1話『入学式』

 東京の街にある区画の一角、文京区。住宅地がミッシュするこの場所のさらに一角で、今新たな一日を迎えようとしている家があった。


 比較的真新しい一戸建ての住宅には『一之瀬』という表札が掛けられている。その家の中では今まさに、出かける準備で大忙しだった。


「翔、お願い。優を手伝ってあげて」

「分かった! 優、僕と一緒に来て」

「はーい!」

「お父さん、必要な物は持った?」

「ああ――あっ、アレどこだ。アレ!」

「アレって何!?」


 朝から騒々しい喧騒に包まれたこの家、一之瀬家。その理由は単純だ。


 今日は長男の翔と長女の優、二人の入学式があるのだ。そのため、一家揃って慌てている状況だ。こう忙しいのも初めてという一之瀬家の家族構成は四人。


 父母と今年小学一年生になった優と今年高校一年生になった翔だけだ。父母の祖父母はそれぞれ別の所で暮らしているのだが、そちらとは今日お昼に合流する事になっている。


 父母は小学生になったばかりの優の方へ行くよう翔が言った。翔としては高校生にもなって家族参加と言うのが少し恥ずかしいと思ったためだ。


 祖父母は生憎午前の予定が合わず参加できない。それでもお昼に皆でどこかで食事をして、集合写真を撮ろうという事になった。それならと翔もOKし、翔は一人で高校の入学式に出る事になったのだ。


「皆準備できたかー?」


 父親の言葉にそれぞれが出来た旨の返事をする。一之瀬家の扉が開いて、最初に出てきたのは優だった。続いて、翔が出てくる。


 優は水色のランドセルを背負い、伸ばしている髪が勢いよく出た風に煽られてふわりと舞う。その後ろに続く翔は、学生カバンを肩から提げている。この日のために切った短髪は風にも負けない。


 続いて、スーツ姿の母親と父親が出てくる。二人とも比較的若い方だ。


「じゃあ翔、一旦家に戻ってくるんだぞ」

「分かってるって。優、練習した通りちゃんと返事するんだぞ」

「はいっ!」


 優がビシッと返事をした事に思わず三人は笑顔になる。優にとっては掛け替えのない第一回目の入学式だ。


「翔、何かあったら連絡してね」

「分かってる。じゃあ、行ってきます」

「いってらっしゃい」


 三人の声を後ろに聞きながら、翔は手を振り高校を目指す。優達も小学校へ向けて歩き出す。


 そう、こんななんてことのない朝だった。平和で静かに、しかし、その時は刻一刻と迫っていた。

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