2話『事変』
入学式が無事終わり、翔は自宅を目指して少し早歩きになっていた。
どうしたのだろう。誰も電話に出ないなんて。何かあったのだろうか。そんな不安が押し寄せる中、翔は家路を辿っていた。
入学式が終わった後に念のため連絡を入れたところ、母親も父親も、そして幼い優ですら電話に出なかったのだ。
余程盛り上がっているのかと思ったのだが、電車に乗り最寄り駅近くに着いても誰からも連絡がない。その事に異様な不安を覚えて、翔は駅から家を目指して早足で歩いていた。
走る程の事ではない。しかし、何か嫌な予感がする。そんな思いで家に辿り着き、翔は自宅の前で立ち止まる。
朝と同じ、いつもと同じ光景の我が家が見える。その事に安堵しながらも、翔は自宅の玄関に急いで向かい扉を開けた瞬間だった。
「えっ――――?」
玄関の上、リビングや上階へ向かうための通路に、父親と母親が倒れている。しかも、血の海の中で。
「と、父さん……母さん……?」
震えた声を発しながら、翔はその光景を見つめるしかできない。父親が母親に少しばかり覆いかぶさっているが、二人とも呼びかけに微塵も応じない。
ただ、血の海の、真新しい鮮血の臭いが翔の鼻を突き、扉から差し込む光が動かない二人をまざまざと翔の目に焼き付けさせる。
「父さん! 母さん!」
翔が駆け寄る。玄関扉の閉まる音さえも気にせず、翔は二人を揺り動かすが、二人は死んだように動かない。
「け、警察……」
そう思って翔が電話を掛けようとした時だ。上階から物音がして、翔は上階へと続く階段を見た。
上階はそれぞれの部屋。そしてここに優が居ない。
「優!」
翔は慌てて駆け出し、上階へと上がっていく。階段を上がって右手の奥。優の部屋の扉が開いている。翔は優の名前を呼びながら部屋に入る。
優のランドセルは机に置かれ、窓が割られていた。
もしかして――連れ去られた――。
そう翔が思った時だ。
「おにい、ちゃん……」
呼び声に応じて振り向いた方には、クローゼットから優が顔を覗かせていた。
「優、無事か!?」
翔は優へと駆け寄り、膝をついて優の安否を確認する。怪我はしていない。傷もない。
その事に安堵して翔は優を抱きしめた。
連れ去られていない。殺されてもいない。この温もりは確かだ。
「お兄ちゃん……お父さんと、お母さんは?」
その言葉に、優から顔を離した翔は優をまじまじと見つめた。もしかして、もしかして、と思う言葉を口にする。
「お前何があったのか知らないのか?」
「えっと、知らない仮面をつけた人が部屋に入って来たから隠れたの」
「それで、そいつは?」
「窓からどっかに行っちゃった」
そう言われて、翔は割られている窓を見る。その人物は既にそこにはいない。
「お兄ちゃん……お父さんとお母さんに何かあったの?」
優が不安そうな震えた声で尋ねてくる。翔はガクリと項垂れて、歯を食いしばって泣き出した。
「ころ、された…………」
「えっ!」
「父さんと、母さんは、そいつに、殺された」
「そんな、嘘だよ!」
「行くなっ!」
優が部屋を出ようとしたのを感じて、翔は思わず大人げなく声を荒げて制止した。優が立ち止まり、翔の様子を見て、うっうっ、と嗚咽を漏らして泣き始める。
翔は項垂れた顔を上げながら、ふと、窓に目をやってある物を見つけた。それは小さな試験官のような物だった。それを手に取って、翔は、漸く呟いた。
「警察……」と。
陽光が場違いな程に明るく、家の中がやけに暗く感じた昼前。
入学式というめでたい日に、一之瀬家の両親は、何者かに殺害された。
それが、この後の翔の運命を変える事になる。
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