光景


「……ボスが死んだってのは本当か?」


「ああ。丸焦げだ」


「っ……!」


つかつかと近付いてきた長髪痩身の男が、俺の胸ぐらを強く掴む。

至近距離に映るその表情は、怒り一色といった具合だ。


「レティアス、お前がついていながら何故そうなった!」


「いや、見れば分かるだろ。あの放火魔が単純に上手だっただけだ」


「なら何故お前は生きている!?」


「はあ……」


行き場のない怒りの矛先を俺に向けているからなのだろう。

男の主張は、どうにも支離滅裂に聞こえる。


「俺がわざと手を抜いたとでも?」


「実際そうなんだろう?お前はボスを見殺しにしたんだ!」


「お前頭おかしいんじゃねえの」


俺を掴む男の腕をそれ以上に強く掴んで引き離す。

そして呆れ切った口調でそう言うと、男の声色が更に怒りで満ち満ちた。


「なんだと?」


「んなことして何の得があるんだよ。あいつが死んで俺は報酬を受け取れなくなったんだぞ」


「それは……放火魔に殺されないためにそうしたんだろう?」


「我が身可愛さにってか?だったらもっと遠くに離脱してるわ。ヤンスから話くらい聞いてるんだろ?」


「む……」


満身創痍の俺が気絶したのは燃えた戦場の目の前だ。

保身が目的ならば、もっと早くもっと安全な場所へ移動しているはずである。


そもそもの話だ。

俺はお世辞にもまともな人間とは言えないが、金が絡んだ契約を破ることはしない。

当然今までのブレットからの依頼も全て問題なくこなしているし、それが万事屋としての矜持なのだ。

それだけに、こいつの疑念は心外そのものだった。


「それにお前ら、俺に疑いをかけられる立場かよ」


「何だと?」


「牢の襲撃はともかく、この仮宿の襲撃はどうして起こったんだって話だ」


奴隷牢の襲撃は分かる。

市場がそこで開かれるのはある程度は周知の事実だし、放火魔一派がそこを狙うのは当然と言える故に。

だが、この仮宿の襲撃は明らかにおかしい。

何故なら、ここでの会食はブレットが内々に決めたことで、当然ながら奴が身内以外にそれを公表しているわけがないからだ。

普通なら場所が割れるはずがない。

考えられる可能性はただ一つ。

内通者が居るということだ。


さて、ならばそれは誰か。

思い出すのは、襲撃前に交わしたブレットとの会話だ。

あの時あいつはこう言った。

“裏通りの宿の部屋を借りさせてある”と。

口ぶりからしてあの仮宿の部屋を予約したのは部下なのだろう。

となれば、死んだブレットとムントの他に会合場所の情報を知っていたのは、俺とブレットの部下だけということになる。

……まあ、直接当人に聞いたわけじゃないから確証はないが、放火魔を警戒していた奴が会合場所を不必要に喧伝するわけもないからそれで間違いないだろう。

これだけなら俺も容疑者だが、俺が仮宿の場所を知ったのは密談直前のことだ。

そこから先はずっとムントとブレットの二人と行動を共にしていた以上、外へ情報を漏らすにしてもその隙がない。

つまり、最も疑わしいのは仮宿を手配したブレットの部下である。

それが一人なのか複数人なのかは知らないが、仮に一人だった場合はほぼほぼそいつが犯人だと言って差し支えないだろう。


そんな内容を掻い摘んで話すと、目の前の男の顔は見る見る内に青くなった。

理解は出来るが納得はしたくない、そんな表情だ。


「……まさか、そんなはずは」


「ま、俺には関係ないしどうでもいいけどな。ただ、俺にどうこう言う前にやることがあるんじゃねえのってだけ」


それだけ言って口を閉じる。

男は暫く考え込んでいたが、やがて肩を落として仲間の方へ戻っていった。

やや感情的だが、あれも馬鹿ではないように見える。

犯人だろうとそうでなかろうと、俺にこれ以上は絡めないだろう。


空を見上げると既に光が見え始めている。

長時間労働に辟易としながらも、俺は仕事納めとして現場を訪れることにした。



放火魔の襲撃から約七時間。

いつもと何も変わらないように、スピーラのその一角にも朝がやって来た。

尤も、見える景色はそれまでとは大きく違うのだが。


辺り一帯は黒焦げ。

原型を留めていない木造家屋が五棟。

もうすぐで崩れ落ちそうなものはそれ以上。

既に炎は鎮まっているが、放火魔が残した爪痕はあまりにも大きなものだった。


「やっぱり此処に居たんすか、兄貴」


喧しい声に振り向く。

声の主は、昨日今日ですっかり見慣れた後輩だった。


「トードさんが兄貴の名前出してかんかんに怒ってたんすけど、何か言ったんすか?」


「トード?」


「ブレットの兄貴の一番弟子っすよ。さっきレティアスの兄貴と話したらしいっすけど」


「ああ……」


さっき詰問してきた男のことか。

そういえば、奴隷の搬送でブレットがそんな名前を呼んでいたような気もする。


「別に何も。あいつも主人に似て癇癪持ちっぽいし、キレてるんだとしたらそれが原因だろ」


「あ、それちょっと分かるっす。俺あの人苦手なんすよねえ」


「ブレットが死んだんだからあいつが次の上司だろ。そんなんでやっていけんのか」


「ああ、そのことなんですけど、辞めることにしたっす」


「あん?」


何でもないように放たれたヤンスの台詞は、意外の一言に尽きる。

俺の疑問を先取りするように彼が言葉を続けた。


「今回のことで分かったんすけど、やっぱこういう仕事俺には向いてないなって思って」


「今更だな」


「はは……返す言葉もないっすね」


力なく苦笑する様子は相変わらず覇気がない。


それにしても、借りがあるとか言ってた気がするが、ブレットが死んだことで有耶無耶にして逃げるつもりか。

こいつ、思ったより抜け目ない奴らしい。


「そういえば、レティアスの兄貴はどうするんすか?」


「俺は元々ただの雇われだ。依頼が終わったら元の業務に戻るだけさ」


「そっすか……ならここでお別れっすね」


「お前は何処に行くんだよ」


「南の港町っす!実家がそこなんで戻ろうかと」


その言葉を最後に、ヤンスが去っていく。

その頼りない背を眺めつつも、俺の脳裏にはさっきのトードとやらとの会話が想起された。

もしブレットが仮宿の手配を任せた者にあいつが混じっていたら、当然あいつも容疑者ということになる。

疑う気持ちは多少なりともあるが、考えても栓無きことか。

仮にあいつが情報漏洩の下手人だったとして、それを弾劾したところで一銭たりとて俺には還元されない。

ならば全ては無駄というものである。


そこまで考えて、俺は視線を焼け焦げた一帯へ戻した。

段々ヤンスの足音が消えていくと、途端に静けさが耳を打つ。

そのせいかは分からないが、考えないようにしていたことが心の裡を侵食する。

金蔓を失った。

それだけで今すぐ生活に困ることはないが、何分俺の仕事は安定とはかけ離れた商売だ。

ああいう上客が消えることによる損害は、普通の職より何倍も大きいと言える。

この前の100000テリアも所用で使ってしまったし、暫くは衣食住以外に使う金を抑える必要がありそうだ。


「めんどくせえなあ」


特別浪費が好きなわけではないが、節制は三番目に嫌いな言葉だ。

ちなみに一番は正義。

無論、あのイカレ女のせいである。


「……ぁ……っ……」


「あ?」


燃え滓の先から微かな音が響く。

益体もないことに支配されていた脳みそが一気に冷めて、視線は朽ちた木々の向こう側へ移る。

これは呻き声だ。

誰かは分からないが、火事に巻き込まれた不運な奴が居るらしい。


「死に損ないか」


歩くこと数秒。

音源は思ったより近い瓦礫の山で、隙間からは細腕が地面を這っていた。

手が伸ばされる。

誰かに救いを求めるようなそれに、しかし思う所は何も無かった。


ホルダーに手を下ろす。

昨夜やったのと同じように硬化した拳を振るって、瓦礫を思い切り吹き飛ばした。

露になったのは、一人の少女の姿。


草臥れた布切れのような衣類。

煤や火傷、裂傷でボロボロになった全身。

どう見てもただの半死人だというのに、その姿は何処か可憐に映る。

見覚えは当然あった。

朝の日差しを反射する金髪に、空を塗ったような碧眼。

昨日の目玉商品だ。


「お前馬鹿だな。よりによって此処に逃げ込むとは」


「……」


虚ろな瞳が俺を見上げる。

俺の台詞は本心からのものだった。

おそらくこいつは、牢や足枷が破壊されて逃げ出す際、誰も追ってこれない逃げ先としてこの火元を選んだのだろう。

その判断はある意味では正解とも言える。

何故なら、ヤンスが語っていた捕まっていない二人の内の一人はこいつだろうからだ。

だが、一方で馬鹿過ぎる。

確かに捕まりはしないだろうが、こうなっては焼け死んで終わりだ。


「まあ、トドメは刺さないでおいてやるよ。……じゃあな」


「……ぁ……す」


まさしく風前の灯火。

そんな瀕死の女が、俺を引き留めるようにぱくぱくと口を動かした。


「た……す……」


その光景に背筋がゾッとする。

何だ、こいつは。


「け……」


「――お前」


一度地に堕ちた手が、彼女の口元にゆっくり上がる。

そのまま口内から何かを握って取ると、俺に中身を向けるように掌が開かれた。

瞳が閉ざされる。

最後の力を使い果たしたかのように体は沈み、亡骸じみた体躯はこの場に満ちる瓦礫のように沈黙した。


しわくちゃの土器色の真ん真ん中には、淡い緑色を帯びた黄金の球体一つ。

朝焼けよりも輝くそれは、自らの価値を声高に主張しているようで。

この女の意志の強さに、俺は得も言われぬ不気味さを感じていた。



「結論から言うと、命に別状は無い」


「あー?そうは見えねえけど」


「確かに火傷は酷いが、気絶しているのは極端な疲労と栄養失調のせいだな。治癒術かけた後塗布処置は暫く続ける必要はあるがそれだけだ」


「ふうん……ま、ありがとなヤブ」


「ヤマだよクソガキ」


白衣を纏った痩身が反駁する。

スピーラで数少ない医者、それがこの男――ヤマである。

あの後、俺は拾った女の奴隷をこのクソ狭い診療所に運んでやったのだ。


「んでお代だが、塗り薬代含め500テリアでどうだ」


「高いな。20で」


「値切り方が人間じゃねえよお前」


「仕方ねえな、480でいいよもう」


「何か釈然としねえ……」


持ち合わせた銅貨四枚と粗銅貨八枚を渡す。

暫く憮然とした表情のヤマだったが、急に不気味な笑みを見せ始めた。


「……にしても、お前が此処に誰かを運んでくるとは」


「その気持ち悪い顔面止めろや」


「せめて表情と言え」


ニヤニヤニヤニヤ不快な奴だ。

何を言わんとしているか分かりやすいところが腹立たしい。


「人助けとか珍しいじゃないか。ついに改心したか」


「助けたわけじゃねえよ。俺に得があるからこうしただけだ」


「得?……ははーん、さては惚れたな」


「口がくせーぞヤブ医者」


「あー思い違いだったわ。やっぱお前クソガキだ」


口煩い罵りを無視して、病床に視線を移す。

そこに横たわるのは一人の少女。

手酷く負った傷を隠すように体中を包帯で覆われている。

そんな様子でありながらも、眩むような金糸と整った顔立ちは変わらず目に映えた。


「で。大真面目な話、どうしたんだよこの子」


「……客だよ。それ以外に何もねえ」


「へえ」


聞いてきた癖に何とも気のない返事が返ってくる。

相変わらず、何を考えてるか分からない野郎だ。


――それにしても。

口にしてみると思いの外それはしっくり来る関係だった。

この女と俺の間に、情も絆もそれら一切が入る余地はない。

かといって完全な他人かと言われるとそれも微妙に違う。

もしそうなら助ける意味がないからだ。


ホルダーに入れたものにそっと触れる。

指先から伝わるのは、黄金の丸石の感触。

俺には鑑定の技術がない故詳しい種類については分からないが、おそらくこれは宝石の類だ。

この女は何故こんなものをあの状況で俺に渡したのか。

考えられる最も合理的な理由は一つだけ。

そしてそれを突き詰めると、客という言葉が一番自然に思えてならない。


「あんまり危ないことに首突っ込むんじゃねえぞ」


「お前は俺の親か」


「はっ、そりゃゾッとしないな。確かにお前がどうなろうと俺には何も関係ない」


ヤマはあっけらかんと開き直る。

そんな間抜けた声のまま、奴の目は真っ直ぐに俺を見据えた。


「でもな、あんまりコハクちゃんを心配させるなよ」


「何でそこであいつが出てくるんだ」


「お前ね……本気で言ってるのか?」


呆れた視線が癪に障る。

このヤブ医者が言いたいことが、俺にはさっぱり分からなかった。


「……忠告はしたからな。これ以上俺の仕事を増やすなよ」


「分かってる。こっちもお前の顔を見る回数は減らしたいからな」


「お前ほんとにクソ生意気だな……もう帰れ」


「ああ。そいつが起きたら呼んでくれ」


治療方針が決まっているんだったら、これ以上駄弁っている必要もない。

どうせこいつが覚醒するまでは話も進まないのだ。

眠気も限界に来ているところだし、さっさと帰って寝るとしよう。


奇妙な状況になったものだと思う。

昨日の俺はあの女を売る者を護衛していたというのに、今日の俺はその女を客として助けている。

特定の誰かに与し続けないような仕事をしているとはいえ、これほどの立ち位置の急転は流石に初めての経験だ。

まあ、だからといって特別心が躍るようなことはない。

寧ろ苦い失敗の直後なのだから、今後行われるであろう取り引きでの利益はしっかりと抑えるべきだろう。

意識を次の金蔓に傾けて、俺は診療所を後にした。

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