第25話 新たな命と愛

 愛歌からのメールを見た俺は、頭と心が真っ白になった。

 一歩、二歩と後退り、木にぶつかるとそのまま地面に座り込む。


 愛歌からのメールの内容はこうだ。



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 お忙しい所を申し訳ございません。

 ここ数日、体調が優れず今日は病院に行って参りました。


 本来なら、おかえりになられてから直接、わたくしの口からお伝えしたかったのですが、流行る気持ちを抑えきれずこうして筆を取った次第です。


 わたくし神楽愛歌は、天成様の御子を身籠りました。


 本日の御用がどの様なものか存じておりませんが、早くお帰り頂ければ愛歌は嬉しゅうございます。


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(妊娠? 愛歌が俺の子を? いや、別に不思議な事は何もない。むしろ、出来て当然だ。でも、どこか俺は現実味を感じていなかった。今の今まで俺に子供ができるなんてまるで夢物語の様な感じがしていた。そんな俺に子供が……)


 俺はおもむろに自身の手を平を見た。


(この手で俺は子供を抱き上げ――)


「ヒィ!!!」


 掌が真っ赤に染まっていて、俺は思わず小さな悲鳴を上げる。

 だが、すぐに手はいつものそれに戻り、幻覚であることを示していた。


「ああ、あああああああああああ……」


 体が震えた。

 自分がしようとしていた悍ましい行為に全身が拒絶反応を起こす。


(お、俺は……なんて事をしようとしていたんだ。人を、人を殺そうとしていた……。人殺しになろうとしていた。奴らと同じになろうとしていた!)


「愛歌……。愛歌に会いたい……。こんなところに居たくない。愛歌、愛歌」


 俺は駆けだした。

 ダンジョンの外に向かって走った。


 身体はまだ震えが止まらず、まるで生まれたての小鹿の様な足取りで何度も何度も転んで、その度に立ち上がって、ただダンジョンの外に向かった。

 ダンジョンの外に出ても走った。

 神楽家までただひたすらに走った。


 道中、大勢の人とすれ違い奇異な目で見られたが走り続けた。

 中には俺と気付いて写真を撮っている者もいたが、気にせずに走った。


 そして、俺は神楽家に着いた。


「愛歌! 愛歌!」


 叫びながら家の中を走りリビングの扉を開く。


「天成様?」

「愛歌!」


 愛歌を見つけると、俺が力一杯抱きしめた。


「天成様、御用の方がもうよろしいのですか?」

「そんなのどうでもいいんだ……。どうでも……。そんな事よりありがとう……愛歌……ありがとう」

「天成様……。その様に喜んで頂けて、わたくしもお腹の子もとても嬉しゅうございます」


 愛歌が俺のありがとうの込められた本当の意味を知る事は無いだろう。

 だが、それでいい。


 それでないと困る。

 俺が道を踏み外そうとしていた事実は、俺は墓場まで持っていくつもりだ。


 だから、普段通りに振る舞おう。


「ここの俺と愛歌の子供がいるんだな」

「はい、二人の子です」


 俺は愛歌のお腹を恐る恐る触れて撫でる。

 ここの子供が宿っていると知っただけで、触れる事すら戸惑われるほど神聖な対象に感じる。


 それだけに、先程までの自分を思い出すたびに体が震える。

 もし、あの時、愛歌のメールを後回しにしていたら……、俺はこの子を人殺しの子にしてしまっていた。


 それに五月迅が犯人と言う物的な証拠は何もない。

 それどころか状況証拠すらなく、状況的に最も疑わしいと言うだけで凶行に走ろうとしていた。


 余りに思慮の欠けた行為だ。

 だが、もうそんな事はしない。


 俺はこの子にとって誇れる父親になる。

 もう、復讐はしない。


 だが、奴らを野放しにするつもりもない。


 奴らに必ず法の裁きに下す。

 そんな事ができるのか?


 出来る。

 一つだけ方法がある。

 冷静になった今、ようやく気付いた事がある。


 10年経っても消えない証拠が一つだけあったんだ。

 それは犯人の自白だ。


 難しい事は分かっている。

 だが、もう短絡的に楽な道を選ぶことはしない。


 知恵を絞って、奴から必ず自白を引き出す。

 俺はそう決意を新たにした。


「あ、そうだ、天成様」

「ん? どうした?」

「ふふ、おかえりなさいませ。天成様」


 決意を新たにした時、愛歌にそう声を掛けられ目を丸くした。

 帰宅した人間に向ける、なんて事の無い言葉。


 だが、俺にはその言葉がそれだけ意味しか含まれていないとは思えなかった。

 きっと、俺が何をしようとしていたのかまでは分かっていないだろう。


 でも、俺の変化には気付いていたんだ。

 なら、俺もちゃんと返さないといけない――


「ただいま、愛歌」


 いつもの俺が戻ってきたという事を……。

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