17話『窮鼠虎を噛む』

 凛は新宿駅から少し離れた歌舞伎町、昨日訪れた空き地に翔を連れて訪れた。


 そこに入り込んで、完全に撒くつもりで――


「待ちくたびれたぞ、竜崎凛、一之瀬翔」


 袋小路となった。


 空き地に入り込んだ二人の前には、狐の仮面を付けた全身を黒いロングコートで覆った人物が待ち構えていた。


「あんた――なんで」

「”鷹の眼”だ――””ジャックナイフが居る時点でその辺りの見当は付いているだろ?」

「チッ――」


 凛が舌打ちしながら翔の手を離す。凛は身構え、翔は困惑しながら警戒心を露にする。


「お前か――両親の殺害を企てたボスって言うのは?」

「いかにも」


 男の声に、翔はグッと歯を食いしばる。凛は横目で翔の動向を気にしながらも、男にも気を配る。


「単刀直入に言おう。その試験薬

をこちらに渡せ、一之瀬翔。そうすれば我々は一度ここから手を引く」

「渡しては駄目。どうせロクな事に使わないのだから」


 二人の言葉が翔をそれぞれ惑わせる。理性で言えば、凛の言う事は最もだ。どうせロクな事に使わず、それは犯罪の為に使われる。


 感情で言えば、手を引くのであれば渡して見逃してもらうのが妥当だ。


 しかし、翔は試験管を手にして前方を睨む。


「これがそんなに大事なら、こうしてやるよ」

「なっ――」

「えっ――」


 二人が驚く中、翔は試験管の蓋を開けて、それを口から飲み込んだ。飲み込めないような味をしている程に、酷く不味い液体を全て飲み干すと翔はその試験管を地面に捨てた。


「あなた何をしてっ――」

「そう来たか――」


 二人の声に試験管の割れる音が描き消えた。

 割れた試験管から顔を上げて、翔は男の方を睨む。


「中身はMAB。だったら最初からこうすれば良かったんだ……そうすれば、お前達が狙うのはハナから僕だけだろ!」


 翔が声を荒げる中、男はフッと声を漏らして声高らかに笑い出した。


「そうだな。そういう風にする事も出来るな。予定外だったが、貴様を貰おうか、一之瀬翔!」

「面倒な事をっ」


 凛は言いながら、男の方へと駆け出した。そんなか、翔は身構える。何が出来るか分からないが、それでももう足を引っ張る物はない。そんな思いで居た中、翔の体に異変が起きる。


 目の前が揺らぎ、足が鳴るように震えだす。体も熱くなり、まるでインフルエンザにでもなったみたいだ。


「竜崎。お前が私に敵うのか?」

「心配無用よ。もうすここに仲間が到着するから。その足止めくらい出来るわ!」


 そう言って凛は男へ攻撃を試みる。男はそれを軽々と躱す。身へ左へと軽やかに躱す男に対して、凛は応戦とばかりに攻撃を繰り返す。


「な、なんだこれ」


 翔の声に凛と男の視線が一瞬翔へと向く。翔はその場にへたれこみ、頭部を抱えている。


 翔は体の熱さや気持ち悪くなるほどの視界の揺らぎは元より、頭痛と謎の声に怯えていた。頭の中で声が響くのだ。『我を解き放て』と。


 その声に翔は混乱し、起きている異変に困惑するも、二人はそれどころではない。


 凛は翔へ近づかせまいと攻撃を試み、男は不用意に近づけず凛の相手をする。


「竜崎、あの中身はなんだ?」

「さぁね。MAB薬以外分からないわ」

「なるほど――」

「うわああああああああああああ」


翔の絶叫が響き、二人が再び翔へと目をやる。翔の体から蒸気のように黄金色の何かが湧き出ている。


 それを見るや、男が行動に移す。


「悪いな、竜崎」


 瞬間、翔の目の前に男が移動する。男が握りしめた拳を翔へと思いきり放った途端の事だった。


 絶叫する翔の体から黄金色の衝撃波が放たれ、男が後ろのビルへと激突する。凛もその衝撃波に吹き飛ばされるが、ビルの壁を地面のように蹴って、反動を和らげて着地した。


 その目の前には、絶叫が止まるも、蒸気のようなものを発し続けて項垂れる翔が居る。


「これは、一体なんだ……」


 呟く男の仮面の一部が欠けて、右の眼が露になる。碧玉のような碧い目が、翔を睨む。


 その最中、どこからかパトカーのサイレン音が聞こえ始める。ヘリコプターのプロペラ音も聞こえる中で、男は呟いた。


「この一件、一旦保留だな」

「待ちなさい!」


 凛の制止も空しく、男はビルの壁に唐突に現れた歪むゲートの中へと消えていく。


 凛が諦めたように吐息を吐く。あのゲートの先はもう追えない。それを分かっているからこそ、凛はゲートから翔へと向き直り、翔の方へと近づいた。


 そして、、ポケットから刺し込み型の注射器を取り出した。


「あなたが生きる事を諦める気がないなら、抗ってみなさい」


 そう言って、凛は翔へと注射器を打ち込む。途端に、再び翔から衝撃波が放たれ、凛は後方へと吹き飛ばされる。しかし、凛は先ほどと同じ方法で地面へと着地し、翔の様子を見守る。


 絶叫する翔の声が次第に止み、翔はふらりとその場に倒れ込む。


 それを見届けて、凛は漸くとばかりに携帯端末を操作してどこかに通話する。


「こちら竜崎。MAB対象者を鎮静化。これより回収する――」


 通話を終えた凛は、小さな溜息を吐いて翔へと歩み出す。

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