4話『邂逅の対話』

 事件の噂が町内に広がっている頃、翔は自身の部屋で窓の外を見ていた。


 野次馬達が家の前に押しかけている光景を見て、翔は一人気落ちしていた。翔の部屋のベッドには優が眠っている。あれから優は疲れ果てたのか、事件の事を受けれいられないのか、眠りこけている。


 翔は今、幼い優にすらすがりつきたい気持ちを堪えていた。兄だからとか、年上だからとかそういうものは取り払って、今はただ、この打ちひしがれた気持ちを誰かと分かち合いたかった。


 入学式という日に、よりにもよって四月一日にエイプリルフールの嘘のような現実がのしかかったのだ。受け入れたくない夢であるなら冷めてくれと思っても、紛れもない現実のリアルな感覚が翔を襲う。


 行き交い何かを話し合う警官達。明石達に貰った名刺。外の喧騒。眠りこける優の寝息。何より、自分の鼓動が確かな現実味を感じさせる。


 何もかもが最低で、今日という日は最悪で、今ここで捜査を終えるのを待つしかない自分が矮小な存在に思えてならなかった。


 泣きたくても泣けない辛さ。喚きたくても喚けない辛さ。


 孤独とすら思える中で、唯一希望が優だと思えてしまう。幼少の優が居る事だけが、今唯一の希望。そんな思いで絶望に打ちひしがれる翔の耳に、階下から新たな声が聞こえてきた。


 それは女性の声だった。


「明石さん、被害者は?」

「ここに倒れていたけど、既に遺体は運んである」


 被害者。遺体。その言葉が翔の胸を締め付ける。母親と父親の亡骸が目に浮かび、翔の瞳が潤む。下唇を自然と噛んでいた。


「それで第一発見者は?」

「上に居る。連れてくるより上の部屋で話してもらった方が良いと思う」

「分かりました。では、私は一度上に行きます。何かあったら呼んでください」


 誰か来る。誰だか知らない明石達ではない誰かが。


 まるでその声は、事件が起きた事が嬉しいような、事件を好きそうな声に聞こえた。


 それが翔の胸に苛立ちを覚えさせる。全員、出てけよ、と。一人にしてくれよと――。


「少しいいかしら?」


 気付いたら扉がノックされていた。声のした部屋の入口を見て、翔は目を丸くした。


 そこに居たのは、自分よりも背の低い、大して自身とあまり変わらない歳の少女だったのだ。


 黒い長髪に制服とロングコートを羽織っている。肩には学生カバン。右手には警察手帳。左手には白手袋を二枚。


 あどけない顔立ちの、しかし、どこか翔よりも大人びた雰囲気を持つ少女がそこに居た。


「私は警視庁の特殊な捜査を専門とする警官の竜崎凛です。今回はお辛い所、大勢で押しかけて申し訳ございません。まだショックなのは重々承知していますが、少しお話を伺いたくて。あなたが第一発見者でしょうか?」


 まるで決まり文句か頭の中にメモ紙でもあるかのように、一回たりとも噛まずにスラスラ言う凛に一瞬気圧され、翔は遅れて頷いた。


「お答えいただきありがとうございます。そうなると、妹さんは当事者に当たりますか?」

「あ、はい……」


 翔は凛の口調に流されて、他人行儀のまま答える。凛の不思議な雰囲気。大人ではないのに大人より真面な話し方をする姿勢に、翔は既に飲み込まれていた。


「そうですか……そうしたら、後で妹さんにもお伺いしたいので、後程また宜しいでしょうか?」

「う、うん……捜査に関係あるなら」

「ありがとうございます」


 そう言って凛は一礼する。しかし、凛の視線が部屋のあちこちに散らばっているのを翔は見逃さなかった。何かを伺っているのか、様子を見ているのか、はたまた観察か。


 どれかは分からないが、ただここに訪れたというわけではなさそうだった。


「そこのポスター、人気のゲームのキャラクターですよね?」

「え……うん。そうだけど」

「あなたは――えっと、お名前は?」

「一之瀬翔――」

「翔さんは、ゲームが好きなんですか?」

「まぁ、ほどほどに」

「そうですか。でも難しい勉強もされているんですね」

「え?」


 なんでそんな事を知っているのかと思う翔に、凛は机の本棚を掌で指した。


「あちらに並んでいたので」

「ま、まぁ。将来は父さんと母さんみたいな科学者を目指しているから」

「そうなんですね。それで難しそうな本が並んでいるんですね。少し見てもいいですか?」

「うん……」


 この凛と言う少女、一体何をしに来たのだろう。捜査の事で聞きに来たのではないのか。


 翔が訝しむ中、凛は白手袋をはめて適当な本を取ってぺらぺらと捲りながら言う。


「凄いですね。綺麗に使われているし、付箋とかメモの情報とかもちゃんとしているんですね」

「まぁ……昔からそういった事は得意だったから。まとめとか、コメント残すのは」

「そうですか。本の内容は難しくて私にはさっぱりです……」


 凛は本を元あった場所に戻すと、翔の方を向いた。


「あの、捜査の事、お話ししても宜しいでしょうか?」

「い、いいけど。何を話せばいいか分からないし、大体の事は明石さんって人達に話したし」

「では、私は少し違う話を――」

「違う話……?」


 翔が疑問を抱く中、凛はUパッドをカバンの中から取り出した。最新のパッド型端末なのか、真新しいようなカバーとペンがセットになっている。


「今回お父さまとお母さまがなくなられた事は改めてお詫び申し上げます」

「いや、別に警察の人が悪いわけじゃないし」

「――私がお伺いしたいのは、翔さんはお父さまとお母さまから何か受け取ってはいませんか?」

「え――?」


 翔は一瞬問いの意味が分からず声を発した。受け取った? 何を?


「もしくは、家の中でいつもとは違う物、例えば、資料や小さな物でも何でも構いません。何か違う物がありませんでしたか?」


 言われて、翔はふと思い出す。制服の右ポケット。そこに、蓋のされた小さな試験官が入っている。しかし、それはまだ誰にも言っていない。なぜなら、両親が必要そうな物な気がしたからだ。両親が置き忘れた何かで、しかし、この事件に関会が深くありそうな物な気がしたからだ。


 翔は言うべきか否か迷って、しかし、首を横に振った。


「いや、何も――」

「そう、ですか。分かりました。では、二つ目にお伺いします」


 凛の言葉に翔はなぜか胸をなでおろすような気持ちになった。凛は今の事をメモに取りながら次にこう言う。


「ご両親のことを恨んでいる、もしくは狙うような人物は居ましたか? また、いつもとは違う何かがあったという事は?」

「何も、ないと思う。父さんと母さんについても、人から恨まれるような事はない……と思う」

「そうですか。お辛い中ありがとうございます」


 凛の言葉が癪に触りつつも、翔は平静を装って答えた。


 父母が恨まれるような事などあるわけがない。狙う人物が居たらそれは逆恨みだ。そう言いたい気持ちはありつつも、その気力が今の翔にはなかった。


 それでも、なぜそんな事を凛が聞くのか翔には理解出来なかった。


「今の所あなたにお伺いしたい事は以上です。ですが、後ほど妹さんにも伺いたい事があるので、起き次第こちらにご連絡を頂いても宜しいですか?」


 そう言って、凛は電話番号をメモした紙を翔に手渡した。名刺じゃないのかと思いながら、翔は頷いた。明石さんにも言われたが、どうやら警察は優の証言を聞きたいらしい。


 それもそうか。実際、父親と母親が亡くなった今、犯人を見たのは優だけという事になる。その事を理解して、翔は凛の言葉に応じた。


 凛が以上ですともう一度言って部屋から出ようとした時だった。


「ああ、そういえば――」


 凛は主出したように言うと、翔の方へ顔だけを振り向かせた。


「何か"大事な事"を思い出したらいつでもその電話番号に掛けて頂いて構いませんので」


 意味深長な言葉を残して、凛は部屋の外に出て行った。その言葉を聞き、凛はポケットの試験管を微かに触った。


 コレに気付いているのだろうか。それとも何かおかしな行動をしたのだろうか。


 そんな不安が過る中、翔は優を見つめた。優は未だ、まるで何もなかったかのように眠っていた。

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