2人目:光を失った画家、瑠璃子の場合

 美しい少女ノーラはその身にある呪いを背負っている


 それは「姿」という呪いだ

 そのかわり「姿」という能力を与えられた


 しかし「自分の姿には戻れない」ため、ノーラの母は彼女を娘だと認識できない

 ノーラの親友も彼女のことを認識できない

 かつてノーラを知っていたすべての人からノーラは失われてしまったのだ


 だが呪いを解く方法はある

 それは誰かのために、その人が望む姿になって、

 その人の願いを叶える、という方法だ


 そうして99人の願いを叶えた時、

 ノーラにかけられた呪いは解けるといわれている


 かくしてノーラは今日もそうした願いを持っている人を探し求め、

 その人が願う姿に変わり続けるのだった



 そして今日、ノーラは瑠璃子と出逢う。



 瑠璃子はバルコニーに佇み、無限に広がる空を見上げていた。

 彼女の視界は霞がかり、かつて鮮やかだった色彩は今や灰色のヴェールに覆われてしまっている。彼女の視力は今や限りなくゼロに近かった。

 右手に握りしめた絵筆は、その先のキャンバスに触れることなくただ震えていた。耳を打つような静寂の中で、彼女は自分の内面と対峙していた。1年前の事故の記憶が脳裏をかすめる。彼女はこの事故で視力をほぼ失ってしまったのだ。

 絶望が首を絞めるように重くのしかかり、彼女の才能、夢、そして生きがいを根こそぎ奪っていった。その事故は、瑠璃子の未来に決定的に暗い影を落とした。

「私にはもう何も残っていない……最後の一筆さえ……」

 彼女の声は、絞り出されるようにして、夜風に乗って消えていった。

 そんな彼女の孤独な独白を聞き逃すことなく、風とともに現れたのがノーラだった。

 突如、彼女は不思議な光をたなびかせて瑠璃子の前に降り立った。

 ぼんやりとして見えない瑠璃子だったが、人の気配は確かに感じていた。

「こんな夜更けに、どなた?」

 瑠璃子は驚きを隠さず言った。

 しかし、ノーラの瞳は、なぜか瑠璃子の心の内を見透かすような温かさを湛えていた。

「私はノーラ。あなたの最後の絵……私と共に完成させてくださいませんか」

 ノーラの声は、まるで天からの啓示のようだった。

 瑠璃子は涙がにじむ目でノーラを見た。

「でも私の目はもう…どうすることもできない……」

 ノーラは穏やかに微笑むと、瑠璃子の前で光を纏い変身した。

 彼女の身体はキャンバスへと流れ、色と形を作り出し始めた。

 彼女は瑠璃子の見たい世界を具現化していった。

「私があなたの目になります。あなたが想い描く世界は、私がこれから見せるものです。心に浮かぶその光景を、どうか指でなぞってください」

 瑠璃子の震える手が、慎重に空中を滑るように動き出した。

 彼女の指先によって導かれるように、ノーラはピグメントを操り、瑠璃子と共にキャンバスに情熱的なストロークを重ねていった。

 瑠璃子は自分の指先から生み出される、この美しい色彩のハーモニーが信じられなかった。

 二人の息がひとつになるように、作品には生命が吹き込まれていく。

「こんなに美しい色……あなたは一体……」

「今の私の存在は、ただあなたの瞳になるためだけのものです……」

 ノーラはそっと囁いた。

 完成に近づくにつれ、キャンバス上の景色は瑠璃子の人生そのものとなった。

 幼き日の思い出、愛した人々の笑顔、そして失われた全ての美しさが蘇る。

 ノーラは瑠璃子の過去と未来を描き、彼女の心に再び深い感動と希望の火を灯した。

「ノーラ、あなたは私の救世主……本当に、ありがとう……」

 瑠璃子の言葉に、ノーラの顔に満足そうな笑みが広がる。

 そして、夜が明けると同時に、ノーラの姿はキャンバスの中に溶け込んでいった。キャンバスには、他ならぬ瑠璃子自身の願いが込められていた。彼女の生きた証と、新たな未来への架け橋がそこに存在したのだ。

 夜が明け、瑠璃子は一人きりでバルコニーに立っていたが、心はもはや孤独ではなかった。彼女の中にはノーラが遺した希望が息づき、彼女はまた絵を描く勇気を得た。このほぼ見えない目でも指で感じて描くことはできる。いや、描かなければいけないんだ。瑠璃子は堅くそう誓った。

 そして彼女は知ることはなかったが、彼女のこの決心はノーラの呪いを解くための一助となっていたのであった。


(了)

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