6.鉄を食らう龍、そばうどんを食らうハムスター

 ここまで見てきた感じ、わたしの予想だと、食べ物屋は門の前の大通りにはないね。

 町のどこかにはあるはずなんだから、いっそ横道にそれてみようかとも思ったけれど、食べ物のあてもないのに道に迷ったらと考えるといろいろ怖い。


 それで大通りをまっすぐ歩いていると、大通りを横切る、大通りよりも広い通りに出た。変わった構造だと思ったけれど、広い理由はすぐにわかった。広い通りの真ん中あたりにある川が曲がりくねっているうえに、川辺のあちこちが脆い。細い川のわりに水の勢いは相当で、このくらい広くしておかないとちょっと荒れるたびに建物の土台ごと町を削ってしまう。


 こんな暴れ川、町に通すなよ……

 とは思ったけれど、川の周りに町ができるのは普通なのでしょうがない。ただ、こんな剥き出しの川を大した治水もせずにそのままにしてあるのが不思議だった。

 川にかかった丸木橋の上から水面を覗き込んでさらに驚いた。


 なにがいるんだ?


 川幅の大部分を占める巨体が、川の流れに逆らってゆったりと泳いでいる。大きな鱗に覆われた蛇のような生き物。けれどその頭も尻尾も橋の上からでは見えない。


 大きすぎる!

 思わずカルタを抱えて走ってしまった。

 橋を渡りきってから振り返っても、まだいる。

 他にも橋の下を覗き込む通行人がいたので幻覚なんかじゃない。ただ、他の人はあまり気にしていないようだった。


「わぅ?」

「なんかいたねー」

 カルタも「え、なにかあった?」みたいに見上げてくる。

 カルタを降ろして、水中をよく見ようとしゃがみ込むと、カルタも隣で同じポーズになった。

「あ、魚」

 うん、魚はいるけどね、魚どころじゃないのは気にならない?

 巨大生物は相変わらず、長い長い体を悠々と揺らしている。


 まあいいか。

 通行人が気にするのが、川の中じゃなくて橋の横でしゃがみこむわたしたちになり始めたので、この町ではよくあることだと納得しておこう。





 立ち上がると、歌のようなものが聞こえてきた。

 低く安定した唸りと階段状の旋律は、遊牧民の歌のよう。


 気になったのは歌ではなく歌い手のほうで、川の中洲に立つその人物は、黒いかぶり物と極彩色の服を着て、平たい棒を捧げ持っていた。

 信仰のあかしを感じ取ったわたしは、カルタの手を引いて、川沿いから中洲に近づく。


 すると歌い手がよく見えるようになったくらいの距離で、ふいに横になった棒に阻まれた。

 棒を持つふたりと、その横に石の棍棒を持ったのがひとり。全員が門番と同じ格好をしていた。

「儀式の最中だ。近づいてはならん」

「ごめんなさい。気付かなくて」

 衛兵に違いない3人にお辞儀をして、何歩か下がった。


 儀式には歌い手だけでなく、馬車か牛車のような車が付き従っている。

 車に載っているのは、いくつもの小箱に分けられた、大量の黒や赤茶の塊である。

 あれって、もしかして……


「お姉ちゃん、食べられないよ」

「そうだね。でも、ちょっとだけ見せてね」

「わかった」





 よく見ると、歌い手のそばにも付き添いがいて、小箱のひとつを持って控えている。

 歌い手は付き添いが持つ小箱から塊を掴むと、川面に投げ込んだ。


 1回、2回……

 3回目で、それは川から静かに『頭』を上げた。


 水の象徴として知られる幻想生物。

 その体は川のように長く、その頭は狼のごとく勇ましい。

 長い爪が生えているという四肢は見えないけれど……


 龍、である。

 絵に描かれているほど神々しくはなかったけれど、あの巨大生物は龍の体だったらしい。


 歌い手がこれまでよりも声を張り上げながら、付き添いと共に小箱ごと川に投げ込み始める。

 ほんの二分ほどで全てを投げ込み終えたとき、龍は水に溶けるようにして跡形もなく消えた。

 さっきまで荒れていた川も、すっかり穏やかに流れている。


 龍神だ……

 もしかするとお母さんには、世界がこういうふうに見えているんだろうか。龍が消えた水面から、わたしはなんとなく目を離せないでいた。


 もうしばらくして撤収を始めた衛兵に声をかけてみる。

「あれってなにを捧げたんですか」

「知らんのか」

 察しはつく。

「鉄だ」

 その鉄も、龍神と同じように溶けて消えた。

 かなりの量だ。そりゃあ、町からも鉄が消えるよ。


 第一、いくら儀式で鎮められるからって、神域の川を荒れ放題にしてるのって、なーんかあぶなっかしいよね。お母さんが見たら即、拳が飛んでくるよ。殴られるのは責任者じゃなくて、神様のほうだけど。


 あれ。よく考えたら、なんで神様が殴られるんだ?

 治水は人間のやることなのに。





 そんなことを考えていると、カルタがわたしの袖を引っ張った。

 そうだった。ここには食べ物を探しに来たんだった。


 門の周りには、貨物とか旅人みたいな外から来たもののための設備が充実していたから、川を渡ったこのあたりからは、町の人が普段お世話になる店や施設が増え始めるんじゃないかと予想している。

 たとえば川沿いの、材木や石材が積まれた広場のそばにある店なんかがそれだ。

 屋台をひとまわり大きくしたような仮設店舗的な店で、渋い色の『のれん』を押しのけて、薄着や半裸の男達が騒がしく喋りながら出たり入ったりしている。


 カルタが店を指さして、ちょっと獰猛な笑顔でわたしを見上げた。

「食べ物」

「そうだよ。でも、そっちは危ない」

 途端にカルタの目が敵意に染まり、出入りする人々に向けられる。

 全身のばねを縮めて、今にも跳びかかりそうだ。

「あぶなくみえない」

「1回目は危なくなくても、2回目からは危ないもの、なーんだ」

「んっ? えーとね……」


 あの店は、日本なら『そばうどん』みたいなのれんがかかっている立ち食い系の店構えだけど、どう見ても客層がいかつい。

 それも、うちの神社にもときどき団体さんが来る、墨が入っている系のいかつさだ。


 悪いだけの人たちじゃないんだけど……

 炎を背負って仁王立ちするハムスターの彫り物タトゥーを見送って、『そばうどん』はあきらめることにした。


 ……


 …………


 ………………ハムスター!?


 ああいう彫り物って、神仏やそのシンボルとか、自然の景観を彫るものじゃないの? そりゃ素人さんは面白タトゥー彫っちゃうこともあるけど、ああいう絵柄ってけっこう伝統重視なのでは……


「あっ、小熊狩り!」

 なんにも考えていない顔で元気に右手を挙げたカルタを、わしゃわしゃとなで回しておく。

「そうだね二回目からは危ないね」

 ありがとう、混乱から引き戻してくれて。そしてよかった、『集落襲撃』とか『山菜採り狩り』とか言われなくって。


 カルタもいることだし、もうちょっと客層が上品な店を探そう。

 かといって、立派な門のカフェやレストランでも困る。マナーはともかく、こっちのお金なんて持ってない。


 できれば駄菓子屋とか、お祭りの出店みたいなのがいい。もっといいのは、そういうところで出す商品を作っている製造所かな。

 あると思うんだよ、そういうお店。だってさっきから、ときどき子供が遠巻きにこっちを見ている。目が合った瞬間に逃げられるけど。


 よぉし。





「カルタ」小声で伝える。「子供がこっち見てる」

「後ろに2、右前に1。追いかける? 回り込む?」

 そんなにいたのは気付かなかった。


 しっかり手を繋いでおく。でないと、返答を間違えたら大変なことになりそうだ。

「捕まえないよ。ふたりで歩いて追いかける。わかった?」

「お姉ちゃんの言うとおりにする」

「右前の子。カルタが先」

 カルタは小さく頷いた。


 子供に視線を向けると、やっぱり逃げられる。前のめりの早歩きになったカルタの手を離さないように、歩幅を大きくしてついていく。カルタはときどき、頭を左右に振ってあたりの匂いをかいだ。

 大きな通りから外れ、細い道や路地を何度も通って、結構な距離を歩いた頃、カルタがわたしを不安そうに見上げてきた。


「たぶん、追いつけない」

「追い詰めないし、子連れの群れを探してもいないよ」

「なんでっ?」

 目をまんまるにして、カルタが立ち止まる。

 その脇腹をつついて歩かせる。

 さっきまでよりも、歩く速さに真剣みがなくなっていた。

「うー……」

 カルタの不満が想像できた。


 ねえお姉ちゃん。獲物を泳がせるのはなんのため?


 カルタの常識だと、そうなっちゃうのはしかたがないかぁ。

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