4.あ、最寄りの町だ。肉食獣を放とう!
人に擬態する生き物が出るくらいだから、一番近い集落まで徒歩5日、なんてことはないだろう。
状況を確かめようと木の少ない方に行くと、崖から突き出た大岩からあたりを見渡すことができた。
今いる森が、小さな山の頂上あたり。
そしてふもとのほうに集落らしい建物のあつまりが見える。近いほうが小さい町。それとは別の方角にある、ちょっと遠いほうが大きい街。
いざとなったらそのどちらかに行けばいい。
そう思えたのは、どちらの集落も木の壁に囲まれているように見えたからだ。きっと暮らしに余裕があるんだろう。
それとも、暮らしを犠牲にしなきゃいけないほど、外の環境が厳しいか、かな。
カルタが岩の下から両手を伸ばしている。ぴょんぴょん跳ぶたびに、整ったまゆげまでがギリギリ見えた。がんばれ肉食獣。
まあ、これで状況がだいたいわかったよ。
最初からそうじゃないかなと思っていても、異常事態を受け入れるには時間が必要なんだ。
そう。
遭難。
遭難である。
庭同然の鎮守の森で遭難なんて我ながら呆れるけれど、わたしの常識だと、遭難したときはへたに動かないほうがいい。救助が来ても、わたしがいなかったらどうしようもない。
とはいえ。
わたしは岩の上に登りたがったカルタを引き上げながら、救助について考える。
こんな場所だから、警察とかレスキュー隊みたいな常識的な存在はあてにならない。お母さんなら簡単に踏み込んできそうだけれど、それならわたしはカルタと出会う前に叩き起こされている気がする。
持ち込んだ道具も、基本的には神社掃除お役立ち小物セットなわけで、キャンプ場なら一泊か二泊できても、サバイバルは無理。
それに、ここで救助を待つとしたら、
飢えたカルタとふたりきり。
眠ったらおしまい。
そんな気がする。
「このあたり、食べ物ってないの? 山芋とか木の実とか」
「お姉ちゃん、大好き」
食べ物かな?
さっきから一瞬も視線を外してくれないし、ちょーっと光ってるんだよなぁ、目が。
獲物を前にうっすらと牙を剥く表情と、最初に会ったときの笑顔、それから、本当に『大好きなお姉ちゃん』といっしょにいるような、ほっこりと安心しきった表情が、くるくる入れ替わっている。
無防備に寝そべって、ときどき照れ笑いもしてみたり。
この子、わたしの妹ってことにならないかな?
化け物が人を食べるのはあたりまえだとしても、チーターから逃げるために、チーターよりも早く走る必要はないんだよね。
なにかないかとポーチを探ると、個装の平たいレーズンサンドが出てきた。
カルタの眼が銀色の包装を追って揺れる。
「お姉ちゃん、それなぁに?」
「んふふ、これはねえ」
カルタの隣に腰を下ろしながら包装を破る。
最初は反応がなかった。
5秒くらいたったあと、カルタは寝転んだまま恐る恐る銀色の包装に顔を近づける。
そのあとの鼻を突っ込む勢いに、噛まれるかと思った。
「たべもの!」
カルタは勢いのまま起き上がる。
思いっきり身を乗り出してから、自分を押しとどめるようにして『おすわり』のポーズを取った。
わりと行儀いいよね。
タローだったら、即、奪い食いだよ。
できればその自制心をわたし相手にも発揮してほしかった。
さて、レーズンサンドは2枚。
わたしはそのうち1枚をつまみ上げて、ゆっくりと手渡しする。
それにつられたのか、カルタもゆっくりと口に運んだ。
丸呑みしないでもしゃもしゃと噛んでいる。
「んんんんんんんん!?」
カルタはなんか高音を出しながら、両手をマラカスみたいに振りまわす。
「おいしい?」
「んんんん!」
言葉にしないでもわかる。
カルタはいつも以上ににこにこもちもちしていたから。
でも……犬とか猫の味覚って人間と違ったよね。
人間の姿だと味覚も人間寄りなのかなぁ?
手元に残ったレーズンサンド。
わたしが食べてもいいんだけど、人間は食べなくても3日くらい動ける。
一方、カルタが飢えるとわたしは死ぬ。
簡単な問題だよね。
わたしはもう1枚のレーズンサンドもカルタに渡した。
カルタはレーズンサンドをつまんでしばらく眺めていたけれど、スッと猫のように伸びてわたしの口に押し込んだ。
「はんぶんこ、ね?」
口元を手でおさえて、にししっ、と笑う。
この子、うちの子にするっ!!
いやいや、そうじゃない。
お菓子を食べたことで、今のところ危機は去ったと思いたいけれど、個装のレーズンサンドを半分こだ。
結局、カルタはわたしを食べそびれたし、わたしも年越し蕎麦を食べそびれた。
このまま待っていて迎えが来なかったときのことを考えると、動けるうちに町までたどりつくべきかもしれない。
考えていると、カルタがわたしに密着して、潤んだ瞳で見上げてくる。
「お姉ちゃん?」
カルタをつれて?
今はおとなしいけど、明らかに人食いの化け物のカルタをつれて町に?
これは放し飼いにしちゃいけない生き物だ。
かといって、こんな女の子に首輪を付けて、お姉ちゃんと呼ばれているわたしを想像すると……間違いなく捕まるな。そんな危険人物。
きっとここでお別れしたほうがいい。どんな手段を使ってでも。
そんなことはわかっているけど、いきなりこんな場所に放り出されて、化け物とはいえこうして話ができるカルタを置き去りにするのは、なんだかもったいなく思えてしまう。
ここから見えるどちらの集落も、ざっくり言って高い建物がない。現代日本と比べるまでもなく、たとえば切り裂きジャックがいた時代のロンドンや、教科書で見た明治の日本には、もっと背が高くて立派な建物があった。それに鉄塔ひとつないということは、電気が来ていないということだ。
死ぬ。
こんなところでひとりぼっちだなんて、生き残る環境を整える前に
なにかを察したのか、カルタが両手でわたしの手を包み込んだ。
「いっしょにいると、寂しくならないよ?」
それはわたしへの説得というよりも、ひとりぼっちのカルタが、ときどきどうしようもなく寂しくなるという弱音を『お姉ちゃん』に打ち明けているみたいだった。カルタにはどこか群れで狩りをする生き物らしさがある。人間の姿は擬態でも、その寂しさは本当なんだろう。
一緒に過ごすのは楽しいだろうなぁ。
先に死ぬのが
「お姉ちゃん。カルタいい子にするよ」
わざわざがんばらなくても、カルタはいい子だと思うよ。
たとえば、
「おいしそうな
「ちゃんと骨まで食べる!」
元気に右手をあげて答えてくれたのはいいけど、どうしようかなぁ、この子。
わたしが黙っていると、カルタは自信なさげに付け加えた。
「食べられないあたまと大きい骨は埋めて隠す?」
「そうだね見つからないようにしようね」
いい子なんだけど、発想が捕食者なんだよ。
本能的に人狼タイプというか。
「はい聞いてー」
「聞くー」
「わたしたちはー、これから人里に降りまーす」
「カルタもー?」
「も」
カルタはふもとの町を、岩の上から覗き込むようにした。
「お肉いっぱいだけど、あぶないところ」
「行ったことある?」
「お姉ちゃんが帰ってきたとき、お話してくれた」
「そっかー」
カルタの本当のお姉ちゃんか。きっと冷静で無理をしない、いい狩人だったんだろう。
「狩りをすると危ないけど、そうじゃなきゃ平気だよ」
たぶんね。
「生き物は襲わない。誰かが見ているところでは、食べていいって言ったものしか食べない。カルタはちゃんと守れるかな?」
「やってみるー!」
バンザイでぴょんぴょん跳びはねる。
「おっ、二足歩行苦手かー?」
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