第106話 湿っぽいのは似合わない

 飾り紐の修理も順調に進んでいった。切れたところをつないで革で補強し、染め直すところまでは済んだ。


 後はこの色鮮やかな革紐に鉄鉱石を融合させて強化し、編み上げたら完成だ。


 思えばここまで、予想よりもずっとずっとたくさんのことがあった。アダンに魔法を習って、実家に編み図を取りにいって、あとバルバラとも色々。本当に色々。


 バルバラのことは置いておくとして、アダンのことをうっかりお父様と呼んでしまうわ、実家では自分そっくりのエルマに出くわすわ、あれやこれやでやたらと涙ぐむ羽目になるわ。どうにも調子の狂う日々が続いてしまった。


「……ねえミモザ、やっぱり湿っぽいのって、がらじゃないのよね」


「どうしたの、急に」


 王都の近くの小屋で、ちまちまと融合の魔法を使いながら突然そんなことを言う私に、夕食の支度をしていたミモザが首をかしげる。


「だって最近、こう、ね……どうにも調子の狂うことばかりだったし」


「それは確かに言えてるね。あなたの普段見られない姿を目にできて、僕は嬉しかったけど」


「……できれば忘れてもらえないかしら。恥ずかしいし」


 私は女性にしてはかなり気が強い部類に入ると思う。しかも長生きしていることもあって、ちょっとやそっとのことでは動じない。……バルバラには、大いに驚かされたけれど。


 それはともかく、私が人前で泣くなんてめったにないことなのだ。少なくともここ二十年くらい、まともに泣いた覚えすらない。


 それが、このところちょくちょく涙しまくっている。これではいけない。私らしくもない。早く元の調子を取り戻したい。


 こほんと一つ咳払いをしてから、さらに言葉を続ける。


「だからね、気分転換に何か、騒ぎたいのよ。ぱあっと陽気にね」


「ふふ、そういうのもいいかもね。楽しそうだ。だったら、何をしようか」


 ミモザはあっさり話に乗ってきた。彼も、基本的に楽しいことは大好きなのだ。


「でもそれが、いまいち浮かばなくて……何か、いい案はある?」


「ううん……だったら、たくさん人を集めてみんなで騒ぐのはどうかな」


「パーティーってことね。素敵。華やかに、にぎやかにはしゃぐのね」」


「でも、ここだと狭すぎるから……王宮の中庭とかを借りられないかなあ。ファビオにまた注意されそうだけど。中庭は公園ではないのですが、とか何とか言って」


 何気なくミモザが口にしたその一言に、ふとあることを思い出した。


「そうよ、ファビオよ。いけない、このところ忙しかったせいですっかり忘れてたわ」


「どうしたの、急にはしゃいだ声を上げて。……でも、なんだかすっごく楽しそうだね?」


 首をかしげるミモザににやりと笑いかけ、思い出したことを説明していく。話を聞くうちに、ミモザの目が愉快そうに細められていった。


「……久々に、思いっきり楽しめそうだね」


 そうして私たちは一つ大きくうなずき合うと、すぐに小屋を飛び出していった。




 息を切らしてヴィットーリオの執務室に駆け込むと、そこにはおあつらえ向きにヴィットーリオとロベルトの二人だけがいた。


「どうされたのですか、そんなに急いで」


「あなたたちに、力を貸して欲しいのよ。ぜひ。大切なことなのよ」


 あいさつも抜きに、そう切り出す。そう語る自分の声は、少し笑ってしまっていた。


 そして二人は、私の声音からひとまず緊急事態ではないと察することはできたらしい。


 でもそれ以上のことはさっぱり分からなかったらしく、二人とも少し目を丸くしたまま小首をかしげていた。顔を見合わせて、眉間にしわを寄せている。


「ジュリエッタ、ちゃんと説明しないと、二人ともぽかんとしてるよ」


 そう言葉を添えるミモザの声も、おかしさをこらえきれずに揺れている。


「ああ、そうね。……結論から言いましょうか」


 笑いをこらえながらそう言って、言葉を切りちょっとだけもったいをつける。


「おせっかいは承知の上で、ファビオのお嫁さんを探してあげたいなって、そう思っているの」


 ヴィットーリオとロベルトが、同時に目をひん剥いた。よっぽど予想外だったらしい。


 春先、ファビオと共に数日間旅をした。その時に思ったのだ。


 この慢性仕事中毒の、仕事はできるけれど私生活が駄目すぎる男には、誰かしらそばで支えてくれる存在、互いに支え合っていける存在が必要だと。そう、私とミモザのような感じの。


 旅が終わったらどうにかしてやらないとなあなどと思いつつ、すっかり忘れていたのだ。魔術師たちがきっかけとなったあの大騒動に巻き込まれて、あっちこっち駆けずり回ってばたばたしていたせいで。


「ファビオは、まるで仕事が恋人みたいになってるでしょう? それ自体は別にいいのだけど……いえ、よくない気もするわね……ともかく、あのままだといつか本格的に体を壊すわよ」


 そこに、すっとミモザが加勢してくる。


「誰かが彼についていて、こまめにお説教したり世話を焼いたりしてあげれば、少しは違うんじゃないかなって思うんだ」


「あと、これはあくまでも予想なんだけど……きっと、彼にこっそりと懸想している令嬢の一人や二人、いるんじゃない?」


 ちょっと身を乗り出しながらそう尋ねると、ようやく我に返ったらしいロベルトがはっきりとうなずいた。……顔を思いっきりしかめながら。


「……大変腹立たしいですが、おっしゃる通りです」


「そうなのか、ロベルト? 知らなかった……」


「実はそうなのですよ、ヴィットーリオ様。地位は申し分ないですし、能力も高い。癖のある性格ですが、善人です。女性に甘い顔をすることこそないものの、密かに人気はあるようですね」


「その条件だけ聞いたら、ロベルトもだいたい同じじゃないかって思えるんだけど」


 黙って話を聞いていたミモザが、ふと首をかしげる。ロベルトはいたずらっぽく笑い、首をゆるゆると横に振っていた。


「いえいえ、私は生涯をかけてヴィットーリオ様にお仕えする所存ですから」


 するとそれを聞いたヴィットーリオが、難しい顔でロベルトをじっと見た。


「……ファビオの妻探しもそうだが、ロベルト、お前の妻も探さねばならないと思うのだが」


「お気持ちだけありがたく受け取っておきます。それで、ファビオの件ですが」


 少しばかり強引に、ロベルトが話を引き戻した。にっこりと笑って、私に声をかけてくる。


「ひとまず、あの男と令嬢たちを引き合わせる場を作ればいいのでしょうか」


「そうね。そうやって女性たちで取り囲んで、あとは成り行きに任せればいいと思うの。さすがに、力ずくでくっつける訳にはいかないから」


 あの旅の間に、ファビオが見せていた表情を思い出す。彼は笑えるくらいに女性慣れしていなかった。


 だからおそらく、令嬢たちに包囲されれば彼は借りてきた猫のようにおとなしくなるだろう。後は、令嬢たちがどう彼を口説き落とすかにかかっている。頑張れ令嬢たち。


「そういう風に目当ての男女を引き合わせるのに向いた場って、やっぱり身内だけのお茶会になるのかな? どうせなら、にぎやかなパーティーにしたいなって思うんだけど」


 この中では一番貴族のしきたりに詳しくないミモザが、こちらを見て尋ねる。


「あなたの言う通り、こういう目的ならこぢんまりとしたお茶会になることが多いわね。ただそれだとファビオが警戒しそうだし、私も派手にやるのに賛成よ」


 そして、ロベルトとヴィットーリオもすぐにうなずいた。


「ジュリエッタ様のおっしゃる通りです。こぢんまりしたお茶会など開こうものなら、あの石頭はきっとお茶会の最初から最後まで、こわばった仏頂面で通しますよ」


「ならば、盛大なお茶会を開き、たくさんの人を集め……ファビオが油断したところを不意打ちすればよいのでは」


 ヴィットーリオがずばりととんでもないことを言ってのける。もっとも、それこそまさに、私が思いついていたことなのだけれど。


「ええ。だからひとまず警戒させないように、もっと大掛かりな立式のお茶会にしてはどうかと思っているのよ。たくさんの人間が、気軽に参加しているような感じの」


 そう提案すると、ミモザも目を輝かせて乗ってきた。


「最初はみんなで和やかにお茶にして、頃合いを見て女性たちを少しずつファビオに近づけていけばいいんじゃないかな。人ごみにまぎれるようにして、こっそり近づかせるんだ。包囲する感じで」


「なるほど、多くの人の目があればあの男もそう無粋なことはしないでしょうし、良い作戦ですね。あの男はああ見えて、割と周囲の目を気にするたちですから」


 ロベルトはにやりと笑っている。それはもう人の悪そうな、この上なく楽しそうな顔で。


「……お話は分かりました。私とロベルトも手伝います。……ファビオのためでもありますし」


 一見すると神妙に答えているヴィットーリオの顔にも、おかしそうな笑みが浮かんでいた。


 私たちは無言で笑顔を見かわし、こそこそと相談を始めた。久しぶりに、とても面白いことになりそうだった。

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