拒絶
目が覚めると、そこは見覚えのある天井だった。
「ここは……」
身体を起こすと、そこは俺の部屋だった。
そうか、俺は戻ってきたのか……。
意識が徐々に戻ってくると、俺ははっきりと意識を失う前のことを思い出した。
「っ! そうだ、アイリス!」
俺は部屋から飛び出し、居間へと向かう。
勢いよく襖を開けると、そこにはアイリスとシャーロットがいた。
「起きたか、伊織」
「村雨様、お身体の調子はいかがでしょう。治癒で治しましたが、どこか痛むところはございませんか?」
アイリスは英字新聞を読んでいたが、こちらに視線をチラリと寄越すとすぐに新聞へと視線を戻す。
シャーロットは煎茶を飲みながら、身体の異常はないか確かめてくる。
拍子抜けするほど日常的な光景に、俺は意識を失う前のことが夢だったのではないか、とすら思えてきた。
いや、昨日のは現実だ。
だって、ここにいるはずのアイツが、ヘンテコ忍者がいない。
「イナバは、どこにいるんだ……?」
「……」
「もしかして、道場の方か? それとも……」
「イナバは、帰ってこなかったよ」
冷たいアイリスの声が、俺の言葉を遮った。
「嘘だろ……」
「何もおかしなことはあるまい。イナバは我々を裏切っていたのだ。普通、戻ってこないだろう」
「でも、あいつはいつでも俺たちを殺せたのに、殺さなくて……」
「だが、裏切った。そしてイナバは戻ってこなかった。これが変わらない事実だ」
「ちょっと待て、いくらなんでも淡白すぎるだろ。一応イナバは仲間で……」
ドン! とアイリスが机を叩いた。
「──私がなんとも思ってないと思うか!!」
アイリスはギリ、と悔しそうに唇を噛み締める。
「私だって、戻ってこれるなら戻ってきて欲しいさ。だが、イナバは裏切ったんだ。私たちを!」
「……」
「それに、全て私のせいなんだ。裏切り者をチームの中に入れたのは、私だ。よりによってリーダーである私がだ。今更この失態を無かったことにして戻ってきてくれ、なんて言えると思うか? 言えるわけないだろう!」
「……すまん」
「いいさ、今回の件は全て私のせいだ。責められるべきは、私だ」
無神経に責めていたことを謝る。
と、そこで俺はスミスのおっさんが、交渉を持ちかけてきていたことを思い出していた。
「そうだ、おっさんはどうなったんだ」
「……もちろん、要求を飲んだよ。我々は正式に婆娑羅会から手を引くことになった」
「……え?」
「狐に諭されて分かったよ。私は自分がしようとしていることを何も理解していなかった。なんの覚悟もないまま、大勢の弱者を切り捨てるところだったんだ」
アイリスは手元の煎茶を見つめながら、自嘲するようにフッと笑う。
「滑稽な話だ。あれだけ正義だなんだと言って、正義を自称していたのに中身は空っぽだった。……ただの偽善だったんだよ、私の正義は。結局、私はただ父の真似事をしていただけなんだ……」
「違う。……それは違うだろ」
自分でもよく分かっていなかった。
だけど、アイリスの言葉は否定しなければならない、そんな気がした。
「気遣わなくて結構。私が空っぽなのは事実だ」
アイリスは首を横に振った。
「狐の言った通り、私は自分に問いかけた。『本当に彼らを切り捨てることが可能なのか? 不幸のどん底に突き落とせるのか?』とね。……無理だった。私には、その覚悟がなかったんだよ」
アイリスはそこでその話を切り上げた。
「と、キミに話さなければならないことがあるんだ」
「話さないといけないこと?」
「ああ、大切な話だからゆっくり落ち着いて話そう。シャーロット、お茶を用意してくれ」
そして、アイリスはシャーロットに俺へお茶を出すように指示する。
何か大切な話のようなので、俺はアイリスの対面に座った。
すかさずシャーロットが煎茶を俺の前に置いてくれる。
ずっと気絶していたこともあり、喉が渇いていたので俺はそれを啜った。
「単刀直入に言おう。キミをクビにする」
「……え?」
俺は一瞬、何を言われたのか分からなかった。
そして遅れてアイリスの言葉を理解した。
「ク、クビ……? 何言ってるんだよ」
「言葉の通りだ」
「ちょ、ちょっと待て、なんで急にクビなんて……」
「キミが力不足だからだ」
困惑する俺に、アイリスはピシャリと言葉を浴びせた。
「正直に言って、キミは異能持ちとして、そして異能機関のエージェントとして実力が足りない。このままではそんな人間と任務をこなしていればこちらが危ないし、何よりキミ自身にも危険が及ぶ。だからキミは……クビにする」
淡々と、まるでわざと感情を出していないような平坦な声でアイリスは説明する。
俺は実力不足という言葉に、反論できなかった。
同じ異能持ちのおっさんには二度も敗北しているし、銃の扱いだってままならない。
「悪いが、これをキミと議論するつもりはない。決定事項だ」
それから、アイリスは口調を強めてそういった。
まるで、決定的に俺と自分の間に壁を作るように。
だが、俺はここで引いてはいけないような気がした。
だから、必死に理由を探した。
俺とアイリスを繋ぐ、細い糸を。
「だ、だったら俺の借金はどうなるんだよ。それに婚約の件だって……」
「借金は返済期限をなくす。つまり返す必要はない。婚約の件はあとで勝手に解消でもしておくさ」
しかしアイリスは俺が必死に見つけた糸でさえばさっりと断ち切った。
その時だった。
「……?」
視界が、おかしい。
頭がぐらぐらする。
思考が徐々に靄がかかってくるように、鈍っていく。
そして、猛烈な眠気が襲ってきた。
「まさか……」
「すまないな、一服盛らせてもらった。心配するな、ただの睡眠薬だよ」
「アイリス……」
テーブルに手をつく。
今にも瞼が落ちそうな中、狭い視界の中でアイリスが椅子から立ち上がった。
「悪いな、伊織。起きたら私のことは悪い夢を見たと思って忘れてくれ」
アイリスは踵を返し、部屋の外から出ていく。
「ま、て……」
俺の引き止める声も虚しく、瞼は落ちきり、俺は眠りについたのだった。
***
「……っ!!?」
目が覚めた。
俺は居間の中を見渡す。
しかしそこにはアイリスの姿はない。
俺は居間を飛び出して、部屋の中を見て回った。
だが、アイリスも、シャーロットも家のどこにもいなかった。
それどころか、家にいた痕跡すら無くなっている。
アイリスとシャーロットの部屋は綺麗さっぱり片付いており、一つも持ち込まれた家具は残っていなかった。
二人は家から出て行ったのだ。
──私のことは悪い夢を見たと思って忘れてくれ。
俺はアイリスの言葉を思い出していた。
「……ふざけんな!」
沸々と怒りが湧いてきた。
何が悪い夢だ。
俺の日常を引っ掻き回して、無理やりこの世界に引き摺り込んだくせに、都合よく忘れてくれだと?
「……そんなのできるわけないだろ!!」
俺は家を飛び出した。
どこにいるのかは大体検討がついている。
アイリスは俺の家に来る前は、ホテルにいたと言っていた。
なら、高級そうなホテルを回ったらどこかにはいるはず。
そう思ってホテルを回ったのだが。
「……いない」
今にも降り出しそうな曇天の空の下、俺は一人歩いていた。
アイリスとシャーロットは見つけられなかった。
というか、ホテルにいるかどうかさえ分からなかった。
考えてみれば客の個人情報を教えることなんてできないので、当然なのだが、全く思い至らなかった。
徹底的に、姿を眩まされている。
俺はホテルを訪ねまくって、やっとそのことに気がついたのだった。
ぽつ、ぽつと雨が降ってきた。
次第にそれは土砂降りの雨へと変わっていく。
傘なんて持っていなかったので、俺はすぐにずぶ濡れになった。
だけど、今はそういう気分だったので構わなかった。
そうして、家までの道を歩いていると。
「……主殿?」
「…………イナバ?」
聞き覚えのある声がしてそっちを見れば、そこには「拾ってください」と書かれたダンボールの中に三角座りをしているイナバがいたのだった。
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