揺らぐ正義
「なに? なぜこんなに婆娑羅会の人間がいるかって? 簡単だ。なぜならこの廃ショッピングモールこそ、我々のアジトだからだ。ま、見つからないように、四階にアジトを置いているがね」
スミスのおっさんは笑いながら俺へとそう説明してくる。
「村雨少年は聞いたことがないか? 噂話で、ここが不良などの溜まり場になっているのだと」
聞いたことはある。
半グレ集団がここを溜まり場にしていると。
だが、しかしそれが婆娑羅会のアジトだったとは。
「主殿……止血を……」
その時、青い表情のイナバが俺の元までやってきた。
そして制服のスカートのポケットからハンカチを取り出すと、俺の傷口に当て、そして包帯を巻こうとしてきた。
「なに、してるんだ……」
「……」
「なんで俺を治療してるんだ……裏切ったんじゃなかったのか」
俺は痛みを堪えながらイナバに質問するが、イナバは俯いたまま答えない。
「あの時の言葉も、嘘だったのか」
昨夜、イナバは「こんなに楽しかったことはなかった」と言っていた。
あの言葉は嘘だったのかと、俺は尋ねる。
「……申し訳、ございません」
イナバから今にも泣き出しそうなくらい震えた声が返ってきた。
一貫性のないイナバの行動に困惑していると、それを見たスミスのおっさんはスゥッ、と目を細めた。
「何をしている」
冷たい声でおっさんはイナバに問いかける。
「止血でござる」
「今すぐにやめろ。敵を助けてどうする」
「で、でも、このままだと失血死して……ぐっ!?」
スミスのおっさんはイナバの首を掴むと、持ち上げた。
イナバの表情が苦悶に歪む。
おっさんはイナバの目を見て問いかける。
「贖罪のつもりか?」
「っ……!」
「今更助けたところで貴様が村雨少年たちを裏切った事実は変わらん。裏切った事実から目を背け、楽になろうとするんじゃない」
「イナバは……」
「そもそも、私を裏切り、少年たちを裏切らないという選択肢もあった。現に、私が仲間のふりをして家へ侵入し、少年たちの寝首をかけと指示した時も、貴様は命令に従わなかった。だから私が直接動くことにしたんだ。違うか?」
そんなことが、あったのか。
確かに、俺たちはイナバを全く疑っていなかった。
いくらでも寝首をかくことはできたはずだ。
なのに……命令に背いたのか、イナバは。
「ここへ誘導しろ、という命令に貴様は従った。自らの意思で。金のために。そうだろう」
「それでもイナバは……」
「……話にならんな。まあいい。それで、だ」
スミスのおっさんは呆れたようにため息をついたイナバから手を離すと、こっちを振り向いた。
地面に落ちたイナバが喉を押さえて、激しく咳き込む。
「げほっ、げほっ」
「……あんた、女子供には手を出さないんじゃなかったのかよ」
俺は額に脂汗を滲ませながら、以前銀行強盗の時に聞いた信念と矛盾していないか、と尋ねた。
「闘う意思がある者は別だ」
するとおっさんはスーツの襟を正しながらそう答えた。
「さて、交渉のお時間だ」
おっさんは髪を撫で付け、ネクタイを正しながら吹き抜けの下へと出ていく。
差し込む光がおっさんを照らした。
「交渉の時間だと。こんな状況でか」
柱の影に隠れているアイリスが、おっさんへの前へと出てきてそう言った。
アイリスとおっさんが相対する形となる。
「こんな銃を突きつけている状態で申し訳ないが、こちらとしても理解してもらいたい。何せ、おかしな秘密結社に命を狙われているのだから」
「私たちは世界平和を目的に活動する組織だ」
「世界平和か。大層結構だが、私たちの目的には邪魔だな」
「目的?」
アイリスの伺うような声が聞こえてくる。
しかし、おっさんはそれには答えなかった。
「さて、単刀直入に私の要求を伝えよう。──今後一切、私たち婆娑羅会に関わらないと約束しろ。そうすれば君たちと村雨少年の命は助けよう」
「なん、だと……?」
「もちろん、君たちのその秘密結社に関わる人間、全てだ。君たちがいなくなっても、後から別の刺客を送り込む、なんてされたらたまらんからな」
「ここまでしておいて交渉を始めたと思ったら、要求はそれだけか?」
アイリスもおっさんの真意が見えないのか、声に困惑の色が混じっていた。
「我々は、ただこの現状を維持したいのだ」
「そもそも、悪党である『狐』の交渉を受け入れて、命が無事である保証はるのか?」
「保証がなくとも、受け入れざるを得ない状況のはずだが?」
アイリスは沈黙する。
今の状態で生かされているのは、ただおっさんの気まぐれにすぎない。
おっさんが手を振り下ろせば、いつでもアイリスもシャーロットも俺も、蜂の巣にされて死ぬのだから。
「どうだろう、悪くない交渉のはずだが」
確かに、悪くない。
しかしアイリスはその提案を断った。
「悪いが、それは私の正義に反する。受け入れられん」
アイリスの返答に、おっさんはため息をついた。
「正義、正義か……」
そして呆れたように頭を振ると、アイリスへと質問した。
「では、正義とはなんだ? 何を持って正義と為す?」
「世界の平和こそが正義だ。貴様ら半グレ集団は、世界の秩序を乱す悪であり、屈するわけにはいかない」
おっさんはアイリスの言葉を最後まで静かに聞いていたが、聞き終わると深い、失望したようなため息を吐いた。
「はぁ……覚悟はあるのか?」
「なに?」
「君は、本当にその正義を為す覚悟があるのか、と問うたのだ」
「どういうことだ」
「私には、娘がいる」
唐突に話が変わった。
アイリスも眉を顰めている。
「まだ五歳の、可愛い娘だ。目に入れても痛くないくらいな。しかし、娘は生まれた時から難病にかかっている。あと十年生きれるかどうかだそうだ。その治療をするためには、莫大な金がいる。その話を聞いた当時の私は、ただの普通の男でしかなかった。そんな莫大な治療費、逆立ちしても出すことはできなかった。なら、どうする?」
おっさんは拳を固く握りしめた。
「ならば、法を犯し、悪事に手を染めても娘を助ける。それが私の取った決断だ。そして、ここにいる全員もそうだ」
おっさんは両手を広げ、吹き抜けからこちらを見下ろしている婆娑羅会のメンバーを見上げる。
「彼らも同じだ。私と同じように、誰かを、あるいは自分を助けるために金を必要とし、ここに集まっている。だが、私を今捕まえれば娘はどうなる? 彼らの救いたい命は、一体どうなる?」
「っ……!?」
アイリスは言葉を詰まらせた。
俺たちが捕まえると言うことは、つまり……。
「私の娘は治療もできなくなり、十年後に死ぬだろう。彼らも救いたいものを救え亡くなる。代わりに君は私という悪党を捕まえ、世界の平和に貢献することができる。だが果たして、そこまでして成したことは君にとって正義と言えるのか?」
「それは……」
アイリスは目に見えて動揺していた。
唇を振るわせ、いつも固い決意を宿していた瞳は揺らいでいた。
「そもそも、我々の悪事について調べたことはあるか? 我々はただ、金持ち連中から特殊詐欺で金を巻き上げているだけだ。金持ち連中など少し金がなくなった程度でどうともならん。命の危険はない。いいか、我々は命を脅かすようなことはしていないんだ。これでも我々はそこまで捕まえるべき存在か?」
血を流し過ぎたせいでだんだん意識が薄れてきていたが、俺は力を振り絞って横から言葉を挟んだ。
「それは詭弁だ……」
「いいや、違わない。そういう話だ。ここにいる全員の救いたい命を殺すか、それともたかだか金をいくらか失っただけの命の危険のない金持ちを救うのか。どっちかの話にしか過ぎない。要は椅子取りゲームなんだよ。互いに競って椅子を奪い合うな」
「ちが、私は……」
「認識を改めろ。普遍的な正義など、この世に存在しない。あるのは互いにとっての正義、それだけだ」
おっさんはアイリスに向き直ると、もう一度尋ねた。
「──もう一度問おう。本当に、その覚悟があるのか?」
「……そ、それでも、私は正義を……。それが正しくて……」
スミスおっさんはため息をついた。
「だから、君の正義は軽いんだ。自分が正しく、清くあることだけに固執し、目の前の現実から目を逸らし綺麗な世界だけを夢想している。この際だからはっきり言おう。君の正義では何も救えない。なぜなら、君は自分を守っているだけだからだ」
おっさんは俺を指差した。
「大体、君は自分の大切なものも守れないで、正義を名乗るつもりか? 本当に大切なものはなんなんだ」
まずい。もう視界が眩んできた。
俺はアイリスの答えを知ることができず、意識が落ちた。
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