第3話 かわいい同期、もしかして俺に気がありますか??

いつものように実験を失敗し散らかしたとある昼下がり。

今日はバイトがあるのでウキウキしていると教授から

『今後の実験のことで話したいことがあります。教授室に来てください』

とメールにて呼び出しがかかった。

本当に行きたくない。

研究が上手くいっていないことやアルバイトに時間を費やしていることにネチネチネバネバと小言を言われるのが分かりきっている。

だから適当に理由を付けて帰宅してやろうとも思ったが、そうするとまた別日に改めて呼び出されるだけだ。

それも面倒なので俺はしぶしぶ教授室を訪れ、ノック後入出した。

散らかる書類や書籍でいっぱいになった机の奥から教授がこちらを睨んでいた。



「何の用ですかね」



俺が問うと教授が静かに言う。



「先日行っていた君の実験についてだ。上手くいっているのかね」

「いえ失敗しました」



嘘をついても仕方がない。



「・・・・・・他のプロジェクトはどうなのかね」

「今行っている実験で手一杯なんで一旦寝かせてます」



悪びれもせずここ数週間の成果がないことを白状すると教授は何かをこらえるように息をつく。

てっきり嫌みがとんでくると思っていたので拍子抜けだ。

諦観も怒りも含まない視線に首をかしげていると、教授がゆっくりと口を開いた。



「・・・・・・実験が上手くいかないことは今は置いておこう。だがそれならばなおさら他の実験も行うべきだ。手一杯だと君は言うがそれはアルバイトに時間を費やしているからだろう。第一に君は学生だ。最も優先すべきは研究ではないのかね」



 想像していたよりも理性的な教授の言葉に驚いた。

 普段は俺が研究にやる気のない素振りを見せるとすぐに舌打ちをしてくるのだ。

 であるならば今日は教授に俺の研究に対する考えを伝える良い機会かもしれない。

 俺は思考を整理しながら口を開く。



「僕は意味のないことはしない主義でして」

「・・・・・・何?」



 声を低くした教授が目を細める。



「そもそも僕が研究をする理由って何ですかね」

「・・・・・・話を逸らすな。君の内心など興味もない」



 意図をはかりかねるようにして俺を睨んでいた教授が言う。

 俺はそれに気づいていないふりをして続ける。



「一つ考えられるのは科学の発展に貢献するためですが違います。特に基礎研究を行っている僕らには自身の成果が科学の発展に貢献できるビジョンはあまり見えない」

「だから研究をしないと? 君は知らないかもしれないが私も含めて大抵の研究者は科学の発展への貢献を直接のモチベーションにしていないぞ」



 教授が口調に嘲りを滲ませるが俺は一旦流す。

 そんなことは俺も分かっている。

 話は最後まで聞いた方が良いですよ。



「二つ目に考えられるのが知的好奇心です」



 多くの研究者がモチベーションにしているのがおそらくこれだ。

自分の仮説を自らの手で検証し真実に辿り着くのは非常に気持ちが良い。



「ですがこれも違います。僕は自らの手で真実を発見しようと思うほど今の研究に対して好奇心を持てない」



 研究はかなり過酷だ。

 その成功には地道で途方もない努力が求められる。

 そのくせして数ヶ月実験に取り組んでも失敗するなんてざらにある。

 責任も報酬もある仕事ならば別かもしれないが、ただの大学院生でそれに取り組み続けられる人間の方が稀だろう。



「三つ目に考えられるのが将来に役立つから。研究職に就くことが決まっている学生はこれをモチベーションに研究をしている場合も多いでしょう。ですが僕は違います」



 俺の就職先はエンタメ企業で、当然だが細胞や薬品なんて扱わない。

 であるから今の俺が仮にどれだけ自身の研究に関する手腕を磨き成果を出したとしても直接的に将来の俺にリターンが返ってくることはない。

 話をまとめるために口を開こうとした瞬間、

 バンッ、と。

 教授が自身の机を叩いた。

机の上に載っていた書類がハラハラと落ち、その奥からは目を細めた教授の鋭い眼光が俺を射貫いていた。



「ヘラヘラ話すな鬱陶しい。聞いてやるから結論を言いたまえ。君は結局何が言いたい?」



 しびれを切らした様子の教授に俺は肩を竦めてみせる。



「最後に考えられるのが、多くの学生が同意するところだと思いますが、卒業するためです。僕の研究を行うモチベーションはこれです」



 結局のところ研究職に就くわけでもないただの学生である俺に研究をするモチベーションはない。どれだけ頑張ろうと何か報酬がもらえるわけでもないし、それどころか決して安くない学費を払ってすらいるのだ。俺からすれば研究を真面目にやっている学生が逆に不思議でしかない。

 教授が馬鹿にするように鼻を鳴らした。



「そうか君の主張はよく分かった。であるならば、だからこそこう問おう。君はなぜ研究をしない?」

「というと?」

「君の卒業は保証されているのかね」



 つまりお前の卒業はまだ確定していないのだから、卒業が確定するまで研究をするべきだろうと。



「ああ、僕はすでに現時点で卒業に足るほどの研究をしていますよね」



 しかしその予想通りの返答に俺は苦笑する。

 教授が目を細める。



「・・・・・・何? そんなわけがないだろう。君の出した成果は就活を始めるまでに出した微々たるものしかない。それで卒業できるなどとまさか君は思っているのかね」

「ええ。だって先輩方で僕より少ない成果で卒業している方がいますよね? それも両手で数え切れないぐらい」



 俺が気づいていないと高をくくっていたのか教授の顔が憎々しげに歪む。

 七々瀬に指摘され気になった俺は卒業のラインはどこにあるのだろうかと卒業した先輩方の成果を調べてみたのだ。すると判明したのは驚くほど少ない成果で、あるいは成果と呼ぶことすらできないもので卒業している学生の存在だった。

長年在籍している職員の方にそれとなく聞いてみると、入学して早々に就活を始めたのだがギリギリまで就職先が決まらなかった先輩がいるのだと笑って話してくれた。

そこまでひどくはないにせよ冷静になって振り返ってみると俺と直接交流のある先輩ですらあまり成果を出さずに卒業しており、俺と同レベルの成果で卒業した先輩となるともっと多い。

ここに俺が研究をしなくていい理由が成立した。

教授は肩をふるわせ、手元の書類にくしゃりとしわが走る。



「だからこの先研究はしないと? そんなバカなことがまかり通るか! 君は大学院生なのだぞ!」

「僕は大学院生だから研究をしていたんじゃないんです。卒業するために研究をしていたんです」



 ドンッと拳が机を叩き、大量の書類が空に浮き、分厚い書籍の束が床に落ちる。

 立ち上がった教授が唾を飛ばす。



「ふざけるのも大概にしろ! 学生である君は黙って研究をし成果を出せば良いのだ!」

「それは教授のキャリアのためですよね?」



 漏れた本音を指摘すると教授が言い淀む。

 よほどのことがなければ学生の出した成果はその指導教員でもある教授の成果であるとも見なされるのだ。



「そ、それで何の問題があるのだ。君には私に指導された恩がある」



 しかし堂々と開き直った教授に俺は息をつく。



「僕に研究を教えてくれたのは教授じゃなく先輩ですよ」

「そのようなことを私は言っていない! 現に今だって指導しているだろうが!」



 意地になって言葉が通じなくなったことを悟った俺は肩を竦めて背を向ける。



「ここまで私を虚仮にして卒業できるなどと思わないことだな!」



 その背中にそんなセリフが投げられた。

 あまりにお手本のような捨て台詞に笑ってしまう。

 俺はそれを無視して居室に戻った。



「相当嫌みを言われたみたいですね、雪城くん」

「まあな」



 すると隣の席で実験をしていた七々瀬からの問いかけに俺は頷く。

 時計を見ると時刻は一時過ぎ。

 先ほどまでの教授とのやりとりを振り返ると心の底から時間の無駄だったと思う。

 まだアルバイトの時間までには余裕があるが、実験のやる気も起きないので俺は苛立ちや嫌悪などの負の感情をため息に込めて吐きだし帰ることにする。

 一瞬手元から視線を外した七々瀬がちらとこちらを見る。



「何を言われたんですか?」

「いいから黙って研究しろ、とかそんな感じ」

「なのに実験しないで帰るんですか?」

「まあな」



 荷物をまとめ終えた俺は七々瀬に手を振り背を向ける。



「じゃ、俺帰るわ。教授が来たら適当に言っといてくれ」

「適当にって無責任な・・・・・・」



 とかなんとか言いながらいつも七々瀬は丸く収めてくれる。

 結構頭が上がらない。



「まあでも。尊敬しますよ、雪城くんのそういうところ」

「へ?」



 ぼそりとした呟きに俺は思わず振り返る。

 実験しながら七々瀬がかすかに微笑んでいる。

 異変に気づいたのか、ピタリと実験の手を止めた七々瀬の耳が急速に真っ赤に染まっていく。

 ぎぎぎとこちらを向いた七々瀬が数度口の開閉を繰り返し、ためらった後に口を開く。



「・・・・・・声に出てました?」

「まあ」



 そんな反応をされるとこちらまで恥ずかしくなってくる。

 俺は発言の意図を求めるように待っていると七々瀬はこちらをキッと睨むと、しかし観念したように息をついた。



「・・・・・・私は絶対に雪城くんみたいに我を通せないので。そういうひとに憧れるんです」

「・・・・・・」



 思っていたよりもストレートな言葉に俺の言語機能がショートする。

黙り込んだ俺に七々瀬がジト目を寄越す。



「・・・・・・何か言ってください」

「・・・・・・まあ、その、なに。ありがとう」



 頼りなく音になった言葉は七々瀬を目指すが空気に溶け出す。



 ・・・・・・まあ届かないぐらいで丁度良い。



「・・・・・・じゃ、お疲れ」



 数瞬固まっていた俺だったが、この場に留まっていても何も発展しないし気まずいだけなのでそう言って手のひらを振る。

 既に七々瀬も実験を再開していたので見えてはいないだろうが。

少し前まで最悪の気分だったはずが、暖かくどこかくすぐったい思いをしながら俺はアルバイト先に向かった。

というか七々瀬かわいいな・・・・・・。

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