13話『買い物からの散歩』

 翌日。翔達は近くの商業施設に買い物へ向かった。


 宅配ではなくわざわざ買い物へ向かった理由は、優の気晴らしのためと戸籍や遺族に関する手続きを済ませるためだ。


 区役所では優が暇そうにしていたが、商業施設では大いにはしゃいでいた。それを見て翔は安堵しつつも、無理をしているのではないかと気がかりになっていた。


 優はこのところ勉強したり遊んだりしているが、弱音を吐いたり我儘を言ったりする事がない。それが翔は気になっていた。


 元々、我儘や弱音を吐くタイプではないのだが、事件が起きてからその事には何も触れない。両親が居ない事を嘆くでも、両親が殺された事に怒りを表すでもない。我儘を言って困らせる事もなければ、もう嫌だと言ったりする事もない。


 それが翔には”おかしな事”のように思えた。優が何もアクションや反応を起こさない。それは何かを我慢しているからではないかと。物分かりの良い優が、何かを理解して、”あえて何も子供らしい事”をしないのではないかと。


 武爺と貴美子婆は優と翔に何か欲しい物はないかと言ってくれたが、優は何もねだらず、翔もこれといって何もなかった。


 そのためか、商業施設を見て回って、食料や生活用品を買うだけで終わった。


 その帰りがけ、翔は一人で散歩をしたくなり、優達には先に帰ってもらう事にした。その時も優は嫌だ嫌だとは言わず、ただ頷いた。笑顔で。


 そうして翔は、足が赴くままに歩き出した。


 優はやっぱり何かを抱えて我慢している。それを見ているのが辛くて、耐えられないのは翔の方だった。優が大きな何かを我慢しているのに対して、翔はそれに耐えきれなかった。


 その事に、自分の非力さと無力さを改めて思い知った気がした。


 事件が起きてから警官は警備を続けてくれている。事件の進捗はないようで、警察からは何も連絡がない。凛が犯人を捕まえるのは難しいと言っていた事から、犯人を見つけるのも捕まえるのも難しいのだろう。それがどうにももどかしく、どうにかしたいと思いながらどうにもできない自分が居た。


 翔は当てもなく歩いて、近くの公園に入った。そこでベンチに座り、携帯端末を見る。ホーム画面の背景にしていた家族写真。それが今は懐かしさと共に悲しく思える。


 なぜこんな事になった。なぜこうなった。なぜ、なぜ、なぜ――その事がグルグルと回るように頭の中に浮かぶ。まるで底なしの沼のように。


「――一之瀬翔君だね?」


 翔が溜息交じりに吐息を吐いた時だった。翔は顔を上げて前方を見る。そこには青いワイシャツ姿の男性が立っていた。


「君に用事があるのだけれど、今、いいかい?」

「なんですか?」


 翔は答えながら、不審な男性を観察する。


 青い無地のワイシャツ。黒い整ったスラックス。背中にはリュック。青いフレームの眼鏡。美形と言われる相貌。怪しそうなところは見当たらないが、翔は一つ引っ掛かる事があった。


「あの、なんで僕の名前知ってるんですか?」

「ボクは刑事だからね」

「へぇ……警察手帳は?」

「あれ、ボク今警戒されているかな?」


 当然とばかりに翔は首を縦に振る。すると、男性はフッと笑みを零した。


「そうかー、失敗かー」

「失敗?」

「なら、単刀直入に言うよ。君の持っている試験管、渡してくれるかい?」


 そのキーワードに翔は目を丸くした。なぜこの男性が試験管の事を知っているのか。


「あんた、何者だ?」


 翔が睨みながら尋ねると、男性は「当ててみて」とおどけて見せた。


「断る。事によっては、警察に連絡するし、試験官は渡さない」

「そうか。それならこちらも強硬手段を取るしかない」


 翔が思わず身構えると、男性は不敵な笑みを浮かべたまま翔に一歩近づいた。


「痛いのが嫌なら試験管を大人しく渡してもらえると嬉しい。ボクもあまり手荒な事はしたくないからね。穏便に済ませたいな?」

「こ、断る。あの試験管は両親の形見だ。だから渡さない!」

「そうかい……それなら仕方ないね。痛い目を見てもらおう」


 そう言って翔にもう一歩踏み込む男性。翔は思わずポケットを押さえて目を瞑った。


 何をされるか分からない。しかし、これだけは守らなければ。確証はないが、きっと両親が遺した何かだから。


 そう思って翔はベンチから駆け出した。その瞬間、腕を引っ張られて翔は後ろへと倒れ込む。


「悪いけど、追いかけっこは苦手なんだよ」


 そう言って翔へと男性が手を伸ばす。翔が再び目を瞑った瞬間だった。


「そこっ、待ちなさい!」


 聞き覚えのある声に、翔は瞼を開けて声のした方を見る。そこには凛が居た。男性も凛の方を見て、チッ、と舌打ちした。


「これ以上危害を加えたら、あなたの綺麗な顔面が壊れるけどいいの?」

「これはこれは竜崎さん――お久しぶりで」


 知り合い――その事に翔が動転する中、男性は言う。


「さすが”電光石火”だけありますね。もうボクの背後を取るなんて……」


 男性が言った時には、既に翔の目の前から凛が消え、男性の背後に凛が居た。瞬間移動――翔がそう思った直後、凛は言い放つ。


「その子、解放してくれるかしら。あなたに勝ち目はないから」

「異名持ちの部長さん相手はボクも嫌ですからね。条件としてボクを逃がしてくれる代わりに、この子には危害を加えないってのはどうですか?」

「……分かった。行っていいわよ」


 ありがとうございます、と言って男性はその場を足早に離れていく。その光景になぜ捕まえないのかと訝しむ翔に、凛は手を伸ばした。


「立って。話しをしましょう」


 翔は凛の手を掴み、二人はベンチへ腰かける。

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