第104話 お針子たちの大騒ぎ
王都に戻った私たちは、約束通りバルバラのもとを訪ねていた。
「なんていうか、すごいところだね。豪華で綺麗で、色とりどりで」
「そうね、私も初めて来たけれど……圧倒されるわ」
王宮の外れにある広々とした部屋が、彼女たち服飾司の仕事場だった。たくさんのお針子たちが布やらレースやらを手に、大きな机の前で忙しく立ち働いている。
華やかさと熱気にあふれたここには、王宮の中にありがちな静かで落ち着いた雰囲気はかけらもなかった。どちらかというと、人でにぎわう市場なんかに似ているかもしれない。
私たちが部屋の入り口で突っ立っていると、お針子の一人が笑顔で歩み寄ってきた。
「ジュリエッタ様と、ミモザ様ですね。少しこちらでお待ちください、じきにバルバラが参りますので」
そうして勧められた椅子に腰かけ、のんびりと部屋の中を眺める。お針子たちは時々ちらちらとこちらを見ているけれど、その手は一瞬たりとも止まらない。
彼女たちが作っているのは、とても豪華な服や装飾品だ。上質の生地をふんだんに使い、感心するほどの手間暇をかけて作られているのが一目で分かる、そんな品だ。
そして部屋の壁際には、様々な服が着せられたトルソーが並んでいる。金銀の縫い取りがされたベスト、優雅なひだを描きながら垂れ下がる絹のスカーフ、つやのあるベルベットの上着。
しかしよくよく見ると、ここにあるのはみな男物ばかりだ。それも当然か。
ここのお針子たちは、王族や高位の貴族たちの装束を縫うことを主な仕事としている。そして今王宮にいる王族は、ヴィットーリオとレオナルドの二人きりなのだから。
二人の母親は存命だけれど、先王の弔いのために遠くの離宮で暮らしているのだとか。実のところこれも、先王の死に伴い王宮の乗っ取りを狙った連中の差し金だったらしい。
先王の妻、つまり王太后が王都に残っていたら、彼らの計画の邪魔になるに違いない。だから彼らは、古い古いしきたりを引っ張り出してきて、王太后を遠くに追いやったのだ。
非業の死を遂げた王の魂は、天に召されることなくさまよい続けることとなる。王妃はその魂を救うために、身を清め祈りを捧げるべし。
夫を亡くし悲嘆のどん底にいた彼女は、ヴィットーリオとレオナルドをロベルトとファビオにたくし、一人王都を離れていったのだった。
もっとも、ロベルトは敵対勢力にあっさり負けてヴィットーリオともども追放されたし、ファビオにいたっては真面目すぎるところを利用されて、奴らの片棒を担がされていた。
二人とも優秀ではあるのだけれど、前の騒動のような一大事に頼りになるかというとちょっぴり疑問が残る結果になってしまった。
ちなみに王太后には事の全容を伝えてあるけれど、彼女は先王への鎮魂の祈りが済むまでは離宮に残りたいと答えたのだそうだ。
その鎮魂の祈りは、きちんと全部やったら五年くらいはかかる代物らしい。どうやら彼女は、まだ夫を亡くした心の傷が癒えていないのだろう。幼くして母と離れたレオナルドが不憫ではあるけれど、王族の子供なんてこんなものだし。
やっぱり、ヴィットーリオたちにはもう少し私たちがついていてあげないと駄目なのかも。
眉間にしわを寄せながらそんなことを考えている私の隣で、ミモザは目を輝かせて飾られた服を眺めていた。服にはあんまり興味のない彼にしては、ずいぶんと珍しい反応だ。
「ここって、女物はないんだね。一度、豪華なドレスをあなたに着て欲しいって思ってたんだけどな。お願いしたら、作ってもらえないかなあ」
さすがにそれは無理でしょう、と言いかけたその時、部屋の奥の扉が突然勢いよく開いた。
「着飾りたい、着飾らせたい、それは人として当然の欲求なのよ、ミモザ様!」
歌うような大仰な声と共に、バルバラが姿を現した。前とは違い、今着ているのは伝統的な作りの慎ましやかな服だ。ただ、目がちかちかするくらいたくさんの色が使われているけれど。
古典的なデザインに、前衛的な色使い。そんな不思議な服は、やはり彼女にはとても良く似合っていた。
「そう、そして私は、あなたたちのことも飾り立てたいと思っているの……!」
舌なめずりせんばかりの顔で、バルバラがこちらに近づいてくる。何というか、怖い。得体の知れない怖さだ。
そういえば彼女は、王宮で通り魔まがいのことをしているのだったか。この迫力では、ロベルトなどとうていかなわなかっただろう。あっという間にさらわれて、好き勝手着せられてしまうに違いない。
しかしミモザは、異様な迫力を放つバルバラに全く動じていなかった。小首をかしげて、のんびりした声で話しかけている。
「あれ、今『あなたたち』って言った? もしかして、僕もなのかな?」
「もちろんよ! 深い森の奥に咲く、神秘的な一対の花のようなあなたたち……その別の魅力を自分の手で引き出したいと、そう思わずにはいられない……」
さらりとこっ恥ずかしい褒め言葉をぶん投げてくるバルバラに、やはりミモザはおっとりと話していた。
「だったら、一度正装を仕立てて欲しいなあ。僕、ジュリエッタのドレス姿が見てみたいんだ。もしお金が必要なら、ちゃんと払うから」
「お金は不要よ! そうやって色々な人を飾り立て、服についての理解を深めるのも私たちの仕事のうちだから、きちんと予算は出ているの。それにあなたたちは、ヴィットーリオ様の恩人でしょう。もし予算が足りなくなったら、ロベルトからもぎとるわ!」
「正装なんて仕立てても、着る機会がないのに……」
そんな私の抗議を、バルバラはどうやら故意に無視しているようだった。
「ああ、どんな色にしましょうか、どんな意匠にしましょうか! 久しぶりに、とおっても腕が鳴るわあ……」
「聞いてない……」
「あきらめようよ。ね、ジュリエッタ」
呆然とする私に、ミモザがこの上なく可愛らしい笑顔を向けてきていた。
「ふんふん、色は明るめがいいわね。今回は重厚な感じよりも、軽やかな雰囲気でまとめて……だったら装飾は透ける布を中心に……ああ、レースもいいわ……」
そのままバルバラは、私とミモザの周りをぐるぐると回っている。これから作るという正装の案について、ぶつぶつとつぶやきながら。
なんとも落ち着かないけれど、口を挟む隙が見つからない。というか、下手に邪魔したらまずい気がする。仕方なく、無言で身をすくめていた。
「……よし、だいたいの設計図はできたわ! それではさっそく採寸を」
巻き尺を取り出そうとしたバルバラの意識が、一瞬私たちからそれた。その隙を狙って、すかさず口を挟む。正直、採寸の前に少し休憩したかったし。
「その前に、私たちがここに来た本題に入ってもいいかしら。見せたいものがあるの」
大急ぎで、カバンの中から紙の束を取り出す。それを見たバルバラが、ぴたりと動きを止める。
「もしかして、それって……」
「タトウ編みの編み図よ。でもお母様の遺品だから、汚さないでね」
バルバラが歓喜の悲鳴を上げる。周囲のお針子たちもわらわらと集まってきて、目を丸くして編み図に見入っていた。
「飾り紐を編み直すところを見せるって話になってたけど、それよりも先にこの編み図を見つけたから」
今は飾り紐をほどいて、切れたところをつないだところだ。これからやることはまだまだあるし、最後の編み直しの工程に入るのはもっと先だ。
「だからこの編み図を見ながら、別の紐で編むところを実演する、というのはどう?」
「ええ、実際に編むところを見られるのなら何でもいいわ! あっ、どうせならこの紐で編んでもらえるかしら? 編み図の写しと一緒に保管して、資料として残しておきたいの!」
もちろん、それくらいならお安い御用だ。渡された紐を構えて、編み図を説明しながら編み始める。
……バルバラの強烈な視線を逃れようとして、とっさに作業を遮ってこちらに気をそらした。うまくいったと思ったけれど、そうでもなかったかもしれない。
気がつけば私は、バルバラとお針子のみんなに囲まれて、まるで先生のような気分でタトウ編みをひたすら実演していた。視線が多すぎてやっぱり怖い。
「実際に編んでるところを見るのは、僕も初めてかな。すごくしなやかに手が動くんだね」
私が緊張しているのを見て取ったのか、ミモザがそっとささやきかけてきた。
「そうね。装飾のための編み方だから、普段はまず編まないわね。実は編み方も、きちんと覚えている訳ではないのよ。何となく手が覚えているだけで」
「でも、綺麗に編み目がそろってるね。職人みたいだ」
そんなことを話しながら、さらに色々な模様を編んでいく。やがて、大机の上に様々な形のタトウ編みがずらりと並んだ。
「ああ、素敵……! これで、タトウ編みの技術をきっちりと後世に残せるわ! ジュリエッタ様、あなたのおかげよ!」
バルバラは感極まったのか、両手を揉みしだくように組み合わせながら身震いしている。他のお針子たちも、みな笑顔だ。
「本当にありがとうございます、ジュリエッタ様。どうせなら、タトウ編みをまた流行らせてみたいですね」
「今となってはとても物珍しいものですしね。きっと、みんな飛びつきますよ」
「ここからは、私たちの出番ですね」
お針子たちも浮かれた様子で、そんなことをてんでに言っている。
タトウ編みがまた広まって、みんながこれを編むようになる。そうなったらいいな、と思いながら、私も笑顔でうなずいた。
お母様が大好きだった、当時でさえ半ば忘れられていた編み物。私がありえないくらい長生きしていたおかげで、それを現代によみがえらせることができるかもしれない。
「……長く生きるって、たくさんのものとお別れすることだと思ってたけれど、こんな風にまた巡り合うこともあるのね。想像もしなかったわ」
口の中だけで、そうつぶやく。それはとても小さな声だったので、バルバラもお針子も気づいていないようだった。
「そうだね。……尻込みしてたあなたの背中を押してよかったなって、つくづくそう思ってるところだよ」
耳のいいミモザは、ちゃんと私の声を拾い上げてくれた。心の中の嬉しさが、また少し大きくなっていく。
「ありがとう、ミモザ」
ほとんど吐息のような私の言葉に、ミモザは幸せそうに笑っていた。
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