9.ハ スターに捧げよ

「ねえ、ちょっと」

 自分で言っておいて、神への呼びかけとしてはどうなんだろう。


 ハムスターは首をこっちに向けると、さっと頬袋に火打ち石をしまい込む。

 捕まえようと伸ばしたわたしの手からすり抜けて、別の竃へとダッシュ。

 すぐにまた、カチカチと音を出した。

 なんてふてぶてしいやつ。


 人を呼んでもよかったんだけど、相手は神だし、時間も時間だ。あんまり騒ぐのはよくない。

 放火じゃなくて竃の管理をしているだけかもしれないからね。

 わたしはハムスターに忍び寄ると、包み込むように両手で挟み込んだ。

 が、ハムスターのほうが早い。また別の竃の前で、悠々と火打ち石を鳴らした。


 んふふ、ふざけた真似してくれるじゃないか。

 装束の替えがないから汚さないようにしていたけれど、こんなの洗濯機さえあれば作業着だぞ。

 身をかがめ、片膝を付いてハムスターに狙いを定める。


「うりゃあ!」

 そしてダイブ!

 しかしハムスターはぽーんと宙返りをして、わたしの手の甲の上で大見得を切ってみせた。

 歌舞伎か!

 掴もうとするが、ハムスターは腕を伝って走り寄り、助走の乗ったドロップキックをわたしのデコに見舞ってきた。

 首を振ったが、かわせない。

 もちろん小動物の蹴りなんて、痛くはなかったんだけどね。


 這いつくばったわたしの鼻先で、ブレイクダンスを踊るハムスター。

 睨み付ける視線の先で、なにかが光った。





 竃の中が光ってる……?

 みずから光るのではなく、朝のぼんやりとした光の反射だ。

 立ち上がって装束の埃を払い、改めて片膝をついて観察する。

 竃にはだいぶすすが溜まっている。

 それもただの煤ではなく、油かタールが混ざって照り返していた。


 あー、これは、ハムスターが放火しなくてもそのうち燃えるな。

 そう思って立ち上がろうとゆかについた手の中に、ハムスターがすっぽりと収まっていた。

 嘘のように、あっけなく。

 ……なんでぇ?





「どうかなさいましたぁ?」

「まだ太鼓の前ですよ」

 蝋燭ろうそくの明かりを持って、ふたり連れが炊事場に入ってくる。

 ちょっと騒ぎすぎたかな?

 ひとりは世話係のひと、もうひとりは知らないけれど、ふたりは同じ格好をしている。いわゆる『女中さん』ってやつだね。


 謝ったほうがいいのかちょっと迷って、とりあえず説明だけはすることにした。

「目を覚ましたら、この神が火を放とうとしていて」

 手の中のハムスターを明かりにかざすと、女中さんふたりがヒュッと息を呑む。

 それきりフリーズしてしまったようで、ハムスターを目の前で振ってもリアクションがない。

 もしかして、炊事場にネズミはいけなかったかな?


 と思って待っていると、知らない方の女中さんのほうが復帰が早かった。

「旦那様、旦那様ぁ!」

 声を張り上げながら、廊下の闇へと消えてゆく。 

 少し遅れて世話係さんが炊事場の床へとへたり込んだ。

 ちょっ、ハムスター、なみに嫌われてんじゃーん……

 当のハムスター(神)は肩をおもいっきりすくめてやれやれと首を振った。


「旦那様旦那様ではわからん。きちんと説明をだな」

「と、とにかく一度見てくださいませ。私どもではどうにも……」

 さっき出て行った女中さんが連れてきたのは、きのう中洲で見かけた代官である。

 女中さんのほうはわたしを指さして「あれ、あれ」と繰り返している。なるほど、これじゃ説明になってないね。

 世話係さんも使い物にならないっぽいし、ここはわたしがちゃんとしようじゃないか。


 わたしは代官の前に進み出て、一礼した。

「代官様。昨夜はわたくしたち旅の姉妹、代官様のご厚意を賜り一夜の宿を頂戴いたしましてまことに有難う存じます。先ほど目を覚ましましたところ、こちらの炊事場よりなにやら火打ち石のような音がいたしましたもので、まさかこんな暗いうちからと思い様子を見ましたところ、このハムスターの神が竃に火を放とうとしているところでございました。私の生業は巫女と申しまして、神との対話をするものでございます。神の事情、人の事情、それぞれありましょうが、ひとまずお引き留めするのがよろしいかと思いまして、神と対話を試みましたところ、少々騒がしくしてしまいましたようで、おやすみのところ大変失礼いたしました。私のことはこの場では『ミミ』とお呼びください」

 と言いたかった。

 言いたかったんだ。だけどそうはならなかったんだよ。


「わたし、巫女のミミです。こっちは竈に火を放とうとした神」

 これである。

 思考はクリアなんだけど、ちょっと油断すると言葉が全部飛んじゃうんだよね。


「なに、神?」

 代官はわたしが突き出したハムスターをしばし見つめ、

「おお、これはいかん!」

 足早に廊下に出ると両手を打ち合わせた。

「モティナ殿、モティナ殿はおるか?」

「はいただいま。まだ夜も明けぬうちから、何事ですか」

 どこか遠くから返事があって、年嵩の女中……女中頭? のような、細身に似合わぬ迫力ある女の人が、髪をざっくりと結びながら現れた。


 代官はモティナさんを一言ねぎらってからこう言った。

「竃の神が現れたゆえ、奉納の儀を行う。モティナ殿は手伝いを頼む」





「旦那様、すぐに準備いたします」

 竃に乗った大釜にさっと綺麗な布がかけられ、布の上には背の高い台が乗った。

 モティナさんが金属質の丸い塊をいくつか持ってくる。代官も肩に略式の礼装のようなものをかけてくる。

 蝋燭の明かりが持ち込まれて炊事場全体が薄明るくなる。


 わたしが遠くの壁にもたれてその様子を観察していると、いつの間にかハムスターがわたしの頭の上に登っていた。

 儀式に関わる全員が、わたし(の頭の上)に注目する。

 わたしが動くと代官の立ち位置が変わる。

 モティナさんが竃の上の台を調整する。

 気のせいかと思ってもう一度動くと、代官の立ち位置が変わる。竃の上の台も調整される。

「悪いが、しばらく動かんでいただきたい」

「あっはい」

 儀式の焦点フォーカスわたしの頭上ハムスターかよぉ!

 代官がおごそかに歌いだすと、世話係さんが気を使ってハムスター置き場を代わってくれた。


 よかった。

 注目を浴びたままだと、こっちから観察するの気まずかったんだよねぇ。


 儀式は進む。

 実家のやりかたとは様式が違うから、どういう儀式なのか、はっきりとはわからない。ただ、なんというか、川を鎮める儀式のときも思ったんだけど……

 敬意、足りてなくない?


 わたしはそっと忍びより、台から金属のかたまりをつまみ上げた。

「なにをなさる!?」

 おっと、気付かれた。

 わたしは代官に営業スマイルを向けて言った。

「神をなだめる前に、することがありますよ」

「なにを馬鹿な……」

かまどすすで火事を起こしやすくなっています」

 ハムスターもそうだそうだと頷いている。短い腕まで組んで。

 急いで掃除が始まった。





 客人のわたしは暇になるので、鉄の玉をもてあそびながら、じゃまにならない場所で部屋を観察する。

『ない』

 竈は、家の中の火がほとんど全部あつまる場所だ。

 内風呂は普及していない。火を使った照明は高く付く。となると、あとは真冬の暖房器具か、タバコやお香くらい。

 家の火事は竈から起こる。

 火の手が上がれば木造の家は燃え上がり、町の区画ごと焼き尽くす。

 そのせいか竈の神は世界中で、社会の上から下まで信仰が篤かった。


 その祭壇や神棚が、この部屋にはない。

 神聖なシンボルも、わたしには見つけられなかった。

 今は神様が現れているから、神様に向かって祈るのが当然なのはわかるよ。

 本物にお尻を向けて儀式をするとか、ない。

 直接見るのがおそれ多いとしても、体の軸はちゃんと合わせ……ちょうど目が合ったハムスターが、わたしの肩に駆け上がってくる。

 いや畏れ多さの欠片もないな。


 問題は……

「儀式の時って、決まった場所で祈るものだと思ってたんですけど」

 ちょうど近くに居たひとにたずねても、おまえはなにを言っているんだ? とでも言いたげな反応だった。

「じゃあ、儀式の時ってどこに向かって祈ればいいんですか?」

 そしたらハムスターをてのひらで示された。

 本当に、神様が現れたらその場で儀式をするらしいのだ。


 わたしだって現代人だから、巫女になりたいとは言いつつも、それほど信心深くはない。それでもキッチンの換気扇に張ってある御札おふだが目にはいると、火には気をつけようと思う……こともある。

 神様と御利益が具体的すぎて、神を敬うところまで宗教観が育たないんだろうか。


 その具体的なハムスターは、わたしの肩の上で大あくびをしたり、後ろ脚で耳を掻いたり、普通のハムスターをしている。

「今日は警告に?」

 普通のハムスターすぎて、話しかけるのがちょっと気恥ずかしい。

「ぢゅっ」

 と鳴いて、わからない、と言いたげに首をかしげた。

 あれ?

 代官たちは、神様が見えたとき慌てて儀式を始めようとした。きっと放置すると火事が起こるのだろう。


「燃えそうだから燃やしに来た?」

「ぢゅっ」

 今度は頷いた。

 わかった。この神様、カルタレベルだ!

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