11.斯くて妹は人を貪る

 地元住民? であるカルタの道案内もあって、山歩きは順調に進むはずだった。

 つまりは順調に進まなかったんだねぇ。


 どうしよっかなぁ。

 目の前に広がるのは、一言で言って崩落事故。

 広い範囲で木々がなぎ倒され、折り重なって倒れている。

 草で覆われているはずの地面も茶色い山肌が露出。まるで山崩れや崖崩れでもあったようだ。

 まるで、もなにも完全に山崩れだコレ……

 こんな状態では 倒木を踏み越えて進む必要があるけど 踏み越えた先の地面が落とし穴みたいになっていて とにかく危なっかしい


「お姉ちゃんお姉ちゃんお姉ちゃん……」

 こんな時に頼れるはずのカルタは、わたしの背中に張り付いて震えるばかり。

「いや、でも、ここ通らないとさ」

「なにかいるよ、なにかいるよ……」

 進もうとするとぎゅっと力を入れて引き戻そうとさえする。

 龍神のときとは逆で、今度はカルタだけが慌てている。

「なにがいるの?」

「わかんない」

「見たことある?」

「ない」

「匂いとか」

「しない」

 それじゃただの自然現象じゃないかなぁ。

 突っ切るのはそれなりに危ないとしても、日本の山崩れと同じくらいの危険性に思えるんだよ。


「じゃあさ、わたしが先に行って確かめるから」

「ダメ!」

 装束の裾を強く引かれて、ほつれるような音がした。

 うん。縫製が限界の音だね。

「よーしよしよしステイステイ。わたしはおしり丸出しで街に入れるほど図太くないんだ、OK?」

「いっしょにいると寂しくならない」

「うん、そうだね」

「いっしょにいると寂しくならない」

「わかった」

 落ち着いて深呼吸する。


 カルタが不機嫌になる程度なら強行するつもりだった。けれど錯乱するほどはまずい。わたしは死ぬし、カルタももしかすると悲しむことになる。

 こんなことなら森ルートか、死罪人一行に同行したほうがよかった。

 夜になると街の門は閉まるから、夕方までにたどり着けないと野宿確定である。


 なにもいないと思うんだけどなぁ。

 なんとなく、カルタにはこの山崩れがどう見えているのか想像してみる。頑丈で太い木をまとめてなぎ倒し、あたりの地形を変えてしまうような何かが、ここにいる……かもしれない。

 そう考えると「なにもいないよ」とは言えなかった。


 わたしにはこれが自然現象に見えるけど、『かも』の不安を解くには、きっと「なにもいない」ではダメなのだ。なにもいないのにこんなことが起こるのは、もっと怖い。

 かといって地滑りのメカニズムを語ってもカルタは納得しないだろうし、巫女らしくもない。


 だから、気休めかもしれないけど、こう言った。

「怖いのは、どこかに行っちゃったよ。今のうちに通り抜けようね」

「ほんとぉ?」

 カルタは背中から顔を出して、あたりの匂いをかぐ。

 たっぷり2分はそうしたあと、

「なんにもいない」

 本人が納得したので、なにもいないことになった。

「じゃあさ、早く通れるように、歩きやすいところ探してくれるかな?」

「わかった!」

 カルタはもう一度、なにもいないのを確かめるように辺りを見回してから、作業にとりかかった。


 ……巫女って、実用的なんだなぁ。

 どうしてそう思ったのか、自分でもよくわからない。

「お姉ちゃん、ちゃんとついてきてる?」

 倒木の向こうから聞こえるカルタの声は、とても弱々しく聞こえた。





 倒木地帯を越えたあとも、また別の問題が起きた。

 うなり声が聞こえたかと思うと、わたしたちのすぐ目の前を熊のような生き物が走り過ぎた。

 息も絶え絶え、口から泡をふいていたのは、わたしの見間違えだろうか。


「下がって、お姉ちゃん」

 真剣な声に、あの熊がなにかから逃げていたことを悟る。

 カルタとふたりで大木の陰に隠れるが、カルタはわたしのお尻を押して、木の上に上げようとする。

 木登りは、できるよ。神社育ちだからね。

 だけどこの木があまりに太すぎるので、一番下の枝まで登るのもだいぶ時間がかかった。


 カルタを引き上げようとしたその時、

『わーっ』

 幼稚園児の集団みたいな声がして、子供の集団が熊もどきの通った痕を追っていった。

 子供たちは獣の手足をして、その目は輝いていた。

 カルタの同種かな?


 枝まで引き上げてやりながら、カルタの目を覗き込む。

 カルタの目も輝いている。

「なぁに、お姉ちゃん」

「今のは仲間?」

 その目が伏せられて、輝きは隠れた。

「おなじ種類なだけ」

 はじめて聞く、感情の乗らない声。


 カルタの視線の先では、熊が追い詰められつつあった。

 後ろ脚から血を流す熊を、子供たちがつかずはなれず取り囲んでいる。

 熊が囲いを破ろうと前に出れば全体が同じ方向に動き、前脚で薙ぎ払えばその一角だけが下がってまたすぐ戻る。

 その間にも子供達は死角から襲いかかり、時に爪で、時に獣のものと化した牙で、熊の失血を増やしてゆく。


「カルタも失血狙い?」

「怪我してるから、首」

 そう言って自分の首の後ろを見せつける。

 その無防備な首筋を撫でてやると、カルタは脱力して身体を預けてくる。

「木の上だよ」

「んぅ」


 熊は最後の突進を空振りすると、ふいに力が抜けたように倒れる。

 子供たちは歓声を上げると、倒れた熊の身体に一斉に群がった。

 真っ赤な血が湧き水のように溢れ、子供たちは思い思いに肉を囓りとる。

 そのとき熊の頭が動き、群がる子供の一匹を噛み潰した。

 熊は死んだ。


「最後の最後があぶないんだよ」

「そうみたいだね」

 わたしはカルタとたわむれながら、その様子をずっと見ていた。

 やがて子供たちは、熊のほとんど全部――頭や太い骨以外――を食べ尽くしてしまった。その残った部分を、何匹かが穴を掘って埋めている。

 残りはじゃれ合ったり、狩りの真似事をしたり、その場で眠ったり、とても肉食獣らしい。


「おなかいっぱいなら大丈夫。行こ」

 カルタは登りのときとは違い、するすると降りていった。

「お姉ちゃん、早く」

「うん、ちょっと待って。やっぱ装束って木登りに向いてないんだよねぇ」


 カルタは賢い。

 言葉や動きよりもずっと賢いのはわかっていたけれど、なんだかそんな程度じゃ済まない気がしてきた。

 普段は懐いた野良犬くらいの行動原理で動いているけれど、思い返せば他の誰かがいるときにはボロを出すようなことを言わなかった。

 熊が出てからの行動も、自分や同族よりもわたしを優先した動きだった。

 本当はどこまで理解しているんだろう。





 夕暮れ前になんとか街にたどりついた。

 時報の太鼓が7回鳴って、わたしの後ろでは門番のひとりが入門待ちの締め切りをしていた。

 鳴ったら審査打ち切りじゃなくて良かったよ。

 だけど、今ではそれが壁の外の危険性を現しているように思えて仕方がない。


「急報!」

 鋭い叫びと共に、馬が順番待ちの間をすり抜けて門へと駆け込んだ。

 馬上のその顔には見覚えがある。

 死罪人を連れているはずの役人のひとりだ。

 罪人はいない。

「どうしたんだろうね」

 と話しかけたはずが、カルタもいない。

 かすかに聞こえてきた、役人と門番の話によると、罪人が獣に奪われたというのだ。

 すぐに門の周りが騒がしくなり、馬に乗った集団がいくつか出てくるまで、入門手続きは一時中断となった。





 わたしはもうそれどころじゃない。

 妹がいなくなっただけじゃなく、擬態する肉食獣が街の近くに放たれたんだから。

 入門待ちの集団をひとりひとり探しても、カルタはついに見つからなかった。


「次の者」 

 わたしの順番がきた。

「ちょっと待ってください! 妹とはぐれて」

 振り返るとちょうど、カルタが駆け寄ってくるところだった。

 わたしはカルタの到着を待たずに駆け出す。

「カルタ! どこ行ってたの」


 わたしが走ってまでカルタを抱きしめたのは、再開を喜んでのことではない。

 カルタの両肩に手を置いて、少しだけ隙間を離すと、想像通りカルタの口元や服にはかすかな血の跡があった。

 これは誰にも見せられないよ。

「遅くなってごめんね、お姉ちゃん」

 カルタは少しだけ寂しそうに笑った。


「でもね、お姉ちゃん。カルタ、探しに来てほしかったよ?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る