12.犬派と猫派は歴史的に見てたびたび殺し合ってきました
カルタの手を引いて、街道沿いの森に逃げ込んだ。
かなり奥へと入り込り込んでから、呼吸を整えて誰もついてきていないのを確認する。
燃えるような夕暮れの森で、わたしはカルタと向き合った。
「どうしたの?」
そう言うカルタの目に動揺はない。
「ねえカルタ、ちゃんといい子にしてる?」
「してるー」
わたしもそう思うよ。なのにカルタには血がついているんだ。
好奇心旺盛な犬なら、言いつけを破ってクッションを台無しにしたり、勝手に満腹になったりはするけれど、犬はそんなとき、自分のやらかしを隠そうとする。
タローなら隠れて出てこないとか、見るからに挙動不審になるとかね。
だけどカルタはあまりに自然体で、自分でも「いい子」だと思っている。
ウサギでも見つけて食べたのかな? 生き物は襲わないように言っておいたけど、たとえば罠にかかって死にかけのウサギなら、襲ったことにはならないのかもしれない。
……なんて自分をごまかせる性格ならよかったんだけど。
「ほら、おいで」
手ごろな石に座ってカルタを隣に誘うと、カルタはぴったり寄り添った。
大あくびをして、わたしの膝に頭を乗せてくる。
「おなかすいてない? ビスケット食べようか」
藁紐を持ってカルタの目の前で揺らす。
「いま、おなかいっぱい」
「なにを食べたのかな」
「死ぬことになった人間、食べた」
そっかぁ。
「言ってたもんね」
知り合いに首を晒したくないって。
「うん。カルタいい子だから、約束通りにしたよ」
ちゃんと骨まで食べたのかな?
違う、そうじゃない。カルタがいい子にしていたというなら、それはきっと……
「食べてもいいって言ったんだね」
頭をなでてやると、カルタからも頬をすり寄せてくる。叱られるなんて少しも想像していないし、実際、言いつけをちゃんと守ったカルタを叱れる理由なんてなかった。
ため息が漏れる。
どこで間違ったかなぁ。
問題は、ない。
罪人はもともと死罪だし、カルタはもともと人食いの化け物だ。
役人さんたちには迷惑をかけたけど、罪人の護衛も仕事のうちだったはず。
なにより、カルタは獣のようにではなく、行儀良く捕食したのだ。
脱力しすぎたカルタが地面に転がって行ったので、そのままおなかを撫でてやる。
「よーしよしよし、カルタはいい子だね、かわいいね」
「うしゃしゃしゃ」
「よーしゃしゃしゃしゃしゃ! よぉーしゃしゃしゃしゃしゃ!」
「うしゃしゃ! うしゃしゃしゃしゃしゃ!」
服が汚れるかと思ったけれど、これは擬態。たぶん平気!
どこでカルタとの接し方を間違ったのかは、だいたいわかる。
カルタを連れ歩くこと自体に無理があったとか、そういうことじゃないのだ。あのときカルタはわたしから離れたがらなかったし、わたしだってこの見知らぬ場所でひとりになりたくなかった。
一緒にいるのがたとえ人食いの化け物でも、食べ物さえあればギリギリ抑えておける……くらいの激甘な判断をしてでも、誰かがそばにいてほしかった。
カルタは本当にいい子だし、その判断に後悔はない。
だけど。
治水のなっていない川を儀式で鎮めるのを見ながら、暢気に『危なっかしいなあ』とか思っていたあの時だ。わたしはあの時、カルタを食べ物で釣るのも同じくらい危なっかしいのに気付かなきゃいけなかった。
神様みたいな危険な相手と渡り合うのに、この勘の鈍さは本当にダメだ。ハムスターならともかく、あの川なんて明らかに龍神だったじゃないか。
お母さんは、わたしが巫女になったら死ぬと言った。
今ならわかるよ。
わたしのこの、物事の関連性に気付けない嗅覚の鈍さは、たしかに致命的だ。
こんなんじゃ、立派な巫女にはなれそうにないなぁ。
考え事で手が止まると、カルタがもっと撫でろと催促してくる。
犬って、意外と眉間とか掻いてやると喜ぶんだよね。
と手を近づけると、バシッっと迎撃された。
カルタは……猫派か。
まあカルタが人食いの化け物なのはしょうがないよ。擬態生物特有の悪意だってあるかもしれない。
それで本能に負けて人を襲ったというなら、理解できる。だけどカルタはわたしから離れたがらなかったし、罪人の肉も硬そうだと言っていた。
カルタのあの行動に善意のようなものが挟まっているのに気付いてしまうと、落ち着かない。
出会ったときの、どちらかが死んで終わるのが当然の関係は、少なくともわかりやすかった。
今のカルタのような理解も共感も予想もできない善意の持ち主と、わたしはこれからも一緒にやっていけるだろうか。
あのとき『巫女』は相手の望むところを知れと言った。
わたしはまだ、カルタの『望むところ』を知らないんだよね。
だけど、とりあえずは今夜をやりすごさないと。
暖かいとはいえ野宿なんてしたこともない。
「わたしと会う前って、カルタはどうやって寝てたの?」
「カルタいつもお姉ちゃんたちと一緒にいたよ」
たち?
擬態する生き物として、山小屋みたいなところで人間にまじって生活しているところを想像する。わたしだって、餓えていなければ共存できると思ったのだから、このあたりの人間がそうしていても不思議はない。
「昨日寝た場所に似てる?」
「暗い穴だった」
うん。人食いの巣穴だね。人間は生きて出られないやつ。
ついでに、カルタは『わたしと会う前』を『お姉ちゃんと会う前』に置き換えているのだと思う。妹のカルタにそんな時期はなかったから、ひとりぼっちになる前のカルタはいつもお姉ちゃんと一緒に寝ていた。
「わたしは穴じゃ寝られないなあ」
「カルタも」
「じゃあ、日暮れまでに寝る場所を作ろっか」
「がんばる」
場所は、そうだなぁ。
「わたしたちが初めて会った場所、おぼえてる?」
もしかしたらお母さんが探しに来ていて、色々な問題を解決してくれるんじゃないかと思ったが、そうはならなかった。
大きな岩を見つけたので、柏手を打ってみる。カルタに、神様への挨拶みたいなものだと教える。この場所では、別に神が出てきたりはしなかった。
お母さんには何かが見えていたのか、柏手を打った直後に磐座や御神木に拳を打ち付けたり、拝殿の扉に蹴りを入れることがあった。それを見たお祖父ちゃんも、咎めることをしなかったな。
理詰めのお祖父ちゃんと感覚のお母さんはよく衝突していたけど、「神に気後れしちゃいけない」とか言って、変なところだけ気が合うのだ。
さておき、なにもいないならちょうどいい。ここをキャンプ地にしよう。
いま手元にあるのは、神社の掃除とかちょっとした作業のための小物セットだから、大したことはできない。
せいぜい大岩のそばに枝や乾いた木の実を積み上げるくらいだ。
木を削った粉を盛り、和ばさみの刃に硬い石を打ち下ろして着火する。
だいぶ煙たいけれど、一応の焚き火はできた。
「あったかいねー」
カルタが火を怖がるかと思ったけれど、逆に触ろうとするので、ダイブの姿勢を取ったところで引きはがす。
「ダメだよ燃えるよー、火からは人間の歩幅で2歩離れて」
ついでに、火が完全に落ちる前に、焚き火の上に葡萄棚のようなものを作り、柔らかい草をのせて
日が落ちて、聞こえるのは虫たちの騒音と、火のはぜる音。
ゆったりとした時間が流れる。
食事は相変わらずビスケットだけど、カルタは「おいしいね」って。カルタはいつもいい子で、かわいくて、居るだけで雰囲気が明るくなる。
こんな妹が欲しかったな……
そうじゃないな。
こんな妹がいるなんて幸せだね。
いぶしておいた草を大岩に盛って、そこで寝ることにする。
あしたもカルタと姉妹でいられるといいな。お互い、擬態じゃなくって。
残ったビスケットを並べると、まだ半分以上もあった。
約2日分。これがある限り、カルタは望むところを見せてくれそうにない。
「おやすみ、カルタ」
「おやすみお姉ちゃん」
カルタが眠った後で焚き火に投げ込んだビスケットは、よく燃えた。
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