第8話


 ルヴィアナは言いたいことを言うと走り出した。

 ドレスは邪魔だし、靴は脚をひねりそうになるがそれでもお構いなしに走った。

 表への扉を開けて外に走り出たところで石畳でつまずいた。

 「あっ!」

 もうどうしてこんな事に?混乱と憤りが渦巻いて無性に腹立たしくて唇をかみしめる。


 「待ってくれ!クーベリーシェ嬢…ああ、ほら見ろ。大丈夫か?」

 目の前にシャドドゥール公爵が立っていて手を差し伸べられる。

 「わたくしの事は放っておいて下さい。自分で立てます。それに一人で帰れますから」

 こんなに心が比叡している時にロッキーを思い出すような人に優しくされたらそれこそ命とりだと直感で感じる。

 きっと日本人って外国人はほぼ同じ顔に見えるのかもしれない。なんてことまで思ってしまう。それは私だけかもしれないが…


 「いいから手を出して、出さないならこうするまでだ」

 「ヒャッ、何をなさるんです。人を呼びますよ!」


 ルヴィアナはいきなり抱き上げられて身体を揺すって抵抗する。

 「けがはないか?どこか痛いところは?心配するな、馬車まで運ぶだけだ」

 ランフォードは無駄に声までロッキーと似ていた。

 目を閉じればロッキーがそばにいるみたいでルヴィアナはつい彼の胸に頭を摺り寄せてしまう。

 ああ…夢なら覚めないで欲しい。いっそこのまま時間が止まってしまえばいいのに。


 「そうだ。最初からそうすればいいのに…ったく!未来の王妃様は世話の焼ける人らしいな」

 「そんな…さっきの話は聞かなかったことにして下さい。私ったらまたやってしまいました…殿下が私を嫌っている事はわかっていましたのに…でもこの結婚はどうしてもしなければならないんです。もう下ろしていただけます。どうかシャドドゥール公爵もうお許しください」

 「さあ馬車に着いた。今日はもう帰った方がいい。帰ってゆっくりお風呂にでも入って休みなさい」

 ルヴィアナはおっしゃるとおりと頷いた。

 「それにしても君の瞳すごくきれいだ。まるでアメジストみたいに輝いて」

 彼の瞳はルヴィアナの顔をじっと見つめるというより凝視しているみたいで…


 「はい?」

 杏奈の時に言われた事と同じことを言われしばし脳が固まる。

 ルヴィアナのまつ毛は長かった。バシバシ目を羽ばたかせるたびに風でも起きそうなほど空気が揺らめいた。

 そこではっと杏奈じゃない事にやっと気づく。私ったら何を馬鹿なことを…

 「あ、ありがとうございます。ではおやすみなさいシャドドゥール公爵」

 「ああ、おやすみルヴィアナ嬢」

 彼は馬車にルヴィアナを乗せるとまだ目を離さずルヴィアナを見つめている。



 なぜかぞわりと肌が粟立つ。

 「あ、あの…では、失礼します」

 「ああ、すまない。では失礼する」

 それから彼はすぐに立ち去った。

 なんだ。やっぱり礼儀で顔を見てただけなのね。

 ルヴィアナはほっと息をついた。

 でも少し寂しい気もした。


 馬車は朝来た道を走ってルヴィアナの屋敷に向かった。

 すぐに屋敷に着くと母が心配していた。

 「ルヴィアナどうしたんです。こんなに遅くまで心配しましたよ」

 「すみませんお母様、調べ物があってつい時間がたつのを忘れてしまって、すぐに休みます」

 「ええ、食事は部屋に持っていかせるから先に着替えなさい」

 「はい、お母様」

 ルヴィアナは部屋に戻るとマーサがドレスを脱がせてくれた。

 もう、ドレスってどうして一人で着たり脱いだりできないのかしら…まあこれだけ締め付ければそれは無理もないけど…

 やっと苦しい締め付けから解放されるといきなりお腹が鳴った。

 「まあ、お嬢様…すぐにお食事を」

 マーサが急いで出て行った。



 それと入れ違いにお母様が入って来られた。

 「ルヴィアナ、あなた殿下と何かあったのでは?」

 「いいえ、殿下に言われた通り仕事のお手伝いをしていました。殿下は他の女性とイチャイチャされていて…それで私つい言ってしまったんです。もう婚役は取りやめましょうって」

 一瞬、母の顔が驚きで強張る。

 「もしかしてルヴィアナは殿下が嫌いなの?」

 「嫌いじゃありませんわ。むしろ好きです。でも好きすぎて殿下のお気持ちもわからないし私不安で、それについ嫉妬してしまって…私、殿下が嫌うようなことを口走ってしまうんです。だから…だから…きっとディミトリー殿下は私がお嫌いなはずです。嫌われたまま結婚するなんてもう嫌なんです」

 そう言いながらも何となく冷めているのは杏奈がルヴィアナの中に転移してしまったからだろう。

 きっと元のルヴィアナは結婚したいはずだろうけど…

 私とすればこのまま婚約破棄になればいいというのが本心。

 まあ、転生一日目なんだから今日はこれくらいにしたい。とにかく疲れた。


 「ルヴィアナ…可哀想に、いいからよく聞いてちょうだい。あなたと殿下の結婚は絶対なの。母がニコライ国王の婚約者になるはずだった事は知ってるでしょう?でも急に予定が変わったのも。その事をわがガスティーヌ家も良く思っていないし国王も悪かったと思ってらっしゃる。だからこの結婚は取りやめには絶対にならないわ。そんなことをしたらガスティーヌ家が黙っていませんから、公爵家を怒らせれば国の政治はたちまち回らなくなります。それは国王も王太子もよくご承知のはずですから、さあ、そんな心配はいいからしっかり食べてゆっくり休みなさい。殿下に嫌われたくないと思うなら少し慎みなさい。殿下もあなたの気持ちをきっとわかってくださいますよ」


 「はい、お母様。ありがとうございます」

 「それによくわかっているでしょうけど、わたくしが男爵夫人のままではいけないとあなたも思ってるでしょう?あなたが殿下と結婚すれば母は次期国王の母ですものね。オホホホ…」



 背筋が凍る。そうか。お母様は伯爵夫人だったけど今のお父様は男爵だもの。もとは公爵家のご令嬢がそんな地位で我慢できるはずがない。

 ルヴィアナの結婚は本人だけのためではない。母上、しいてはガスティーヌ家のためでもあるって事なんだ。

 ここは日本ではない。レントワール国という王国の貴族社会というガチガチの序列社会なのだ。

 これじゃあまるでやくざの組織と同じでは…


 はぁぁぁ…やっぱりこの結婚はどうしたって取りやめにはならないらしい。

 まったく困った。この先どうやって生きて行けばいいのだろう。母のためお家のためなんて…

 杏奈はハッと気づく。

 この体はルヴィアナのものでいわば私は後から来て何の事情もわからなくて、だとすればルヴィアナの気持ちを無視することなんか出来るはずがないんじゃあ…

 ルヴィアナはディミトリー殿下が好きなんだし、このまま結婚したいと思っていたに違いない。

 杏奈としての気持ちを優先していいのだろうか?

 そんな疑問が次々に沸き起こり、明日から一体どうすればいいか悩む。


 もしかして元の世界に変える方法とかないのだろうか?

 いや、多分私は死んでしまったんだろうから、元の世界に帰るのは無理かもしれない。そうだとしたら私が天に召されればルヴィアナは元のルヴィアナに戻れるのだろうか?

 そんな八方ふさがりの展開ばかりが脳内をよぎり、ルヴィアナはほとんど眠れない夜を過ごすはめに…




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