第5話 夫婦

 婚姻届けを提出し、俺達は神楽家に戻って来た。

 どうやら今日から一緒に暮らす様で、夫婦の部屋というか家が用意されていた。


 どうやら、先程までいた所が神楽家の本邸で当主一家が住み。

 それ以外は敷地内に建てられた別邸で暮らしているらしい。


 愛歌さんは俺と結婚した事で独立と言う扱いになり、別邸で俺と暮らす事になった。

 高級住宅地で、東京ドームが丸ごと入る程のバカデカい敷地を有する神楽家だからこそできる事だ。


 で、今その部屋の前におり、入ろうとしているのだが――


「おかえりなさい。御姉様、御義兄様おにいさま


 部屋の前で立っていたら、誰かが声をかけてきた。

 振り返るとそこにいたのは凛音ちゃんだ。


「凛音ちゃん。ありがとう」

「えへへ、天成様が凛音の御義兄様おにいさまになって、凛音がとても嬉しく思っています」


「俺も凛音ちゃんのお兄ちゃんになれて、とても嬉しいよ。これから家族としてよろしくね」

「はい! こんなところで立ち話もなんですし、お部屋に入りましょう!」


 俺の手を掴み部屋に入ろうとする凛音ちゃんだが、愛歌さんがそれを止めた。


「凛音。ここは天成様とわたくしの夫婦の家です。妹と言えど無暗に立ち入る事は、淑女の振る舞いとは言えませんよ」

「御姉様のケチ」


 そう言い残して凛音ちゃんは去って行った。


「申し訳ありません、天成様。まだ礼儀が行き届いておらず」

「いえ、そんな。受け入れて貰えるか心配でしたが、よかったです」


「ふふ、あの子があんなに人に懐くなんて初めて見ました。さあ、そろそろ部屋に入りましょう」

「あ、はい。そうですね」


 家の扉を開けて中に入る。


「「「「おかえりなさいませ。旦那様。奥様」」」」


 女中さんに出迎えられた。

 俺はその光景に戸惑うか、愛歌さんは普通だ。

 荷物を預け、部屋に案内させる。


 部屋の中は俺と愛歌さんの二人きりだ。


「天成様。大事な話がございます」


 部屋に入るなり、そんな事を言われ俺は困惑する。


「天成様。これからはこれがあなたの日常になります。女中達の事は空気とお思い下さい。そうでなければ、女中も働き辛くございます。最低限の礼節をもって接し、必要な時は命令を下せばよいのです」


 大事な話と言うのは神楽家の暮らし方のレクチャーの様だ。

 一見すると傲慢な事を言っているように聞こえるが、自身を女中さんの立場に置き換えれば分かる。


 雇い主に気を使われれば、雇われている側はそれ以上に気を使う。

 空気とはそういう事なのだ。

 決して軽んじろと言っている訳ではない。


「が、頑張ります」

「では、まずはわたくしへの態度から改めましょう」


「え?」

「敬語はおやめ下さいませ。呼ぶ際も愛歌とお呼び下さい」


「え、いえ、それはですね」

「あ、いや、それはだな。でございます。はい、復唱」


「え、あ、いや、それはだな」

「では、次は愛歌と言って下さいませ」


「あ、愛歌……さん」

「はい、もう一度。出来るまでやりますよ」


「あ、愛歌……さ……。あ、愛歌」

「さん付けは取れましたが、まだまだ様になっておりません。さあ、もう一度」


「愛……歌」

「もう一度」


「愛歌!」

「はい、何でございましょう。あなた様」


「あの、俺だけ敬語なしはどうでしょうか?」

「……」


(あ、敬語だと反応しない訳ね……)


「コホン! 俺だけ敬語と言うのはどうかと思う」

「私は妻です。夫を立てるのが務めでございます」


「今は時代は男女平等で……」

「外の世界の価値観など知りません。神楽家には神楽家の価値観があります。婿入りした以上は神楽家の価値観に合わせて下さいませ」


「でも、今は炎上とか怖いですし……」

「……」


(あ、しまった。また敬語だ。)


「でも、今は炎上とかが怖いし色々と考えた方が良いと思う」

「それなら大丈夫です。炎上しようがあらゆる力を使って潰してしまえばよいのです。天成様、神楽天成となられた今は、そのような小さなことを気にする必要はございません。安心して神楽家の流儀にお染まり下さい」


 俺はさらに反論を試みようと考えたが、これ以上の反論を止めた。

 神楽家の人間として高等教育を受けて来たであろう愛歌を納得させる事は難しいと理解したからだ。


 それに愛歌の言う通り、神楽家の炎上など今まで聞いた事もない。

 神楽家の価値観は世間のそれとは思いっきり乖離している。


 世間の餌食になりそうなものだが、そんな話はまったくない。

 神楽家の内情が全く外に漏れないからだろう。


 俺も聞いた事がない。

 これが上流階級の情報管理力というモノなのだろうか……。


 ま、なにはともあれ、早速、尻に敷かれてしまっている気がする。


「旦那様、奥様。御夕食までまだ少しお時間がございますので、お茶でもお持ち致しましょうか?」


 襖越しに女中さんが声をかけてきた。


「ええ、そうね。お願いするわ」

「かしこまりました」


 その後、女中さん、いや女中が運んで来たお茶とお菓子を食べながら、愛歌から色々と作法を夕食まで教わったのであった。

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