたのだろう想いを、切々と掃き出した。



「今の俺にも、あの時お前が言っていたことが分かる気がする。」


「え?」


「夕日が沈む姿を見るのはどこか寂しい、それは明日も変わらずに昇ると知っていても。俺も、今のこの景色が長く続いてくれたらって、そう思えるよ。」


「しばらく見ないうちに、生意気になったんじゃないの?」


彼女は右手で涙を防ごうとしたけれど、次々と落ちていく。


「そうかもしれない。でも、だからこそ言えるよ、」


彼女は一瞬だけ拭われたその顔を上げ、目を合わせた。



「お前が好きだ。」



「うん・・私も、君が好きだよ。」



俺も彼女の手をそっと力強く握り返す。


頬を伝い続うばかりのそれのせいで、視界なんてぼやけるばかりだけれど、それでよかった。



おれんじ色に包まれていた光景が、いつの間にか暗がりへと傾き始めている。


「もう手は放してくれていいよ。」


「そうか。」


俺が手を放すと、彼女は立ち上がった。


「私は一人じゃないって分かった。それだけで、きっと前(さき)に進めるはずだから。それだけ、なんて贅沢過ぎるほどで、ロクに表現さえも思いつかないや。」


「そうだな。俺も大切な用事を伝えられたから、きっと迷わずに歩むことができる。」


そうして俺も立ち上がると、最期のあの光が彼女との合間に奇麗に射し込んだ。



「ありがとう、私を待っていてくれて。」


「こちらこそ、ありがとう。」



そうして俺たちの影は、暖かに夕焼けた空と共に、その姿を沈ませたのであった――

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