新年の継承者

角伴飛龍

新年の継承者

 これは連環の物語だという。先代にそう聞かされてきた。この運命については、何度考えても興味は尽きない、いや、考えざるを得ないのだ。一体幾重もの物語が繰り返され、今ここにあるのか。僕は時空機(タイムマシン)を見るたびに、その物語の中で息づく者たちの無数のエピソードを想像する。それらはきっと多様な姿形をしていて、一つとして全く同じ物はない。だがこの物語において、いやむしろ我々があがいた結果生み出された副産物と言うべきか、この一言だけは全く変わることなく語られてきたに違いない。


 「時空機(タイムマシン)で誰かを過去に送る」


 仮に人類に滅亡の危機が迫った時、それは決して人類には知らされないはずだ。人類滅亡の危機が、この情報化社会において拡散されれば、そのパニックは想像もつかない。これほどまでの繁栄を謳歌してきた人類がフッと消え去ってしまうことは、到底受け入れられるものではないだろうからだ。

 だが、人間の意思がどうあがこうとも、自然の摂理には全く無力だ。しかし運命を知ったあの頃の一部の人類は、いつなのかは定かでないが(教えられてないから)、きっと必死になって生きようとあがいただろう。だがどうしようとも、その運命を受け入れるほかは無いと悟ったに違いない。解決策は、無い。だからこそ、こうして連環の物語は続いている。


 だがしかし、人類の英知は、どんなマイナスを生み出そうとも決してプラスを生み出さないことはないと誓っていた。絶対に、全ての倫理や道徳、希望。何もかもを絞りつくしても必ず、仮に塵にも等しいとしても、その一抹のプラスを残す。これは運命を知る人間が導いた共通の見解だったのだ。


 「時空機(タイムマシン)で誰かを過去に送る」


 人類の物語は一年を無限に繰り返す連環の呪縛と化す。人類が亡ぶ寸前に、僕のように「新年の継承者」と名付けられる人間が、人類を永久の運命へと導く。一体何回前の世界の、どんな人間が思いついたのだろう。だが彼らのおかげで、自分は周りより一年多く過ごすことが出来る。しかしどうにも罪悪感は残る。あいつらは今頃、どの次元のエントロピーとなって、あるいはどの時間軸をどんな情報で漂っているのか?

 だが時空機(タイムマシン)の性能は、まるで出来過ぎているが、定員は一名。向かえるのは過去のみ。更に最長でジャスト一年間。エネルギーのリチャージにもジャスト一年間。この時空機(タイムマシン)の性能は、この世界を連環の物語に誘うことしかできない。しかしこれはわざとではない。人類の技術の限界が招いた結果だった。


 僕も初めはこの役目に疑心暗鬼だった。だが時空転移を完了し、地に降り立つ。周りの風景は何もかも変わっていた。星々の配置も何もかも。ここで僕は本当に過去に来てしまったことを自覚した。

 このように、「新年の継承者」が本当だと確信するには、実際に時空転移を経験するしかない。実際僕も人類が滅亡するという事実を背景にこの役目を一年かけて飲み込んできた。

 だがこの光景を見て、ようやく僕は葛藤と焦燥でいっぱいになった。僕の生きてきた世界は、未来の別の次元の単なる塵となってしまった。僕はこの世界で唯一、この世界の真実を知る人間だった。背後でブオンという大きな音がすると、時空機(タイムマシン)がリチャージに入った。


 僕は頭が靄がかかったようになったが、しばらくして、くよくよしていても仕方ないと思うようになった。僕は再び、この世界を知る人間を一人、過去に送り込まなければならない。そしていくら苦悩しても、先代や僕の世界は返ってこない。これは僕の選択したことなのだから。そう考えた瞬間、僕は「新年の継承者」としての確固たる自覚を持つようになった。そして前世から与えられたこの一年を、僕は大切に過ごすのだと。


 「新年の継承者」に任命されると、量子札(マスターキー)と呼ばれる一枚のカードが渡される。これは言わゆる万能電子マネーであり、これを使えばいかなる電子マネー媒体をもごまかすことが出来る。つまりこれは最強のインフレーションアイテムなのだ。これは今までの「新年の継承者」も同様に使用してきた。


 僕もこの世界で新たなる「新年の継承者」を作り出し、次なる連環の物語を続けなければいけない。そして、与えられた一年という時間を謳歌する。僕が今までできなかったことが、「新年の継承者」の力を持ってすればできるようになる。


 だが何故なのか、この連環の物語は、絶対に紡がなければならないのか。それはこの時空機(タイムマシン)を作り出した人間に聞くほかない。だが僕が思うに、彼らも答えを持っていないに違いない。


 「人類が亡ぶとして、それが何の関係がある?」


 何もかもどうでもよくなって、運命にすべてをゆだねるのならばそれもいい。要するに、これは次元を超えた壮大な茶番劇なのだ。とらえ方によればこれは全く無駄な行為であるし、重要な任務でもある。


 だが僕までの「新年の継承者」はこう思っているはずだ。そして僕も思う。いかに連環の物語であろうとも、それは無限の確率をもって多様に変化し、興味深く次元の狭間に佇んでいる。一年という時間を与えられた僕は、せめて、この物語が例え一年間の繰り返しであろうとも、その世界をあるがままに生きる者たちの美しさが、いつまでも続くことを願っていたい、と……。


 そうして目の前で消えゆく時空機(タイムマシン)を眺めながら、僕はキャノピーの中で涙を流す新たな「新年の継承者」に手を振った。




―注— ドイツの理論物理学者、ヴェルナー・ハイゼンベルクの量子不確定性原理に基づけば、宇宙の誕生から現在に至るまでの経過は不確定であり、同一宇宙でも無数の平行宇宙が生じる。だから連環の物語の中に、一つとして同じものは存在しえない。

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