第105話 お母様の生きた証
バルバラとの約束も無事に果たしたその日の夜、私とミモザは王都近くの森の小屋でくつろいでいた。
「これで、だいたい他の用事も片付いたし……やっと、飾り紐の修理に専念できるわね
魔法を勉強したのも、わざわざ実家まで出向いて編み図を探しにいったのも、元はといえばそのためなのだ。
バルバラの熱意に押されて……というか、早くバルバラから解放されたくてあちらを優先させてしまったけれど、ようやく本来の作業に取りかかれる。……正装だとか採寸だとか、その辺の話を彼女が思い出さなければ、だけど。
「ふふ、楽しみだなあ。どれくらいかかりそう?」
食後の薬草茶をいれながら、ミモザがはしゃいだ様子で尋ねてくる。
「そうね……一度ばらして、切れたところをつなぎ合わせるのは終わったわ。でも革自体が弱って細くなってしまっているから、まずは加工の魔法で新しい革とくっつけないと」
指折り数えながら、工程を順に挙げていく。
「それから染め直して、融合の魔法で鉄鉱石を練りこんでいって。ここに一番時間がかかりそうなのよ」
「でも、それで頑丈になるんだよね。楽しみだなあ」
向かいの椅子に座り、机に頬杖をつきながらミモザが笑う。こちらまでつられて笑顔になってしまいそうな、そんな素敵な微笑みだ。
「で、最後に編み上げる。この段階はすぐに終わるわ。今回は隠れて編まなくてもいいから」
ずっと昔のことを思い出しながら、そう答える。
最初にこの飾り紐を編んだ時、私はミモザに見つからないように、彼が外出している隙をついて、隠れるようにして少しずつ作業していたのだ。初めての誕生日のお祝いで、彼を驚かせたくて。
あの時のわくわくした気持ちがよみがえってきて、ついくすりと笑う。そうしたらミモザが、やはり笑顔のまま身を乗り出してきた。
「ねえ、だったら編むところを僕にも見せてよ。僕の宝物がどうやってできたのか、興味があるんだ」
「もちろん、いいわよ」
「ふふ、やったあ。でも、急がなくていいからね。じっくり丁寧に直してほしいな」
「ええ、そうするつもり。前は百年もったんだから、今度は二百……三百年はもつようにしっかり作るわ」
そうして、二人顔を見合わせる。にっこり笑いながら、同時に口を開いた。
「だって、私たちには時間はたっぷりある」
「だって、僕たちには時間はたっぷりある」
二人の言葉が、ぴったりと重なる。それが楽しくて、声を上げて笑った。やっぱり、二人一緒に。
それからは小屋にこもり、せっせと修理を進めていった。その間、ミモザは買い出しや料理などの家事を引き受けてくれた。
「こういうのも、懐かしいよね。ほら、あなたが応用魔法を勉強し始めた頃」
「どうにかして加工の魔法を習得するんだって、やっきになってた時のことね。そういえばあの時も、あなたに家事をお願いしたんだったわね」
「生まれて初めて加工の魔法を見た時は、感動したなあ。木が、こうぐにゃぐにゃになって、どんどん形を変えて」
「実は、私もかなりびっくりしてたのよ。これじゃあまるで粘土だわって。柔らかくするのは簡単だったけれど、そこから形を整えるのに苦労したわ」
二人でのんびりと話していたその時、軽やかでけたたましい声が小屋の外から聞こえてきた。
「はーい、こんにちは!」
元気なノックの音が続き、ばんと大きく扉が開く。やってきたのは案の定バルバラだった。いつもと同じような恐ろしくかかとが高くて細い靴を履いている。
あの靴で、森の中のこの小屋まで転びもせずにやってきたのか。土を固めただけの道で、あちこちにごろごろと岩が飛び出しているのに。すごい。とても真似できない。
「ちょっとだけお邪魔するわよ! 長居するつもりはないから、お茶は結構よ!」
相変わらず色鮮やかな衣をはためかせながら、バルバラが笑う。こんなにひらひらした服をどこにもひっかけずに、森の中を抜けたのもすごい。
あの足音をさせない全力疾走といい、どうなっているんだろうか。長く生きているけれど、彼女ほど不思議な人物にはめったにお目にかかれない。
「タトウ編みについて、その後のことを伝えにきたの!」
そう言うと、彼女は隠し持っていた薄い紙束を差し出してきた。
「ジュリエッタ様にお借りした編み図を元に、教本を作ったのよ!」
ぱらぱらとめくってみると、そこには確かにお母様の編み図の写しと、基本的な編み方の解説が載っていた。これなら、多少編み物をたしなむ者であれば十分に理解可能だ。
「これから王都を中心に、ばんばん刷ってがんがん売るつもりなの! そうすれば、タトウ編みがどんどん広がっていくわ! 全部、あなたのおかげよ、ありがとう!」
それだけを一気に言うと、バルバラはまた風のように去っていった。と見せかけて、玄関を出たところでくるりとこちらを振り向く。
「本当にありがとう! いずれきっちりとお礼をするから、楽しみに待ってて! それと、こないだはうやむやになってしまったから、採寸させて! 忘れるところだったわ!」
どうやら彼女は、私たちの正装を仕立てるという考えを忘れてはいなかったらしい。タトウ編みの編み図を見せたことで、どうにか話をそらすことができたと思っていたのに、やっぱり甘かったか。
「逃げ切れなかったみたいだね、僕たち」
ミモザの苦笑する声が、後ろから聞こえてきた。
そうして驚くほどの速さで採寸を済ませ、バルバラは今度こそ小屋を出ていった。辺りが静かになってから、彼女が見本だと言って置いていった教本を、改めてじっくりと読んでみる。
この教本は、お母様が生きた証だ。そう思った拍子に、目頭が熱くなる。どうも、年を取ると涙もろくなって仕方がない。
ミモザが立ち上がり、せっせと涙を拭っている私をすっぽりと胸に包み込むようにして抱きしめた。
「……良かったね」
「ええ。……ヴィットーリオたちが辺境の小屋に転がり込んできた時は、こんなことになるなんて思いもしなかったわ」
「そうだね。みんなで一緒に暮らして、旅をして……なんだかんだで新しい家も作ったし」
ミモザも笑って、私の言葉を引きついだ。
「王宮に出入りして、ヴィットーリオやレオナルドと遊んで。新しい魔法を勉強して。本当に、毎日が刺激的」
「あの辺境の穏やかな暮らしも、懐かしいけどね」
「そうね。でも、たまにはこういうのも悪くないわ。それに、この変化のおかげで、私たちもたくさんのものをもらえたのだもの」
ふと手元の教本に目を落とし、静かにつぶやく。
「……やっと、少しだけ親孝行できた気がするわ」
私がヴィットーリオの先祖であるヴィートに濡れ衣を着せられて追放されてから、両親はずっと泣き暮らしていたらしい。
それもそうだろう、目に入れても痛くないくらいに可愛がっていた一人娘が、遥か辺境に追放されてしまったのだから。
二人は私の前世のことを知らなかったし、私が魔法を活用して元気に生き延びていたことも知らなかった。あの頃の二人の嘆きようを想像しただけで、こちらまで悲しくなってしまう。
結局二人と再会できたのは、十年以上も経ってからだった。それからは定期的に会っていたけれど、二人とも亡くなってしまってからは悲しいからと墓参りもろくにしていなかった。
「……他にも何か、埋もれたままになっているものがないか、探してみたくなったわね」
また涙が浮かびかけたのをごまかすように、つとめて明るくそんなことを口にする。
「だったらまた、エルマのところに遊びにいこうか。あの人もいい人だったし、ゆっくりお喋りするのも楽しそうだよね。彼女、僕のことを怖がっていなかったし」
「そうね。でも彼女と顔を合わせていると、なんだか不思議な気分になるのよ。鏡を見ている……のとも、ちょっと違うし」
「雰囲気は結構似ているしね。顔もだけど」
そんな他愛のないことを話しているうちに、ようやく涙も引っ込んでいく。
本当に、ミモザがいてくれて良かった。これで何度目になるのか分からないそんな言葉を胸の中でつぶやきながら、彼に笑いかけた。
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