9話 つまり私のことを弄んだと?
「・・・・・・分かりました。私が雪城くんのプロジェクトを代わりに一つやります」
「・・・・・・え?」
七々瀬からの提案に俺は自身の耳を疑った。
ストローに口を付ける七々瀬はちらりとだけ上目に視線を寄越す。
「これで問題は全部解決しますよね。雪城くんは今までと同じ時間研究に取り組むだけで二つのプロジェクトの成果が得られますし」
「いやいやいやいやちょっと待て」
「はい? あ、もちろん私が代わりにやるのは雪城くんの会社のイベントが終わるまでですよ。それ以降は時間に余裕も出来ると思うので代わりにやりません」
「や、それはもちろん分かってるが・・・・・・」
あまりに突飛かつ尋常ではない提案に頭が追いつかない。
七々瀬が俺の代わりに俺の実験をやる・・・・・・?
「・・・・・・マジで?」
「はい」
何度反芻しても信じられず七々瀬に確認すると、七々瀬はすました顔で頷いた。
どうやら本気で七々瀬は俺の代わりに実験をやってくれるつもりらしい。
「でも、いいのか? 俺の実験結構重いし、七々瀬が自分の実験に回せる時間かなり減ると思うけど・・・・・・」
七々瀬に渡す実験は毎日二、三時間費やせば済むような実験ではない。必要な時間はバラバラだが長ければ半日以上拘束されるほどにヘビーな実験だ。
だが七々瀬が代わりに実験してくれるのであれば確かに俺の抱える問題は解決する。
未だにその発言を信じられず恐る恐る尋ねると、七々瀬が言った。
「研究室でも言いましたが、私自身既に実験を頑張らないと行けない理由もないので全く問題ありません」
先ほど手伝ってもらったときと同様の返答をする七々瀬に、困惑の抜けてきた俺は黙り込み冷静になって思案する。
七々瀬が良いというのであれば問題ないのであろう。
しかし考えてみると七々瀬に俺の実験をやってもらうのには大きなリスクが伴う。
「というかそもそも七々瀬に代わりにやってもらったりなんかしたら、教授にバレるんじゃないか? 七々瀬の出す成果の量が減って俺の成果が増えるわけだから」
当然だが、十分な成果が出たとしても教授にバレてしまっては意味がない。
卒業の可否は俺に対する評価で決まるからだ。
七々瀬に変わりにやってっもらったことが教授に知られると、仮に俺だけで十分な成果を出していたとしても教授は俺を卒業させないだろう。
懸念点を示す俺に七々瀬は肩を竦める。
「多分ですけどバレませんよ。教授、学生の指導なんてしませんし、気にもしていません」
確かに七々瀬の言うとおり教授は学生に興味があるふうでもないしバレないかもしれない。
徐々に現実味を帯びてくる解決策に気分が上向くのを感じていると、ふと疑問が湧く。
「七々瀬が良いのなら俺としては手伝って欲しいんだけど」
「はい?」
「そもそもなんでそこまでしてくれるんだ? 確かに俺のことを手伝っても七々瀬にデメリットはないんだろうけど、メリットもないだろ?」
俺の質問に七々瀬が初めて言葉に詰まる様子を見せた。
その頬は徐々に淡く染まっていく。
七々瀬は話すのをためらうように視線を彷徨わせ、時間と共に徐々に気まずい雰囲気が満ちていく。
しばらくして七々瀬がこほんと咳払いをした。
「・・・・・・ひみつです」
七々瀬は目を伏せてつぶやいた。
・・・・・・まあ、七々瀬は割と内心を隠したがるタイプの人間だ。いずれこの出来事が思い出になったときにでも教えてもらおう。
熱くなった顔を隠すようにして俺は席を立つ。
「礼として、これから一生ご飯奢るよ」
「は⁉」
とりあえず実験を手伝ってもらう礼として冗談交じりに言うと、七々瀬がガタッと音を立てて立ち上がった。
どういうわけかその顔は真っ赤である。
「そ、そ、それはつまり・・・・・・や、養う的な?」
私は普通に結婚後も働くつもりなので養ってもらうとかそういう旧時代的な生き方はしないつもりですがそれはそれとしてごにょごにょ。
真っ赤になった七々瀬が早口で何か言っている。
小声なのだがめちゃくちゃ周りの視線を集めているので止めて欲しい。
ややこしい冗談を言った俺が悪いのだがなにやら盛大に勘違いしている七々瀬を訂正する。
というか満更でもなさそうなの、勘違いしそうなので止めようね・・・・・・?
「普通に冗談だから真に受けるなよ・・・・・・?」
「は?」
スンッと七々瀬の顔から表情が抜け落ちる。
怖い。
「や、冗談というか、まあ、それぐらいの気持ちで実験を代わりにやってくれたお礼はしますよっていう・・・・・・」
「つまり私のことを弄んだと?」
「弄んだというか、そもそもどうして弄ぶなんていう表現が出てくるのか分からないというか・・・・・・」
「責任は取ってもらうので覚悟しておいてください」
「えぇ・・・・・・?」
一体俺はなんの責任を取らされるのか。
スタスタとハンバーガーショップを出て行く七々瀬を戸惑いながら追いかける。
何を言うべきか探しながらやたらと早足の七々瀬の後ろを歩いていると七々瀬が言った。
「・・・・・・お礼に雪城くんの会社のイベントに呼んでください」
「え・・・・・・俺にそんな権限ないんだけど。ただのアルバイトだし」
想定外の七々瀬の要求に俺は瞬く。
突然振り向いた七々瀬の視線が俺を射貫いた。
「は?」
「いえ何もありませんチケット用意します」
立場の弱い俺はコクコクと頷くしかない。
それっきり口を閉じてしまった七々瀬に、小走りで追いついた俺は気になったことを尋ねる。
「七々瀬、ゲーム大会に興味あったのか?」
「・・・・・・」
七々瀬がゲームをしていたり見ているなどということは聞いたことがないので疑問に思ったのだ。
しかし七々瀬の返答はなく、まずいことを聞いたかなと別の話題を探していると七々瀬がぼそりと答えてくれた。
「・・・・・・雪城くんの仕事に興味があっただけです。私が代わりに実験をしたことで雪城くんが何をするのか」
「精一杯頑張ります」
微妙に棘のある言い方に畏まって答えると、七々瀬が口をかすかに開いて止めてかわりにこほんと咳払いをした。
頬が染まっているところから察するに応援してます、とか言ってくれるつもりだったのかなとひっそり思うのは俺の希望が混じっているのだろうか。
何はともあれ。
研究に対する懸念は払拭され、アルバイトに全力を注げる環境が整った。
七々瀬にも楽しんでもらえるよう頑張ろうと俺は再度気合いを入れ直した。
それからは怒濤の日々だった。
イベントが近づくにつれて高まっていく期待感に煽られるようにして社内の士気も上昇し、やってもやっても減らない仕事を前にして俺も含めて社内全員が動き回っていた。
研究は七々瀬と上手く口裏を合わせながら教授の詮索をかいくぐり、それ以外の時間はほとんど全てアルバイトに費やす。
白州さんの助手のようにして働いていた俺は、白州さんが尋常ではない量の仕事を抱えていることもあってまさしく忙殺されていたがなんとか食らいついた。
リハーサルも終わりイベント前日。
俺たちは最終チェックに臨んでいた。
「白州さん、確認なんですがここはこれで・・・・・・白州さん?」
「ぁ・・・・・・ああ、すまない。少しぼーっとしていたようだ。もう一度お願いしても良いかな?」
声を掛けるもキーボードを打鍵し続ける白州さんを疑問に思い、肩を軽く叩くとこちらを向いた白州さんが焦点を合わせた後に力なくにこりと微笑んだ。
「・・・・・・大丈夫ですか、白州さん。ちゃんと休んでますか?」
白州さんの顔色がひどかった。
蒼白だ。
白州さんが苦笑しながら首を振る。
「まああまり大丈夫ではないかな。最近ほとんど寝てないし」
「なら」
「だがそれも明日までの辛抱だ。明日が終われば1ヶ月ぐらい休もうかな」
冗談めかして言う白州さんだが笑えない。
しかし白州さんがいなければイベントが成り立たないのも事実であり。
「・・・・・・無理だけはしないでくださいよ」
「分かっているさ」
苦悩の末にそれだけ言った俺は自身の不甲斐なさに唇を噛む。
いつも通りに笑う白州さんに俺は何も出来ない。
その日は社内全体でイベントの成功を願って何故か円陣を組んだ。
みんな疲労で少しおかしくなっていたのだ。
常と変わらず笑う白州さんにほっとしながら帰宅したのを覚えている。
しかし悪い予感というのは当たるものであり。
イベント当日、白州さんが倒れた。
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