04 召喚契約

 雨風吹き荒れる夜。

 王都より南東に位置する小さな田舎町。


 薄暗い部屋の中で白いフードを目深に被った男がひとり。魔法陣に向かってぶつぶつと唱えていた。魔法陣の中央には紙が一枚置かれている。

 王宮魔術師の一部で禁忌の召喚術があることは、たびたび噂になっていた。異界の王と交渉し、その眷属を召喚するものだ。対価は何でも構わないが、対価が高いか貴重なほど願いは成就しやすいらしい。


 この男は今夜、その禁忌を犯す。


 魔法陣が白く光り始め、部屋の空気に緊張感が増した。陣の中から、ふわっと風が吹き、中央に置いてあった紙が浮かび上がる。魔法陣の中が水面の様に波立った。その中は暗く、水面はさらに荒れてくる。しぶきが上がり、水面の下で何かがうごめいているようだった。

 そして、男は虚空に向かい静かに語りかけた。その眼光は鋭い。


「異界の王に願う。我名はエスタ=フロリーテ。ヴィリディスの国王陛下をお助けしたい。対価として我命を差し上げる。」


 彼は魔法陣に向かい右手をかざし、そう述べると魔法陣の中で浮いていた紙に異変が起こる。白紙に文字が刻まれ、手形が浮かんだ。そう、契約内容が刻み込まれていく。

 その光景を目の当たりにして、男は一瞬驚いた。この禁忌の召喚が本当に出来たことに驚いているようだった。・・・しかしその眼に後悔の色はない。


「そなたの願い理解した。そなたの望みはこの者が叶える。対価の受取もこの者が行う。うまく使役するがよい。みすみす契約を破棄しないことだ。」


 この世のものと思えない声が頭に響いた。より一層強い風が吹き、黒く激しく波打った魔法陣の中から白い手が一本ゆらりと出てきた。


◇◇◇


 転移魔法陣に吸い込まれ、ゆらゆらと漂いどれくらい経つのだろう。暑くもなく寒くもなく、暗いけど自分の姿は視認できる。呼吸もできる。不思議な空間だ。ただ確実にじわりじわりと流されている。私は、クリオネのようにふわふわと黒い空間で泳いでいた。


(まだ到着しないのかな?もうそろそろ飽きてきた。)


 そう言いながらも暇な私は、くるくると身を翻して遊んでいた。すると背後で空間が歪む音がした、振り向こうとした時には遅かった。


 ドン!!


 何か背中に当たった。衝撃が走り、息が漏れた。その衝撃で本を手放してしまった。頭も打ったのだろうか?頭も痛い。


「痛っ!!なに?何?なに!?」


 何とぶつかったのか、確認しようと振り返ったけど何もいない。やだ!異世界コワイ。

 不思議に思いながらも、吹き飛んだ本がフワフワと浮いていたので慌てて回収した。無くしてはいけない物らしい。


「やばい・・・今日は良いこと無いな」


 私の長い夜はまだ終わらない。いろいろとイベントが多すぎて疲れてしまう。肩を落としため息を吐き、またゆっくりと身を翻した。まだ流され始めるが・・・流れが変わった。


 異世界はやはり急であった。目の前に水面が突如として現れた。水面の向こうにうっすら白い光が見える。何だろうとぼんやり見ていると、急に息苦しくなる。水中に居るようだった。


 不意を突かれて酸素が口からボコボコと漏れる。まずい。


 この中から出ようとした時、水面から見えない手で首を抑えられているかのように動けなくなった。いやいやいや、溺れちゃう。私は必死にもがいた。頭の中で声がするけど聞いている余裕はなかった。


 水面に手が届き向こう側に手が出た。水面の向こうは水の感触が無い。藁をもすがる思いで、白い光を目指してもう一度大きく手を伸ばす。そして右てのひらが何かに触れた。


「これで契約成立だ。」


 頭の中に禍々しい声が響くと、急に苦しさが消えた。

 水中から地上へ上がったようだった。私は仰向けに倒れている。

 息が吸えた!酸素が美味しい・・・必死に息を整える。


 苦しいながらも周りを見渡すと人がいた。男だ。若葉の様に綺麗なライトグリーンの髪の毛、白いローブには青いラインの模様が入っている。異世界の魔法使いの様な格好だ。

 男はこちらにコツコツと近づくと、近くに落ちていた紙を拾い上げ、書類の内容を確認する。長い髪を後ろで低く結っている。乙女ゲームに登場してもおかしくない青年だ。年齢は私と同じくらいか?

 彼は前髪も長く眼鏡をかけている。時々その奥で知的なオレンジ色の瞳が書類を見つめている。異世界に来た実感が徐々に湧いてくる。


 私はやっと苦しさが消えた体をゆっくりと起こし、ぺたりと座った。


 座るとより一層重力を感じた。体が重い、服は濡れていないのにずっしりと重さを感じる。さっきまで、水中のような空間に居たから余計なのだろう。ここが異世界か・・・

 静かに感心していると、視界にロッドの飾り石が飛び込んで来た。さっきの男が私をけん制するようにロッドを構えている。そして口を開いた。


「それ以上動くな。お前を召喚したのは俺だ。俺の指示には絶対服従してもらう。」


 彼は私に向かい静かに言い放った。その言葉を理解するまでに時間がかかりキョトンと彼を見つめた。


 何かおかしい。


 βベータさんは私に『召喚した人を探して、迎えに行け』と言った。でも私を召喚したという人がもう目の前に居る?なぜ?

 私が首を傾げ混乱していても彼は話を続ける。


「お前、・・・サキュバスか・・・。本当に王が救えるのか?召喚したからには対価分しっかり働いてもらうぞ。」


 ―――サキュバス?よく伝説やファンタジーに出てくる。夢の中で男をたぶらかして色々吸うとか吸わないとか云う。いやいやいやいや・・・。何を言っているのだ?この人。

 王を助ける?そんな荷が重い仕事をするの?私が?誤解は早めに訂正しなくては・・・私は恐る恐る彼に声をかけた。


「あの・・・すみません・・・人違いじゃないですか?私サキュバスじゃないです。間違っていませんか?」


 彼はムッとしながら私の前にしゃがみこんだ。先ほど見ていた紙を私の目の前にぐっと突き出す。


「は?人間じゃないだろう?それについさっき、お前は、契約書に手形を押したじゃないか?」


 私は眉を顰ひそめ、契約書と言われている紙の内容を確認する。


◇◇◇


《 召喚契約書 》


エスタ=フロリーテ(以後「甲」と呼ぶ)と異界の王眷属サキュバス・真夜の君(以後「乙」と呼ぶ)は下記任務に関して、次の通り召喚契約(以下「本契約」という)を締結した。


第一条 目的

 甲は本契約の定めるところにより、ヴィリディス国ニグルム陛下の救出を乙に命令し、乙は遂行する。


第二条 契約期間

 召喚契約期間は本日より目的達成後の対価支払い完了までとする。


第三条 対価

 本契約に基づく乙の対価は、甲の命とする。支払方法は乙の判断にて実施する。


第四条 秘密保持

 乙は、甲の名前を第三者に開示してはならない。


第五条 禁止行為

1、甲は乙を殺してはいけない。

2、乙は甲を殺してはならない。

3、逃走してはならない。互いが逃走したと判断した場合は処罰の対象となる。

4、契約書を故意に破損してはならない。


第六条 使役

 乙は甲の【服従の言葉】には速やかに従うこととする。


第七条 契約解除

 本契約は解除できない。


第八条 協議

 本契約で定めのない事項、並びに本契約の内容に変更が生じる事となった場合は、甲乙協議のうえ、定めるものとする。


【特約事項】

1、甲は契約中、本件以外の召喚契約を結ぶ事は出来ない。

2、乙は契約中、本件以外の召喚契約を結ぶ事は出来ない。


以上、本契約の成立を証するため、捺印のうえ甲が保有する。


ヴィリディス631年9月30日


甲 エスタ=フロリーテ    乙 真夜の君


◇◇◇


 項目を見て眩暈がしたが、ここは耐えて読み進める。


手形がデカデカと捺されている2つある。一つは大きいので彼だろう。そしてもう一つは私の手形だろう。さっき触ったのはこれ?


 それよりも何?この契約書。なかなか一方的というか、私が苦しくてもがいているところに無理やり捺印させたの?酷くないか?異議ありありの有りだよ。


「何これ!貸してください!!」


 私は彼の手からすっと契約書を抜き取った。

 手形に私の手を添えてみる。私と同じ大きさの手形だ。


「ちょっと!何するんだ!返せ!」


 手を伸ばし奪い返そうとしてくる。もう少し見せてください!


 私はひょいと両腕を彼から遠ざけた。彼の手が私の右腕をとらえ掴んだ。すると彼の様子が急に変わった。幽霊でも見たような顔をしている彼は、1メートルほど後ずさり、再びロッドを構えて叫んだ。


「おまえ!何で実体があるんだよ!サキュバスだろ!?妖精だろ!?」


 だから違うって!もう!叫ばないで欲しい・・・この人といい、この契約書といい・・・不服だ!!私は苛立って叫んだ。


「もう!さっきから何ですか!!サキュバスサキュバスって!私は人間です!!それにこの契約、酷すぎでしょう!無効です無効!!」


 こんなの破いてやる!無効よ!!破こうと手を構えた瞬間、

手の向こうの壁に掛かっていた大きな鏡に映った人物と目があった。その人物は手に紙を持って破こうとしている。

 黒くウェーブのかかった髪と顔は見覚えがある。いや毎日見ている。私だ。

違うのは頭から小さく黒い角が2本控えめに生えていて、貰ったローブを持ち上げるように黒く大きな蝙蝠のような翼が一対、ワンピースを突き破り生えている。また、腰のあたりに黒い鞭のように細い尻尾が生えており裾を持ち上げていた。


「なにこれ。」


 鏡に映る姿に愕然として、両腕を下した。

 その刹那、手の中にある契約書から黒い腕が2本にゅるりと生えてきて、私を押し倒し、首をぎりぎりと締め始めた。


(何これ!!く、苦しい・・・これ本気じゃん!死んじゃう・・・)


 必死に手を外そうと爪を立てて抵抗するがびくともしない。息が吸えず心拍数が上がる。だんだんと意識が遠のきそうになる。嫌だ、死にたくない、お願い誰か助けて・・・


「止まれ、大丈夫だ!【止まってくれ!!】」


 男の慌てた声が聞こえた。声に止められて黒い手の力が抜けて、腕は契約書の中に戻っていった。私は解放された。


 ゲホッゲホッゲホッ・・・


 せき込みながらもやっと息を吸えた。空気が体にしみる。

 ホント、散々・・・もう嫌だ。夢であってほしい。

 近くで男の声が聞こえる気がする。肩をがくがくと揺さぶられている。

 私の目の前は真っ暗になり、ここで記憶が途絶えた。今日はもう疲れた。

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