再起

 イナバは俺と同じように雨に濡れながら段ボールの中で三角座りをしている。


「……何してるんだ、そんなところで」

「イナバは……婆娑羅会をクビになったのです」

「クビ……?」

「主殿を……寝ている間にやっつけれなかったことで、狐殿から覚悟がないものは我々を危険に晒すから、もう置いておけない、と」


 そうか。イナバは俺と同じような理由でクビになったんだな。

 色々なことがあったけど、そこだけは親近感を覚える。


「そうか、俺も今クビになってきたところだよ」

「えっ」


 イナバの大きな瞳が見開かれた。


「俺じゃ力不足なんだと。睡眠薬を盛られて、起きたら綺麗さっぱりいなくなってた」

「アイリス殿とシャーロット殿が……」


 イナバはそう呟くと、俯いた。

 そしてか細い声で謝ってくる。


「……申し訳ございません」

「なんでお前が謝ってるんだよ」

「全部イナバのせいです。イナバがいたから、主殿も……」


「それは違う。俺が実力不足なのは俺のせいだ。お前がいなくてもいつか実力不足が浮き彫りになって、クビになってた。お前はただのきっかけだったんだよ」

「……主殿はこんな時でも優しいでござる」


 別にイナバのせいじゃない、というのは本心だったのだが、イナバは慰めだと思ったらしい。

 段ボールの中でさらに小さく丸まってしまった。


「とりあえずうちに来いよ。そんなところにいたら風邪引くぞ」

「ダメです。イナバは主殿を裏切りました。合わせる顔がありません」

「今、めちゃくちゃ合わせてるぞ」

「目が合わなければセーフでござる」


 なんだその超理論。

 ただ、こんなところで雨に打たれていたらいずれ体調を崩すのは明白だ。

 どうにかしてイナバを説得しないとだが……。

 正直に言って、俺は裏切られたこと自体、あんまり腹を立てていない。

 なぜなら、まだ出会って日は浅いが、イナバがどんな人間なのかはなんとなく分かっているからだ。

 イナバにも裏切らざるをえない理由があったのだろう。


「お前さ、あんまり嘘つけないだろ」

「えっ? い、いや……イナバは忍者ですからいっぱいつくでござるよ」

「じゃあ、前に言ってた「本当に楽しかった」っていうのは嘘か?」

「それは……」

「借金のことも、家のことも嘘なのか?」

「……いえ」


 イナバは観念したように首を振った。

 やっぱり、イナバは嘘をつけない性格だ。

 だから、嘘をつけないイナバは真実しか話さなかった。


「本当に主殿も、アイリス殿もシャーロット殿もイナバに優しくしてくれて、ずっとあの家にいたいと思っていました。でも、家を守るためには借金を返さないとって、そんな考えが何度も頭をよぎって……」


 イナバの行動は中途半端だった。

 俺たちをいつでも仕留めることができたのにそれをせず、しかし俺たちを誘い出して罠へと嵌めた。

 俺たちといて心が休まると言ったのも本心だし、だけど家のために借金を返さないといけないのも本当だった。

 イナバの気持ちと、しかし借金のためには俺たちを始末しなければならない現実、その二つの葛藤の末が、あの中途半端な裏切りだったのだろう。


「でも、イナバが裏切ったのは事実でござる……」


 しかし、イナバはさらに小さく丸まってしまった。

 俺はガシガシと頭をかいて、ため息をついた。


「……いいから、行くぞ」

「わきゃあっ!? ああ、主殿っ!?」


 俺は無理やりイナバを立たせると、お姫様抱っこした。

 イナバは俺よりも酷い食事環境のせいで痩せているせいか、とても軽かった。

 腕の中で胸の前で顔を真っ赤にしているイナバに向かって、俺は尋ねる。


「このまま無理やり担いで連れてかれると、自分で歩くのどっちがいい?」


 するとイナバは渋々、といった様子で選んだのだった。


「……うう、自分で歩くでござる」




***





 それから俺達は家に帰ってきた。


「びしょびしょでござる……」

「今タオル取ってくるから待ってろ」


 玄関先でスカートを絞り出したせいで、ちらりどころか際どい部分までめくれ上がっているイナバから目を逸らし、俺は家の中に入っていく。

 当然床はびちょびちょに濡れるが、後で拭けば良い話だ。

 洗面所でタオルを取るついでに風呂も張っておく。

 服は……上半身裸でもいいか別に、男だし。

 俺はタオルを持ってイナバの元へといく。


「タオルもってきたぞ」

「ありがとうでござ……ぴゃあっ!?」


 俺を見た瞬間、イナバが飛び上がった。


「なな、なんで上半身裸でござるか!」

「だって濡れてたし」

「は、破廉恥でござるよ!」

「別に誰も気にしないって」

「イナバが気にするのでござる! と、殿方の裸なんて生まれてこの方……」


 イナバは俺の裸を見ないように両手で顔を覆っている。

 しかし、指の隙間を開けてガッツリ見てるのがバレバレだった。


「それより、先に風呂入ってこいよ」

「え? それは駄目でござるよ、イナバより主殿の方が先でござる」

「村雨家では女優先なんだよ、ちょっと古臭い考え方だけど」

「でも……」

「良いから入ってこい。俺はこんなので風邪引かないから大丈夫だ。じいちゃんから鍛えられてるからな」


 俺の祖父はちょっと頭がおかしかったので、冬でも水垢離をさせられるのだ。

 最初は普通に死ぬかと思ったが、今はちょっと身体が冷えたぐらいじゃ風邪を引かなくなったので、感謝してるくらいだ。


「さっさと入ってくれないと、流石に風邪ひくけど」

「わ、わっ、入ってるでござる!」


 そう急かすと、イナバは風呂へと入っていった。

 そして、しばらくしてイナバが風呂から出てきた。


「あの、良かったのでしょうか。主殿のジャージなんて……」

「それで大丈夫だったか? アイリス達、全部引き上げたから他に服が無かったんだよな」

「あ、大丈夫です。ちょっとブカブカでござるけど」


 まあ、流石に俺のジャージだとイナバにはサイズオーバーのようだ。

 裾が長いらしく、ぶらんと垂らしている。いわゆる萌え袖だ。


「じゃあ、俺も入ってくる。そこに熱いお茶があるから、飲んでてくれ」

「あ、はい……」


 俺はテーブルの上の煎茶を指さす。

 シャーロットがいれてくれた煎茶は美味かったが、今までは俺がいれてたので、まあ腕はそこそこのはずだ。

 ……やっぱり両手で顔を隠してるけど、なんでか俺の裸を凝視してるんだよな。

 そして、イナバの視線を感じながら俺は風呂へと向かった。




 ***




 風呂から出てきた俺は、そこで今日は何も食べてないことに気がついた。

 なので簡単に飯を作ることにした。

 インスタントの味噌汁と白米くらいしかないけど。

 俺は二人分用意して、テーブルに並べる。


「ほら、飯。その調子じゃ何も食べてないんだろ。食えよ」

「え、イナバもいいのでござるか?」

「当たり前だろ。何言ってるんだよ」

「……」


 イナバは席につくと、恐る恐る味噌汁に手を伸ばして、飲んだ。


「美味しいでござる……」

「インスタントだけどな」

「いえ、本当に、美味しいでござる……」


 イナバはそう呟くと、お椀を机にコト、と置いた。


「本当に、ごめんなさい……っ!!」


 そして突然イナバは泣き出した。


「お、おい、どうしたんだよ……」

「主殿も、アイリス殿もシャーロット殿もとてもいい人で、こんなイナバに優しくしてくれたのに……っ。イナバはその人を裏切ってしまいました……っ」


 イナバの大きな瞳からポツリ、ポツリと涙が溢れ、膝の上でギュッと握った拳に落ちていく。


「本当に、ごめんなさい……っ」

「それは何回も言ったけどもういいよ。確かに裏切られた時はちょっと怒ってたけど、借金の辛さは俺もわかるし」


 人というものは極限下では弱さが浮き彫りになって、おかしな判断をとってしまうこともある。

 それをその人間の本性だ、なんていうのは酷な話だろう。

 それに、イナバは今まで一人で頑張ってきたのだ。

 両親もおらず、親戚にも頼れない状況で、俺より長い間一人で借金を返し続けていた。

 その辛さは、俺が一番よく知っている。

 どれだけ苦しいかは俺も経験しているのだから。


「今まで一人でよく頑張ったな」

「っ……!?」


 イナバが目を見開く。


「誰にも頼れなかったんだろ。お前は今までよくやったよ」


 ぽん、とイナバの頭に手を乗せて、撫でる。

 イナバはその大きな目に涙を溜めて、嗚咽をあげた。


「そうなのです……っ、ずっとイナバは一人で……っ!」


 イナバは俺の手を握る。

 ぎゅっと、力強く。

 決して離さないように……。


「うぅぅ、ありがとうでござる……! ぐすっ、イナバは、イナバはやっと……っ!」


 それから、イナバはしばらく泣き続けたのだった。




***




 しばらくして落ち着いたイナバは、赤くなった目元を拭った。


「ぐすっ、えへへ、主殿、ありがとうございます」


 イナバは鼻を噛んだりして落ち着くと、俺に尋ねてきた。


「それで、主殿はこれからどうするのですか」

「どうするも何も、何もしないよ」

「えっ、何もしないのでござるのか?」


 イナバは驚いた顔で俺を見てくる。


「だって、どうしようもないだろ。アイリスは俺を完全に拒絶してる。見つけられっこない」

「でも……」

「それに、俺が今更何かしたって……」


 そうだ。俺は実力不足なんだ。

 そんな奴が何かに首を突っ込んだって、また同じような結果に……。

 俺の思考はどんどんと、暗い海の中に沈んでいく。


「主殿っ!!」


 イナバの大声が俺の思考を遮った。


「な、なんだよ……」

「その、さっき主殿がお風呂に入っていた時に見つけたのでござるが」


 そう切り出して、イナバは机にあるものを置いた。

 アンテナがついている、トランシーバーみたいな電子機器だ。


「これは……?」

「イナバが命令で仕掛けていた盗聴器でござる」

「そんなの仕掛けてたのかよ……」

「はい、これで狐殿は状況を知っていたのでござる。それで、本題はここからです。この盗聴器には録音機能がついてるのでござるが……」


 ポチ。

 イナバがボタンを操作して、録音を流し始めた。


『すまないな、一服盛らせてもらった。心配するな、ただの睡眠薬だよ』


 アイリスの声が聞こえてくる。

 どうやらアイリスが俺に睡眠薬を盛った時の音声のようだ。


『アイリス……』


 ガタ、と俺がテーブルに手をつく音と、アイリスが椅子から立ち上がる音。


『悪いな、伊織。起きたら私のことは悪い夢を見たと思って忘れてくれ』

『ま、て……』


 最後に俺の頭がテーブルにぶつかる音が聞こえた。


「本題はここからです」


 イナバがそう告げる。

 音声にはまだ先があるようだ。


『……これで本当に良かったのですか、お嬢様』

『ああ、これで良い。伊織をもう巻き込むわけにはいかない』

『ですが……』

『癪だが、狐の話を聞いて思い至ったよ。『君は自分の大切なものも守れないで、正義を名乗るつもりか? 本当に大切なものはなんなんだ』。確かに、その通りだ』

『だから、村雨様をクビということにして遠ざけるのですか?』

『そうだ。伊織を遠ざけるには良い理由だろう?』

『ですが……』

『さ、いくぞシャーロット。今から狐と最後の話をつけにいかねばならん』

『はい、お嬢様』


 そして、部屋から二人が出ていく足音が響いた。


「これで録音は終わりでござる」


 イナバがボタンを押して音声を止める。


「ふざ、けんなよ……っ!!」


 俺は拳を固く握りしめていた。

 爪が今にも手のひらの肉を破らんばかりに。


「俺が大切だから、遠ざける? クビとか実力不足とか、全部ただの嘘だったのかよ……!!」


 頭に血が昇っているのが分かる。

 しかし、俺は騙されたことを怒っているわけではなかった。


「全部自分で抱え込みやがって……!!」


 俺の頭を占める怒りはただそれだけだった。

 ガタン、と俺は立ち上がった。


「主殿、どこへ行くのでござるか!!」

「決まってるだろ。……カチコミに行くんだよ」


 俺は振り返って、イナバにそう言った。


「今の俺は相当頭に血が昇ってるからな……全部ぶっ壊してやる」


 そしてまた前へ進もうとした時。


「待ってください!」


 イナバが引き止めてきた。


「悪いが、引き止めても無駄だぞ」

「違います」


 イナバは首を横に振る。


「じゃあなんで……」

「イナバ、先日アイリス殿の鞄から、いくつかC4と手榴弾を拝借してきたのでござるが」


 そう言ってイナバはどこからともなくC4と手榴弾を取り出す。


「主殿、お供したします」


 そして、ニッと笑った。

 俺もそれに笑みを返す。


「じゃあ、一緒にに行くか」

「はいっ!!」


 イナバは満面の笑みで頷いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る