怪獣の抜け殻

亜未田久志

空想浪漫紀行


 昭和XX年、四月、花冷えの季節に海の上で一隻の船が浮かんでいた。

 その船は東京湾近郊をゆっくりと進んでいた。最先端の探査機を使い、海底を走査していく、しかし今回もまた大した成果は無さそうだと、調査船のクルー達は肩を落とし気味になっていた。

「まあ、なにかあっても困るだけだよな」

「馬鹿、それを言ったらお終いだろ」

 この船は敵国が秘密裡に機雷などを設置してないかなどを調査するための日本軍の物であった。しかし二人のクルーがそんな事を言った直後、けたたましいサイレンの音が鳴った。何かが探査に引っかかった音だ。すぐさま調査準備に入る船員たち。

「おいおいおい嘘だろ」

「機雷……じゃないよな?」

 仄かに香る死の気配に緊張を隠せない、一度、探査機を引き上げ、その情報を吟味する。そこには機雷などより遥かに巨大な影の形が浮かび上がっていた。

「でかい、な」

「鯨? まさか潜水艦じゃないだろうな」

 とりあえず機雷であるという危険性が減ったため安堵が勝る。しかし、問題はこの巨大物体をどうするかだ。

「引き上げるしかないよな……」

「あ、ああ。おい誰かクレーンを操作してくれ、俺は船のバランスを取る」

 しかし、その日、その巨大物体は引き上げる事は叶わなかった。何故ならば重すぎたからだ。後日、複数の船が派遣され、巨大物体は陸へと牽引される事となった。

 それは機雷と呼ぶには大きすぎ、潜水艦と呼ぶには形がおかしく、どこか生物じみていた。

 誰かがぼそりと言った。

「――怪獣だ」

 と。


 ・・・


 帝都大学にお呼びがかかったのはそれから数日後の事だった。不確定巨大物体について専門の研究チームが組まれる事になった。集まったのは『新種生物学科』の助教授の佐中勇と普通の生物学科の海野春明教授そして他数名だった。

「またお前か佐中」

「海野先生! ご無沙汰してます!」

 二人は旧知の仲のようであった。

「変な科を設立したからもう二度と関わる事は無いと思っていたのだがな」

「またひどい事を仰る」

 変な科とは未確認生物科の事だろう、こと帝都大学では近年の新種生物発見が相次いでいる事に対応するためにその科が設立されたのであった。佐中は特にその科で活躍している新進気鋭の学者だった。対する海野は保守的であり、教授という立場は向いてないとまで言われているほどだった。しかし教授についているという事は実力は確かなのも間違いなかった。

「しかし、聞いたか発見した日本軍の言葉を」

「聞きましたよ! 怪獣! ですよね!」

 佐中は目を爛々と輝かせて言う。それを聞いて海野は心底嫌だという感じで溜め息を吐いた。

「お前ならそういう反応をするだろうと思っていたよ……どうしてまた、中国の故事にでも出てきそうな語彙が出てくるのかね」

「浪漫! じゃないですか!?」

 まるで声が大きくてうるさいかのように指を耳に突っ込む海野、それを意にも介さない佐中。研究チームの他の面々が二人を呼ぶ、どうやら件の「怪獣」が運び込まれたらしい。勇み足で佐中達はその場に向かう。

 場所は帝都大学のガレージの一つだった。そこに高さにして十メートルをゆうに超える巨大物体が鎮座していた。

「さ、流石に大きくないですか?」

「あ、ああ……」

 奇しくも佐中と海野の意見が一致した。これは珍しい事である。

「あらかたの調査は済んでるんですよね?」

 佐中がチームの面子の一人に聞く。

「軍での調査は終わっているようですが……あまり軍はこれを重要視していないらしくて」

「詳しく調査してないって事ですか、海野先生、これは成分分析からですかね」

「先ずはな、後はざっくり今この場で検分するぞ」

 そう言って海野は手袋をはめて巨大物体を触り始める。佐中もそれに続く。十メートルを超える物体の周りに作業用の足場が組まれ夜通し検分が進んだ。

「おい、ここ見てみろ」

「裂け目、ですかね。かなり大きいですね」

 それは検分が終盤に差し掛かった時だった。巨大物体の上部付近に亀裂――そう呼ぶには余りにも巨大な穴――が見つかったのだ。

「軍部がこれを無視した理由はこれだな、潜水艦だとしても大破している事になる」

「いや……海野先生、これ『抜け殻』なんじゃないですか?」

「は?」

「成分分析の結果次第ですけど、これが硬質化した怪獣の皮だとしたら――」

「じゃあ何か、お前はこれを巨大生物の脱皮した皮だと言いたいのか」

 無言で頷く佐中を見て海野は深く溜め息を吐いた。

「あり得んよ、これほどまでに巨大化した脱皮する生物など該当する前例がない」

「だから新発見なんじゃないですか!」

「お前がそう思いたいだけだろう」

「海野先生こそ否定したいだけなんじゃないですか」

 二人は睨み合い膠着状態に入る。慌てて他のチームメンバーが止めに入った。その場はもう夜も遅いという事で一旦解散となったがこの件以来チームは海野率いる「大破した潜水艦派」と佐中率いる「新生物の脱皮派」に分かれる事になるのだった。


 ・・・


 後日、成分分析の結果が出た。

「ほぼFe……鉄に近い……だが」

「H、C、N、O、S、これらが繋がっている、つまりはタンパク質も含まれてますね」

 佐中と海野が顔を合わせる。海野は苦い表情を浮かべており、佐中はしてやったりと言った面持ちであった。

「深海で魚の鱗がこびりついただけじゃないのか」

「魚の鱗はPですよ、海野先生のがよくご存知でしょう」

「……ああ、そうだったな肉の間違いだ」

「どうしたんです、先生らしくもない」

「佐中、一つ言っておくがな、俺はこれを大発見だなんて思っていないからな」

「じゃあなんです?」

「軍は致命的な見落としをしていたって事だ」

 そう告げると海野は成分分析の結果を手に取りその場を去った。対する佐中はその紙を宝物のように手にしていた。


 ・・・


 翌日、軍の上層部に密告があった。それは例の巨大物体は米国の新型兵器であるという内容だった。送り主は不明。

 しかし佐中はその事を聞きつけるとまだ決まったわけでもないというのに海野を問いただした。

「海野先生、あんた!」

「どうした佐中、そんなに鼻息を荒くして」

「どういう事ですか! 軍があの巨大物体を回収するって! なにしたんですか!」

「どうもなにも真実を暴いたまでさ」

 そうして海野は自論を語り出した。

「含まれていたタンパク質は人間、搭乗者の物で間違いない。やはりあれは潜水艦だったんだ。しかし軍部はどうしてそれを否定したか? それはあの裂け目が答えとなる。確かに、お前の言う通り、あれは内側から裂けていたのさ。つまりあれは特攻兵器なんだよ」

 佐中は絶句した。まさかそんな言葉だけで自分の浪漫が否定されるとは思っていなかったからだ。

「特攻兵器……それが真実……馬鹿げてる」

「あれを生物とする方がよほど馬鹿だろうよ」

「内側から爆破などで裂けたとしたら内部の人間は炭化しているはずです!」

「それも絶対じゃないだろう」

 佐中が海野に詰め寄る。

「先生、あなたまだ『あの事』を引きずってるんですか? だからこの件も軍に明け渡そうと?」

「……なんとでも言え。上の要求を突っぱねる事などもう出来ん」

 かつて海野は新種の生物を発見したとして表彰一歩手前までいった事があった。しかし、それは一代限りの突然変異であり、新たな種ではないと結論付けられ、表彰まではいかなかったのだった。

 佐中は彼がその事を未だに引き摺っていると思ったのだ。

 ならば、だ。

 それは正さなければならない。

 そんな義憤に駆られた。

 そして何より。

「人間が想像できることは必ず実現できる」

「は?」

「自分の好きなSF作家の言葉です」

「……ああ、海底二万里の作家か」

 それは佐中の愛読書だったことを海野は知っていた。

「それがどうした」

「自分の新生物説もまだ想像の段階ですがいつかは」

「実現できると?」

「はい」

 それを見て海野はまた溜め息を吐いた。おもむろに煙草を懐から取り出しくわえる。

「しまった。マッチを忘れた」

「お貸ししますよ」

「お前、煙草吸わなかったろ。なんでマッチなんか持ってる」

「色々便利ですよ」

 然して気にもしないように「そうか」とだけ言って海野は火を借りる。佐中が器用にマッチで煙草に火を点けると辺りに紫煙に燻った。

「あの時、俺も同じ事を考えていたんだろうな」

「やっぱり引き摺ってるんじゃないですか」

「ああ、そうだよ。でもな佐中、これは諦めじゃない。成長っていうんだ」

 海野はニヒルな笑みを浮かべてみせる。しかし佐中は笑わない。いや笑えない。

 それが未来の自分だとしたら笑ってはいけないと思ったのだ。

「海野先生、自分は諦めません」

「というと?」

「自分からも軍部に発表を出します」

「……同じチームから異なる意見が出たら御上は混乱するだろうな」

 否定はなかった。肯定もない。対立の合図。

 佐中はその場を後にした。その場には煙草を吸う海野だけが残った。


 ・・・


 軍部で会議が行われ、引き続き調査は帝都大学に一任される事になった。海野は何度目か分からない深いため息を吐き、佐中は拳を握りしめ目の前の巨大物体を見つめた。

「それで次はどうするんだ佐中先生?」

「やめてくださいよ。こそばゆい」

「はっ。ま、せいぜい軍を納得させられるよう頑張れ」

「海野先生」

 呼びかけにガレージを出ようとしていた彼の歩みが止まる。

「なんだ」

「先生の考えを聞かせてくださいよ。もしこれが生物の『怪獣の抜け殻』だったとしたならば、どう分析するかを」

 それは佐中勇という男が海野春明という人物を生物学の権威として見た上での発言だった。海野はそれを受け止めた上で答える。

「……仮に、仮にだぞ」

「ええ、それで構いません」

「仮にこれが生物の抜け殻だとするならば、種族はおそらく頭足類、そして時代にして白亜紀から生きている古代種だろう。そして脱皮するという事は現代の生物で一番近いのは蛸だろう。蛸ならばここまで巨大化したのにも頷ける……こんなところだ」

「……」

 しばらく海野と佐中は無言だった。

 気まずくなったのか海野から切り出す。

「なんか言え」

「やっぱり先生はすごいや」

「お前なぁ」

「その方向で調査を進めませんか?」

「……仮にと言ったろうに」

 しかし佐中はもう海野の言葉は耳に入っていないようだった。

「そこまでの推論、自分には立てられませんでした。でも説得力がある。自分でも分かっているんでしょう?」

「だが……」

「もう過去の事は忘れましょう先生、未来、そう未来に目を向けるんです!」

「未来……」

 佐中に気圧され海野は譫言のように繰り返した。

「佐中、俺には分からないんだ。あの日、確かに俺は新種を発見したと思っただけど」

「一回の否定がなんです! 何度だって砕けてやりましょうよ!」

「砕けるの前提なのかよ……お前らしいな」

「先生の教え子ですからね」

「そう、だったな」

 海野の講義を熱心に聞いていたのは他ならない佐中だった。それを思い出し、自分の意思が次代に継がれている事を実感すると彼の中に熱い物が宿った。

「こういう仮説はどうだ。こいつは巨大な海底火山で育ち硫黄から鉄の殻を作り身に着けた」

「じゃあ日本近海にまだ未発見の海底火山がある事になりますね! 日本は地震大国ですし、不思議じゃないはずです!」

「ああ、そしてこいつは主にプランクトンを捕食する食物繊維の下層に位置するだろう」

「じゃあ鉄の鎧は捕食者から身を守るため!」

「その可能性もある。だとしたら巨大化した理由は生存競争に打ち勝ったからだろう」

 こうして二人の議論は過熱していく。

 そこには在りし日の少年の姿が見えた。

 夢について語り合う二人の子供。

 その眼には曇りが無く。

 浪漫を胸に秘めていた。


 ・・・


 こうして巨大物体の調査が進むにつれ調査チームは巨大になったことにより二人の名前は歴史の波に埋もれていった。

 しかし。

 確かに巨大物体は今も存在し海底火山の存在や鉄を纏う貝の発見などの功績を残すのだった。

 いつかの未来、その真実は明らかになるだろう。


 完

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