始まりの契約


それから五日。


伝言鳥――メスパラックが去っていく。

夕陽に溶けるその翼を眺めつつ、俺は今しがた伝えられた言葉を反芻する。


『彼女が目を覚ました。すぐに迎えに来い』


俺は治癒術に聡くない。

だからこれが長いのか短いのかは分からないが、体感だけの話をすれば長かったと言える。

俺としては早いとこあの女と話がしたかったからだ。


ホルダーの包みに上から触れる。

そこには、五日前と変わらない宝石の感触。


「あー、はよ売りてえ」


診療所に運んで、奴の命を望み通り助けた。

無事意識は戻ったようだし、言ってしまえばもう奴の依頼を叶えたようなもんだ。

ならば、さっさとその方向で話を纏めて報酬を受け取りたいわけで。

まあ伝言無視して勝手に売るっていう最終手段もあるにはあるが、それをやるとヤマに一生ネチネチ言われそうだから駄目だろう。


そんな風にぶつくさと愚痴りつつ。

歩みを進めること数分で、辛気臭い平屋に到着した。

早速引き戸を開けようとすると引っ掛かる感触。

そういえばこいつの診療所、この時間はもう閉まってたっけか。


「来たぞヤブ医者。開けろー!」


「派手な営業妨害止めろ」


程なく、不快そうな顔で引き戸が開けられた。

扉の向こうで出待ちしてるのを疑うくらいその反応は速い。


「人を呼ぶなら鍵くらい開けておけや」


「……いや、お前にそれやると何か金目のもの盗まれそうだし」


「お前読心の奇蹟とか持ってたっけ」


「案の定かよ……!」


荒れるヤマを放って中に入る。

誰も居ない待合室は、ツンとする薬草の臭いと陽に当てられた朽ち木の匂いで溢れていた。


「それで、容態はどうなんだ」


「問題ない。というより、驚異的な快復だ」


「へえ」


「目覚めたのは今朝だが、昼には軽い食事も摂れるようになった。火傷も治ってきてるし、もうすぐ退院出来るはず……っと、此処だ」


二つある病室の片方の前でヤマが止まる。

扉は既に開いている。

躊躇もなく踏み入れると、寝台から窓外を眺める包帯女の姿が見えた。


「それじゃ、後は若い二人でごゆっくり」


「クソきめえ」


「ああ怖い怖い」


退散退散~、とふざけたステップで事務室に向かったヤマ。

さっきは冗談のつもりだったが、やけに何か盗みたくなってきたから不思議だ。

手が震えて仕方がない。


そんな風に自分の中の衝動と戦っていると、じっと向けられる視線を感じた。

正面には空色の瞳。

こうして目が合うのは、実に三回目だ。


「よう、調子はどうだ」


「良いですよ。あなたのお陰で」


声色は鈴を転がすように。

死に体の枯れた声が印象に残っていたから、少し意外だった。


「覚えてるのか」


「はい。……助けてくれてありがとうございます」


「礼はいい。慈善活動じゃないのは分かってるんだろ?」


「やっぱり、意図は伝わってましたか」


「そりゃな」


この女は俺に助けを求める際、あの宝石を俺に差し出した。

あの状況で、内面を何も知らない相手にやるには些か不自然な行為だ。

普通なら、ただがむしゃらに助けを求めるだけだろうに。


なら、どういうことなのか。

答えは単純だ。

この女は、俺の内面を知っていたのだ。

俺が金で動く気質だと咄嗟に思い出して、それであの行動に至ったという流れだろう。

そして俺を知る機会なら確かにある。

あの日の朝方。

俺とヤンスが奴隷たちの近くで駄弁っていた内容には、俺の気質についてのことも含まれていたからだ。


「抜け目ないんだな、お前」


「盗み聞きのことならごめんなさい。私も必死だったので」


必死、か。

その言葉で想起したのは、あの焦げた朝焼けの光景だった。

女の瞳は、とても命乞いをする惨めな奴隷のそれには見えず、寧ろ露ほども諦めずに生を渇望する勇者のそれに見えた。

全く以て、この田舎町には場違いな存在だ。


包みから魅惑的に耀く黄金を取り出す。

思えば、これだって場違いな代物。

こいつの全てが、俺にとって未知と言える。


「とりあえず、依頼は完遂だ。報酬はこれってことでいいんだよな」


「……そのことなんですけど」


「あん?」


「依頼を追加することは出来ますか?」


面倒な流れになってきた。

さっさと取り引きを終えて換金したかったんだが。


「相応の報酬があれば聞かないこともない」


「それなら、此処に」


「ええ……」


あの日見た仕草と全く同じ動きで、女は口内へ掌を入れた。

出てきたのは真っ赤に眩い鉱石。

所々に迸る黒線が目に映える。


「……これは王血という宝石で、その翠金に劣らないくらいの価値があります」


「お前いくつ仕込んでるんだ。手品師かよ」


「これで打ち止めです。ほんとの本当に最後の切り札ですから」


「……前も思ったけど、唾液で汚れてて触るの抵抗あるわ」


「し、仕方ないじゃないですか。此処しか隠し場所なかったんですから」


寝台近くの布巾で石に付いた唾液を拭いつつ、夕焼けに染まる頬を見る。

淡々としていると思っていたが、相応の恥じらいはあるらしい。


「翠金に王血ねえ。お前何者だよ。何でただの奴隷がそんなもん持ってる」


「それは……此処ではちょっと」


ちらちらと、開いた扉の外側を見ながら女が言う。

人目――この場合ヤマの目だろう――が気になるらしい。


「ヤブは盗み聞きとかしねえと思うけどな……まあいいや。なら――」



「おい病み上がり。あんまはしゃぐなよ」


「分かってます……でも、空気が新鮮でつい」


ペタペタと、安物の革履きが跳ねる音が響く。

砂利道を駆ける女はまだまだ痛々しい見た目だというのに、その貌を喜色に染めていた。

こんな田舎町の空気の何処が新鮮なのかさっぱりだ。


やがて日が傾き出した頃合いで、俺たちは目的地に到着した。

潮風による塗装の剥げが目立つ一戸建て。

隣と比べても少し小さく見えるそこは、何の変哲もない家屋のようにも見える。

尤も、玄関の隣に雑に提げられた看板がそれを否定しているんだが。


『万事屋セッカ』


目の前のボロい家は、他でもない俺の自宅兼仕事場。

結局俺は、この女の要望通りに場所を変えることにしたのだ。

治療自体はほぼほぼ終わっていて、火傷痕を消すための塗布処置だけ自分で出来るなら退院は可能だ、というヤマの言葉は幸いだったと言える。


「本当に万事屋だ」


「嘘で困るのはお前の方だろ」


「それはそうですけど、こういうお店も新鮮なんです。地元にはなかったので」


「ほーん」


この手の営業形態は決して珍しいものではない。

言ってしまえば、各国に手を広げる翼剣会だって大規模な何でも屋なんだから。

そこまで考えて、この女の地元が何となく想像出来た。


「それに。もし嘘だったとしても、私には選択肢は無かったですし」


「……まずは事情を話せ。依頼を受けるかどうかはそれからだ」


「はい」


女を先導して扉を開ける。

簡潔に言って、俺の家は狭い。

居間兼寝室兼調理場兼応接間の一部屋と、水浴び場と便所の三部屋しかない限界構造。

だからこそ、女の話が再開されるのもすぐだった。


「では、話します」


「ああ」


「……えっとですね」


「おう」


「あの、誰も居ませんよね?」


「はよ話せ」


「いたっ」


挙動不審な女の額を小突く。

場所変えを半ば強要された時から思っていたが、警戒心があるのかないのか分からない奴だ。

俺だって話しにくい内容を話せるほどの仲じゃないだろうに。


そんな茶番劇も束の間。

冷めた目を向けられた女は漸く覚悟を決めたようで、口火を切った。


「私は――」


ぐううううううう。

極々小さな雷のような鳴き声が、そんな彼女の出鼻をまたしても挫いた。

源は少女の腹。

どうやらこいつは真面目に話を進める気がないらしい。


「……」


「……」


「私は」


「いや無理があるだろ」


何平然と流そうとしてるんだ。

そんな旨を込めた突っ込みに、女はバツが悪そうに呟く。


「う……あの、何か食べる物をいただけませんか」


「はあ……ほら」


面倒臭さと呆れと憐れみ。

それら全部を混ぜこぜにした感情で、俺は食卓から軽食を寄越した。

紙袋に入ったそれは、メロ川で獲れる小魚――キャラビスを揚げたおつまみのようなもの。

無論タダで渡す気は毛頭ない。

依頼にない施しの分は、後できっちり徴収するつもりだ。


おずおずと、少女が褪せた茶の袋を受け取る。

そのまま小さな口が開かれ、揚げ魚の香ばしく割れる音が鳴った。


「はむ……ん……あ、凄い。安っぽい!」


「餓死したいならそう言えよ」


「ご、ごめんなさい。でもこれ美味しい。癖になりそうです」


その言葉通り、女の魚をつまむ手は速い。

黙々と食べ続ける姿は何処か小動物を想起させる。

まあ、まともに味付けされた食事は久しぶりだろうし気持ちも分からなくはない……が。


「いつまで食ってんだ。そろそろ話せや」


「ん、それもそうですね」


弛緩していた空気が引き締まる。

やっと本題に入れるのか。

純粋な時間経過自体はそこまでとはいえ、まさに気が遠くなるような回り道だった。


「私はルナ。サンクトハイトの諸侯の一人娘、でした」


告げられた名に、当然聞き覚えはない。

だが、彼女が語った地名にはやけに説得力があった。


「故国に帰ること。それが私の望みです」



俺たち人間や、それに準ずる亜人や魔獣。

遍く全てが足をつけるこの地平には、全部で五つの国家が存在する。

まず一番に挙げるべきはやはりセントラルゴールドだろう。

その位置からしばしば“中央”と呼ばれ、経済規模、軍事規模共に大陸最大の王国だ。

次に、東に広がるレッサーアクア。

他でもない俺が暮らしている此処スピーラはレッサーアクアの辺境であり、当然コハクやヤマもこの国に住む一人だ。

そして、その正反対の位置。

西海岸に白亜の首都を構える国家、それこそがサンクトハイト。


女――ルナは、自身をその国の諸侯の一人娘だと語った。

要するに貴族ってわけだ。

それならば翠金や王血という宝石類を持っていたことに説明はつく。

まあ、そもそもとして根本的な疑問は残ったままだが。


「何が起これば貴族様が奴隷やることになるんだよ」


「簡単に言えば人攫いです」


「人攫い?西は治安が良いって聞いたんだが」


「普通なら、そうですね」


「普通じゃないってか」


ルナが首肯する。

憂うようなその眼差しは、俺へ向いているようで何処か遠くへ向けられていた。


「……サンクトハイトの国王が亡くなったのはご存知ですか?」


「ああ。一ヶ月くらい前だろ」


「国王の死後、国の政は枢機卿が決定権を持つことになったんですけど、その方は所謂暴君で……そのせいで治安も」


「暴君っつうと?」


「税を重くしたり、辺境の衛兵を首都に集めたり、挙げだせばキリがないですね。そんなことだから、私の父が治める領も荒れて……賊に攫われて売られたのもそれが切欠です」


なるほど。

枢機卿だか通気口だか知らないが、そいつが行った暴政――増税や戦力の集中が全ての遠因というわけか。

増税は民の不満を。

戦力の集中は、そのまま首都以外の警備の弱体化を。

引き起こされた二つが、諸侯の息女の誘拐という最悪の結果を招いてしまったのだろう。


その後のことは、聞くまでもなく想像に易い。

西でも中央でも、奴隷商が奴隷を売ることは禁止されている。

あのムントとかいう商人が直接こいつを買ったのか、それともその前に誰かしらを挟んでいるのかは知らないが、どうあれこの女を換金するために東に運ばれたという流れは間違いない。


「あの宝石は?」


「攫われた時咄嗟に隠しました」


「肝据わってんなおい」


呆れるほどの豪胆さだ。

こんだけ強かなら俺の力を借りなくたって独力で故郷に帰れるんじゃなかろうか。

ともあれ、こいつのこれまでの経緯は大体把握出来た。


「改めて依頼を確認するぞ。ルナ、お前は具体的に何を望む」


「……サンクトハイトはアルベリー領までの護送を。それから旅の途中、最低限の衣食住の保証を望みます」


「報酬は?」


「その王血を報酬とします。旅費を含めても充分お釣りが来ると思いますが」


依頼の内容、そして報酬を吟味する。

ただ医者へ運べば良いだけの依頼に比べれば、その百倍も面倒で長丁場になりそうな依頼ではある。

しかし、それに見合うだけの利益は確かにある。

俺の今までの経験全てが、この金蔓を逃すなと訴えていた……が。


あの夜の失敗が、ふと脳裏に過ぎる。

それで、この依頼の注意点に思い至った。

今の今まで宝石の耀きについ浮かれきっていたが、押さえるところは押さえないといけない。


「いいだろう。ただし、条件がある」


「条件?」


「俺は鑑定士じゃないからな。この翠金とか王血やらが本物かどうか分からねえんだ」


「宝石店に預ければすぐに鑑定してくれると思いますが……何でしたら換金も出来ますし」


「アホ。んな高尚なもんこの町にあるわけねーだろ」


スピーラで営まれている商売なんぞその過半数が魚屋と飯屋だ。

それ以外は衣食住の残りである服屋や家具屋、ヤマの診療所のような医療施設や翼剣会や俺のような万事屋が占めていて、宝石のような贅沢品を扱う店は存在しない。

例外といえば、闇市の奴隷だろうか。

皮肉なことにあれがこの町で一番高価な売り物だが、それだってスピーラの人間というより外から来た連中向けの商売だ。

需要のないところに供給はない。

良くも悪くも地に足のついたこの町では、宝石店など誰も必要としないのだ。


「質屋とかは?」


「それなら、ちょい遠い隣町……アンクレアっつう港町にある」


「ではそこで鑑定してもらえば……」


「そうだな。だけど、そこまでの旅費はどうする」


「――っ」


俺の言わんとすることに思い至ったのか、ルナの顔色が僅かに歪む。

契約では、サンクトハイトまでの護送と旅の衣食住の保証を、王血を報酬として行うとあった。

だがその契約は王血の価値が証明されているからこそ成り立つものだ。

王血の真贋が分からない以上、俺が動く道理はない。

それと同じ理屈で、アンクレアへの旅も行えない。


「……私を助けてくれたじゃないですか」


「そうだな。死にかけのお前を助けたし、治療費も払ったし、食いもんも寄越してやった」


「なら!」


「そこでだ」


「?」


話の流れが掴めないのか、ルナは間の抜けた貌を晒す。

可憐な顔立ちに冷や水を浴びせるように、俺は言葉を続けた。


「お前働けよ」


「え」


「仕事は斡旋してやるから、働いて金を作れ。それを担保にしてアンクレアに行けばいい」


彼女を医者へ運んだことも、治療費を肩代わりしたことも、キャラビスを食わしてやったことも、隣町の質屋へ向かうことも。

全ては宝石類の価値が保証される前の出来事になるからこそ、宝石類が偽物だった場合のリスクを鑑みるとあまり好ましくない行為だ。


それもこれも、こいつに信用がないのが原因。

なら、存在しない信用を作り出す方法は何か。

それは担保を用意させること以外ないだろう。


「そうすりゃ、これが偽物なら俺は担保を受け取ればいいし、本物なら担保を返して契約通りに進めるってことでよくなる」


「……守銭奴」


「何とでも言え。これが俺のやり方だ」


まあ、こうは言っているものの本気で疑っているわけではない。

もしそうなら初めからこいつを助けていないし、いくら宝石への造詣が浅くともこれが本物なのだろうということは何となく勘で察していた。

だから、これはただの俺の拘りみたいなもんだ。

こいつに騙されてタダ働きさせられる――そんなくそったれな可能性を一分の隙もない程に潰しておきたいのだ。


「あの商人たちにバレたりは?」


「安心しろ。あいつらの頭は火事で死んでるし、下っ端も今はお前どころじゃない」


「……分かりました。その条件を呑みます」


最後に残った懸念を潰すと、少しの間を置いてルナは条件を承諾した。


「そうか。なら契約成立だ」


「はい。これからよろしくお願いしますね」


右手が差し出される。

握り返すと、いやに柔らかい感触が掌を包んだ。

相変わらず無駄に律儀な奴だが、経緯を知った今となってはこの態度もしっくり来る。


そうした考えを巡らせていたのも束の間。

手を離してすぐに、ルナがそういえば、と話を振った。


「そちらの名前を聞いてなかったです。セッカさん、ですか?」


「そりゃただの店の名前。……俺はレティアスだ、好きに呼んでくれ」


「じゃあ、レティアスさんで」


何が楽しいのか、少女の口角は緩く上がっている。

ともあれ、これで始まりだ。

辺境の何でも屋と、元奴隷の女。

接点なんて探す方が難しい俺たちが契約を結んだ。

全く、予感も馬鹿にならないもんだ。


「ところで、じゃあセッカというのはどんな由来が?」


「あん?こっちで前使われてた金の名前だ。石の硬貨で石貨な」


「……守銭奴」


「うるせーよ」


こいつも大概失礼な奴だ。

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