2.現代の殴り巫女は死の宣告もできるらしい
社務所を出ると、あたりはすっかり白い。
暖かい場所で休憩していたせいか、外の空気がさっきより冷たく感じて、わたしはジャケットのボタンを留め直した。
鎮守の森はそれほど広くないけれど、参道脇以外はこの真冬でもいろいろと生い茂っていて、そこそこ起伏があるので視界がよくない。
だから、20カ所くらいあるお社のうち、どこにいるかは……
あっちだ。
なぜだか、なんとなくわかってしまう。
そして少し歩いただけで、この先に居ることを確信した。
近づくだけで存在感があるのだ。
お社のまわりはみんなそうなんだけど、枯れ草や低木の間を分け入るように進むと、突然視界が開ける。
そこに、巫女の姿が見えた。
ここで、鈴の音がシャラーンって感じだったら、いかにも巫女っぽいんだけどね。
どっちかというと、うちわでタローの頭をはたくような、パシッ、スパンッ、って感じの音が鳴る。
巫女の向こう側には20トンはありそうな平たい巨石、つまり信仰の対象としての
冬の寒空のもと、いっそう張り詰めて神と対峙する巫女を見ると、昔からなぜか狼を連想する。振り乱した髪がそう思わせるのか、普段見せない険しい視線のせいなのか。
わたしが憧れた巫女の姿だ。
もう少し近づくと向こうも気付いたようで、磐座を見据えたまま、巫女のほうから語り始める。
「こちらに
――めでたい新年を前に、約束よりも参拝客が少ないだとか、こんな場所に来たくはなかったとか未だにぐだぐだとぬかすので、他の神様の迷惑にならないよう説得をしていたらしい。今、渾身の右ストレートが
体重差がありすぎると、スパンッ、みたいな軽い音しかしないんだなあ。
それよりも、どうなってるんだ、その拳。
小柄な巫女の細腕が、岩塊をさも易々と打ちつける。迷いなく、加減もなく、まるで痛みなどないかのように、右に左に身をひるがえし、ときには回転も交えながら、音を立てて磐座を打ち続ける。
まさしく全身全霊。
それを見ているわたしは……なんでわたしはジャケットなんて着ている?
知っていても使わない言葉の上位に入りそうな『恥じ入る』とか『居住まいを正す』とか、そういう言葉が自然に出てくる。
けれどこんな純粋な『対話』、この人の他に誰ができるだろう。
わたしが怖じ気づいた巫女の姿だった。
しばらく打ち込んだあと、巫女はまるで宙に浮かぶように、磐座にふわりと舞い上がって踏みしめた。常識で考えれば神に対する仕打ちじゃないのだけど、その所作は神聖な舞のようだ。
それで終わったのか、ふぅっと空気の抜けるような息と共に、巫女の存在感が消えていった。
巫女に声をかける。
「お母さん」
背中から落ちるようにして、磐座から跳び降りてきた。ほとんどバク転だ。
「もうそんな時間?」
巫女は首をめぐらせて沈みかけの太陽を追う。
「お祖父ちゃんが呼んで来いって」
「あと三カ所まわらないといけないんだけど……じゃあさ、あんた替わりに見てきてよ」
「見るだけでいいの?」
「んー、ダメ」
「だよね。じゃあお祖父ちゃんにはわたしから伝えておくから」
「よろしく。じゃあ、あんたは早めに寝なさいね」
お母さんとお祖父ちゃんは徹夜、わたしはあした三時起きの予定だ。みんな眠いはずだけど、幸い元旦の昼過ぎまでは眠気を感じる暇もない。地獄へようこそ。おみくじはあちら、御朱印はそちら、お帰りはこちら。除夜の鐘?
お祖父ちゃんには電波が通じるので、メッセージを送っておいた。
予定通り社務所で寝ようかと思ったのだけど、気が変わって、お母さんの背後にぴったりとくっついて行く。
お母さんの小さな肩に、わたしはそっと顎をのせた。
「巫女ってぇ、続けていればそのうち形になったりしない? わたしがんばっちゃうよぉ?」
「重い重い重い。最近の背後霊って体重あるのか」
「またまたご冗談を。わたしなんて片手で持ち上がるでしょー」
「じゃ遠慮なく」
「おっ?」
突然、体重がなくなった。
足を払われたのに気付いたときにはもう視界が回って、いつのまにか冷え切った地面に寝かされる。
なんの衝撃もない、びっくりするほどソフトランディング。
いつも思うんだけど、このひと巫女になる前は忍者だったりしない?
「でさー、本題なんだけど」
「進路を決められないから巫女って、そりゃ神様に失礼でしょ」
しつ、れい……?
さっきあれだけ神様……だかその依り代だかに暴力を振るっていたのは、失礼にカウントしないのか?
……しないな。
あれは間違いなく神との対話だった。
わたしには、平気な顔で岩を殴り続けるなんてできそうにない。
それを巫女の所作として見惚れるほど洗練させるなんて、絶対に無理だ。
わたしじゃ、あんなにも『暴』に振れない。
小さい頃からあんなに純粋な対話を見続けてきたんだから、決意が揺らいだってしょうがないじゃないか。
「わたし、不純だけど、ずっと巫女やりたかったんだよね」
ああいうふうにはなれない。そもそも信心深くもない。
「だから、進路を決められなくて巫女なんじゃなくて、巫女に決められないから進路を探してたんだけどぉ、やっぱり巫女だな、って」
わたしがそう言うと、お母さんはレモンを丸かじりしたような表情でわたしを見下ろした。
そしてぐっとにぎり拳を作ってみせる。
「やめときなさいよ、手、痛いし」
やっぱり痛いんだ、あれ……
「いやー覚悟決まらないのは半分そのせいだけどさぁ」
「それにあんた、見た目しか巫女っぽくない」
「いやいやいや、そんなこと……ない、よ?」
「じゃあ、あんたにとって神ってなんなの」
「決して事実ではない仮定上の原因。しばしば事実を認めずに済ますためのもの」
即答する。
「わざと言ってる?」
わざとだけど、こういうのがしっくりきちゃうんだよなぁ。
こういうの、お祖父ちゃんがよく言うんだ。
「お祖父ちゃんはあれで神職やってるじゃない」
「あのひとはあれで臆面もなく神前に立てるからいいの。あんた巫女としてその態度で神様の前に立てる? 神様を頼りにしている人の前に立てる?」
……えーと。
わたしは神様として空っぽの箱を想像した。わたしが箱を持って行くと、大勢の人がすがるように寄ってくる。
たとえば、みんなおなかをすかせている。わたしが持っている箱には、たぶん非常食と書いてある。
もしこの空の箱で、人々をなだめないといけないとしたら……
「ごめんなさい、神様はいます」
ついつい正座になって頭を下げてしまった。
認めずに済ませたい事実は神様に押しつけるに限る。
「やっぱり向いてないと思うんだけど」
「心を読まれた気がするー」
「いい巫女は勘が鋭くて肝が据わってるもんよ?」
手を引いて立たされる。
「
「だって時には怒り狂った神の前に立つんだもの」
「怒り狂った群衆の前にも?」
「もしかしたらね。で、それがなんであれ、巫女が目の前のものを蔑ろにしてはいけない。かといって気後れしちゃダメ。大事なのは、どうやってでも相手の望むところを知ること。人であれ、神であれ」
「そのあとは?」
「そしたらあとはとにかく納得してもらう。祈って崇めてなだめすかしたり……」
「マウント取ってボコボコにしたりね」
わたしのちょっとした皮肉に、お母さんは完璧な笑みで応えた。
やめて! その純粋さ、いまのわたしには重すぎる!
薄闇の生き物であるわたしが巫女巫女オーラに焼かれて身をよじっていると、お母さんは天を仰いでケラケラ笑った後、一瞬巫女の目になった。
「今のまんまで巫女になったら、死ぬよ?」
そう言い残して去ってゆく。
ざぁっと風が吹いて、舞い上がった雪がふたたび積もる頃には、巫女の姿はなかった。
へー。
死ぬんだ、わたし。
思わぬところから無視できない警告を突きつけられて、意識がそっちに引っ張られる。
いやいやおかしいおかしい。
巫女になったら死ぬとか、現代の日本で出てきていい言葉か?
そう思いつつ、その言葉を信用してもいる。
お母さんは感覚の人で、あんまり説明とかしてくれないけれど、こんなことで嘘を言わない。
だったら、巫女になるとわたしは死ぬのだ。
絶対ではないだろうけど、きっと交通事故よりもずっと確かな可能性ということになる。
「
その発想に、自分でもちょっと驚く。
命懸けなんてガラじゃない。
わたしは毎日楽しく暮らしたいだけ。それが憧れの巫女なら最高だ。
現実がそんなに甘くないのは、わたしにもわかる。
けど、巫女になったら死ぬなんてさすがに予想外だよ。
巫女、やりたいなぁ。
死にたくないなぁ。
ないかなぁ、裏口。
心当たりはある。
うちは独立しているので、誰を雇うかは自由に決められる。そして神社のトップは宮司だ。
宮司であるお祖父ちゃんは、わたしが押せば落ちる。
お金の問題は……うちには普段からそこそこ参拝客がいるので、わたしが巫女として入ったら神社アトラクションを盛り上げていこうかな。御朱印とかがんばっちゃうし、神棚用の火打ち石とか、パワーストーン扱いで売ってみようか。
ほかの巫女のお仕事も死ぬ気でやれば、お母さんの予想が現実になる前に立派な巫女になれるだろう。きっと、たぶん。
問題は、その死に物狂いがいつまでもつかってこと。
自覚あるけど、わたしってなんか残念な子なんだよなぁ。
早まると本当に死ぬかも。
余命だけでもがんばって聞き出してみようかな?
それとも、お母さんに気付かれる前に、お祖父ちゃんと話をつけたほうが……
寝るのも忘れてうろうろとああでもないこうでもないをしていたわたしは、気付くとさっきの磐座の前に戻って来ていた。
めでたい新年を前にぐだぐだとぬかす神。いまのわたしにはぴったりだね。
とりあえず二柏手一礼。
うちではこれが正式な作法ということになっている。
(ちょっと磐座借りますよ)
拳を作って構えた。
わたしがやるとボクシングみたいになる。
お母さんの構えはもっとこう、なにかを捧げ持つというか、風に身を任せるというか、とにかくどこか巫女らしいのだ。この世に、巫女らしい殴りかた、なんてものがあるとすればだけど。
とにかく、フォームが決まらないのは諦めて、さっきの『対話』を真似てみる。
拳を振るう。
右、左。そのまま勢いを付けて右――
「――っ」
拳がうっかり磐座に当たっても、かすかな音は風にまぎれた。周りに聞こえるような音なんてどうやったら出るんだ。
一歩……念のためもう一歩引いて真似を続ける。
左右のターンも見た目より難しくて、同じ速度を出そうとするとふくらはぎが限界を訴えた。
息切れしながらもなんとか最後までたどりつき、最後に磐座の上にふわりと舞い上がって、舞い上がって、舞いっ、舞いっ、舞……
無理!
この磐座、高さ1メートルはあるんだよ。ぴょんぴょん跳んだってわたしに着地できるわけがない。
近くの木に足をかけて磐座に這い上がると、積もった雪にさっきのお母さんの足跡を見つけて、なんだか妙な満足感があった。
足跡を重ね、跳び上がって踏みしめる。
これがよくなかった。
足を滑らせて目の前に磐座が迫る中、いまさらになって原因を考えていた。
参道と一緒で、岩の上は雪が溶けやすい。そうして氷が張った上に雪が積もっていたんだ。
巫女の足跡は、磐座の端で斜めについていた。
わたしがあんなに動いたあとで跳んだら、踏ん張りがきかなくて当然。
もうぶつかる。がんばれ雪。おまえだけが頼りだ。
衝撃。
目の前を赤い光が覆う。
巫女になったら死ぬとは聞いたけれど、わたしはまだ、巫女に、なってない……
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